第15話 「君たち、人間だよね?」
立ち話もなんだから……と、部屋に招き入れた彼女は、不思議そうに小首を傾げ、うんうんと唸っていた。
「おかしいなぁ? やっぱり君たちだよ。ねぇ、なんで君たちはあたしの知り合いの
「と、言われましても~……」
そんなことが分かる筈もなく。僕はただ苦笑を彼女に返すしかなかった。そもそも
ロウカさんは整った形のよい眉の間にうっすらと皺を寄せ、薄紅色の唇を心なしか尖らせている。未だ警戒心を解かないままのコトカさんと、目の前にいる僕の顔を交互に見ては首を傾げ、腑に落ちない様子で「何で? 何で?」と呟いていた。
そんな彼女の姿に、院長も困ったように、けれどどことなく楽しそうに微笑みを浮かべている。
「あ、そういえば! 僕、会いましたよ、レイさんに」
このままでは何も分からないまま時間だけが過ぎてしまう気がして、とりあえず先ほど彼に会ったこと、そして伝言を伝えたことを報せておく。
「え、本当に? えぇ……じゃあ何、あのヒトそれ聞いてなおほっつき歩いてんの? 信じらんないんだけど!」
少女の戸惑いは途端に怒りへと変わった。その怒りの矛先が僕ではないことにホッとしつつ、レイさんの「適当に言っといて」の言葉を無視してしまったことを内心で謝る。
「ねぇ、レイ兄、どの辺にいた?」
「あの、その……歓楽街、の方に……」
本当に一切ごまかしができなくてごめんなさい。心から申し訳ない気持ちでいっぱいだ。それを伝えた瞬間のロウカさんの冷めた目を僕は暫く忘れられないだろう。
「歓楽街……そんなところに何しに行ってんだろ……」
「それは……」
歓楽街に男のヒトが行く用事なんて大体決まっているだろう。だけどそれを口にするのはどうしても憚られる。
「まぁ、そこには触れないでおいてあげたらどうだろうか?」
そう口を挟んだのは院長だった。院長はどことなく楽しんでいるような気配を見せつつ、あくまでも傍観者に徹する気のようだ。それだけ言うとそのまま窓際に場所を移し、会話には極力加わらないという意思表示をした。
「それもそうだね。にしても、そっかぁ。ところで……」
ロウカさんの視線が、今度はコトカさんに向く。
「そっちのお姉さんと君、人間だよねぇ?」
「えぇ、その、一応、はい」
種族的には人間で間違いない。間違いはないのだけれど、それを肯定しても良いものか、自分でもよく分からない。僕は人間と名乗って良いのだろうか?
「そうだよねぇ。うん、そうだよね……なんかね、特にそっちのお姉さんだと思うんだけど」
コトカさんが身構える。口を一切開かずに、ただじっとロウカさんを睨みつけた。
「う~ん……どっちだ? アディちゃんか、レイ兄か……なんかそんな気配がするんだよねぇ……」
彼女がそう口にした瞬間、コトカさんが勢いよく立ち上がった。驚きの色をその瞳に宿らせ、わなわなと体を震わせ――
「アディス様を、知っているの?」
今にも泣きそうな、絞り出すような揺れる声で、ただ一言そう口にした。
*
アディス様、というのはコトカさんに右目をくれたヒトのことらしく、同時に彼女を助けてくれたヒトでもあるらしい。
コトカさんは六歳のときに事故とはいえ神族を殺め、それから暫くミスラと共に逃亡生活を送っていた。そのとき大きな鴉と出会い、その鴉に導かれるままに進んだ先にその人物が居たという話だった。
「私は、アディス様とは、そこで一度会ったきりで……でも、その後も、その鴉の、ラヴェンナ様がずっと面倒を、見てくれて……。院長に出会った、十四歳のときまで、ずっと彼女が、守ってくれたの」
たどたどしくそう告げる彼女の表情は戸惑いに満ちていた。ロウカさんをちらちらと見ながら、直接目を合わせることができずにいるようだ。ロウカさんはといえば、そんな彼女の態度にもお構いなしに「うんうん」と頷いている。
「そっかそっか。だとしたら良かったね」
大輪の花が咲いたかのような満面の笑みでそう告げる彼女に、コトカさんは首を傾げる――僕も同じく。
「だって、お姉さんの探してる死神とやらは、多分レイ兄のことだもん。そっかぁ、だからレイ兄の気を持ってるのかぁ。納得~!」
「え⁉ 今の言葉って、え……⁇」
今、さり気なくすごい言葉をさらりと言われた気がした。あまりにも突然の発言に理解が追い付いていないのはコトカさんも同じらしく、彼女もまた目を大きく見開いた――いや、引ん剥いた、という方が正しいかもしれない――まま、完全に体が硬直していた。
「あれ? 気付かなかった? レイ兄の左目、紅かったでしょ? 右目はあたしと同じ感じで」
「えっと、その、えっと……暗がりで、よく見えなくて……」
全然、全く、一切気付かなかった。もし見えていたらきっと少しくらいはその可能性を――いや、それは結果論だ。見えていたとしても、無意識にその可能性を排除してしまっていた気がする。
僕は想像力と観察力が大いに欠如しているのかもしれない。なんだか情けない気持ちになってきてしまう。
「あの、死神……さんは、つまり、この近くに?」
「居るよー! どこほっつき歩いてんのか分かんないけど!」
あっけらかんとそう告げる少女の言葉を聞いた瞬間、コトカさんの瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れた。彼女は俯き、止め処なく溢れ続ける涙を何度も何度も拭い、嗚咽する。そんな彼女の姿を見た少女はふわりと微笑み、まるで子供にそうするかのように、彼女を頭から優しく抱き留め、そっと髪を梳く。
「そんな泣かなくて大丈夫だよ。レイ兄、見た目はちょっと怖いけど、あと中身もちょっと、大分……かなり? 意味わかんないとこあるけど、基本的には優しいから。きっとお姉さんの呪いも解いてくれるよ」
「うん……うん……!」
コトカさんは、ロウカさんの小さな体に抱き着きながら、幼子のようにわんわんと泣き続ける。
きっと、ずっと我慢していたのだ。六歳のとき、神族を殺した罪で世界から追われる身になってから、ずっと。ミスラに心配をかけないように、心が弱くなってしまわないように、ただひたすらに強くあろうと、そうしてきたのだろう。
まだ彼女の呪いは解けていない。けれど今の言葉できっと、彼女の心を雁字搦めにしていた呪縛は解けたのだろう。
なんだか僕まで嬉しくなって、つい目頭が熱くなってしまう。
――でも、それと同時に胸の奥がつきんと痛んだ。
僕は、確かに彼女やミスラが救われること、報われることを願っている。なのに何故、こんなにも――……その感情の名前を知ることが怖くて、その痛みはきっと気のせいだと、そう自分に言い聞かせた。
一通り泣いて落ち着いたのか、まだ目を腫らしたままではあるものの、コトカさんは普段通りの冷静さを取り戻していた。先ほどまであった警戒心は完全に消え、今はロウカさんのすぐ隣に座りながらなんだか照れ臭そうにしていた。
先ほどの涙もそうだけれど、こんなコトカさんを見るのは初めてで、正直僕も戸惑いを隠せずにいる。
そんな僕に気付いたのか、コトカさんはちらとこちらを見て、悪戯に口角をきゅっと上げる。
「あとは、フェイトの探してるヒト、だね」
「僕、ですか……?」
突然話を振られてドキリと心臓が高鳴る。
「死神は、フェイトの恩人ではない……んだよね?」
「確かに、レイさんとは全然違うヒトでしたけど……僕は別に誰かを探しているわけじゃ……」
「嘘つき」
コトカさんの歯に衣着せぬその言葉が耳に痛かった。鋭利な刃物が鼓膜に突き刺さったような、そんな気持ちになってしまう。
「だって、そうじゃなきゃ、フェイトは今日、ここには来なかったでしょう?」
「別に、そういうわけじゃない、ですよ……」
――図星だ。紛うことなき真実だ。
そんなわけはないと思いながらも、僕の中には少なからず期待があったのだ。行動を起こせば、もしかしたら……と。
「……口挟んでごめんね。さっきも言ったけど、あたし、君の持ってる気も知ってる気がするんだよね」
何かを察したらしいロウカさんが口を開く。
「昼間はヒトが多くてよく分かんなかったけど、君のそれは……多分、うん、
「リン、ねぇ?」
突然舞い降りたその名は、僕にとっては正に縋りつくべき藁そのものだ。
「うん、えっと、すっごく綺麗なお姉さんで――」
「話の腰を折ってすまない。ロウカさん、と言ったね?」
そのヒトのことを少しでも知りたい――そう思った矢先に、今までずっと窓際に立って外を見ていた院長が突然話に割って入ってくる。何か、嫌な予感がした。眉間に深い皺を作った院長のその表情は、どこか怒気のようなものを孕んでいるようにも感じられた。
「はい」
きょとんとした面持ちで、ロウカさんは院長を見上げる。
「頼みがある。彼らを……二人を連れて、逃げてくれないだろうか?」
「院長?」
何を言っているのか理解できずに聞き返せば、院長は深刻な面持ちでたった一言、こう告げた。
「奴らが、来た――」
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