第7話 そんなばかな
前にお母さんと「こうむいんになったのでじどうてあてをもらうため」に、このけんちょうに来たことがあります。じどうてあてというのが、なんとなくわたしのことだとわかったので、わざわざ来なきゃいけないことになんだかわたしのために申し訳なく思ったのを覚えています。でもじどうてあてがわたしのことなら、お金はわたしがもらうはずなのかなと思っていて、いつかくれるのかなと実は期待しています。
でも今は用事はないので、広い道路の向こうの大きな建物を通り過ぎます。なかなか通りすぎないなとじれったくなる大きさです。
ひょっとして動いているのでは。そんなばかな。
わたしは止まってみました。疲れたからです。けんちょうの中からなんだか偉そうな人が出てきました。偉そうだと思ったのは、周りの人たちが気をつかって歩いているからです。
わたしはその偉い人と目が合って、家出をしているのがばれて怒られると思いました。あの人数で追いかけられたらたまったもんじゃありません。逃げようと足に力を込めました。
でも偉い人はなにもせずに目の前を通り過ぎて行きました。家出がばれなくてよかった。やっぱり子供だと見られていないのかなと安心しました。
みぃちゃんは眠っていました。寝顔がとても可愛くて、大きい目が眠っていると細くなって、さっき見えた歯はそんなにこわくなくなりました。
ほっぺたをなでようとしたとき、またもやけんちょうから人が出てきました。こんどは偉そうじゃないお姉さんが何人もいました。偉くないと思ったのは、お互いに肩を叩いてるからです。まあ仲がいいかどうかは置いといて。
偉くないお姉さんたちは、わたしと目が合いました。
そのまま通り過ぎるから大丈夫だと思って、またみぃちゃんをなでようとしたらそのお姉さんに声をかけられました。
「ねえ、お父さんかお母さんは?」
みぃちゃんは今は眠っています。寝ているのに聞くなんて気づいていないのかなと思って、仕方なくわたしが答えました。
「わたしがお母さんです」
お姉さんはやっとわかったのか、「そうなんだ、可愛い子供だね」って言ってくれました。「可愛い子供」なんて言われるととてもうれしくなります。
お姉さんは周りをきょろきょろとして「ちょっとここで待っててね」と言うと、友だちを呼びました。
呼ばれたお姉さんたちがぞろぞろと歩いてこっちに来るので、わたしはみぃちゃんを抱きしめて思わず逃げてしまいました。ちょっと香水がきつかったからです。
たくさん車が停まっていたので駐車場だと思って、隠れようと車と車の間に入りました。みぃちゃんのまねです。
すき間からお姉さんたちが捜している姿が見えたので、こっそり車と建物の壁の間を歩いて別の道路に出ました。まだ油断はできないなと、見つけた小さい道に入ることにしました。
ひょっとして狭い道のほうがわたしの性に合ってるのかもしれないと思ったのは、大きい道路だとたくさんの車に見られている気もしてくるし、わたしとみぃちゃんに気づかずにぶつかってくるのではないかと心配になるからです。もっと背が伸びたらいいのに。
お父さんは「誕生日がくれば大きくなるよ」って言うけど、あれはうそですね。
誕生日がきて急に大きくなるわけがない。むかしはそう信じていたけど。
なぐさめなんていらない。どれくらい大きくなれるかなあ、とか小さくてもいいんだよ、とか言ってほしい。『湯けむりキス王子』みたいにかっこよく。
それとお腹がすきました。
お昼ごはんを食べていないことに気づいて、そういえばさっきのお姉さんたちも「お昼パスタがいい」って言っていました。お母さんもパスタっていうけど、それってスパゲッティじゃん。だいたい香水くさい人は変な言葉を使います。
そんなことを考えているとお腹がグーって鳴って、それに気づいたみぃちゃんが目を覚ましました。今まででいちばん大きなあくびをして、やっぱりするどい歯があったので、優しい子に育てないと噛みつかれたら痛いだろうと注意することにしました。
みぃちゃんをよく見たら、鼻をひくひくさせてまた腕から逃げようとしています。どこかに行きたいのかと思って、みぃちゃんの体を伸ばす方向に歩いてみました。
するとそこには食堂がありました。入り口の横のガラスにニセモノごはんが並んでいるし、いい匂いもするので間違いありません。
「ここで食べたいの?」
「にー」
そのようです。こういうお店はお母さんが連れて行ってくれて、お母さんはよく「てつぶん、てつぶん」と言いながらカツオのたたき定食を食べています。
でも今はわたしがお母さんの代わりなので、自分で品定めをしないといけません。
ニセモノごはんを見ると、スパゲッティにフォークが浮いてるのを見て「すごい」と思ったけど、下に値段が『八百三十円』と書いていて、間違いじゃないかとカツオのたたき定食を見ると『千五十円』を書いています。
「そんなばかな」
わたしは家から二千二百二十円しか持ってきていなくて、コンビニで『なかよろし』と『ちゅるる』を買ったので、節約しないといけないと思っていたのに、これは高すぎる。
「そんなばかな」
わたしはつい二回も言ってしまいました。
本当に、それくらいのショックです。
みぃちゃんは「にー」って言って体を伸ばしていきます。
「ここは駄目、払えないから!」
それでもみぃちゃんは匂いにつられて入りたがっています。
「駄目!サービス料もいるんだから!」
強く言ってぎゅってみぃちゃんの手をにぎって立ち去りました。
みぃちゃんは食べたがってるのを見て、お父さんがよく「付き合いだからしょうがない」って晩ごはんをどこかで食べてから帰ってくる気持ちがいまなら少しだけわかります。
あと、わたしがお店をやるならもっと安くして子供でも払えるようにするのになと思います。五十円とか。
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