第25話 魔女
山中に足を踏み入れ早半刻が過ぎたものの、現状魔獣が出現する気配は一切ない。
流石に私だけで十人近い子供の面倒を見ることは不可能なため、年若い修道女二人を連れてきたは良いが、どうにも心許ない。目的地はここから暫く行った先にある小さな山小屋らしいが、果たしてそこまで辿り着くことはできるのだろうか。既に疲れ始めている子供も多いようだが。
「ねぇ、おにいちゃん……」
「どうした?」
殿を勤める私のすぐ隣を歩いているイリスが力ない声を発する。何かあったのかとイリスを見れば、彼女はぼんやりと上を見上げ、指差していた。
「カラス、大きいカラス……」
「鴉……?」
言われた先を見る。そして瞠目する。それは確かに鴉だった。それもとりわけ大きな。その鴉と、目が合った。
イリスの声に反応して、他の子供や修道女も上を見る。あまりに非常識なその大きさに、どよめきが起こるのは仕方のないことだろう。
鴉はこちらの存在を認め、翼を広げる。滑るように空を舞い、集団の先頭に降り立った。大地に足を下ろした鴉が翼を閉じたとき、その鴉は美しい少女へと姿を変えていた。集団がざわつく。イリスも震える手で私の衣服を掴んでいる。
「
鴉は歌うようにそう告げた。湾曲した黒い爪で今来た道を指し示し、黒曜石の如き艶やかな瞳をこちらに向ける。
その言葉を聞いた修道女が怪訝な目でこちらを見ているが、今はそこに構っている場合ではない。
「貴様は、神獣か……?」
「はい。でも、いいえ。我が主は既に神族に非ず。私を表すのならば冥獣というのが相応しいでしょう」
「冥獣……? 冥王からの使者?」
「はい。我が主からの伝言です。我が片割れは間に合わない。魔女を守りたくば彼女の側を離れてはいけない」
「魔女? 現状、あの修道院に魔族と契約をしている者はいなかった筈だが?」
「あ、あの……!」
その時、一人の修道女が声を上げた。その顔は青白く、唇は紫に変色している。カタカタと噛み合わない歯で、必死に言葉を紡ごうとしている。
「わわわわた、私、きき聞……てしままったんで、です……」
何をそんなにも怯えているのか。祈るように組まれた手は、甲に爪が食い込み、白く変色していた。
「落ち着け、大丈夫だ」
そんな彼女の両肩に手を置き、息を整えさせる。幾分かマシにはなったものの、それでもやはり動揺の色は消えず、彼女の身体は小刻みに震えていた。
「しし、シスター……ぶ、ブロシアがが……」
「ブロシア?」
何故そこでブロシアの名前が出てくる? 聞き返せば、彼女は大きく首を縦に振った。ごくりと唾を呑み込み、意を決したように顔を上げた。
「彼女が! もうすぐ契約が成立するって話しているのを‼」
つまり、彼奴等の目的はブロシアだったと、そういうことか? 魔女はブロシア? いや、しかし――冥王は何故、それを私に告げた?
「冥獣よ、彼女らを任せてもよいか? この先にある山小屋まで導いてやって欲しい」
何かが噛み合わない。胸騒ぎがする。すぐに戻って現状を正しく把握すべきだ。
冥獣はその言葉を首肯する。
「恩に着る!」
その場で呪文を唱え、魔法を発動する。これですぐに修道院へ戻れる――筈だった。
*
これは結界だ。それも魔力によるものではなく、法力によるもの――つまり、天使の力が働いている。修道院はすぐ目の前だというのに、その敷地内に入ることができない。
建物の裏手にあった焼き場の近くまでは魔法で入れた。しかし、そのあと一歩で身体が弾かれる。
天使――というとミスラの姿が思い浮かんだが、彼の法力で私を拒絶することはまず不可能だ。ならば、より上位の天使がこの件に与しているということなのだろう。結界伝いに表に回ろうとしても、結界の範囲は崖の先まで続いている。これでは――……
『魔女、ソフィーア・ネイサンよ‼』
男の声が耳に届く。何やらものものしい集団が修道院の前方を占拠しているのが遠目に見えた。
ソフィーア・ネイサン? 誰だ? そのような名前の者は……いや、彼女らは皆、洗礼名を名乗っていた。では元々の名前は違うと、そういうことか。
修道女のうちの一人が、その歩を前に進める。
胸のざわめきが静まらない――誰だ?
何かが強い警告音を発している――誰だ?
いや、違う、そんなまさかと、その考えが離れない――誰だ!
『貴様を反逆の疑いで連行する‼』
修道女はヴェールを脱ぐ。その中から切り揃えられた亜麻色の髪がさらりと落ちてきた。
あれは――
「リラ……!」
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