第41話 国家主席は高校生

 翔一は、英女ヨンニョの言葉を聞いて唖然とした。


 彼は、この子は何を考えているんだ。社会科は万年赤点、政治やニュースに疎いオレに出来ることなんかあるもんか、と思った。


 翔一は「いやいやいや、それはないでしょ。無理無理……」と、引きつった顔で言った。


 が、周りを見ると、皆の目の色が変わっていた。すずも剛士、武井や友香子の目の中に、希望の光が芽生えていた。


「わっはっは。おもしろい! おもしろいな! この際だ。翔一君、君がみんなを幸せにしろ!」カザルスは愉快そうに笑った。


 翔一はびっくりしてカザルスを見た。すぐさま断ろうとしたが、その刹那、すずが翔一に近づくと、白く柔らかい手で、彼の両手をぎゅっと握りしめた。


「おねがい! 翔くん。こんなことが出来るの、翔くんだけ」

「あ、いや、でも……」


 翔一は目と鼻の先にすずの顔が迫り、耳を赤らめた。彼女の香りが翔一の鼻腔をくすぐった。


「そんなこと言ったって、オ、オレ、高校生……」

「変身の腕輪なら貸すわよ」とエラリー。


 翔一は、エラリーは余計なことを、と思った。


「翔くん、おねがい。何でもするから」すずは真剣に頼む。


 翔一は、「え? 何でも?」と、ふしだらな考えが生じそうになって、頭を振った。


 カザルスが口を開いた。


「翔一君!」

「はい!」翔一は勢いよく、すずからカザルスに視線を移した。


 カザルスは椅子から立ち上がって、翔一のまなこを見ていた。まるで観音像と仁王像を足して二で割ったような感じだった。


「君は男か!」

「はい!」


 翔一が迷わず元気よく答えると、カザルスは「よし! 決まりだ!」と嬉しそうに言った。すずは破顔する。


「翔くん! ありがとう! ありがとう!」


 そう言って、すずは翔一に抱きついた。翔一は顔を真っ赤にする。普段だったら最高に嬉しいが、状況が状況だ。戸惑いを隠しきれなかった。


 翔一には、自分が金月成キムウォルソン国家主席になって政治を行う自信は、まったくなかった。


 すべての拉致被害者を救出するだけではない。海を隔てた日本と北朝鮮。


 近いはずなのに、アメリカより遥かに遠い国。


 愛する家族や友人たちが、自由に会ったり、電話をしたり、手紙を出したり出来るようにしないといけないのだ。


(どう考えたって無理ゲーに決まってる……)


 そう思う一方、すずに頼りにされていることが、幸せだった。やっと、大好きな先輩に再開し、そして今、すずが自分を頼りにしている。


 やる自信はないけど、先輩のため、拉致された人のため、何かをしたい、何かをするべきだ。


 翔一はそう思った。



 剛士は、エラリーに言った。


「お前、ここまで計算して、あの金月成キムウォルソンに変身したのかよ」

「あたり前じゃない。全部計算のうちよ」


 エラリーは胸を張って答えた。口のまわりには、クッキーのカスがついている。マリオは、お菓子をほおばりながら、疑うような目でエラリーを見た。


「え? 昨日、なんか面倒くさそうに調べはじめて、『とりあえず、コイツでいいよね?』って言ってなかったっけ?」


 エラリーは「え? なに言ってるの?」と言い、マリオは「見得はるなよ」と、もめだした。武井と友香子は、並んで立って微笑み、そのエラリーとマリオのやり取りを見守っていた。


 すずは、抱きつかれて顔を赤らめて固まっている翔一に気づくと、「あ、ごめん……なさい」と自分も頬を染めて、一歩下がった。


 翔一は、すずが離れたのを残念に思いながら、「いえ、あの、大丈夫です」と答えた。


 剛士は、そんな彼らを見て、「ちっ」と小さく舌打ちをした。




 少し時間を戻す。


 第二貴賓室。


 盗聴受信機が運び込まれると、金晶勇キムジョンウンは、側近も含め、自分以外、全ての人間を部屋から追い出した。そして、声をかけるまで入ってくるなと、きつく命令した。


 国務委員長が、みずから永遠の国家主席の部屋を盗聴するなんて、人に知られるわけにはいかない。彼は大きな木製のドアに耳をあてて外の様子をうかがうと、テーブルの上に置かれた受信機の前に座り、ヘッドホンをつけてダイヤルを細かく回してチャンネルを合わせた。


 あの部屋では何が語られているのか?


 晶勇はひとり真剣な顔をして、聞き耳をたてた。




 呉白晶オペクジョンは、金晶勇キムジョンウンに貴賓室から追い出されると、どうするべきか迷った。が、部下の不始末による処分を少しでも軽くするため、晶勇の心証を良くするため、この部屋の前の廊下で待とうと思った。


 大きな木製のドア。床には赤い絨毯。窓の外を見ると、真っ暗だった。


「いったい何をするおつもりか……」


 晶勇の、ふたりの側近の若い方、李仁万リインマンがつぶやいた。彼は三十前。その横に立つ年配の男が、李宜栄リウィヨン、晶勇の忠実な側近であり、仁万インマンの叔父でもあった。ふたりも白晶と同じように、廊下に立っていた。


「余計なことを考えるな」


 宜栄ウィヨンが小さな声で答えた。数人の護衛や役人なども離れた場所に立っているので、会話が聞こえないように気を使っていた。


「盗聴するおつもりではありませんか」


 仁万は宜栄に顔を近づけて囁いた。少し離れていたが、白晶の耳にその声は届いていた。


「滅多なことを言うな」宜栄は仁万の脇を肘で小突く。

「しかし……、もしそうだとすると……」

「口を慎め。委員長自ら、あの受信機で盗聴が出来るか否か、確認するだけかもしれん。もし盗聴できたとしたら、罪に問われるのは、その場で中の音声を聴いた全員だ。委員長は、われわれを守るため、自分のだけの責任にしようとしていらっしゃるのやも知れぬ」


 若い方は少し考えて、また言った。


「その可能性もないことはありませんが、やはり、委員長は、あの方が本物かどうか疑って……」

「それは我々が考えることではない」

「私が思うに、偽物である証拠を探そうと……」


 宜栄が片手をサッと挙げて、その言葉を制した。


「いい加減にしろ。わたしも若かりし時、金月成キムウォルソン主席にお会いしたことがあるが、あの方は、その頃とまったく同じだった。顔貌だけではない。体格、威厳と温かみのある雰囲気、そっくりそのままだ。むしろ圧倒されるような威厳は、以前よりも、はるかに強いものだった。だから委員長も『お爺さま』と認めたのではないか」


 若い方は黙り込む。宜栄は腕を後ろに組んだ。


「盗聴を試みた事実が洩れて、問題が生じないと良いのだが……」


 白晶は、それを静かに聞いていたが、彼らに近づくと、宜栄に「ご安心ください」と耳打ちした。


「どういうことだ」と宜栄が尋ねた。

「すでに、あの受信機は部品の一部を壊してあります。音声を拾うことはありません」


 宜栄の顔つきは緩んだ。


 その後、しばらくすると、部屋の中から、晶勇の怒声と、「ガシャーン!」と何かが破壊されたような音が聞こえてきた。


 ドアの外で待機していた者は、みな急いでドアに走り寄り、貴賓室の中に駆け込んだ。


 そこには、床の上でバラバラになった盗聴受信機と、それを蹴飛ばす晶勇の姿があった。


 皆が、晶勇の無事を確認しホッとした時、主席が呼んでいるとの知らせが届いた。

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