意外な珍客。

「いやはや――聞きましたぞ十兵衛さま! 聞けば、将軍家の前を退くにあたり、兵法家の命とも言える左瞳ひだりめを献上し、天下泰平のために諸国を漫遊するとは、いやはや――太祖・石舟斎様が御存命であられたらどれほどお喜びになられたことか――誠の忠義とはこのことでござりまするぞ。それもこれもみな、太祖さまと殿との…………うぅっ!」


 と、助九郎は称賛の途中で不意に涙ぐむ。


「失礼――しかし、思えば拙者がこの柳生一門に入門した折は、隠し田の嫌疑によって領地を没収され、一族郎党は牢人に身にやつし、関ヶ原合戦では忍びの真似事をするまでに落ちぶれ、それをようやく――将軍家御指南役として繁栄を築き上げ、さらには次期当主たる十兵衛さまもこのように立派になられて、これからの柳生家を思うと――うぅっ、不肖・助九郎!! どうか男泣きに泣かせてくだされぃ!!」


 と言った時には、老人はとうに声を上げて泣いている。

 老人といっても、この時の助九郎は不惑を少し過ぎたばかりで、まだまだ剣士花盛りのよわいである。

 だが、この忠臣の生来の老け顔とこの涙もろい性格は、いかにも十兵衛に「爺」と呼ばれるに相応ふさわしいものがあった。


「これはこれは、十兵衛さま!」

「若様だ、若様が柳生にお帰りになられたぞ!」

 助九郎に連れられて十兵衛が正木坂道場の門を潜ると、それに気づいた門弟たちがわっと顔を輝かせて集まってきた。

「十兵衛さま、こうして柳生にお帰りになられたからには、是非とも我ら正木坂道場柳青隊りゅうせいたいにご指導ご鞭撻のほどを!」

 こうして門弟たちが頭を下げる様を見れば、十兵衛も悪い気はしない。


(江戸では親父殿に若造扱いされている私も、柳生ここでは師範格扱いか……悪くないな)


 と、本来の目的はどこへやら、すっかりその気になっている十兵衛。

 だが、そうした淡い期待を打ち砕く声が横から聞こえた。

「これ、お前たち! 十兵衛さまは上様の君命により、これから諸国世直しの旅に出かけられるのだ。お前たちのような未熟者の指導をしておられるほど十兵衛さまはお暇ではないわ!!」

 助九郎は門弟たちを烈火のごとく叱り飛ばした。

「おい、助九郎……?」

「いえ、十兵衛さま、ここは拙者にお任せくだされ!!」

「しかし爺、時間はたっぷりあることだし、私も別に少しくらいならやぶさかでは……」

「そうです木村さま、若先生もこう言っておられ……」


「ならん!! 君命である!!!」


 助九郎の大喝に、思わず十兵衛も仰け反る。

 そういうわけで、十兵衛が正木坂道場師範として威張りに威張る夢は潰えたのであった。

 十兵衛は、助九郎とともに柳生家代々の菩提寺・中宮寺まで赴いて、太祖・石舟斎の墓前を詣でることにした。

 この墓はのちに宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うために寛永十五年に建立した芳徳寺に移され、現在に至る。

「確か、あそこに杉の木があったな」

 十兵衛が呟く。

 十兵衛がこの土地にいた頃はこの墓地のそばに杉の木があった。十兵衛もよく木登りをした思い出深い木だが、今はその面影さえない。

「十兵衛さまが江戸に行った後に、落雷に打たれて枯死したそうで」

「また、植えたらどうか」

「それは良い考えですな」

 そんなことを話しながら、十兵衛と助九郎は墓前に立つ。

 柳生石舟斎宗厳やぎゅうせきしゅうさいむねよしは十兵衛が生まれる六年前の慶長六年四月十九日に世を去った。そのため十兵衛は石舟斎の顔を知らない。

 十兵衛はその剣才から幼少の頃からこの偉大なる祖父の生まれ変わりと称せられ、古老たちの畏敬を受けたものだったが、本人からしてみれば「そんなわけがないだろ」としか言いようがない。


「芳徳院殿故但州刺史荘雲宗厳居士」


 これが石舟斎の法名である。

 十兵衛は石舟斎の墓前で恭しく手を合わせてその場を後にする。そこから柳生城へと向かう途中で、十兵衛は口を開いた。


「ところで、爺はなぜ柳生ここにいる。そういえば、近頃は城中にも顔を見せなんだが」

 古書の記述によれば、木村助九郎は宗矩が家光に兵法を教授する際に、毎度その御相手を奉ったとされている。

「おや、若はまだ聞いておられませぬか」

 と、助九郎はくつくつと嬉しそうな顔をして、

「実はこのたび――不肖、木村助九郎友重、上様の君命により、上様の弟君であらせられる駿河大納言忠長するがだいなごんただながさまの兵法指南役に推挙されてござりまする!」

 と、胸を張って応えた。

「なに――駿府すんぷの黄門さまに?」

 十兵衛は驚いて言った。

 かつて二代将軍秀忠に三代将軍の跡目を渇望された駿河大納言忠長は、現在五十五万石の押しも押されぬ大藩主である。

 ちなみに「黄門」とは中納言・大納言の唐風の異名であり、のちの「天下の副将軍」である水戸光圀と同様の役職であるといえば、その政治的重要性がよくわかるだろう。


「左様でござります。拙者のような未熟者に、そのような大役を任じられるとは青天の霹靂、しかし殿もまた、この役職は是非とも助九郎にと仰せになられ、こうして柳生ノ庄の石舟斎さまにご報告に参ったのでござります。いやはや殿の信頼の厚さにはこの助九郎、誠に感謝感激のほかは――」


 ……老人の長口舌は続く。

 だが、これを聞く十兵衛は、この人事に「別の意味」を読み取っていた。


(――これは、ただの仕官ではない)


 家光が将軍宣下を受けたのちも、徳川秀忠は大御所として政治的実権を握り続けた。大御所制とは、家康が天皇の院政に倣って作り上げた二元政治体制であり、これによって家光はいまだ将軍とは名ばかりの傀儡政権に甘んじているのだ。

 そればかりか、家光の世継ぎを決定した祖父である家康が既に亡くなった今となっては、家光は現在の将軍の地位さえも危うい状況にあるのだ。

 特に秀忠出頭人として強権を奮った土井大炊守利勝どいおおいのかみとしかつは忠長擁立のためか、たびたび家光派に対して嫌がらせをしてくる。

 三代将軍の跡目争いは、いまだに続いているのだ。

 木村助九郎の駿府への仕官は、そんな状況下にある中での抜擢であった。これが尋常の仕官でないことは明らかだった。


(これは、親父殿の土井利勝に対する攻めの一手だ)


 十兵衛はそう結論付ける。

 宍戸隆生が指摘した通り、家光派の筆頭たる宗矩は大名の兵法指南役という名目で次々に柳生一門の間諜スパイを各藩へと派遣していた。

 柳生新陰流という剣術流派の繁栄とともに、諸国諸大名を牽制し、将軍家の陰の支配者としての地位も高めていく――かくのごとき深謀遠慮は、まさに稀代の策士たる宗矩にしか成しえない陰謀であった。

 それだけの政治的事情を、果たしてこの人のい老臣はどこまで理解しているものか……。


(……理解わかってないんだろうなあ)


 その点については柳生宗矩、ちょっと助九郎を買い被り過ぎているのではないだろうか。

 ――否。

 あるいは、理解らぬがゆえ、


(まあ……なんにせよ、爺は昔から知った仲だ。気にかかることはあるが、ここは素直に祝うがよかろう)


 十兵衛はそう考えて、助九郎に表面上の祝いの言葉を述べた。


「そういえば、柳生屋敷にて十兵衛さまの訪客にお待ちいただいておりますぞ」

 話し終えた助九郎はそんなことを言った。

「……客?」

 十兵衛にはまるで覚えがなかった。

 その客とは何者か。助九郎に訊ねたが、助九郎は「正体は明かすなと申しつけられておりますので」と笑うばかりで何も教えてくれない。


(誰かは知らんが、まるで子供のようなことをする御仁だ)


 助九郎と別れた十兵衛は旅で汚れた服を着替え、柳生屋敷に上がった。

 玄関には宗矩の趣味である能の般若面が飾り箱に収められて飾られている。

 宗矩の能好きは父親譲りだ。この能面も石舟斎が金春流奥儀・一足一見と柳生新陰流の奥儀・西江水を交換した際に金春宗家から贈られたものだと十兵衛は聞いている。

 十兵衛の幼名の七郎も、この奥儀交換に関わった石舟斎の愛弟子の金春七郎から名を取ったものらしい。金春七郎は能楽師でありながら新陰流の剣も能くしたが、十兵衛が生まれる前に夭折している。


 下女に案内され、客が待っているという座敷に向かうと、果たしてその人物は十兵衛の予想を遥かに越える人物だった。


「久しいな――十兵衛。但馬の奴は息災か?」

「こ、これは和尚――」


 十兵衛を待っていたのは、宗矩の親友にして師僧でもある稀代の名僧――沢庵宗彭たくあんそうほう和尚であった。

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