四.絶対服従の子
第25.5話 恩寵を賜りし女
「お前の瞳と同じ色の花を見つけたんだ」
そう言って快活に笑うあの方は、いつしかわたくしの名前をその花の名で呼ぶようになっていた。最初はほんの冗談だったのでしょう。
「リラ、ほら見てくれ」
「殿下、わたくしの名前はソフィーアですわ」
「あぁ、知っているとも。だが、リラの花は全てがお前を表していると言っても過言ではない。だから俺はお前をリラと呼ぶ!」
「殿下?」
少し語気を強め、問い詰めるようにそう言えば、彼は困ったように眉を顰めて、少年のようにはにかんだ。
「いや、だって、ソフィは皆が呼んでいるじゃないか。俺は、俺だけの名前でお前を呼びたい」
「まったく、子供みたいなことを仰らないでくださいまし」
けれど、それはまるで秘め事のようで、それはまるで二人だけの合言葉のようで、その名で呼ばれることは決して嫌ではなく――寧ろ、とても甘美で――……
「リラ」
「何でしょうか?」
「俺は、お前と――……」
『リラ――!』
*
「貴様は裁判にかけるまでもなく極刑だ。理由は言わずとも分かるな?」
無骨な鉄格子の向こうで、審問官が満足げにそう告げる。
「えぇ、もちろん――」
分かるわけなどないでしょう? その言葉を口にできたら、この胸に刺さった何本もの棘は抜けるのでしょうか? 八年前のあの日からずっと、心の臓に巻き付いたままのこの茨が解けるのでしょうか?
「理解の早い女は嫌いではないが……ふむ、しかし魔女となると話は別だな。見た目は上手く誤魔化しているようだが、私には分かる! 貴様の魂はおぞましい穢れを孕んでいる!」
「……えぇ、そうですわね。そうでしょうね」
何せわたくしの心はもう――。
「刑の日時は未だ決まってはいないが、そう長くは掛からんだろう。神族の計らいにより、その穢れた魂は早々に冥界で浄化してもらえるそうだ。良かったな」
「はい、感謝いたしますわ」
それだけ告げると、審問官は踵を返し、背を向ける。
硬質な靴が石造りの床を叩く音が鳴り響く。音は徐々に遠ざかり、やがて独房は静寂に包まれた。
「魂が、冥界に……」
冥界に行けば、あの方と再び見えることができるかしら。それならば死も悪いものではないかもしれない。
けれど、わたくしがここで死を受け入れることは、それ即ち彼らの所業を正義として認めることに他ならない。それだけはしてはいけないと、わたくしの心に強く根付いた信仰心が訴えかけてくる。
あの日、わたくしは主の御心に触れた。
名前もないような小国が戦火に包まれたあの日――主はわたくしに生きよと、そう仰って下さったのだ。
生きて、愛を得られぬ子供たちの母となること。それが、主がわたくしに課された使命だ。
まだ死ぬわけにはいかない。この国が孤児を生み続ける限り、わたくしはこの国の正義を認めるわけにはいかないのだから。
だけど――死にたくない理由は本当にそれだけなのかしら?
『リラ――!』
あぁ、これは、どちらの声なのでしょう? ――なんて、答えはもう分かっているのに。
あの日、あの方に差し出された紫の花。その意味なんて知りたくなかった忌むべき花。その名前でわたくしを呼ばないで。もっと呼んで。それはあの方だけの名前。だけど、それでも――
「嫌ですわ……もう不惑も間近の良い大人が、まるで少女のように……」
あぁ、なんてはしたない。
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