土曜日

「なるほどな」

 カウンター席に落ち着く二人の目の前には、後輩であり新聞部の夜影ヨカゲが立っていた。

 だが、その夜影はいつもとまったく違う雰囲気を纏い、この純喫茶[ヤエザクラ]の店員に相応しく染まっている。

 この喫茶店は、高校や会社等の近くにありながら、落ち着いた横道に入ったところにあり、騒がしくもならない。

 大きく宣伝もせず、ただ利用客の口のみで知れ渡り、最近出来たばかりだというのに、既に人気になっているのだ。

 この喫茶店の暗黙の了解として、静かに過ごすことを求められる。

 勉強等にうってつけでもある。

 そんな喫茶で夜影がバイトしているなんて知らなかった、とばかりに先輩二人は静かに眺めている。

 カランコロン

「マスター、いつもの」

「はい」

 開口一番にそう夜影へ向けて注文を口にした客は、きっと常連客なんだろう。

 一番端のカウンター席へ、腰を掛けた。

 マスター、と呼ばれた夜影は特にこれといった目立つ反応は一切しない。

 バイトだと思い込んでいたのをひっくり返された二人は、首を傾げた。

 いつも忙しい筈の夜影が、この喫茶店のマスターなんてやってられるのか。

「夜影」

 名前を呼んでも返事はしなかった。

 名札を胸に付けているのを確認し、呼び直す。

夜上ヤガミ

「はい」

「いつからだ」

「今年ですよ」

「今年、、、か」

 質問の意味をいちいち言う必要がないのが楽だ。

 察することはくらい、簡単なのだろう。

「まさか、マスターをしてるなんてな」

 他の従業員を横目で見やる。

 高校生が一人、注文を受ける為に早足で過ぎていく。

 それ以外は高校生ではなさそうだ。

 しかし、やはり夜影よりも年上ばかり。

 当たり前かもしれない。

 そもそも、高校一年が喫茶店のマスターをやっているんだ。

 どうしても年上ばかりが多くなるだろう。

 カランコロン

「マスター、<桜に影を>」

「畏まりました。ご案内致します」

 合言葉だろうか。

 足音も立てない猫のように、極めて静かに夜影は客を奥へと通す。

 そして少しの間の後に戻ってきた。

「どういったもんなんだ?」

「それはお答え致しません。一部のお客様のみ、」

「そうか」

 遮る。

 答えないのなら、全て聞く必要も、言わせる必要もない。

 この合言葉というのは、複数存在する。

 予約制であり、電話でしか受け付けはない。

 それも、一般客にはそういうサービスは行っていないのだ。

 常連客であっても。

 客の中には、大事な取り引きであったりの仕事を目的とする者、お忍びで来店する有名人、お偉いさん等も混じっている。

 そんな[一部のお客様のみ]がこのサービスを利用出来るのだ。

 有名人等ともなれば、バレれば店内は騒がしくなったりすることだろう。

 そして、利用客としてそういう類いを狙って来店する客が混じるだろう。

 そうなればこの喫茶店の雰囲気を壊されかねない。

 それを防ぐためにも存在する。

 他に、仕事目的となればそういう大事な話をいくら静かであってもそうそうそこの席でとは出来ない。

 最初は[一部のお客様]に含まれはしなかったが、以前その相談にきた客がいたのだ。

「大事な仕事だから、どうにか場を提供して貰えないだろうか?」

 という相談を。

 夜影は少々考えた後に、おうと返答を出す。

 そして、奥の間を提供した。

 それがきっかけであった。

 勿論、どちらにせよ無料ではない。

 奥の間を使うのであれば、それの料金を払う必要がある。

 滞在時間に応じて料金が発生するのが仕事目的の場合で、滞在時間に応じて料金が発生しない方がお忍びで来店する場合である。

 そんなシステムを知って喜んで来るのだから、成功である。

 予約制である理由は簡単だ。

 来店時だと、満室である場合困るからである。

 合言葉として、「桜」から始まるのが仕事、「忍」から始まるのがお忍び来店と決まっている。

 あとはいちいち名前等を聞く手間を省く為に、その後の言葉を予約を受ける時に決めるのだ。

「影」「夜」だとか、そういった暗いイメージを与える単語ばかりなのも、裏側であるがため。

 ちなみに、夜影に嘘は通用しない。

 しっかりと予約を受ける時に、判断する。

 仕事目的ならば、取り引き等ならいいがそうじゃなく、奥の間を使うほどでもない内容であったらお断りだ。

 お忍びならば、忍ばなければならない程有名なのか、もしくは忍ぶ理由だったりとかも聞いたり調べる。

 そう易々とは貸せない。

 それを客も理解、了承しているのが当然で、文句等は一切通用しない。

 部屋の数も限られているのだ。

 高校生の打ち上げ目的で予約をと言われた時は、しっかり説明を述べた上で丁重にお断りした。

 それでも、利用客の数は減りはしなかった。

 このマスターとして働く夜影、、、喫茶店内の名前は夜上だが、喫茶店の人気の理由の一因にもなっている。

 性別の区別が見た目や声では判断出来ない夜影を、好む客が多い。

 ある女性客はイケメンだといい広め、ある男性客は美人だといい広めた。

 そしてまたある客は、中性的な人だと広める。

 どれが正しいかは自分の目で確かめるしかない。

 ちょっとした好奇心を、徒歩で行ける近さを理由に向かわせる。

 その連鎖。

 夜影目当てで来る利用客は多いのだ。

 その次には、この喫茶の季節で変わるデザートメニュー。

 このデザートメニューはマスター手製だと決まっている。

 そう、夜影のだ。

 それがたまらなく美味しく、飽きない。

 これを目当てに来店する客は絶えない。

 と、いってもそもそもどの料理、飲み物も美味しく、量も文句なしだから自然と昼時には軽い昼食をとろうという客は現れるものだ。

 第三に、やはり静かで落ち着いた空間だからだろう。

 最近はどうもこういった喫茶店が少ないという理由からくる。

 読書、勉強、仕事、休憩に丁度良いからと。

 先輩が立ち寄ったのは、知人の紹介でだ。

「[ヤエザクラ]っていう喫茶店、マスターが凄い素敵な人で、ケーキとかマスター手製なんだよ!静かでいいし、行ってみてよ!」

 それを聞いて、じゃぁ行ってみるか、となったのだ。

 それで他校の後輩である十河トオガと一緒に葉論バロンは今、カウンター席で珈琲こーひーを入れる夜影を眺めている。

 だが、誰も知らない秘密が一つ。

 この夜影は、分身である。

 他の仕事があるのに、毎日マスターとしてここに立ってられるわけがないのだ。

 この喫茶店に本物の夜影が立つのは、稀であり、その日は一番デザートメニューが美味しい。

 その美味しさの度で察する他ないのだが、わかるわけがない。

 だから客はその度を舌で感じては、「今日はマスターの機嫌がいい」だとか勝手に思っているのだ。

 分身といえども、夜影が作り出し操作をしているのには変わりない。

 夜影が忍だからこそ、なのだが何故味の質が変化するのか。

 それは、分身を一度にいくつもいくつも操作し、その動き全てが違うときた。

 そういうことだ。

 限界があるのだ。

 この喫茶店は午前7時半~午後8時半までで、休みは祝日だとか。

 土日は基本、開いている。

 閉店時間になるとこの喫茶店はバーへと切り替わる。

 午後9時~午前2時半までだ。

 従業員も勿論変わる。

 バーと化した[ヤエザクラ]は名さえ切り替わり、[影桜かげざくら]という看板が出される。

[影桜]に切り替わると、マスターである夜影の雰囲気も変化するのだ。

 それも、曜日別で変わるのだから好みのマスターの雰囲気姿を狙ってくる利用客が増えている。

 だからといってこれといった目立つサービスは存在しない。

 それでも、構わないのだろう。

 注文に、「マスター一つ」等とふざけて付け加えられることもある。

 それに夜影は、「物足りませんか?」や、「注文等しなくても、ここに」と囁いて客を楽しませる。

 それ目的な客もいるから、成功だろう。

 夜影としても、売り上げが上がることに上機嫌だ。

 ただ、希に恐ろしい問題が来店してくることもある。

 客の中に、夜影を連れていこうとする者等がいたのだ。

 本当に担ぎ上げて店を出ていかれた時は、客は皆唖然としていた。

 しかし、数分後に夜影は何もなかったかのような振る舞いで戻ってきて、接客を再開したりする。

 それもそうだ。

 分身なのだし、そうじゃなくても忍だ。

 どうとでも逃げられる。

 ストーカーだとか、そういうのが現れても動じなかった。

 先輩の二人がそういったことを知るのはまだまだ先のことである。

「ブラック珈琲、入れてくれ」

「俺は、紅茶で」

「はい」

 分かっていたとでもいうように、スッと差し出されれば驚きつつも香りに笑みを浮かべる。

 常連客になりそうだ、と思いながら舌で味わう。

 カウンター席に座れば高確率でマスターの入れる飲み物が飲める。

 カウンター席が埋まるのが早いのも、それが理由だろう。

 静かな空間に、僅かな音だけがこぼれ落ちる。

 夜になれば忍が変化の術を使ったかのように切り替わり、また違った空間を生み出す。

 そんな此処を誰よりも好み、気に入りとしているのは夜影だった。

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