第6話 悪夢の続き
夕食後に院長に部屋に来るように言われ、簡単に今後の方針を聞かされた。戦争の規模によっては税が増えたり、また孤児が増えたりする可能性もある。加えてクライオス教の信徒は更に肩身が狭くなることも考えられる。そのため、戦争が激化する前に――できれば明日明後日には街の様子を見に行くが、僕はどうするか? と、端的に言えばそんな話だった。
薄暗い部屋の中で、僕は不本意な経緯ながらなんだかんだと長く連れ添っている相棒を見る。とても簡素で、そして粗悪な銃だ。持ち手の部分には蛇の絵が刻まれていた。
特に意味もなく、リボルバーに
狩りでたまに使うこともあるけれど、それでもここ数年はほとんど使っていない。メンテナンスを怠ったことは一度もないが、万が一のときのために、銃弾の無駄遣いをしたくなかった。ただ、その万が一が本当に来てしまうことを、僕は決して望んでいない。
だけど、今日の話を聞く限りでは――。
「彼らは、まだ僕を探してるのかな……」
大司教国は神界に住まう神族と直接のパイプを持った国だ。神族を通して主の声を聴き、彼らの意思のままに人間を救い、虐げ、生かし、殺す。
八年前の戦争も……確かあれは魔族と懇意にしていた小国との戦争だったはずだ。本来なら簡単に制圧できる戦いだった。けれどそうはならなかったのは、向こうは魔族から直接知恵と力を与えられていたためだ。
魔族は頭が良い。魔族ほど研究熱心な種族はいないだろう、とはよく言われている。保守的で現状を維持し続けようとする神族や天使族とは反対に、魔族は常に先へ進もうとする。そして、進化や発展のためにはどんな残酷なことも簡単にやってのける。いや、そもそも、残酷という概念自体が存在しないのかもしれない。
結果として戦争は長引き、国力は下がる一方になってしまった。神族の意思によって落ちた国力を、大司教国はやはり神族の意思によって再興しようとしていた。そうして下された天啓――それは、グライアルの丘唯一の生き残り、つまり僕こそが戦犯である、というものだった。
しかしながら軍はただ一人生還した僕を一度でも「奇跡の子」として持ち上げた手前、そう簡単に処刑するわけにもいかなかったらしい。僕は何度も最前線に送られた。そこで運よく死んでくれれば願ったり叶ったりだと思っていたのだろう。僕は死ななかった。運よく何度も生還した。けれど、生還する度に周囲の目は冷たくなっていく。
何故あれだけの激しい戦いをいつも生きて帰ってくるのか。何故自分の息子ではなくこの薄汚い子供だけが帰ってくるのか。何故早く死んではくれないのか。何故、何故、何故……そんな怨嗟の念に僕は耐えられなかったんだ。
僕は脱走兵だ。敵前逃亡は死罪。それを承知の上で、僕は生きるために逃げ出した。つまるところ僕は大司教国からしてみれば立派な罪人なわけだ。
このレイラハード公国はザングランツ大司教国とそれほど仲が良いわけではない。とはいえ特別仲が悪いというわけでもなく、同じ宗教を掲げる国としてそれなりの距離感を保っている。それに今回の戦争は
それでも、戦争が始まればそれだけで近隣との貿易なども制限される恐れがある。何より、大司教国の人間が公国に入り込むことも増えるだろう。
今このタイミングで街に下りれば、もしかすると見つかってしまう可能性もある。けれど、だからと言ってこのまま逃げ続けるのは良いことなのだろうか。僕は何のために生きているのか。このまま世代が変わるまでずっと、ここに隠れて生き続けるのだろうか。
そもそも、何故僕は生かされたのか――。
僕が最後にあの国に居たのは十三歳か十四歳の頃だった。見た目はその頃からほとんど変わっていないが、普通に考えれば僕はとっくに成長した良い大人なわけで。姿が変わっていないことが逆に有利に働くことも――いや、そんな単純に考えて大丈夫なのか?
街に行ってみるべきか否か。いくら考えてもその答えは出せなかった。
既に漆黒の暗闇と化した外の景色を眺めながら、思わず嘆息してしまう。
「いいや、起きてから考えよう」
今日は随分と色々あった日だったな、と思う。それもあまり良いこととは言い難いようなことばかりが。明日はどうなるのだろうか? 明日こそは平和な気持ちで過ごすことができるのだろうか? いや、こうして逃げ隠れし続けた先に、本当に平和で幸せな日なんてやって来るのか?
胸にわだかまるモヤモヤとしたものに気づかない振りをして、僕はそっと目を閉じた。
(またあの夢を見られないだろうか。出来ることなら今日の続きを。あの方の言葉を――……)
***
「げほっ、かはっ……!」
息ができる、息ができる、息ができる! その事実が何より嬉しくて、一心不乱に空気を吸い込む。しかし何事にも限度というものは存在するのだ。許容量を遥かに超えた空気は、咳となって体内から出て行った。
「落ち着け。そなた、名は?」
不思議な声だった。女性のような、男性のような。どちらともとれないその中性的な声は、まるで僕の全身に染み渡るかのように、すっと心に溶け込んだ。
けれど、僕はその声に答えることができない。
「名はなんという、と聞いているのだが?」
人間には有り得ない、猫のように縦に伸びた深い深い深紅の瞳孔が、僕を覗き込む。瑕一つない青白い肌に埋め込まれたその珠玉に見つめられるだけで、言葉の発し方が分からなくなってしまう。
いや、それよりも――
「名前、は……二の……三、五三……です……」
「にの、さんごぉさん? それは本当に名か?」
星の輝きを放つ美貌が、訝しげに歪んだ。そのことが哀しくて、本当のことを伝えなければと、僕は首を横に振る。違う。違うんだ。
僕には名前がない。それを伝えたいと思うのに、言葉は全て涙に変わってしまう。
「そうか、分かった」
呆れられただろうか。幻滅されただろうか。質問にちゃんと答えることのできない愚かな子供だと、そう思われてしまっただろうか。このヒトに見放されてしまうかもしれない――その事実がとても怖かった。まだ会って数分も経っていない。だけど、僕はこのヒトに見放されてしまうことが、とても怖い。
思わず相手の服を握り締める。どうか見捨てないでください――懸命に、そう心で訴える。震える右手を冷たい感触に包み込まれる。
「では、そなたの名は今日から
自分でも何が起きたか分からなかった。けれどその瞬間、まるで河原の堤防が決壊したかのように涙が止め処なく溢れだした。
「その名が馴染んだ頃に、改めて迎えに来よう。それまで生きよ。生きたいと願い続けよ」
次第に冷たい温もりは僕の元から離れていく。それと同時に、僕の意識も少しずつ闇の中へと落ちて行った。
――なに、もはや人間如きの力で死ぬことはない。安心して生きるがよい。
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