第20話 三谷剛士

 まさこは夕飯の買い物をして帰宅するや否や、どたどたと廊下を歩き、子供部屋のふすまをバンッと開いた。


「あんたたちは、ちょっと居間に行ってなさい」


 おどろく剛士の弟たち――小学生と幼稚園児――三人を部屋から追い出すと、「ああん?」と振り返る剛士を問い詰めた。


「剛士! あんた、また乱暴したね! 雑誌のカメラマンさんとか、日向さんちの息子さんに怪我させたんだってね!」


 剛士は面倒くさそうに答えた。


「あいつが言ったのかよ」

「みんな言ってるわよ。あの子、すずちゃんちの道場から血だらけで出て来て、今日はその顔で、町中、歩き回ってるってね」

「血だらけには……してねえ」

「やったのは本当なのね。もう、かあちゃん恥ずかしくって町を歩けないよ。昔は正義の味方になるんだって言っていた子が、どこでこんなんなったか……」

「はいはい」

「何が、はいはいよ。この大バカ息子! 今から謝りに行くよ!」

「誰が行くか。くそババア。俺は悪くねえ。行くならひとりで行け」

「親に向って、なんて口の聞き方だい。ほら父ちゃんからも何か言ってよ!」


 騒ぎを聞きつけて、父、良蔵がやって来ていた。ふすまの陰には剛士の弟たちが隠れて、頭だけ出して見ている。


「剛士、大人になったらどうだ。お前、もう十八だろ。やって良いことと悪いことの区別がつかんのか」

「うるせえなぁ。ほっとけ」

「年下をイジメて何が楽しい。武術は弱いものイジメのためか。龍道先生はお前に何を教えてくれたんだか」

「だまれ! 先生は関係ねえだろ!」


 剛士は良蔵に詰め寄った。まさこが割って入った。


「剛士! やめなさい! 高校三年にもなって、将来のことも考えず、学校でも暴力事件ばかり。母ちゃん情けないよ……」

「ちっ、くそ、うぜえ」


 なかなか終わらない説教に、後ろから「お腹すいた」「ご飯まだあ」と声があがる。剛士と両親は、イライラが積み重なり、次第に感情的にエスカレートしていった。


「親の金で飯食ってるなら、親の言うことを聞け!」

「この老いぼれ! 誰が聞くか!」

「聞けないなら、うちの子じゃない! 今すぐ家を出て行け!」

「ああ、出て行く、出て行く。こんな家、誰も居たくねえわ」


 売り言葉に買い言葉。剛士は荷物をまとめ、玄関を出た。玄関の戸の鍵はすぐにかけられた。


「反省するまで、帰って来るな!」中から良蔵が叫ぶ。

「二度と帰るか! くそジジイ!」


 剛士はガシャンと玄関の戸を蹴飛ばした。




「父ちゃん、兄ちゃんいつ帰って来るの?」と四男の史郎。

「知らん!」


 良蔵は食卓で新聞を広げた。まさこは台所で大根を切っていた。まな板が「ダンダンッ」と音を立てている。


「毎年、ちょっとずつ長くなってるからな」二男の雄二は、今年、六年生。

「この前は三日くらいだったよね」三男の良太。

「オレは、五日だと思う。駄菓子、賭けようぜ」

「じゃあ、オレは七日……」


 子供たちが話していると、台所から「あんたたち、宿題終わったの! 夕飯前に終わらせなさい!」とまさこが言った。


「もう終わってるよーだ」


 雄二と良太はカラカラと笑った。




 剛士は夜の漁港を歩いていた。


 埠頭から、波の音がぽちゃぽちゃと聞こえてくる。


 剛士の心には家出のことなどなかった。いつものことだ。それよりも翔一のことが気がかりだった。剛士もまた、翔一が船を探して漁港じゅう歩き回っていることを話に聞いていたのだ。


(ちっ、あいつ何やってんだか……)


 ハンカチを返すために北朝鮮に行くなんて正気の沙汰じゃない。船を貸す人間なんていない。普通に考えれば分かる。そうなると、もし本気なら、あとは盗むしかない。


(あのバカ……。 大馬鹿だ。くそ面倒くせえ奴だ)


 剛士はため息をついた。




 夜道、保志と秀樹を見つけたのは偶然だった。


 剛士は二人を捕まえ、問い詰めた。保志はぺらぺらと何でも話した。秀樹は保志に「おいっ」とか言いながらも、剛士の前で「話すな」とは言えない。


 剛士は話を聞くと、「お前ら本気か?」と呆れた顔で言った。そして、二人に翔一のいる武井の家まで案内させた。




 保志と秀樹は、居間に転がるように入って来た。


「おお、かたじけない! 待っていたぞ! 酒を持って来てくれたか! わっはっはっ!」


 ほろ酔いのカザルスは、カニ缶と割り箸を持って、箸の練習していた。武井は「おう、来たか!」と嬉しそうだ。保志と秀樹はそれどころではなく、カザルスのもとにすり寄った。


「す、すみません。カザルスさん。あの、お呼びです。外で、人が……」

「なんだ! わしに用か。誰だ? わしのファンか? わっはっはっ!」


 カザルスは箸を持ったまま「よいしょ」と立ち上がった。


 秀樹たちのあわてようを見て、翔一もカザルスについて玄関へ行った。エラリーとマリオは保志の持って来たビニール袋をのぞいて、次は何を食べようか相談し、武井は気持ちよさそうに酒をすすっていた。


 カザルスは玄関を出た。


 武井の家の両隣には民家があるが、この辺りの家はどこも平屋で庭が広い。武井家の門のところで、剛士は仁王立ちしていた。


「ん? 君は誰かな?」


 剛士は玄関から出て来たカザルスをジロリと見た。


「お前がカザルスか」

「ああ、そうだ」

「おかしなコスプレ屋め。何が目的だ」


 カザルスは今、黒服ではなく、冒険者の服装だった。カザルスの顔に疑問の色が現われる。


「ちゃちな手品を見せて、日向を北朝鮮に密航させようとしているらしいな」

「わっはっはっ! そのことか!」カザルスは納得して笑った。

「何がおかしい。お前も北朝鮮の手先か。また人さらいする気だろ」


 剛士は、玄関から顔を出した翔一を見て、叱った。


「おい! 日向! お前もガキじゃねぇんだから、こんなアホな詐欺に引っかかってるんじゃねぇ!」


 秀樹も玄関の中から、おそるおそる剛士を見ていたが、彼の言葉を聞いて、たしかにその可能性もあると思った。


 騙して拉致するのは北朝鮮の常套手段だ。「背乗り」と呼ばれる方法がある。外国人を拉致し、その人物の身分や戸籍を乗っ取る。工作員がその人物になりすまし、各国に潜入する方法だ。1987年の大韓航空機爆破事件は、北朝鮮の工作員が日本人に成りすまして起こしたものだった。


 秀樹たちの顔に不安の色が浮かんだ。カザルスはニヤリと笑った。


「もしそうだとしたら、どうする」

「なんだと」

「君はどうするんだ。それを止めるだけの力はあるのか」


 カザルスは挑発した。


 秀樹はあわてて居間に戻り、エラリーとマリオに状況を説明した。エラリーは「わー、おもしろそう!」と言って立ち上がった。マリオの口のまわりはチョコレートで汚れていた。


 秀樹とエラリーが外に出ると、剛士がカザルスに襲いかかっていた。


「ぶっ殺す!!」


 剛士の拳がカザルスの顎を打ち抜いた。

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