第22話 狼少女との逢瀬

 ――そう思って歩き出したはいいものの、結局猪の元に辿り着くことはできなかった。

 何故ならば――

「どうしてこんなところに魔族がいるんですかぁ?」

 行く先を白い狼に阻まれたからだ。いや、狼というには少々語弊がある。彼女は二足で立っているし、服も着ている。成る程、格の高い神獣の中には三つの形態を持つ者もいるとは聞いていたが、つまりこれがその内の一つというわけだ。


「それはこちらの台詞だな。何故このようなところに神獣風情がいるのか」

 暗がり故、相手の表情を正確に読み取ることはできない。そもそも相手の顔は体毛に覆われており、たとえ光の下であったとしても読み取り難いことに変わりはないだろうが。

「いやいやいや、っていうかここは一応神族側の国なので。魔族がいる方がおかしいんですよ。っていうかもしかしてアナタが魔獣を放った張本人ですか?」

 魔獣のことを知っている、ということはやはり彼女が魔獣を屠った張本人ということだろう。まさかリラやフェイトとやらに話を聞く前に相見えることができようとは。運が良いと思うべき、なのだろうな。

「何か勘違いをしているようだが、私はアレを放ってはいない。寧ろ、アレが放たれた理由を突き止めに来た側だ」

 嘘をついて敵対しても恐らく良いことはない。共闘を持ちかける気も更々ないものの、あえて動きにくい状況を自らつくるのは愚か者の所業だ。

「ふ~ん? ふんふんふん……」

 訝しげな声を発しながら、彼女は鼻をひくひくと動かす。どうやら私のにおいを嗅いでいるようだった。

「なるほどなるほど……確かに違いますね。アナタはどちらからいらしたのですか? 返答によっては私も態度を改めますが」

「それはつまり、七大帝国のどこから――という意味ととって構わないのだな? ならば答えよう。私はアイラの皇帝から直々に今回の件について調べよと命ぜられた」

「アイラ! なるほど、アイラ……アイラ……?」

 アイラ、という言葉にいたく引っかかっているようだった。首を傾げながら、何度も何度も口の中でその単語を反芻している。

「あの、一つ良いですかね? いえ、アイラも広いですし、そう都合の良い話もないと思うんですけど。ただ皇帝から直々にってことは、イブリス・・・・からいらしたと思ってお伺いしたいんですけど……」

 言葉遣いが先ほどよりも若干丁寧になったのは、敵ではないと認められたということなのか。それならばそれでこちらも都合が良い。

 さて、相手が何を聞かんとしているのか――特に言葉を挟むこともなく、私は一度だけ首を縦に振る。


「割と最近……二ヶ月くらい前ですかね? なんか、白いヒトを見ませんでしたか? 神族で、私のご主人様なんですけど」

「…………それは、黒い服を着た、無駄にデカいやる気のない男のことか?」

「そうです、そうです! 正にそのヒトです!」


 まさか! まさか! まさか‼


 あの男の眷属が何故斯様かようなところをうろついているのだ!

「ということはレイ様にお会いしたことがあるのですね! で、今こうして無事に生きていらっしゃるということは、アナタは根は善人であるということ! 分かりました! 信用しましょう!」

 スカートの下から伸びる尾を、風を切る勢いで左右に振り回しながら、彼女は自身の中で勝手な結論を導き出したようだった。

「待て、違う! 私はあの男とは敵対関係で……」

「いえいえ、大丈夫です、分かってますよ! ところで、あの方が次にどこに向かわれたか、何か目的とか話していませんでしたか?」

 何も大丈夫ではないし、恐らく何も分かっていないのだろうが、そのようなことはお構いなしに話を進めていく少女には何を言っても聞かないだろう。女とはある種、思い込みの生き物だ。そこを言及すればきっとこの後の話がややこしくなる。

 ここは諦めて素直に質問に答えるのが正解なのだろう。

「いいや、何も聞いていないな。寧ろ、あの男は私に行く先を知られることを最も恐れていると思うが?」

 恐れている――というのは間違いだ。実際には嫌悪していると言った方が正しいのだろう。

 自身の居場所を知られることは、それ即ちあの娘の居場所を知られるということ。折角救い出した姫君をみすみす危険に晒すような真似はしたくない筈だ。

「う~ん、そうなんですね。分かりました。でも、う~ん……まぁ、そういうことにしておきます。それとぉ……」

 どうにも腑に落ちないようで、彼女は不満げな声を隠そうとはしない。

魔獣のこの件は、魔族側で解決してくださると、そういうふうにとっても構わないでしょうか? 私も特に命を受けているというわけではないので……」

「あぁ、それは構わぬ。身内の不手際はこちらで処理する」

「わっかりましたぁ! それじゃあ、よろしくお願い致しますね」

「相分かった」


 それじゃあ――とその場を後にしようと、彼女は踵を返す。

「待て、私からも聞きたいことがある。そなた、数日前に人間の子供を助けたか?」

「えぇっと、あぁ、はい! それがどうかしました?」

 どうかしたか? と問われ、何を聞くべきなのか言葉に詰まる。

「いや、それはどのような子供だったのか、と思ってな……」

 口から出てきたのは何とも姑息な言葉で、そこから何か情報が得られるとは到底思えなかった。しかしそれでも少女は首を捻り、至極真面目に返答をする。

「どんな……そうですねぇ……ちょっと変わった子でしたよ。なんか、人間なんですけど、ちょっと人間ぽくなくて……あとは、狙われてましたねぇ」

「狙われていた? 猪にか?」

 それは意外な言葉だった。あの猪はそういった意思を持った生命体なのか。

「はい。この私がわざわざ相手をしているのに、私のことなんて一切お構いなしで、その少年に突進してましたから」

「……それは、人間・・を狙っていたのか? それともその少年を狙っていたのか?」

「さぁ? 流石にそこまでは。……あ!」

 少女はじっとこちらを見つめたあと、ピンと耳と尾を立て、思い出したかのように声を発した。

「そうです、そうです! 彼、魔族のにおいがちょっとしたんですよ! まぁ、それが猪に狙われたことと関係しているかは分かりませんが」

「ほう? 成る程な、参考になった。礼を言おう」

「いえいえ。私も今、敵を増やしたくない状況なので。それに……」

 少女は意味深に口角を釣り上げる。鋭い牙が剥き出しになり、ともすれば怒っているかのようにも見えるのだが、恐らくは笑っているのだと推測する。

「私はもう神界に帰らなきゃなので、今回は会えませんでしたけど、多分、近々ここにレイ様もいらっしゃると思います」

 どくん、と心の臓が跳ね上がる。

「そのときアナタがあの方の助けになって下されば、私も此処に来た甲斐があったというものですので。ではでは、レイ様をよろしくお願い致しますね」

 言いながら、狼少女は軽やかな足音を響かせ、青みがかった明朝の山中へと姿を消した。

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