第49話 イスラエル事変

「あいつ等か……。会場内には居ないようだったが、エラリーはどうだった」


 カザルスは腕を組んでいた。


「あたしも見つけられなかった」

「スタジアムの外はどうだ」

「この都市に反応はないよ。たぶんいない。じゃなきゃ、よっぽど上手く隠れてるのかも」


 翔一の姿のエラリーは、かわいらしく首をうごかした。


「わしらの目的は、あいつ等だが、今は状況がきわどい。この国にはいない事を祈ろう」


 カザルスは翔一を見た。彼は、金月成キムウォルソンの姿のまま、疲れ果て、目を閉じてソファーで休んでいた。


「そうだね」とエラリーも翔一を見て言った。




 日本、永田町。首相官邸。


「来週に控えた、日中首脳会談についてお願いします」

「総理! 民主党時代が悪夢だったとの発言についてひと言」


 フラッシュの焚かれる中、記者たちが矢部首相を遠巻きにして声をかけた。SPを連れた首相はカメラを見ると片手だけあげ、そのまま通り過ぎて行った。



 中国を通して突然もたらされた北朝鮮からの申し出。それを検討する閣僚会議がこれから開かれる。


 矢部は足早に廊下を歩いて行った。歩きながら、ふと、先ほどの記者の質問を思い返した。


(悪夢の民主党時代か……、……最悪以外の何物でもない……)


 彼は眉間にしわを寄せて思った。


 先日、そう発言したことは事実だが、その真意は世間に知られることはない。


 テレビなどのコメンテーターは、民主党の時代に、株価が最低になったとか、民主党は官僚を使うことができず、経済がガタガタになったとか、鷹山首相の「沖縄の米軍基地を最低でも県外にする」との言葉を守れなかったことなどを取り上げていたが、そんなことは見当ちがいも甚だしい。


 株価なんて、民主党が政権をとる前、現財務大臣の麻原次郎が総理大臣をしていた時の方が低かったのだ。公約なんてどの党でもあってないようなもの。悪夢はそんなものではない。


 真の悪夢は、国民主権が日本では幻想だったと明らかになったことだ。



 矢部は、鷹山政権は、しょっぱなから大きな過ちを二つ犯したと考えていた。


 一つは「事業仕分け」。もう一つは「東アジア共同体構想」だ。


 予算を縮小して無駄をなくす。それは正しい。が、仕分けを行うのは官僚であり、甘い汁を吸っていたのも官僚なのだ。そんな仕事を官僚が本気で行うはずはない。むしろ政権に敵対的に動くのが当たり前だ。当然指示されたことはしない。


 また、東アジア共同体構想は、中国、とくに韓国と友好的になる方針だった。これも正しい。日本はアジアの一員だ。


 しかし、これにはアメリカが神経質に反応した。日本がアメリカから自立しようとするのを、そう簡単に許すはずがない。あの手この手で民主党政権を潰しにかかった。官僚ももちろんそれに手を貸した。彼らは、一国の首相に、虚偽の報告書を見せるなどして、沖縄の基地移設を妨害した。


 民主党の懐刀、大沢二郎の政治資金規正法違反疑惑を浮上させ、また鷹山は、肉親の政治資金問題によって、メディアと検察から激しく攻撃された。


 結局は無罪になったが、それまで、メディアを利用してのバッシングは酷かった。民主党を支持した多くの日本人がそれを信じて心変わりをしたのだから。


 ちょうどタイミングが良かったなんてものじゃない。検察は、あらゆる政治家を調べ上げ、その刀を使う時をうかがっているのだ。


 官僚は合法的な権力を持っている。大臣でも敵わない。うまく付き合うしかないのだ。


 民主党はバカだった。一度にふたつの敵を作ったのだ。だからすぐに政権が倒された。



 自民党はそんな過ちはしない。


 まず、秘密保護法を成立させた。これは自民党に都合の悪い情報を秘密にさせ、政権に有利に働くだけではない。


 何を秘密にし、それが適切かどうかは、官僚がチェックする。省庁の不正を外部に漏らした公務員を罰することができる。日米合同委員会のような、秘密会議の内容を公開できないようにできる。官僚たちにとっても、非常に都合が良い。


 そして、安全保障の変更だ。憲法の解釈を変える事で、集団的自衛権を認めさせ、アメリカとの同盟を強化し、アメリカの敵は日本の敵だと国際的態度を表明した。兵器も大量にアメリカから購入した。サランプが大統領になった時には、すぐに訪米した。彼をノーベル平和賞に推薦もした。


 国内外から多くの顰蹙を買ったが、目的のためには手段は選べない。官僚とアメリカさえ味方にすれば政権は盤石なのだ。日本の民意は選挙の時だけ考えればいい。目的が達成されるまで沖縄には犠牲になって貰わねばならない。


 たとえ手段が強引であっても、政権を固め、憲法を改正し、古き良き自立した日本を取り戻すのだ。


 そう再確認した時、矢部は閣僚室の扉の前にいた。彼は中に足を踏み入れながら思った。


(さて……、北朝鮮の突然の提案は信用できるのだろうか……。これは党にとっての追い風か、それとも悪魔の罠か……)


 各大臣はすでに席につき、矢部を迎え入れた。





 イスラエル。ベド・シュメシュ西方。


 セドット・ゴリオン空軍基地、ミサイル発射地下施設は、太陽に熱せられ乾燥しきった地上とうって変わり、ひんやりとしていた。


 剥き出しの配管が張り巡らされたコンクリートの通路。所々に自動小銃を持った男女の兵士が立っている。各区画、発射場、指令室、管制室、倉庫、すべての部屋にはカードキーやパスワードがなければ入ることができない。ここにはエリコ2、エリコ3ミサイルが配備されている。また、核弾頭が秘匿されており、そのセキュリティは厳重を極めていた。


 その通路を五人の男たちが悠然と歩いていた。全員イスラエルの軍服を着ている。


 彼らは厳重な扉の前に立つと、その前を守っていた兵士二人のうち、ひとりが言った。


「ここから先は許可がなければ……」


 最後まで言うことは出来なかった。扉を守っていた兵士ふたりは、その場に倒れた。彼らはパックリと割れた喉から血を吹き出し白目を剥いていた。


 五人はロックを解除して中へ進む。


 警報器が、けたたましく鳴った。スピーカーから指令の声が響きわたる。続々と各所に配備されていた基地の兵士たちが動き出した。


 五人の男たちは顔色一つ変えず、管制室をめざして歩いて行った。

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