第33話 君は強い

「不審に思われないように、受け答えのシュミレーションをするんです。政府高官役のエラリーや、オレたち護衛役が、うまく立ち振る舞えるように」


 翔一が言うと、カザルスは「パン!」と膝をたたいた。


「それはいい! 必要だな。今回の作戦は『こっそり』がテーマだからな。わっはっはっ!」

「いいよ」

「俺も賛成だ」


 皆が賛成したので、さっそく模擬訓練を始めることになった。


 剛士は朝鮮語を上手く話せないので、上陸したら、しゃべらないことに決まった。無口の護衛役だ。


 とりあえず今は、変身はしないで、そのままの姿で訓練を開始した。


 剛士は本番では話さないので、今は朝鮮の役人、翔一たちに質問をする役になった。剛士は立ち上がり、後ろで手を組み、エラリーをジロリと見下ろして、威圧するように尋ねた。


「あなたは誰ですか?」

「え? あたし? あたしはねぇ……」エラリーは座ったまま可愛らしく首をかしげた。

「ストップ、ストップ」翔一はあわてて言った。

「エラリーはお爺さん役でしょ。それじゃあ、すぐに、おかしいってバレちゃうよ。もう一度」


 エラリーは「ちぇっ」と言って、真っすぐに立ちあがった。


「あなたは誰ですか?」

「わ、わしは……。えーっと、誰?」エラリーは翔一を見た。

「どうしよう、名前、考えなきゃ駄目ですよね」翔一は剛士を見る。

「適当でいいんじゃねぇか」と言って、剛士はカザルスを見る。

「わっはっはっ! 名前を明かすと、嘘だってすぐに明らかになるぞ」

「じゃあ、名乗らないで、誤魔化しましょう。もう一度」


「あなたは誰ですか?」

「わ、わしを知らんとは、不届き千万! わ、わしはアレじゃ。アレ。えー、その、誰だと思う? のじゃ?」

「ストップ、ストップ。それじゃあ、駄目だよ」

「ちょっと! 翔一、あたしにばっか、やらせないで、あんたも考えなさいよ」


 エラリーが不機嫌になったので、翔一は思案した。カザルスが高官役になってもいいが、彼だと少し笑うだけで、周囲の注目を浴びてしまうと思った。が、翔一は自分が高官役をやるのは自信がなかった。


 庁舎に潜入するには、自分たちの情報を与えずに、それでいて疑われない必要があるのだ。翔一はしばらく考えをまとめてから、口をひらいた。


「こういうのはどうでしょう? 話すのは護衛役のオレとカザルスさん。エラリーは、どうしてもっていう時だけ、しゃべってくれる?」

「まあ、いいよ」

「わしも、いいぞ」

「で、ボロが出るといけないから……」

「なによ、ボロって」

「エラリーは、このセリフだけ覚えて言ってよ。えーと……、『元気だったか』と、『今までよく頑張ったな』と、『もう大丈夫だ』……」

「なに、それ」

「つまり、偉そうに振舞ってくれれば、あとはこっちで誤魔化すからさ」


 エラリーは、「簡単になるなら、いいけど」と言って、そのセリフを覚えようと、繰り返し呟いた。


 剛士、翔一、カザルスの三人は、色んなパターンを想定し、夜まで受け答えの練習を続けた。


 特に、会話をする翔一は、剛士から「おい、もっとボディガードらしく、威厳をもって話せよ。明日、とちったら、ただじゃおかねえからな」と念を押された。


 翔一は、「は、はい……」とビクビクして答えた。


 夕食を食べると、みんなはそれぞれ船室やテントへもどり、すぐに横になった。武井は、寝た瞬間に、いびきをかきはじめた。彼は、約二日間、ほとんど寝ずに船を走らせてきたのだ。




 深夜。


 皆が寝静まっても、翔一は眠ることが出来なかった。明日には上陸して、すずを探し、奪還する。ひとつ間違えたら、自分たちが捕まるか殺されてしまう。不安と期待が入り混じっていた。


 翔一は、どんな状況になってもいいように、テント内の寝袋のなかで対処法を考えつづけていたが、このまま徹夜しては、いけないと思って、思い切って操舵室へ行き、夜の平壌をながめた。街灯や高層ビルの窓には明かりがポツポツと灯っていた。


 翔一は、気を落ち着かせようと、静かな夜景を見ながら、太極拳の呼吸法をしていた。しばらくそれを続けていると、突然、後ろから声をかけられて、翔一はビクッとした。


「眠れんのか?」


 カザルスが、いつの間にか操舵室に上って来ていたのだ。


「ええ、まあ」と翔一は驚いたのを悟られないように、ポリポリと頬を掻いた。

「明日の事が心配か?」カザルスはやさしく微笑んだ。

「はい……」


 カザルスは「今は、あたりに誰もいないからいいだろう」と言って、船の透明化を解くと、たちまち夜の爽やかな風が入って来た。


 真上は橋で暗かったが、東と西の空には美しい星空が広がっている。時々、流れ星がひとつふたつ西の地平線に消えていった。


 彼らは甲板に出て、船の先頭に座った。カザルスは西の夜空を見ながら翔一に言った。


「翔一君、君は強くなった。心配はいらん」


 翔一は、本当だろうかと、カザルスのドングリのような目を見ると、彼の瞳は、星々の光が反射してキラキラと輝いていた。


「この二日間、君は誰よりも努力をした。誰もが途中で諦めてしまうことをやり遂げたのだ。そして強くなった。もはや普通の男では、君にまったく太刀打ちできないだろう。もっと自信を持て」

「そうでしょうか」

「うむ。わしが保証する。あとは、明日、上手くやるだけだ。ただ、こっそり潜入して、こっそり彼女を連れて帰ればいい。な、簡単だろう?」


 カザルスは翔一にニッコリと笑いかけた。


 翔一の顔が晴れやかになった。彼は、そうだ、カザルスさんが付いているんだ、少しくらい想定外の事が起きても、どうにかなる、きっと大丈夫だ、と思った。


 翔一は、カザルスの優しさを身に染みて感じた。彼がいなければ、ここまで来る事すらできなかったのだ。そして、今、自分を励ましてくれている。


 翔一は、躊躇いながら、口を開いた。


「あの……、カザルスさん、どうしてこんなに良くしてくれるんです? その、オレたちのために、命をかけてまで。報酬だって、そんなに払えないのに」

「なんでかって? わっはっはっ! 助けを必要とする人を助けるのに理由はいらん。気にするな」


 翔一は、カザルスが大声で笑うので、船の外の誰かに聞こえやしないかとヒヤヒヤしながら、「すみません、本当にありがとうございます」と頭を下げた。


「〈すみません〉もいらん。それよりも明日は船を下りる。早く寝て、十分休まんといかん」


 カザルスはそう言うと、翔一の頭をふんわりと撫でた。すると翔一は、不思議な安心感につつまれ、まぶたの重みを感じはじめた。


「君は強い。自ら決意し、ここまで来た。あとは安心して、朝までゆっくり休め」

「はい!」

「ただし油断は禁物だ。いくら強くなったと言っても、たかが人間だ。頭をマスケット銃で撃ち抜かれたり、心臓をナイフで刺されたら、わしだって死ぬ。判断力を鈍らせないためにも、よおく休むんだぞ」


 そう言ってカザルスは翔一を立たせた。


 翔一は、結局、励まされたのか、脅されたのか、よく分からなくなったが、眠気には勝てず、カザルスと一緒に船室に向かった。




 次の日は清々しい朝だった。船着き場や、その前に広がる広場は静かで、人はほとんどいなかった。


 翔一たち上陸組は、甲板で、くれぐれも目立たないように、騒ぎにならないように、戦いにならないように、もし襲われたら、すぐに逃げるように、しっかりと確認し合った。


 そして彼らは、マリオと武井に見送られて船を下りた。


 翔一と剛士は、変身の腕輪を左腕に身に付け、服装を変えている。黒服にネクタイ。『ブルース・ブラジャーズ』の恰好だ。カザルスも同じ服装で、三人とも顔は変えていない。エラリーだけ、背広に眼鏡の老人の姿に変身していた。


 翔一はスマートグラス「ステータス1」をかけて地図を確認した。インターネットには接続できないが、GPSはそのまま使える。ナビゲーションがあるので、迷う心配はなかった。この港前の広場を突っ切り、左へ曲がり、しばらく歩き、右へ行くと朝鮮労働党の庁舎がある。


 翔一たちは慎重に歩いた。速くもなく、遅くもなく、キョロキョロと周囲を見ないように気をつけた。


 しかし、すれ違う人、遠くから見る人たちの様子が、何やらおかしい。


 彼らは、ひそひそと話すと、どこかに携帯電話をかけた。一人二人と、翔一たちの後をついて来る。


「おい、つけられてるよな」剛士は不安そうに翔一に耳打ちした。

「ええ……そうですね」翔一は、もっとビクビクしていた。

「どうする?」

「どうするっても……」


 走って逃げるわけにもいかず、翔一たちはそのまま歩き進み、朝鮮労働党庁舎の前までたどり着いた。


 柵の向こうには、幅広い、まるで板のホワイトチョコを横に立てたようなシンプルな建物が見えた。中央部には朝鮮労働党のシンボルマーク――筆と鎌と槌――が飾られており、その上には赤い党旗がはためいていた。


 翔一は、その門の前で後ろをふり返った。


 すると、そこには数百人の平壌市民が、道路を埋め尽くしている。翔一の顔からは、みるみる血の気がひいていった。




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