第68話 エピローグ1

(くそっ! どうする!? どうする!?)


 翔一は魔人とすずを交互に見た。


 変身の腕輪は再び火花を上げた。その瞬間、翔一の身体は淡く光り、金月成キムウォルソンの姿へと変わった。


 列車の内外から見守る人々は目を疑った。ある者は、「ミスランディア殿の正体は主席だったのか?」と呟く。またある者は、「主席の御霊が乗り移られたのだ」と言った。


 翔一は自分が変身したことなど気づかない。


(考えてる暇はない)


 彼は魔人の懐に飛び込むと渾身の突きを放った。


 魔人は「フハハハハ!」と笑いながら身を躱した。


 翔一は、全力で突き、蹴りと攻撃を繰り出したが、ほとんど当たらない。掠ったものもあったが、魔人を傷つけることは出来ない。逆に翔一は拳を痛め、また灼熱の外殻のため火傷を負った。


 それでも、翔一は攻撃を続けた。


「姿を変えても無駄ダ。惨め、惨め。ダガ、楽しかっタゾ。こんなに楽シイ闘いハ、産まレテ初メてダ……」


 翔一と魔人は戦いつつ移動し、巨斧により真っ二つにされた主席専用車の中へと飛び込んだ。列車は真ん中に向って傾いている。車内のテーブルやベッドなどの調度品は燃えていた。


 翔一は額に玉のような汗をかいた。


「何カ言い残すコトはアルカ? アト、五秒ダゾ」

「運が良かった……」

「ヨかっタ? どういう事ダ」


 魔人は怪訝な声を出した。


 翔一は魔人の背後に目を向ける。


 魔人は自分の背後に顔を向けると、そこには火の付いたみすぼらしいテントが張ってあった。


(テント?……)


「まだ燃え尽きてなくて、本当に良かった」


 そう言うと、翔一は凄まじい速さで魔人に突進した。タックルすると、魔人の焼け付く胴体をしっかりと抱え、テントの中に突っ込んだ。


 白亜の空間。


 翔一は、一直線に魔人を押し続け、どんどん奥の部屋へと進んで行った。


 翔一が干し肉を作り続けた食料庫、龍の部屋へと入る。


 魔人は混乱して周囲の天井や壁に目を向けていた。


「ナ、何ダ! ここハ! ドコだ!」


 真っ白な巨大な壁面には、墨を撒いたようなシミが出来つつある。それらは徐々に広がっていき、空間は黒く染まっていった。


 翔一は魔人を、さらに奥へと押し続ける。


 干し肉の山。大きなプール。


 空間は漆黒に変わった。


 不気味な軋轢音をたて、大きく振動する。崩壊が始まったのだ。



 翔一は小さなマリオを思い出した。


「もしテントが燃えたり、切り刻まれたりしたら大変だ……。中にいるヤツ、みんな死ぬか、永遠に外に出られなくなっちゃうんだ」



 澄み切った青空。


 キラキラ光る広大な海。


 釣り船の上で、すずが明るく笑っている。


 校庭の大きなケヤキの木陰。


 すずと並んで座って本を読んだ。


 楽しかった思い出……。



 翔一は目を細めて微笑んだ。


 そして魔人に顔を向けた。


「ここは何処かだって? お前とオレの墓場だ……」


 ゼロ……。


 魔人が何かを悟ったように怒号した。


 彼の身体に亀裂が走りると、膨張をはじめ、二人は眩い光に包まれていった。




 翔一と魔人が、燃えさかる主席専用車に飛び込んだあと、静寂が訪れた。


 が、それは一瞬だ。


 大地が細かく揺れる。


 大気が震える。


 専用車はギシギシと音をたてて圧縮されていく。


 再び静寂が訪れた。


 主席専用車のあった場所には、雑巾を絞ったような残骸が残されていた。もとの半分以下の大きさだ。


 すずは口に手を当て、呆然とその前に立ち竦んでいた。


 次第に人が集まって来る。


 順子や大門、晶勇ジョンウンや高官たち、傷ついた警備や護衛もいた。


 彼らは恐る恐る、翔一と魔人が消えた専用車を取り囲む。


 圧縮された金属塊の中では、蠅すら生きてないだろうと思われた。


「翔くん……、翔くん……」


 すずは、ふらつく足で列車に近寄った。


「嘘……、嘘だよね……、生きてるよね、ね……、お願い、翔くん、返事して……」


 残骸からは物音ひとつ聞こえてこない。


 すずは跪く。


 すずの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちて来る。


 順子が歩み寄り、すずの肩を優しく抱いた。


 残骸から、いくつもの小さな光が染み出るようにポツポツと現われた。


 周囲がざわつく。


 神々しい優しい光。


 それは、綿毛のように、ゆっくりと上昇した。


 その場にいる皆は黙ってそれを見ていた。


 光は、ゆっくり、ゆっくりと星空に昇って消えて行く。


 すずは、順子の胸に顔を埋め、何度も何度も、翔一の名を呼んだ。




 事件のニュースはたちまち世界に広がった。


 日本と事実上の平和条約を結んだ金月成キムウォルソン主席の暗殺。


 世界中の人々は仰天し、何らかの陰謀を疑った。


 必死の捜索にも関わらず、現場では月成の遺体は発見できなかった。


 生きているのではと、晶勇ジョンウンを含む、多くの人民が期待したが、後日、月成の遺体は、太陽宮殿で発見された。


 以前展示されていたように、ガラスケースの中で横たわっていた。


 朝鮮の人々は、月成はこの世での役割を終え、また天国に戻ったのだ、と噂し合った。


 犯人は全員死亡。遺体はすべて燃えつき、身元を明らかにすることは出来なかった。


 人々の間で、人民軍のクーデターや、悪魔による侵略であるとか憶測が流れた。


 日本は、朝鮮との関係、拉致被害者の帰国を心配した。が、晶勇ジョンウンは月成の意志を次ぎ、精力的に返還手続きを進めた。


「主席は自分の命を投げ売って、我々をお救い下さったのだ! 主席の思いは我々が遂げるのだ!」


 晶勇は首脳部を纏め上げ、選抜民主制の準備や核放棄、軍の縮小を進めている。




 平壌に戻って来た時、すずの心は虚ろだった。


 食事を勧められても、まったく手を付けず、以前のような明るさは微塵もなかった。


 誰かに何か話しかけられても、心ここにあらず。目の焦点は合わず、受け答えははっきりしなかった。


 彼女は市内の病院に連れて行かれた。食事は一切受け付けない。


 入院した二日後には、彼女の許にエラリーとマリオが現われた。ずっと探していたが、政府が混乱していて居場所が分からなかったらしい。


 彼らは、すずを友香子と英女ヨンニョの病室へと連れて行った。同じ病院に入院していたのだ。大きな怪我はなかったが、帰国前に、念入りに健康診断をしているようだ。


 すずは、彼女たちにも心を開くことが出来なかった。英女が日本人村であったことを話すと、すずは、武井の死を聞いて、目じりの端から涙をこぼした。


 友香子と英女はすずを心配した。


「ねえ、タケシも入院してるんだよ」エラリーはすずに言った。

「アイツ、みんなを守るために闘って、死ぬとこだったんだぜ」とマリオ。

「全身の骨も筋肉もボロボロで動けないんだよ。ねー」


 すずは慌てて廊下に飛び出る。


「そっちじゃないよ」

「こっちだぜ」


 エラリーとマリオがすずの手を引っ張って走った。


 看護婦がそれを見て、「走るんじゃありません」と叱ったが、お構いなしだ。階段を昇り、廊下を走る。



 二人部屋。


 入ると、カザルスが悠然と立っていた。彼の前のベッドには包帯だらけの剛士が横になっていた。


「ういっす」


 剛士はバツの悪そうな顔をすずに向けた。


 すずは言葉が出ない。


「すまねえ……。武井のじいさんは助けられなかった……。本当に、すまねえ……」


 すずは顔をくしゃくしゃにした。


「ご、ごめんなさい! 剛士くんは悪くない! 悪くないの! わたしのせい。わたしが悪いんだよ。剛士くんを危険な目に逢わせて、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


 そう言って、すずは剛士に覆いかぶさって、泣き声をあげた。


「あ、いや、その、お前えは悪くねえ、ぜっんぜん、悪くねえよ。おい、泣くな、泣くなよ……」


 剛士は困ったように言う。


「そんなに泣いたら、翔一が……」

「うわああああああん!」


 すずは翔一と聞いて、より一層、激しく泣きはじめた。


「翔くん、ごめんなさい! ごめんなさい! わたしのせい! 全部わたし、わたしさえいなければ、翔くんは、翔くんは……、うわあああああ……」


 カザルスの後ろから「あ、あの……」と声がする。


 すずは気づかずに、泣き続けた。


「あの、先輩……」


 すずは顔を上げた。


 カザルスが身体をどけると、その向こう、窓際のベッドには、もう一人横になっていた。彼も包帯だらけだ。


「もう泣かないでください……。先輩が泣いていると、オレ……」


 剛士は、「ほら、起きちまったじゃねえか」と言った。


 すずは口を開け、よたよたと翔一のベッドに歩み寄った。


「しょ、翔くん?……。ほ、ほんとの、翔、くん?……」

「はい。本物です」

「だ、だって、あ、あの時、あの、怪物と一緒に、き、消えちゃったのに……」


 すずは混乱していた。


 カザルスが快活に笑った。


「危なかったぞ。翔一君は、魔法のテントの中で死にかけたのだ」

「え? で、でも……」


 カザルスは懐から一つの指輪を取り出した。


「これを彼に身につけさせていたのだ。危険なテントを使って修行をする前だ。これは、テントに何か起きた時、その中で指輪を付けている人間を、別の空間に転移する道具だ。信号が届いたから、彼を魔法のカバンから取り出した」

「じゃあ……」

「オレ、指輪にそんな力があるなんて、知りませんでしたけど……」と翔一。

「安心できる場所だと、修行に身が入らんではないか。わっはっはっ」


 すずは翔一の頭を抱きしめた。


「よかった、よかった……。翔くん……」

「はい」

「ありがとう。助けてくれて、本当にありがとう」

「はい」

「みんなを助けてくれて、本当にありがとう」

「はい」

「生きててくれて、ありがとう。翔くん……」


 翔一は、すずの胸の温かさを感じ、ここは天国じゃないかと、ボーっとなっていた。


 ふと殺気を感じた。


 頭を少し動かして横を見ると、剛士が、もの凄い形相をして、翔一を見ていた。翔一は、再び首を動かして、剛士を見なかった事にした。


 カザルスは思い出したように言った。


「幸い、テントの中だったから良かったが、もし、外だったら、マジで死んでいたぞ。わっはっはっ」


 それを聞いて、翔一はゾっと背筋を凍らせた。




 翔一と剛士の回復は驚くほど速かった。一週間も経たないうちに、何とか歩けるようになると、彼らは、「第六天満丸」に乗って帰国した。


 カザルスの無免許操船だ。日本の排他的経済水域(EEZ)に入ると、巡視船「あしたか」が出迎えた。「あしたか」の先導で、三柱漁港に入港する。




 すずは、翔一と剛士が元気になると、日本の役人たちと一緒に、ひと足先に帰国した。


 すずが北朝鮮を発つ時、飛行場では、いつの間にか護衛部隊の中に「すずファンクラブ」が出来ていて、猛烈なラブコールと「マンセー」大合唱が行われた。


 彼女は家に帰ると、しばらくの間、母親と一緒の布団で寝た。




 翔一と剛士が学校へ戻るのは、すずよりも遅れた。


 大門に丁重に招かれ、しばらく永田町に出入りしていた。大門に、カザルスたちのこと、北朝鮮での出来事を詳しく話さねばならなかった。


 大門は翔一たちの事を他の閣僚には伝えないらしい。


 それを聞いて、翔一はホッとした。


 法律違反で処罰されることを内心恐れていたのだ。


「また力を借りる時があるかもしれん。その時はよろしく頼む」


 大門は翔一と剛士と男の握手をした。


 彼らは数個のジュラルミンケースを渡された。報酬らしい。大門は、須田長官を脅して官房費から捻出したようだ。税務署に申告しないようにと念を押された。


 翔一は、そこからカザルスへ依頼の報酬を支払うことにした。


(日本円で払って良いのかな? カザルスさんたちの世界じゃ使えないだろうけど……)


 そう思ったが、エラリーは喜んで受け取った。円の価値は、大自然の叡智アーカイブ・オブ・ザ・グレートから教えて貰っているらしい。




 剛士は帰宅すると、親からこっ酷く叱られた。


 北朝鮮に行ったことは秘密だ。単なる家出という事になっている。


 弟たちは、剛士が家出の日数を大幅に更新したので、兄に尊敬の眼差しを向けた。


 剛士は、翔一がエクエスを倒したとカザルスから聞いていたので、対抗心を燃やし、毎日朝晩と、誰も居ない海岸へ行き、修行をはじめた。


 彼の両親は、それを知って「受験とか就職はどうするの!」と、毎日叱っている。




 翔一は家に戻ると、ポストに宅配便の不在通知が入っているのに気づいた。翔一は再配達してもらった小包を開けて驚いた。


「何だこれ?」


 同性愛についての書籍だ。スイスに出張中の父親から送られて来たものだ。何冊もある。


「な、何で?……」


 翔一は、意味が分からなかったので、これにはどんな謎が隠されているのか、本をすべて読んでみようと思った。


 秀樹や保志との再会は、帰国前から、しょっちゅうMOTAの仮想世界で会っていたので、あっさりしたものだった。三柱町の露地で「久しぶり」と挨拶して、拳をぶつけ合った。




 すずは明るさを取り戻し、楽しく高校生活を送った。


 初登校した日は、同級生みんながすずを取り囲んで喜び合った。


 拉致のことを詳しく聞こうとした男子生徒は、デリカシーがないと女子生徒に村八分にされた。


 文芸部の部長は二年の白井がやっている。


 すずがさおりと部室に顔を出すと、後輩たちはすずに寄って来て泣いて喜んだ。


 その後、引退したにもかかわらず、すずはしょっちゅう部室に顔を出した。すずが来ると、みんな笑顔になり賑やかになった。




 カザルスは日本政府と交渉を試みた。


 彼は、ディルダム王国、アマデオ・ヴィットリオ・ディルダム王の親書を持っていたのだ。


 ディルダムと日本の国交を望み、また、魔人の脅威を伝えた。


 閣僚の多くは、異世界や魔人などの存在は信じられないと、カザルスの言葉を疑っているが、大門は、早速、対策チームの編成を計画する。


 政府は、カザルスや異世界から来た魔人について、公表しないと決定した。




 ヨンケイ新聞、社会部。


「ああ、昨日の大阪の事件ね……。んで……、楠田ちゃん、例の件は記事にしないの?」


 佐々木は、順子が持って来た原稿を持っていた。電子タバコは唇の端で、今にも落ちそうに引っかかっている。


 彼は無事だった。


 魔人の襲撃の日、佐々木は、北朝鮮の首脳部、金月成キムウォルソン金晶勇キムジョンウン、側近、高官たちに突撃取材していた。


 日朝友好のため、初めは丁寧に扱っていた晶勇だったが、あまりのしつこさと図々しさ、礼儀知らずのため、佐々木をコンパートメントの一つに監禁したのだ。


 佐々木は解放された後、襲撃事件を知って、口惜しがった。


 順子が、兵士や怪物の襲撃を体験し、写真まで撮ったと聞いたが、その事件を記事にするように命令する事はなかった。政府から情報を規制する圧力もあったが、それを気にする佐々木ではない。


「その怪物は国民に知らせた方がいいんじゃないの?」


 順子は、「このクソオヤジ、記事にしても載せる気ないくせに」と思った。


 順子は、あの不可思議な死線をくぐり抜けてから、どこか少し変わった。いつも何か深く考えているようだった。


「分かりません……」

「え? 何が?」

「それを公表して、すずちゃんや、翔…、あ、いえ、とにかく、皆のためになるかどうか、まだ、よく分からないんです」


 佐々木は、「ふうん」と言って、順子の原稿を机の上に投げ置いた。


 そして、裏声を出して順子の真似をした。


「今、何かが起きてるんです! 危険が迫っているかもしれないんですよ! わたしには、みんなに、そ、それを伝える義務があるんです!」


 順子は「佐々木、いつかコロス」と思い、彼の机をバンと叩いた。そして自分の机に戻って行く。ドカドカと足音をたてて歩いたので、まわりの記者たちが順子を見た。


 佐々木は、彼女の背中に声をかけた。


「楠田ちゃん!」


 彼女は無視して歩く。


「この記事、とてもいいよ!」


 順子は振り返ることなく、ニヤリとほくそ笑んだ。




 時が経ち、拉致被害者たちは次々に日本に帰国した。


 ずっと待っていた家族に再会し、彼らは涙を流して抱き合った。


 10号棟村の田村は、故郷で兄弟と再会した。両親はすでに他界していた。彼の友人の敏行は日本での身寄りをすべて失っていたので、田村の住む町へと居を構えた。


 北朝鮮ですでに亡くなった被害者もいた。帰りを待っていた人々は、それを知って悲しんだ。


 友香子と英女は、武井の遺骨とともに日本にやって来た。


 武井は、墓の中で、妻芳江と再会した。


 翔一や秀樹、保志、すず、剛士、カザルスたちは、日本酒や肴を持ち寄って、武井の墓に手を合わせた。参列した増田夫婦は生まれたばかりの赤ん坊を抱えていた。


 友香子は父と母と想い、涙を流した。




 カザルスたちは、大門の根回しにより、日本のパスポートを手に入れた。


 そしてイスラエルへと旅立つ事になった。


 平壌順安国際空港にイスラエルからロシア経由で不審な人物が入航しいたという情報を得たのだ。


 翔一と秀樹は、カザルスたちを見送りに空港へ行った。


 空港では、エラリーは飛行機に乗るのが待ちきれないように、うずうずと落ち着きなく動いていた。


 マリオは飛行機が怖いらしく、おどおどしていた。


「乗りたくない」と言っていたが、エラリーに「美味しい機内食が出るよ」と言われ、しぶしぶ乗る事にしたようだ。


「翔一君! 大野ギルド長! また会おう! 元気でな!」

「またねー」

「じ、じゃあな……」


 カザルスたちを乗せた飛行機は離陸し、空の彼方に消えて行く。


 青空には、薄い絹のような雲が漂っていた。


 それを見届けると、翔一は、あの冒険は夢だったんじゃないかと感じた。


 その後、現実味がどんどんと薄れていく。


 冒険は思い出へと変わっていった。




 ある日、翔一は文芸部の部室で本を読んでいた。


 白井も天海、翔一に妙に懐いている後輩の南など、他の部員は全員帰り、翔一は一人だった。


 陽は傾き、窓の外は朱く染まり始めていた。


(そろそろ帰ろうかな)


 そう思って荷物をまとめていると、部室の戸がガラガラっと開いた。


「おつかれー」

「やっほー、翔くん」


 さおりとすずが顔を出す。


「あ、先輩」

「頑張ってるね。きみぃ」と、さおり。


 すずたちは図書館で勉強していたようだ。すずは、「明かりが付いてたから」と言った。


「もう終わるよね」

「はい。もう、帰ると……」

「ああああ!」


 突然、さおりが叫んだ。すずは「どうしたの?」と聞く。


「用事、忘れてた! ゴメン、すず、わたし、先、帰るね」


 そう言って、さおりは急いで部屋を出て行く。戸を閉める時、さおりは翔一にウインクした。


「どうしたんだろ。さおちゃん。急に……」

「ええ」


 翔一は「ま、いっか」と思い、机の上の本をカバンにしまおうと手を伸ばした。


 その時だった。


 彼は、すずと、二人っきりである事に気づいた。


「一緒に帰ろっか」すずは可愛らしく言った。


 翔一の鼓動が激しくなる。


 日本に帰って来てから、なんだかんだあって、まだ告白してない。


 心の中で保志の声が響く。


「今しかねぇ、今しかねえんだよ! 時間は待ってくれねぇ。告白しないで後悔するんじゃねぇ。当たって砕けろっ!」


 翔一の呼吸が乱れる。額から汗がしたたる。


 彼は、ギクシャクと回れ右した。


 そして、すずの前に立った。すずは「ん?」と首をかしげた。


 翔一は顔を真っ赤にして、すずの両肩をカシッとつかんだ。


「すず先輩!」

「は、はい!」


 すずは反射で返事をした。びっくりして目を見開いている。


 翔一が、言葉を続けようと、口をパクパクさせていた時だ。部室の戸が再びガラガラっと開いた。


 剛士が「おーい、翔一ぃ、いるかぁ」と言いながら、部屋に入ろうとして、すずと翔一に目を止めた。


 刹那、剛士の顔が、鬼の形相へと変わる。


「翔一、てめえ」


 剛士は翔一に突進した。




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