第50話 閣僚会議2

 セドット・ゴリオン空軍基地内は血で染まった。


 警報が発せられるや否や、次々に武装した兵士が集まって来た。イスラエルの対空防御最重要地下施設の一つだ。守る兵はエリートであり、歴戦の将兵が指揮を執っていた。普通なら侵入することも不可能であり、たとえ侵入したとしても、無傷で生き残ることはあり得なかった。


 が、五人の侵入者は、一言も話すことなく、表情を変えることなく、まるで五人は一つの軟体動物のように動き、警備兵を無力化していく。


 基地の兵士たちは、五人を見るや否や、あるものはナイフで首を斬られ、あるものは眉間に銃弾を撃ち込まれた。侵入者を狙った銃撃は、一発たりともかすりもしない。十、二十と兵士の死体が増えていった。


 五人は、管制室に入ると、その中にいた技官たちには目もくれずに、ミサイルおよびレーダー管制システムに時限爆弾をセットした。そして、解除が不可能であること、基地全体が吹き飛ぶ威力であることを彼らに告げた。


 基地が爆発することはたちまち基地内に放送され、人々はパニックに陥った。ここには核爆弾も保管されているのだ。人々はこぞって地上に逃げだした。


 五人はその逃げる人ごみに紛れ、灼熱の乾いた地上に出た。


 そして、軍用車に乗りこむと、砂埃とともにエルサレム方面へ消えて行った。



 イスラエル軍が駆けつけた時には、基地の入口から黒煙が立ち上っていた。消火作業が終わり、調査官が基地内に立ち入ったが、ミサイルや核爆弾保管施設は無傷だった。ただ、管制コンピューターシステムなどやセキュリティシステムが壊滅状態だった。


 イスラエル軍のMPは、すぐさま五人を追跡したが、100万人都市エルサレムである。彼らを見つけ出すことは出来なかった。




 地中海沿岸。テルアビブ。


 男は、観光客で賑わう市場を歩いていた。くたびれた背広を着て、厚い瓶の底のようなメガネかけていた。


 巨大な市場には、洋服や雑貨、食料品、土産の店などが立ち並んでいた。


 男は人をかき分け、埃っぽい小さな八百屋に入った。色鮮やかな野菜や果物が並んでいる。店員はシャワーを使って野菜に水をかけている。男は、店員を見ることなく奥に進み、開け放たれていたドアに入ると、階段を上った。


 うす暗い部屋の中には、五人の男がいた。黒髭を生やした男が、部屋の真ん中の小さなテーブルの前にひとり座っている。他の四人の男たちは、無言で、一人は窓際、ひとりは入り口のドア、二人は隣の部屋に散っていった。


 背広の男は、黒髭の男の正面の椅子に腰かけた。


「ミスター・スミス。直接会わないはずだが……」


 髭の男が言うと、背広の男は「そんなことはいい」とギョロリと目を光らせた。


「が、これだけは言っておこう。いつもながら見事な手際だった。成功報酬は振り込んでおいたが……」

「確認済みだ。で?」


 髭の男の黒い目には光がなく、底が見えなかった。


 気味が悪い。スミスは会うたびに不気味な男だと感じた。


 彼は巨額な報酬を与えても、喜ぶことがない。主義や信条のために危険な仕事をしている訳でもなさそうだった。金でもない。女でもない。家族でもない。要するに、彼らは何を目的にして生きていて、何を考えているのか、まるで分からないのだ。


 髭の男の通称はティリエル。


 仕事は確かだ。スミスが、ウクライナの反政府デモの場で狙撃を依頼してからというもの、一度も失敗をしたことがない。口も堅く情報が漏れることがない。金に欲をかいたり、仲間割れすることもない。秘密破壊工作をさせるには、うってつけの人材だった。


「仕事だ。北朝鮮に飛んでくれ」


 スミスが言うと、髭の男はスミスの顔を見たまま、口だけ動かした。


「何をする」


 スミスは一枚の写真を取り出して、テーブルの上に置いた。


「彼女を殺せ」

「ひとりだけか?」


 スミスは紙のレポートを数枚渡した。それには、白黒の古臭い写真と、人名のリストが印刷されていた。


「こっちの人間は、生きていたらで構わない。生死は不明だ。少女は必ず処理しろ。北朝鮮政府が殺したように見せかけろ」

「報酬は?」

「300万新シュケル」

「いいだろう」


 スミスは、気味悪く思いながらも、ありがたく思った。彼らが、報酬の値上げ交渉をしないからではない。いつも、どんな依頼でも理由を聞くことなく、ただ与えられた仕事を引き受ける。


 この計画は、スミスが、キッシンジャー社長から依頼され、自分で立てたものだった、仕事のためとはいえ、まだ十代の少女の暗殺を依頼する事を不快に感じていたが、罪悪感はない。これがビジネスだ。


 スミスが見ると、見張りの四人の男たちは、暗い目をして虚空を見つめていた。


 窓の外からは、騒がしい市場の音が聞こえていた。




 日本、永田町。総理大臣公邸。


「願ったり叶ったりじゃありませんか」


 法務大臣の下川が珍しく高い声色で言った。


「努力したかいがあったというものです」と外務大臣の山野。彼は水面下、韓国や中国のパイプを使い、北朝鮮にコンタクトを取っていた。


 突然もたらされた知らせ。中国の王騎ワンチ―外相が、習禁屏シージンピン中国共産党総書記の命を受け、日中首脳会談の場に、北朝鮮との会談の場を設けようと言ってきたのだった。北朝鮮は日本人拉致被害者の返還をしたいらしい。


 異例中の異例である。通常なら何か月何年単位で交渉を続け、やっと実現するかしないかと言ったものだった。しかも無条件だ。


「なにを企んでいる……」と官房長官の須田は険しい顔をして、机を指でトントンと叩いていた。


「これは、またとないチャンスです。ぜひ会談を行いましょう」と山野は言った。他の大臣からも、おおかた同じ意見が出ていた。閣議室が盛り上がる中、須田は吐き捨てるように「無理だ」と言った。


「何が無理なんです」と山野。

「準備が間に合わん。日程のスケジュールを立て直さなきゃならん。交渉を進めるための資料だって皆無だ。北との会談は断れ」

「何言ってるんです! 今から、全力で間に合わせればいいじゃないですか!」

「正式な手順を踏めと言ってるんだ」

「何が正式です! 少女は今も一人で苦しんでいるんですよ!」


 山野は声を荒げた。


「君は、この突然の申し出がおかしいと思わんのか。中国と北朝鮮は、絶対に何か企んでる」

「そう思うからって、会談の場から逃げてもしょうがないでしょう!」

「逃げてるんじゃない!」


 今度は須田が声を荒げた。


「自分から罠にかかりにいく大馬鹿がいるかと言ってるんだ! 頭を使え! お前、それでも外務大臣か」


 山野はムカッとして立ち上がり、「あんたは、日本の官房長官のくせに、アメリカの顔色ばかり伺ってるのか!」と叫んだが、隣に座っていた大門にやさしく肩をたたかれると、咳払いをして、静かにまた席に座った。


「総理のお考えはいかがです」


 国家公安委員長の大門が矢部総理を見ると、その場にいた全員の視線が、テーブルの中央の席にいた矢部に集まった。


 矢部はしばらく机を見ていたが、やがて静かに口を開いた。

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