第24話 蠍の群れ
フェイトという名の子供が戻ってくるにはそれほど多くの日数を要さないだろう、というのが
近隣で戦争が始まりそうだという報告を受け、院長ともう一人の女性と共にここから一番近い大きな街に情報を集めに行ったとのことで、早ければ今日明日には戻ってくる――と、そのような話を聞いてから二日が過ぎた。
当初の予定よりも随分長いこと居座ることになってしまったが、幸いにして必要な情報はそれなりに出揃っている。白い獣の少女との邂逅によって先を急ぐ必要もなくなったというわけだ。むしろ、今一番欲しい情報を持っているのはその子供だと思うべきだろう。彼女の言っていた「狙われていた」という言葉が嫌に引っかかる。
一戦を交える前にあの小さい猪を屠ったのは失敗だったと今になって思う。あれがイリスを狙っていたのか、それとも偶々そこで遭遇しただけなのか――それが分かれば現状もう少し事態を把握できただろう。
短気なのは悪い癖だと昔から義弟に言われてきたが、ヒトの性分というのはそう簡単には矯正できないものらしい。
目の前で燃え盛る炎を監視しながら、この脆弱な精神を如何にして鍛えるべきなのかを考える。
「調子はどうでしょうか?」
背後から既に聞き慣れた声が聞こえ、軽く視線だけをそちらに送れば、そこには案の定リラの姿があった。
あれほどみっともない姿を見せたというのに、その後も彼女は変わらず接してくれる。気恥ずかしさを感じないわけではないが、それを理由に逃げるのは弱者の所業だ。己の弱さと向き合わねば、真の成長など望めない。
「問題ない――と言いたいところだが、如何せん、このような作業は初めてなのでな……いくつかは無駄になるやもしれぬ」
「それこそ問題ありませんわ。生木は火の調整が難しいですから、調理には向かなくて……」
「それで木炭か」
「はい。とはいえ、お客様にこのような雑用をお任せして……本当によろしいのでしょうか?」
「何を今更。それに、世話になるからには相応の対価も必要だろう」
「いえ、でも、それはイリスを助けて頂いたお礼ですし……」
「その礼は既に貰っている。今は私の都合で滞在しているのだから、何も気にする必要はない」
そのとき、パチンッ――と炎が弾け跳んだ。咄嗟に手を伸ばし、彼女を火の粉から庇う。
「大丈夫か?」
「わたくしよりも、ルインさんの手が――! ……何とも、なっていらっしゃいませんわね?」
私の腕をまじまじと見つめながら、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「あぁ、この程度の炎ならば何も問題ない。なんならこのまま直接腕を入れても無傷で済むぞ?」
「それは、また……」
リラは更に目を見開いて口許に手を宛がう。いつも緩やかに弧を描く彼女の口許が驚きに開かれているのは、少し新鮮に映る。
「ここは危ない。それに、そなたには別の仕事もあるのだろう。ここは任せよ」
「あ、はい……」
自分で言っておきながら、しずしずと離れて行く彼女の存在に若干の寂しさを覚えるあたり、私は相当に彼女に絆されているのだろう。
「そういえば!」
リラが思い出したかのように声を上げ、こちらを振り向く。その表情は僅かに曇っており、何か気がかりなことがあるようだった。
「イリスが不思議なことを言っていましたの。なんでも、ここに蠍の群れがやってくる、とか……」
「蠍の群れ?」
「えぇ……イリスはたまにそういうことを言い出す子なんです。だけどわたくしたちはちゃんと汲み取ることができなくて……。いつも後になってからその意味を知るのですけれど、その、ルインさんはこの言葉の意味が分かりますか?」
「いや、心当たりはないな」
蠍は執着、あるいは依存や寄生の象徴とよく謳われるが、それが群れるというのがよく分からない。それに、人間界と魔界ではその解釈に違いがある可能性もある。下手なことを言えばそれが先入観となって思考を阻害する。確信のないことは言わない方が良いだろう。
「イリスがそれを言い出したのはいつ頃だ?」
「確か――昨日の夜ですわ」
「昨日の夜……普段、イリスがそういった言葉を口にしてから、それが現実に起こるまでの期間は?」
「それほど長いものではありません。早くて半日、遅くとも三日ほどかと……」
「……不穏だな。いつでも逃げられる準備をしておいた方が良いだろう。可能なら今すぐにでも身を隠すべきだ。とはいえ、この人数が逃げる場所はあるのか?」
聞けば、現在この修道院には大人と子供併せて二十人ほどが滞在しているらしい。たかが二十人、されど二十人だ。特に、未だ分別のつかぬ子供がそれなりの人数存在するというのが難点か。
事実。リラは首を横に振っている。
「そうか……」
「その、もしよろしければ、なのですけれど……イリスと、他に数人の子供を連れて、山の奥まで逃げて頂けませんか?」
不思議な申し出だった。子供全員、と言うのならまだ分かるものだが、他に数人、というのは一体どういうことなのか。
「私は構わないが、その数人の子供というのは?」
「わたくしも詳しいことは存じ上げないのですけれど、皆、院長が連れてきた子供たちです。彼らはイリスと同様に不思議な力を持っておりまして……」
人間には通常、他の種族のような能力は存在しないと聞いているが、中にはそういう力に目覚める者もいるのかもしれない。確かに、そうした珍しい能力というのはいつの時代、どこの世界でも争いの種となる。
蠍の目的がどこにあるのかは分からないが、少しでも可能性のある子供たちを守ることが第一、ということか。
「相分かった。ではすぐにそのように伝えよ。私も準備する」
「はい!」
とは言ったもののどこに逃がせば良いものか。この数日で、山には少なくとも二度、魔獣が出現している。同じ場所に出てくるということは、彼奴等の目的がこの地にあるということだ。
もしそれがこの子供達だったら? 下手に連れ出す方が下策なのではないか?
いや、しかし――目の前の火を徐々に落としながら、今後起こり得る可能性を考える。
最後に魔獣が出現したのは私が此処に来た三日前だ。それ以来、魔力が湧いて出てくるようなことは一度も起きていない。ここに目的のものがないと分かって諦めたのか、あるいは目的のものを見つけたからこそ魔獣を放つ必要がなくなったのか、何らかの事情があって手を引いたのか。
「フェイト、信仰の子……魔族のにおい……」
最初にその名前を聞いたときから思うところがないわけではなかった。しかし、かと言って彼がこのような場所で安穏と暮らしているとも思えなかった。
私が見た少年の魂は憎悪の炎に燃えていた。あれは自分以外の全ての世界を破壊し尽くし、その瓦礫の山の頂点に立ってでも生にしがみつく生き物だった。
何より、彼は恐らく人間の社会で生きていくことはできないだろうと、そう踏んでいた。
この世界は
そんな子供がヒトの中に居場所を見つけられるなどとは、到底思えなかった。
しかし、リラの先程の言葉だ。この修道院が不思議な力を持つ子供を集めているというのなら、彼がここに招かれても何もおかしいことはない。
仮にフェイトなる子供が本当にあのときの少年であるのならば、あの魔獣が狙っているのは彼ではなく寧ろ――
「――私か?」
合点は行く。ではグーリアとルフリアが何故私を狙うのか? たとえ私が死んだとしても、彼奴等にはなんの得もないだろう。
しかしスペルブには父が居る。父は主君に心酔している奇人ではあるが、それほどの屑ではない。たとえ
となると、私を殺したがっているのは――
「
調査の名目でここに私を送ったのもあの男だ。義弟に行かせようとしたときに、試練だなんだと理由をつけて全て却下したのもそういうことなのだろう。
最初の魔獣に関してはグーリア、ルフリアと伝達の齟齬でもあったのか、それとも屠られたこと自体が想定外だったのか。二度目の魔獣が最初のものと比べてお粗末だったのは、恐らく急ごしらえだったからだ。
しかし、あの程度で私を殺れると思っているのなら、それはあまりにも粗悪な作戦だと言うよりない。
「――いや、この考えに固執すべきではないな……」
答えありきの推測は視野を狭める。それでは大事な真実を見落としてしまう。
では逆に、最初から理由があって魔獣を送り出した二国に対し、伯父が便乗したとすれば? その方がまだ説得力があるが――……それでは結局魔獣が人間界に来た理由が分からぬ。
「ここで思考を巡らせても意味がないな。子供たちには悪いが、確認のために囮になってもらおう」
仮に人間そのものに対して何らかの目的があった場合、山に人間が踏み込んだ際、再び魔獣が現れる可能性はある。もしそうでないのならその別の理由を探せば良いだけだ。
火が完全に消えたことを確認し、その燃えカスの下に魔方陣を描く。
「これで何かあったときはすぐに駆けつけられるだろう」
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