第8話 可憐なる闖入者

 突然深い眠りから起こされたような、そんな気分だった。


 がやがやとした男達の喧騒の中に、玲瓏たる鈴の音が鳴り響く。それが僕たちに向けられたものだと気付き、声のした方を見る。心なしか、コトカさんの空気が重くなった。

「あぁ、そんなに警戒しないで。あたし、そんな怪しい者じゃないから……って言っても怪しいよねぇ。ごめんね」

 一輪の可憐な花がそこに咲いていた。いや、違う。僕なんかよりも更にこの場に似つかわしくない、小柄な少女がそこに居た。ぱっちりと見開かれた大きな金緑石クリソベリルの双眸は真っ直ぐにこちらを見つめている。

 若葉のように鮮やかな髪はびんの部分だけが長く伸ばされ、耳の下あたりを赤い組み紐で結っている。その耳は細長く尖り、見てすぐに、彼女が人間ではないということが分かった。

 初めて見た。彼女は精霊族だ。

 襟の立った、シルクのような光沢のある素材でできている真っ赤な服は体の線を如実に描き、淡い生成りのスカート――と言ってもいいのだろうか――は、金繻子の帯と共に彼女の華奢な体を彩っている。あまり見たことがない形状の衣服だけれど、精霊族の民族衣装だろうか。

 精霊族は人間よりも長寿なため、彼女の年齢は外見からは分からない。けれど、外見年齢というものに関して言えば、僕と彼女はさほど変わらないように思えた。


「何の用?」

 コトカさんが無愛想にそう告げる。いつにも増して鋭い眼光が、彼女の警戒心を物語っている。

「ごめんね、すぐ消えるから、ちょっと聞いてもいい?」

「ど、どうぞ!」

 一般的に、精霊族は最も美しい種族である――とは言われているけれど、確かに彼女もとても可愛い。彼女の周囲だけ花が咲いているように思えるくらい、その少女は煌びやかな雰囲気を纏っていた。

 どこか申し訳なさそうに話しかける彼女に、僕は一も二もなく質問を受け入れる。

「えっとね、この辺ですっごく大きい男のヒト見なかったかな? 黒い服着てて、全体的に白くって、お酒大好きで、ちょっと強面な感じの、まぁそこそこ気の良いヒトなんだけど」

 背はこれくらいかな? と言いながら、背伸びをしつつ、更に腕を限界まで伸ばしている。僕よりも大分小さい彼女の身長が一四五リベイト前後だとして、その人物は少なくとも一九○リベイトはありそうだった。

 黒い服を着ているのに全体的に白い……という言葉がどこか矛盾しているように感じたものの、そういった人物に覚えはないので首を横に振る。そんな目立ちそうなヒト、見かけたら絶対に忘れないだろう。コトカさんにも一応確認してみたものの、彼女もやはり否定の意を示す素振りを見せた。

「ごめんなさい、ちょっと覚えがないです」

「そっかぁ……おかしいなぁ……確かにこの二人から気配がしたのに……」

「え?」

 ポツリと呟かれたその言葉の意味がよく分からなくて、思わず聞き返す。少女は一瞬ハッとした顔をするが、すぐに明るい笑顔をこちらに向けた。

「ううん、なんでもない。そうだよねぇ。知る訳ないよね。邪魔しちゃってごめん。じゃあもしレイ兄……じゃなくて、そのヒトを見かけたら、『ロウカが探してるからさっさと宿に帰ってこい』って伝えといてもらえないかな?」

「はい、分かりました」

「ありがとねー! じゃあ、またいずれどこかで~」

 ひらひらと手を振りながら、彼女は踵を返す。その瞬間、どこからともなく芳しい花の香りが舞った。重力などないかの如くふわりと舞う、リボンのように結ばれた彼女の帯も相俟って、その一挙一動が踊り子のようだった。


「ロウカさん……っていうのかな。可愛いヒトでしたね」

 実際、あんなにも可愛らしい・・・・・という言葉が似合うヒトを見たのは初めてだった。あと、僕よりも背が低いという点が、個人的には高得点だったのかもしれない。

「フェイトは、意外とメンクイなんだね」

 コトカさんにどこか面白くなさそうにそう言われてしまうと、何と返すべきなのか困惑してしまう。

「そんなでもないと思うんですけど」

 確かに、綺麗なヒトは好きだけれど、それは別に僕に限った話ではないのではないだろうか。

「さっきも、助けてくれた人のことを聞いたら、綺麗なヒトって、言ってたし」

「だって、本当に綺麗なヒトだったんですよ!」

 話を戻されて、加えてなんだか刺々しいものの言い方をされて、つい口調を強めてしまう。

 でも、綺麗なヒトだったのは本当だ。あの方の記憶がどれほどぼんやりとしたものになってしまったとしても、あの鮮烈なまでの光り輝く美しさを、絶対に忘れるわけがない――と思いたい。

「でも、そっか。やっぱり手がかりは、ないのか……」

 そう呟くコトカさんの表情からは、既に希望の色は消え去っていた。



 気まずい沈黙がそこにはあった。周囲の喧しさが、より一層二人の間の静けさを強調する。

 先ほど運ばれてきた料理――甲殻類の香草煮にコトカさんが手を伸ばすのを見て、僕はあれから結局一度も口にできていないミルクに改めて口をつける。

 ミルクは心なしか生温く、乳臭さが際立っている。そのクセやや薄めなのがまたなんとも絶妙に微妙な感じだ。お世辞にも美味しいとは言えないものの、山の上では牛の乳は滅多に飲めない。山羊のそれとはまた違った風味を堪能する。

 相変わらずしんと静まる僕たちのテーブルは、そこに座る人間の毛色からしても明らかにこの酒場において異様な空間になっていることだろう。

 無言でひたすら甲殻類の殻を剥いては食べ、剥いては食べを繰り返すコトカさんを横目で見ながら、僕は改めてこの酒場全体を見回した。

 まだ日中だというのに、薄暗い店内には大勢の男たちが集っている。平均年齢は大体四十代から五十代くらいだろうか。その中にあって院長はそこそこ年上の方のようだ。でもそれよりも更に上の、見るからにシワシワの、それこそミイラのような老人もカウンター席に座っていた。

 下は恐らく僕たちが最年少ということになるのだろうけれど、それでも二十代前後の若者もそれなりに居た。派手な服装と穏やかではない目つきに、「見てはいけない」と僕の本能が警告してくる。下手に目を合わせると因縁をつけられるやつだ、多分。

 老若問わず色々なヒトがいるようだけれど、全員に共通して言えるのは、とにかく柄が悪い、ということだった。もちろん僕たちの院長も含めてだ。

 なんだって院長はあえてこの店を選んだのだろう? と思いはするものの、結局はこうした場所の方が、集まってくる情報も多くなるということなのかもしれない。


 あまりきょろきょろと周りを見すぎるのは良くないような気がして、一通り視線を巡らせたあとは、大人しく目の前の料理に意識を集中――

「あー!」

 ――しようと思ったときには、料理は全てコトカさんのお腹の中だった。汁まで綺麗に平らげられたお皿は、つい今しがた来た、先程僕にミルクを運んでくれたお姉さんに持って行かれた。

「コトカさん、食べるの早すぎませんか?」

 遠ざかっていくお姉さんの背中――というよりも、かつて料理が乗っていたお皿――を見送りながら、僕はつい恨み言を言ってみる。

「食べられる時に、食べられるだけ、食べる。これが、捕まらずに生き延びる、基本だよ」

「それは僕もそう思いますけど……」

 それは確かにそうだ。僕にもそうした経験があるし、それは正論だと思う。だけど別に今は何かから逃げているわけでもないし、隠れなければいけないわけでもないし、そんなに急いで食べなくても……考えれば考えるだけ切ない気持ちになってしまう。

 ふと漏れた溜め息に、自分はこんなにも食べ物に執着する人間だったのかと気付かされ、今度は自分自身に呆れてしまいそうになる。


「おーい! 楽しんでるかー? 喧嘩はダメだぞー!」

「うっ、酒くさっ! 院ちょ……お父さん、飲み過ぎですよ‼」

「そんなことないって~」

 やけに陽気なおじさんが話しかけてきたと思ったら、それはよくよく見知ったアギレラ院長その人だった。院長は酒瓶を片手に「はっはっは」と豪快に笑いながら、向かい合って座る僕とコトカさんの間に座る。顔を真っ赤に紅潮させ、へらへらと頬の筋肉を緩ませたその表情は、普段の院長からは全く想像もできない。

 お酒というものはこんなにも人を変えてしまうのかと、僕は院長に対してほんの少しだけ、本当にちょっとばかり幻滅してしまう。

「ねぇ、父さん。これ、頼んで良い?」

「良いよ、良いよー!」

「ダメですよ! 今日の宿代なくなっちゃいます! っていうか、それ一番高いお酒! もう! 二人とも出ますよ! ここに居たらお金がいくらあっても足りません!」

 当たり前のように院長におねだりをするコトカさんと、やはり当たり前のように首を縦に振る院長を見て、このままでは今日は野宿になってしまうと悟る。今にも店員さんを呼びそうな二人を椅子から引きずりおろし、店の外まで押し出した。

 幸いにしてお金は僕が持っている。さっさとお勘定を済ませてしまおうと、近くに居た店員さんにお金を渡し、お釣りは受け取らずにそのまま店外へと向かう。

「どうもー」

 やる気のなさそうな男性店員の声を背中に受けながら、既に朱い光に包まれた街中へと足を踏み出した。

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