第26話 あのヒトに繋がる――
院長が連行された。
すぐにでも追いかけて助けようと言った僕を強く引き止めたのは、他の誰でもないコトカさんだ。院長は僕たちを逃がすためにその身を呈してくれたのに、何の策もなく飛び出せば全てが無駄になる――と。
彼女の言うことはもっともだった。頭では分かっている。分かってはいるけれど、心がどうしても追い付いてくれない。院長はもしかしたら僕たちを騙しているのかもしれない。だけど、それでも構わない。やっぱり彼は僕の恩人で、大切な家族なんだ。
異端審問官に連れて行かれた先でどんな酷い運命が待ち受けているのか……想像すらしたくはない。もし院長が拷問なんてされてしまったら、もし五体満足で戻って来られなかったら……そう考えると居ても立ってもいられなかった。
「でもさ、ほら、そこはだからこそ我慢じゃない?」
強く握りしめた僕の拳を掬い上げ、その緊張を解してくれたのはロウカさんの小さな手だった。
「だってさぁ、ちゃんと作戦立てれば助けられる可能性は高いし! 何より戦力は整えなきゃ! まずはレイ兄を探して~、そこから色々考えれば良いよ。あのヒトも一応神族の端くれだし、何かしら教えてくれるでしょ!」
レイさん! その名前を聞いた瞬間、のしかかった重石が取り払われたかのように心が軽くなった。確かに、彼が居てくれればとても心強い――ような気がする。
「でも、その、こんな個人的なことに力を貸してくれるでしょうか?」
実際、彼には何も関係ないことなのだ。突然押しかけて「力を貸してください」なんて言ったって「は?」と思われるのが関の山じゃないだろうか。
「だいじょーぶ、大丈夫! レイ兄は君みたいな少年が大好きだからね!」
「え?」
それはどういう意味で、ですか? ――と聞きたかったけれど、今はそんなふざけてる場合じゃない。それを聞くのは後回しだ。
「それじゃあ、その……お願い、できるととても有り難いです」
「うんうん、きっと何とかなるよ! と、まぁ、その前にどこを探せば良いんだかって話なんだけど……」
ロウカさんは腰に手を宛てながら、溜め息を吐く。確かに、出会えないのは問題だ。ただ、そのことで一つだけ気になることが僕にはあった。
「あの、それなんですけど……さっきコトカさんが目が熱いって言ってたのって、レイさんが近くに居たからとか、そういうことじゃないんでしょうか?」
実際、あの場から遠ざかるほどにコトカさんの苦しみは和らいだとのことだった。
「それは……有り得ない話じゃないかも」
ロウカさんのその言葉を受けて、コトカさんは右目を押さえる。
「ただ、それはつまりコトカさんにまた苦しい想いをしてもらわなければいけないってことなので……」
それを頼りにレイさんを探そうというのは少々気が引けてしまう。だけどそれはどうやら僕の考えすぎのようだ。コトカさんは首を横に振り、「大丈夫」と一言口にする。
「私も、院長居なくなったら、困るし……」
「有難うございます。……そしたら、やっぱり最初に探すべきは僕が最後に別れた、昼間のあの酒場の付近でしょうか?」
「あぁ、あそこかぁ。昼間もあの辺で姿を消したから、多分あの辺に何か用があるんだろうね。何してんのかな、マジで」
ロウカさんは首を傾げ、眉を顰め、頬を膨らませ、唇を前に突き出した。元が可愛い人はどんな表情をしても崩れないものなのだな、と変に感心してしまう。
「とにかく、行ってみよう。目がおかしくなったら、また、言うから」
コトカさんのその言葉に頷き、僕たちは人目を憚りながら夜の闇へと繰り出した。
*
「そういえばロウカさん、その
ふと思って尋ねれば、ロウカさんはなんとも微妙な顔をした。
「まぁ、それで分かったら今ここには居ないよね」
「……すみません」
正論だった。そもそも
「ねぇ、気って、どういうもの?」
それを聞いたのはコトカさんだった。そこに僕も便乗させて貰う。
「それ、僕も気になります」
「え? う~ん……どういうもの……なんかさぁ、後ろに誰か立ったときに何となく『あ、知ってるヒトだなぁ』とか『知らないヒトだ』くらいは分かったりするじゃない? あれの延長線のやつっていうか、曖昧なんだけどなんとなく分かるみたいな。なんかそんな感じのやつだよ」
分かるような、分からないような。ただ、いわゆる筋肉反射と言われるものに近いものがあるのかもしれない。意識はせずとも、潜在的に本能が理解しているという感じだろうか。
「ヒト捜しに使うにしても、こっちに行った方が安心する~とか、こっちには行きたくないな~とか、その程度の感覚しかないんだよね」
「なかなか扱いの難しいものなんですね……」
「日常生活では割と役に立つけど、こういうときはあんまりね~」
だからあんまり期待しないで――と付け加えて、ロウカさんは苦笑する。
「あ、ほら! この辺かな? 君とレイ兄が別れたところ!」
ぴょんと跳ねるような大きな一歩を踏み出して、こちらを振り向く。言われて周囲を見回して、僕は一度だけ頷いた。
「コトカさん、どうですか?」
「……じんわりと、熱い、感じ?」
先ほどのような強烈な熱さを感じることはないらしく、コトカさんは首を傾げて曖昧にそう返答する。
「それほど近くはないけど、近くなくもないって感じかぁ。でも現状変化があるなら、変化の著しい方向に行けば間違いないってこと、かな?」
「そういうことになる……んでしょうか?」
仮説が正しければ良いのだけれど。とはいえ、この周辺は昼間にコトカさんが痛烈な異常を感じ取った場所の付近だ。場所そのものに何かがあったのだとしたら、ここで先のような発作が起きないというのも変な話になる。
「コトカちゃん、辛かったら言ってね。ある程度近付けば、あとはあたしが捕まえてくるから!」
そう言って拳を構え、グッと腕に力を入れるロウカさんの二の腕は、意外にも筋肉質で硬質な印象だった。よくよく見てみれば脚もスラッと細いというよりはガッシリ引き締まっているといった感じで、何か体術でもやっているのかもしれないと、なんとなくそう思った。
ロウカさんのその言葉に少し嬉しそうに「うん」と答えるコトカさんは――見た目は正反対だが――まるで姉に甘える妹のようだった。
「レイ兄、さっきは歓楽街の方に居たんでしょ? で、あっちに消えて行った、と……」
彼女の指差す方向を確認しながら、僕はそれを肯定する。
「じゃあ、やっぱりあっちから回った方が良いのかな。向こうは酒場もいっぱいあるし、意外にその辺で飲んでるだけかもしれないし」
「なる、ほど……?」
彼のことを良く知っている彼女がそう言うのだから、恐らくはその指示に従った方が良いのだろう。それに対しては特に反対するつもりもなく、ただ黙って彼女の後をついて行く。
「そもそも、なんで二人は、この街に来たの?」
ふいにコトカさんの口から出たその疑問にロウカさんは「あー……」となんだか答えにくそうに言葉を濁している。言いたくない理由でもあるのだろうか? と思った矢先に、その考えは否定された。
「別に教えられないような理由があるわけじゃないんだけど、なんて言ったら良いのかよく分かんなくって。アタシたち、人間界の極東の国の小さな山村でお世話になってるんだけどね」
「極東? それは、もしかしてアシバラの国?」
「そうそう! よく知ってるね!」
「私、そこの出身、だから……」
コトカさんの声はどこか沈んでいる様子だった。既に還ることのできない、遠い故郷のことを思っているのかもしれないと思うと、なんだか少し切ない気持ちになってしまう。
「そうなんだ! こんなところで会えるなんて運命的! あぁ、うん、それで……そこの山の女神様に頼まれたんだよね。なんか最近西の方が不穏だからちょっと調べて来いって」
「なんか、すごい
「そうそう、そうなんだよ。でも神族的にはそれだけで十分通じるみたいでさ。レイ兄もそれだけ聞いて『へいへい』って言って承諾しちゃって。アタシたち、トウヤくんっていう妖族と、リン姉っていう魔族のお姉さんと一緒にいるんだけど」
なんて多文化な村なんだ。それほど多くの種族が一緒に暮らしているというのはなかなか想像ができない。天使族ならミスラを知っているけれど、ミスラは天使というか、あまり天使っぽくなくて人間っぽいし。
「でもまぁ、トウヤくんは女神さまのお勤めがあって暫く山を離れられないし、リン姉は色々特殊なヒトだからあんまりヒトごみに入れないし、かと言ってレイ兄だけだと頼りないからあたしも一緒に行ってきて~、的な感じで」
「そうだったんですね。……あの、そのリンさんという方は、魔族なんです、か?」
確かさっき、僕からその人の気を感じると言っていた。もしかしたらそのヒトがあの方なのかもしれないと思うと、少しだけ胸が高鳴る。
あの戦いは敵側に魔族が居たことも事実だ。だから、あの場にそうした気まぐれを起こすヒトが居ても不思議ではない――のかもしれない。
「うん、そうだよ。すっごく優しくて、可愛くて、綺麗で、ふわふわしてる感じの癒し系のお姉さんかなぁ」
違う――と、直感的にそう思った。あの方の優しさはそういう甘さではなかった。もっと苛烈で、激しくて、厳しくて、気高い――そういう類の険しい優しさを持ったヒトだった。
「そのヒトが、フェイトの、捜しているヒト?」
コトカさんのその問いかけに、僕は静かに首を横に振る。恐らくそのヒトではない。証拠はないけれど、確信がある。それに対してロウカさんも「うんうん」と頷いている。
「似てはいるけど、ちょっと違うんだよね。君のは、なんていうか、もっとこう、熱い」
「熱い……」
確かに、あの方はどちらかというと炎とか太陽とかそういう印象が強い。単純に、出会ったのがあんな戦場だったからかもしれないけれど。
「待って」
そのとき、コトカさんが足を止める。何かを探るようにきょろきょろと周囲を見回し、右目を押さえた。
「近くに、いる、かもしれない……まだ、そこまでじゃないけど……」
立ち止まり自分たちの居る場所を確認する。その場所は酒場が集まっている場所よりも、もう幾分か歓楽街に寄っている路地だった。
「近づいて来る……」
「……分かった。ちょっと見てくるね」
コトカさんの表情が暗くなっていくのを見たロウカさんは力強い口調でそう言うと、彼女を落ち着かせるように背中に手を宛て、大地を蹴る。ほぼ垂直に高く跳んだロウカさんの身体は周囲の建物の高さを軽く超え、まるで重力など感じさせないかのように宙に留まっている――ように見えた。実際には徐々に落ちて来てはいるのだけれど、中空で垂直に体を反転させ、海老反りになりながら周囲を見渡す。
「居た‼」
そして一言そう発すると、まるでそこに見えない透明の板でもあるかのように、何もない空を蹴り、目的の人物がいると思われる方向へと跳躍する。
その後は緩やかに弧を描き、大地へと接近し――
『げぇっ‼』
それほど遠くはないやや遠方から、聞き覚えのある低い声が聞こえてきた。
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