第4話 はためく戦旗

 流石に南中に差し掛かる頃には気温も安定していた。やや冷たい爽やかな秋風に吹かれながら、物干し竿に寝台用のシーツを広げていく。干したシーツにベシベシと頬を叩かれ、一刻も早くこの仕事を終わらせようと腕を捲る。


 修道院の一日の仕事はとても多い。まず朝昼晩のご飯を作ること、やってもやっても埃と木くずがどこからともなく湧いてくる掃除をすること、洗濯をすること、そして畑の管理をすることだ。どれも当たり前のことのように思えるが、そもそも大人と子供合わせて二十三人もいるだけで、一つの仕事の量が膨大になる。加えて、僕や年の若い修道女たちには、まだ幼い子供たちに勉強を教えるという仕事もあった。

 成人している男性は院長と僕しかいない。男のヒトは十八になると同時に街に下りる決まりになっていた。それでも僕がここに留まることを許されているのは、人間の目から見て、僕が明らかに異質だからだ。

 そのため、建物の修繕などの力仕事なども一応は僕――と院長――の仕事ということになっている。とはいっても、ライラさんを筆頭に僕より背が高いヒトも多いため、なんだかんだ僕は役立たずになってしまうことも多いのだけれど。


 楽々と洗濯物を干しているライラさんを横目に、僕は自分の背の低さを嘆いた。約十五リベイトの身長差というのはやはり大きい。やっぱりあともう少しだけ大きくなりたかったと、思わず溜め息を吐いてしまう。

「そういえばフェイトさん」

 溜め息を聞かれてしまったのか、ふいにライラさんが声を掛けてくれる。

「もう傷は良くなりましたの?」

「え、あ、はい! もうすっかり、完全に治りました!」

 言って、僕は腕を捲ってライラさんに見せる。今朝方ついた切り傷やかすり傷はキレイさっぱり跡形もなく消えてなくなっていた。そのことを確認すると、彼女はどこか安心したように微笑んだ。

「そう、それは良かったですわ」

 とても嬉しそうにそう言ってくれたライラさんに、僕は少しだけ苦笑する。

 普通に考えれば有り得ないことなのだ。こんなにも早く傷が治るなんて。だのに、彼女も院長も、他の皆も、そのことについては一切何も言及しなかった。いや、そのことについても、だろうか。

 僕には人間としておかしいことがごまんとある。

 だけど、この修道院にいるヒト達は皆、そんな僕を不気味な存在として扱わず、あくまでも普通の人間として接してくれる。そのことがとても嬉しくて、だけど少しだけ心苦しかった。

「あ、そうだ。聞きましたか? 今日、コトカさんとミスラが帰って来るそうですよ!」

 普段ならそう気にすることでもない沈黙がなんとなく気まずくて、先程院長に聞いた話をライラさんに振る。新たな大物――ボロボロのカーテンだ――に手を出そうとしていた彼女は「あら」とこちらを振り返った。

「そうなんですの? それは初耳ですわ。何時ごろにいらっしゃるのかしら?」

「さぁ? それは僕も……」

「今回はどんなお土産話を持ってきて下さるのか、楽しみですわね。……良いお話しなら良いのですけれど。最近は少し、物騒なお話しが多いですから……」

 右手を頬に添えながら、彼女は少しだけ不安そうな顔を見せた。

「そうですね。僕も、そう思います」


 コトカさんとミスラが帰って来るタイミングというのは、大抵この修道院にとって大切な情報を持ってくるときだ。ただ、運ばれてくる情報がいつも嬉しいものであるとは限らない。ときには悪い話がやってくることもある。

 今回はどちらなのだろうか――。

「戦争とかじゃ、なければ良いんですけど……」

 今日見た夢のせいだと思う。ふいにそんなふうに口走ってしまったのは。

「そうですわね。戦争は、哀しいものですものね……」

 やけに実感のこもった声でそう呟いたライラさんの瞳は、どこか……ずっと遠くの空を見ていた。

 突然強い木枯らしが吹く。背筋に何か冷たいぞくりとしたものを感じ、思わず身震いをする。

「なんか、急に冷えてきましたね」

「え、えぇ……やっぱり水気のあるものが近くにあると、全然違うものですわね」

 風に揺られるやや黄ばんだ白いシーツや色とりどりの服たちの奏でる音が、僕にはまるで鳴子の警告音のように……いや、それ以上に、戦場ではためく戦旗の音のように感じられた。



「フェイトおにいちゃん、おにいちゃんは人間以外のひととあったことがあるの?」

 それを聞かれたのは一番小さい年齢の子供たち――四歳から六歳くらい、計五人だ――の授業をしているときのことだった。聞いてきたのは、今年で五歳になる女の子のイリスだ。修道女シスターに結って貰ったのだという栗毛のツインテールを優雅に揺らしながら勢いよく立ち上がった彼女の瞳は、好奇心の色を見せつつ、しかしどことなく不安の気配を含んでいた。

「どうしたの、急に?」

 何故そんなことを聞くのか――というのは、普通に考えて授業の内容に触発されたからだろう。


 この世には六の世界と七の種族が存在する。

 第一界層――神族の住む神界。

 第二界層――天使族の住む天界。

 第三界層――精霊族の住む精霊界。

 第四界層――僕たち人間とあやかし族の住むここ人間界。

 第五界層――魔族の住む魔界。

 そして、実在しないとも言われる第六界層――冥族の住む冥界。

 この各世界と各種族がそれぞれの役割を果たすことで世界の均衡は保たれている――と言われている。

 実際にどういう仕組みで世界が回っているかなど、僕たち一介の人間には知る由もないことで、僕としてもただ単純にそう教えられてきたからそう信じている、としか言いようがない。


 ただ、それでも子供たちに最初に教えなければいけないのは、いつの時代のどこの国であっても、やはりこの世界の成り立ちについてなのだ。


 今日の授業は正にその話だ。だから、イリスが興味を抱くのも当然と言えば当然なのだけれど。

「あのねぇ、前にしすたー・ぶろしあが泣いてたの。ほかの種族のひとを好きになっちゃだめよ、って。どうしてかしら?」

「それは……」

「ほかの種族のひとを好きになったら、しんじゃうんだよ、って。なんでなの?」

 瞬間、教室内がざわつく。「死ぬ」という言葉に過剰反応する子供は多い。そんな中、まるで火が着いたように泣き始める子もいた。つい先日、ここにやってきた男の子だ。名前は確か、コール……で合っているはず。

「皆、落ち着いて! 大丈夫だよ! 大丈夫だから! ほら、コールも泣き止もう? ね?」

 教壇――という名の黒板前の空き箱――を離れ、コールに駆け寄り、彼の肩を抱く。コールは僕の肩口に顔を押し付けるようにして抱き着いてきた。

「よしよし。大丈夫だからね」

「うぅ……ごぉり……」

「ん?」

「こーり……」

「あぁあぁぁ、ご、ごめん、ごめんね、コーリ! 僕ちょっと訛ってて……」

 あぁ、やってしまった。申し訳ないことをした。確かにあの綴りはこの国では「コーリ」だ。

 それにしても子供というものは大人のミスにとても厳しい。先程まで不安げな声でざわついていたのは何だったのか。教室内は既にケタケタとした子供特有の笑い声で溢れかえっている。

「ちょっ、皆、笑わないでよ……!」

 未だ僕の服に顔を埋めたままのコーリに謝りつつ、彼を宥め、頭を撫でる。いくらか落ち着いたのか、ようやく顔を離した彼の鼻と僕の服の間には、一本の白い筋ができている。

「あぁ~……」

 いや、こんなのは子供の相手をしていれば日常茶飯事だから気にしない。気にはしないのだけれど、より一層の大爆笑を博すことになったのは少々不本意だ。

 いやいや、それも仕方がないことなのだけれど。彼らの精神が健全に育ちつつある証拠ではあるのだけれど……!


「楽しそうだね」


 子供たちの甲高い声の中に、やや低めの、けれど通るような鋭い声が紛れ込む。まるで耳を刺されたような気持ちになりながら、扉の方に視線を向ければ――

「コトカさん! おかえりなさい!」

 そこには背の高い女性の姿があった。全身の至るところに包帯を巻き、右目は不作法に伸びた前髪で隠している。今しがた帰ってきたのだろうコトカさんだ。そしてその後ろから、ひょっこりとブロンドの頭が覗く。

「ただいま戻りました」

 コトカさんの後ろに隠れるようにしながら、ミスラの姿が現れる。か細い声でそう言って、照れくさそうに笑う彼に、僕も思わず頬が緩んだ。

 子供の笑い声は既に止み、今度は「だれぇ?」「コトカおねえちゃんおかえりなさーい」「しらないヒトだ」と、興味の対象は完全に二人に移る。彼らを知らない子もいるし、授業を再開する前に二人を紹介しようか、と考えたとき、妙案が浮かぶ。

「ちょうど良かった」

 パンパンと手を叩き、子供たちの注意を僕に戻す。落ち着いたコーリをその場に座らせ、僕は黒板の前へと戻った。

「この二人はこの修道院で育ったコトカさんと、ミスラだよ。いつもは探し物をして旅をしてるんだけど、今日はここに用があって帰ってきてくれたんだ」

 言いながら二人を手招きし、前に立ってもらう。僕が小さいせいもあるのだけれど、コトカさんの隣に立つとその威圧感に若干萎縮してしまう。何より、彼女の目つきは研ぎ澄まされた刃物のように鋭い。前にその琥珀の刃で睨まれたときは本気で死を覚悟した。

 が、そんな偏見は子供たちには一切ないらしい。「大きいねー」とか「かっこいいー!」とか好き勝手に感想を言っている。

「さっきの話に戻るけど、他の種族のヒトを好きになっても、好きになっただけで死ぬことはないんだよ」

 そして今度はミスラを見るように、子供たちの視線を誘導する。

「ミスラはね、天使族なんだ」

「ちょっと……!」

 一瞬、コトカさんの制止の声が入るも、ミスラが「大丈夫」と囁いたことで事無きを得た。

「二人はとっても仲良しなんだけど、こうして生きているでしょう? だから、友達として、家族として、そういう意味で好きになるのは何も問題ないんだよ」

 ミスラは恥ずかしそうに体をもじもじとさせながら、少しだけ俯いた。陶磁器のように白く滑らかな肌が微かに赤く染まり、なんとなく居心地が悪そうだ。なんだか申し訳ないことをしてしまった気がする。

 けれど、お蔭で子供たちは安心したようだった。しかし僕はここで安心してはいけない。子供というのは予測のつかない生き物だ。

「ねえ、おにいちゃん」

 ほら、来た! と僕は身構える。

「じゃあ、やっぱり、こいをするのはいけないの?」

 これを聞いてきたのもやっぱりイリスである。女の子はどこでそんなことを覚えてくるのか、ませている子が多い。さて、なんと答えるべきか、と迷いながら、訥々と答えていく。

「ヒトを好きになるのは、気持ちの問題だから、仕方がないこともあるよ。好きになるだけなら、大丈夫、かな」

 ここで諦めてくれ、とは思うも、そうはならないのが子供の好奇心だ。

「じゃあ、なにをしたらいけないの?」

 やっぱり来た! こういうときには必殺のこの言葉を使うしかない。すなわち――

「それは、皆がもう少し大人になったら教えてあげるからね」

「えぇー‼」という不満の声が教室内に響く。そしてそれと同時に十五時を告げるチャイムが鳴った。

「よし、今日のお勉強はここまで!」

 結局ほとんど進まなかったな――と思いながら、僕は教室を後にした。

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