第67話 魔人ティリエル

 障害となっていたトラックを退けると、列車は出発の準備を始めた。


 月成ウォルソンの行方も知れず、まだ列車に戻っていない乗客もいたので反対する者もいたが、晶勇ジョンウンが許可した。


 壱度、列車は動き出したが、戻って来た仮面の兵士に機関部を破壊されてしまい、列車は再び停止した。


 精鋭を失うと為すすべはなかった。


 乗客はバリケードを築いて立て籠もろうとしたが、仮面の兵士は、鋼鉄の扉をまるで段ボールのように引きちぎって侵入してくる。


 首脳部は少ない護衛に守られ、そわそわしながら近くの基地からの応援を待っていた。


 が、近くの基地司令官は、民主化に反対の立場だった。司令官は、わざと時間をかけて出動準備を整えさせていた。




 仮面の兵士の侵入した車輛は阿鼻叫喚をきわめた。


 仮面の兵士はひとり捕まえてはすずの居場所を聞く。指を折られても白状しなければ、殺したり噛みつく事はせず、ゴミのように投げ捨てていく。


 兵士の尋問はまるで、ひよこ鑑定士のようだった。しばらく効率的に処理していたが、すずを知っている者がいないと、彼らは手段を変えた。


 兵士の一人は窓から出ると、列車の上に立って大声で言った。


「琴之葉スズ! 出て来イ! 出てこなけレバ、一人ズツ殺してイク!」



 大門や順子は列車から離れ、草に隠れるように中腰で歩き、すずを探していたが、兵士の声を聞いて、すずが逃げて隠れている事を察した。


「出てくるなよ」

「だめ。すずちゃん、だめよ」


 彼らは祈った。同時に、なぜ彼ら人民軍の兵士は彼女を捕えようと躍起になっているのか疑問に感じた。




 すずは草叢の中で震えながら、兵士の声を聞いていた。


 長い間、どうすべきか悩んだ。


 絶対に行きたくない。翔一との約束だってある。


 自分を救うため、翔一がどれだけ苦労したか、それを思うと、すずの足は重くなった。


 しかし、聞こえて来る悲鳴。許しを請う声、それらを聞いて、すずの揺れ動く心は固まった。


 彼女は立ち上がった。


 その表情は凛々しく、決意に満ちていた。


 すずは草をかき分け、列車へと歩いて行った。




 文明のかけらも見えない大自然。


 山々は雪で白く、氷河がゆっくりと流れる。森や草原は目に鮮やかで美しい。


 そんな自然が無残に破壊されている。


 山のような巨龍が、異形の魔人と戦っていた。


 二メートルはある漆黒の魔人。刺だらけの鎧のような外殻を纏っていた。巨大な戦斧を振るい、また激しい火炎の竜巻を龍に放った。


 彼の攻撃は巨龍のぶ厚い鋼鉄のような鱗を徐々に破壊していった。


 魔人は狂ったように戦った。


 が、龍の力が勝っていた。


 魔人は腕を捥がれ、脚を潰され、最後には全身を噛み砕かれて、ひと呑みに飲み込まれてしまう。


 巨龍は満足そうにゲップをした。


 後には、焼き尽くされた森や草原、削られた山脈などが残されていた。




 翔一は夢を見ていた。


 真っ白な空間。


 その中に翔一は立っていた。


 その空中には、いくつもの数式、文字、乱数表、グラフなどが無数に、カラフルな色で表示されていた。


(ここはどこだ? オレ、何してたっけ?……)


 記号の海。


 翔一はその中を歩く。


 彼はふと足を止めた


 今まで、時々、翔一の目の前に現れていたステータス画面を見つけた。


 文字化けしていて読めない。


(何て書いてあるんだろう?……)


 彼は、謎を解き明かそうと、腕を組んで頭をひねった。だが、今まで何度も考えても解けなかった暗号だ。すぐに解読できるものではない。


 周りを見る。


 何を表しているのか分からない無数の複雑な数式……、乱数表……。


 今まで見たこともないものだ。


(数学?……、物理学?……、何の式だ?……)


 眺めているうちに、突如、翔一の目が輝いた。


 彼は高度な計算を瞬時におこなう。


 宙に浮かぶ文字化けした表示は、もの凄いスピードで日本語やアルファベットに変換されて行く。


(そうか! そうだったんだ!)


 翔一は満足した表情で、目の前のステータス画面を見つめた。




「すずちゃん! やめなさい! 行っちゃ駄目」


 順子は、すずを見つけると走り寄って両肩を掴んだ。ここからは仮面の兵士はトラックの死角になって見えない。


「楠田さん……」


 すずは困ったように彼女を見た。


「行ったら殺されるわ。分かってるでしょ」

「でも、わたしが行かなかったら、他の人が殺されちゃう……。もし……、お父さんだったら行くと思うの。絶対……。それに、ほら、殺されるとは限らないでしょ。また、捕まって人質になるかもしれないし、ね」


 追いついた大門が息を切らせて言った。


「気持ちは分るが、君を救うために、一体どれだけの人間が身を粉にして働いたと思ってるんだ。いいから、隠れていろ」

「じゃ、じゃあ、他の人が殺されてもいいって言うんですか!」


 すずが泣きそうな顔で言うと、大門は言葉を詰まらせた。


「それに、あなたの身に何かあったら、日本とこの国の関係が壊れるかもしれないし、拉致被害者の帰国だってなくなるかもしれないのよ」


 順子が言うと、すずは、ぽろぽろと大粒の涙を流した。


 その時、また兵士の声が響きわたった。


「出て来イ! マズ、一人目ダ」


 命乞いをする叫び声がする。


 銃声が一発響き、悲鳴が止む。


 すずや順子は顔を青くした。


「マダ出てこないノカ! 」と兵士の声。


 すずは、「ごめんなさい!」と順子の手を振り切って走り出した。


 大門は舌打ちをして彼女を追いかけたが、足はすずの方が速い。順子も慌てて駆け出した。




「今度は、本物カ?……」


 列車に近づいて来るすずを見て、屋根の上に立つ兵士が言った。


「いずれにセヨ、疑いのアル者は、全員殺せバ良イ」


 タラップの前に立つ兵士が、人質の女性の腕を離し、すずの方に足を向けた。放り出された女性は、そそくさと走って列車の中に戻った。


 屋根の上の兵士はすずを見て言った。


「マダ、他にも隠れているカモしれナイ」

「拷問スればイイ……」


 すずに歩み寄る兵士は、そう言って銃をホルスターに戻した。


 列車の窓からは何人もの乗客が、仮面の兵士と、彼らに近づく日本の少女、その後ろから走り寄る男女を覗き見ていた。




 順子と大門は、すずを捕えた兵士と止めようとしたが、蹴り飛ばされ、動けなくなった。


 すずは震えて言った。


「き、来ました。だ、だからもう他の人を殺さないでください……」

「無駄ナ殺しはしナイ。で、お前ハ、琴之葉すずで、間違いナイカ」


 すずは小さく頷いた。


「証拠ハ?」

「え?」

「本物だト証明できるカ」

「ほ、本人だと、ど、どうするんですか?……」

「殺ス」


 すずは狼狽した。


「あ、あの、もし、わたしが本人じゃなければ?……」

「本物ガ出てくるマデ、一人ずつ殺してイク」


 すずの視線は揺れた。


 長い間迷っていたが、「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と小さく言うと、仮面の兵士をまっすぐに見た。


「わたしが琴之葉すずです! 今から歌って証明します!」


 すずは、月明かりの下、歌いはじめた。その悲痛な歌声は、聴く人すべての心に響いた。


 列車の中で祈る人々は、みな涙を流す。


 兵士の一人は、すずが歌い終わると言った。


「首脳会談デ歌った少女で間違いナイ……」


 兵士は、目をギュッと瞑ったすずを見下ろした。


 腹這いの順子が「やめて!」と叫ぶ。「よせ!」と大門が振るえる手で拳銃を構えようとした。


 兵士がナイフを抜く。


 その時、銃声が響き、兵士の頭と腕が大きく弾かれた。


「彼女を守れ!」


 晶勇ジョンウンの指示で護衛部隊が突撃する。


 部隊は弾幕を張り、兵士とすすの間に割って入ると、彼女を担いで晶勇の許へと走った。


 が、いくら精鋭の護衛部隊でも魔人には敵わない。動きを止めるのが精一杯だった。


 一人二人と倒れていく。晶勇と数人の護衛は、晶勇の防弾車輌へと向かって走った。


 仮面の兵士は、足止めの護衛を倒すと、悠然と歩いてすずを追う。


 晶勇の護衛たちは背後から撃たれ、また、ナイフの投擲により、次々に数を減らしていく。


 すずを担いでいた護衛も倒れると、すずは地面に放り出された。起き上がろうとするすずにナイフが飛ぶ。


 それを身体を張って防いだのは、作戦部部長の呉白晶オペクジョンだった。彼の背中にナイフが深く刺さる。


 彼は首脳会談に同行していた。歌に心を動かされた晶勇が、無謀にも外に飛び出した時、一緒に行動を共にしたのだ。


「は、早く、逃げなさい……」

「ペクジョン! すまん!」晶勇は振り返ると、すずの手を取って走った。


 が、すぐに追いつかれてしまう。晶勇とすずの二人は仮面の兵士に挟まれてしまう。晶勇の腰は抜けてしまった。


 兵士の一人は晶勇を見て言った。


「彼ハ?」

「ダメ! 殺さないで!」すずは両手を広げて晶勇を庇った。

「彼を殺ス依頼はナイ」と、もう一人の兵士は答えた。


 兵士は、すずに歩み寄る。


 晶勇は勇気を振り絞って「やめろ!」と叫び、石を掴むと兵士を殴ろうとしたが、蹴り飛ばされて動かなくなった。窓の中では高官たちが「ウッ」と痛そうに目を逸らす。


「ご、ごめんなさい……あ、あの……、わたし、な、何で殺されるんですか……」


 すずが言うと、兵士は「仕事ダ」と答えた。


 そして、ナイフを彼女の咽喉に当てる。


 ナイフは横一文字に引かれた。




 痛みも何も感じない。


 すずは恐る恐る目を開けた。


 目の前の兵士の腕は切り落とされ、どす黒い血が噴き出ている。左横の鋼鉄の車体にはナイフが深く突き刺さっていた。


 右の畑の方を見ると、翔一が静かに歩いて来る。彼の周囲の空気はピリピリと緊張していた。


 すずは彼を見て、両手で口を押さえた。


 もう一人の兵士が銃を抜こうとした刹那、彼の右腕はホルスターごと吹っ飛ぶ。


 仮面の兵士たちは、しばらく驚愕して固まっていた。


「先輩、今のうちに」

「翔くん……」


 翔一がそう言うと、すずは晶勇を助け起こし、その場から離れようとした。


 兵士の一人が我に返る。


 彼はすずを阻止しようとした。


 その瞬間、ナイフの軌跡がレーザービームのように光り、彼の残された方の腕が弾け飛んだ。兵士は両腕を失う。


「何者ダ」片腕の兵士が翔一に尋ねた。


 すずが兵士たちから距離を取る。晶勇は震える足で走り、彼女を自分の専用車両へと押し込んだ。


 翔一はそれを見守ってから答えた。


「ミスランディアだ」

「ミスランディア?……」


 兵士は何かを思い出すように首をひねった。


 両腕を失った兵士が「いいデスカ?」聞くと、片腕の兵士は、すこし考えてから、小さく頷いた。


 両腕を失った兵士は、落とされた自分の腕に肩を近づけた。切断面から無数のミミズのような触手が出ると、それらは絡み合い、腕は元通りに繋がった。


 彼は手を開いたり握ったりして具合を確認してから、翔一の方に足を向けた。


 兵士の腕が、翔一の方に突き出される。


 手掌の先から火炎放射器のような炎の渦が出現し、翔一を襲った。翔一は素早くそれを避けたが、兵士は絶え間なく火炎を放出する。


 畑や草に引火し、列車の周囲は火に包まれた。


 外で倒れていた大門や順子、護衛部隊の男たちは、列車から飛び出してきた乗客たちが肩を貸して、車内に避難させて行く。


 前後左右に走る翔一は、詰将棋のように逃げ場をなくしていった。


 追い詰められた翔一に兵士が腕を向ける。


「死ネ」


 背後を火の海で囲まれた翔一に、炎の渦が迫る。


 追い打ちをかけるように、もう一人の兵士が、翔一の頭上に、大きな火球を出現させると、それを急降下させた。


 上への逃げ場も失った翔一は、激しい炎に飲み込まれた。


 列車の中からそれを見たすずは悲鳴を上げて外に飛び出そうとしたが、晶勇の側近に取り押さえられてしまった。


 しばらくすると炎は収束した。


 焦げ臭い煙が風に流されて行く。


 そこには翔一が何事もなかったかのように佇んでいた。


 仮面の兵士たちは、それを見て微かに震えている。列車の中から見守る人々は口を開けて見ていた。


 翔一は炎を出した兵士を見た。


「やっぱり魔法が使えるんだね、いや、だな」

「ナ、何をしたノダ……」

「何って……、実験と検証……、仮説が真であることを確認した」

「……」

「お前は人間カ……」もう一人の仮面の兵士が言った。


 翔一はその兵士に顔を向けた。


「もちろん……。聞きたいんだけど、お前がボスだよな」


 兵士は答えない。


「なぜ、すず先輩を殺そうとする」

「……仕事ダ」

「なぜ! どうして、そんなことが出来る。良心が痛まないのか。先輩は何も悪いことしてないじゃないか」

「関係ナイ。命令に従ウ。それだけダ」

「何で命令に従うんだ! いけない事だろ! 自分の頭で考えろ! 心で感じろよ! 正しいことをしろよ! 誰かの言ったとおり動くだけなら、ただの機械じゃないか!」


 兵士は何も答えず、首を動かすと、すずの逃げ込んだ車両を確認した。翔一は言った。


「どうしてもやるのか」

「邪魔者を排除してからダ」


 兵士たちは翔一に突撃する。


 次の瞬間、翔一の背後、黒くなった畑に突風が吹いた。燃え残っていたオレンジ色の火の粉が舞う。


 翔一の姿はない。列車から固唾を飲んで見守っていた人々は呆気にとられた。


 遠く、まだ焼けていない畑の方で、いくつもの爆炎が立ち上がる。


 二人の仮面の兵士は、翔一を前後から挟み、執拗に攻撃をくり出した。


 重く鋭い打撃、蹴りが襲う。


 翔一はそれをギリギリの所で躱す。翔一は呟く。


「分かる……。分かるぞ……。やつらが、次にどう攻撃するか……、十手先、二十手先……、パターンがある。まるでゴーレムみたいだ。恐ろしいことに変わりない……。一発でもまともに食らったら死ぬ……」


 兵士の繰り出す、激しい炎は、翔一に当たる寸前で爆ぜて掻き消される。


「分かるぞ……。やつらの魔法、タイミング、規模、ぜんぶ、ステータス画面に表示される……」


 翔一はエラリーの言葉を思い出した。


「魔法とは、人外の力、神や精霊、悪魔などの力を借りる行為だよ。呪文が必要なのは、それらとのコミュニケーションをとり、感謝の意を示すため……」


 翔一は、迫りくる二人の兵士と、眼前のステータス画面に表示されるコードを同時に見ていた。


「やつらは魔法を使う時、たぶん悪魔とか、ナニカの力を借りている……。だけど、その通信プロトコルを理解すれば、どんな魔法を使うのかは、筒抜けだ。あとは、受信側に、それを相殺させるプログラム作成して、送信すればいい……」


 仮面の兵士は、焦ったように炎を連発する。


「お前たちは大切な人を狙う敵だ。魔人だ……」


 翔一は目の前の炎を打ち消すと、その炎の穴の向こうに兵士が見えた。兵士は翔一に襲い来る。


 翔一は両腕を伸ばした。


「謝らないからな」


 刹那、兵士が白いプラズマに包まれた。


「ぎゃああああああああああああ!」


 兵士が轟音をたてて燃え、倒れるとゴロゴロと地面を転がった。


 絶叫はすぐに止む。


 兵士は炎の中で再生を繰り返していたが、そのうち力尽き、黒い塊になった。


 残った兵士は動きを止めて、翔一に言った。


「ナ、何だ……。それハ……」

「アルティメット・エクストリーム・フレアーだ」

「ナニ?」

「ア……、うるさい。もう言わない。さよなら」


 翔一は顔を赤らめると、両腕をその兵士に向けた。


 兵士は白い炎に包まれる。彼は悲鳴を挙げることなく燃えていった。


 呆気ないものだった。




 二つの焼死体を前に、翔一は深く息を吐き、額の汗をぬぐった。


(これで終わりだ……)


 翔一は、すずの無事を確認しようと、びっこを引き、列車に歩いて行った。


 彼が去ったあと、焼死体の一つが微かに蠢いた。




「翔くん!」


 すずは列車に近づく翔一の姿を確認すると、誰よりも先に扉を開けて飛び出し走って行った。


 他の車両からも人々が出てくる。順子はカメラを構えていた。額には血の滲んだガーゼが当てられている。


 すずは翔一に抱きついた。


「大丈夫ですか?」

「うん、うん……、翔くんこそ……」

「何とか」


 そういう彼の身体はボロボロだった。全身の服が破れ、打撲や切り傷、骨折もあるかもしれない。あちこち火傷していた。腕時計は完全に破壊されている。メガネは掛けていない。変身の腕輪からは、パチパチと小さな火花が出ていた。


「あの人たちは?」

「えっと、その……」


 翔一は、殺したなんて言えなかった。たとえ相手が魔人だったとしても、先輩を守るためだとしてもだ。


 むしろ、だからこそ言えなかった。


 すずは自分のせいで人が殺されたなんて知ったら深く悲しむ。先輩が今までの先輩でなくなってしまうかもしれない。自分と今まで通り接してくれないかもしれない。


 翔一はそう思った。


 話題を変えようと思ったが、極度の疲労と怪我の痛みで、翔一の脳はうまく回っていなかった。


(どうしよう……。何を話そう……、あ、そうだ……、今、告白しちゃおうか。しちゃおうかな。そんな状況じゃないか……。でも今がチャンス……)


 周囲近くには、まだ誰もいない。


 彼は目を閉じて深く息を吸うと、すずを見つめた。


「すず先輩!」

「は、はい!」


 すずは反射で返事をした。びっくりして目を見開いている。


 翔一が金魚のように口をぱくぱくさせていると、順子が叫んだ。


「危ない!」


 翔一は振り返るや、すずを抱きしめて身を躱した。


 凄まじい風圧とともに、回転する巨大な戦斧が通り過ぎる。


 主席専用車の防弾車輌は真っ二つに切断され、ぶ厚い防弾ガラスは粉々になった。


 翔一とすずはその破壊力に息を呑み、斧の来た先に頭を向けた。


 二メートルはある漆黒の魔人が、焼けた畑に佇んでいる。刺だらけの鎧のような外殻は、艶やかに冷たい月の光を反射していた。


 圧倒的威圧感。


 渦巻く邪悪な雰囲気。


 今までとは桁が違う。


 翔一は凄まじい脅威を感じて身を震わせた。


 魔人は静かに歩いていたが、瞬きをした刹那、魔人は翔一のすずの目と鼻の先に立っていた。彼らを見下ろしている。


 翔一は、まるでギロチン台に首を固定されているような感覚をおぼえた。勇気を振り絞り、硬くなった身体を動かす。


 翔一は両腕を魔人に突き出した。瞬時に、すずを抱えて距離を取った。


 次の瞬間、漆黒の巨体は轟音とともに白い球体の炎に包まれた。


 猛烈な熱放射。


 離れていても、見る者の肌を焼く。


 近くの、破壊された主席車両の車体は真っ赤に熱せられ、カーテンや絨毯はオレンジ色の舌のような炎をあげて燃えはじめた。隣接車両は蒸し風呂のようになり、乗客たちは、あわてて炎の上がる反対側から外へと逃げ出した。


 順子は汗をかき、カメラのシャッターを押し続ける。数輌先に避難していた大門は脇腹を押さえつつ列車から外に出て来た。


「いったい何が起きとるんだ……。あの怪物、あの摩訶不思議な炎の熱量、そして、何より、あの少年……」

「あれなら、ひとたまりもないでしょう」


 大門と一緒に出てきた、外務省の職員は、魔人が炎に包まれているのを見て、なぜか目を輝かせていた。


 灰すら残さないような白い炎が収束する。


 その中から魔人が姿を現すと、翔一は目を見開いた。


 無傷だ。外殻のどこにも、まるでダメージがない。魔人は、武者鎧の頬当てのような頭をあちこちに向けた。


 彼は、翔一とすずを見つけ出す。


 翔一は、なぜか魔人が悲しんでいるように感じた。


 魔人は口を開いた。


「コノ姿にナレバ、再び元には戻れヌ……。アノ方の命令を、これ以上果たせヌ……」


 魔人は翔一に問いかけた。


「MOAB、大規模爆風爆弾兵器を知っていルカ」

「いや……」

「核兵器に次ぐ威力をモツ。この列車ナド、一瞬にシテ蒸発させることがデキル」

「だから何だ……」翔一は悪い予感がした。

「夜明けハ近イ……」


 東を見ると、遠く妙香ミョンヒャン山脈の向こうの空が、微かに白み始めている。


「コレ以上、不確実な戦いはデキヌ」

「だから何だって!」

「ココまで追い詰めらレタのハ、お前が初めてダ……。敬意を表しテいるノダ……。今から、ワレは爆発する。その少女を抱いて逃げることハデキヌ。逃れようトスレバ、コノ場にいる他の人間ガ全員死ヌ……」


 すずは顔を青くした。魔人はすずに顔を向ける。


「逃げらレヌダロウ。分かルゾ。お前ハそういう人間ダ……」

「悪いかよ!」


 翔一は再び表示させたステータス画面を見た。


「悪いハズはナイ。都合ヨイノダ……。ミスランディア……、お前にコレが防げるか……」


 翔一は、魔人の通信ログを見て、はっと気づいた。


 魔人は、体内に膨大なエネルギーをダウンロードし続けていた。すでに158GJギガジュールを越えている。TNT火薬37Tトン以上の爆発エネルギーだ。


「やめろ! 自分を犠牲にしてまでする命令って何だよ! 死ぬのはよせ!」

「誤解スルナ……。ワレは死なヌ。死ぬのハ、お前たちダケダ……。いずれにセヨ、素顔を見テ、正体を知ッタ人間を生かしてオク事ハデキヌ……。ナゼ、コノ事を言ったか分かるカ……」

「……時間、稼ぎ……か……」


 翔一は、ダウンロードの妨害を考えたが、もうすでに遅い。


(魔法で爆発を相殺できるか?……。ムリだ。一度にコントロールできるエネルギー量には限りがある。自分と先輩を守るだけでも危うい……)


「そうダ、アト十秒……。モウ、どんな手段を使っテモ、爆発範囲の外に出る事は不可能……、八……七……」


 翔一は、魔人がニタリと笑っているように感じた。

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