第9話 新聞記者・楠田順子

 ヨンケイ新聞。大阪本社。


 社会部は、けたたましい声や電話の呼び出し音が飛び交っていた。


 その中で楠田順子はデスクに、たて突いていた。


「どうしてダメなんですか! 行かせてください!」


 海上保安庁への取材である。政府や海保の発表を、そのまま記事にするだけじゃ新聞記者ではない。かならず足でネタを集めなければいけない。そう信じていたのが理由の一つ。そして、また別の理由もあった。



「ミリオタ」だ。人には隠しているが、順子はミリタリーおたくである。順子の父親は陸上自衛隊のレンジャーだった。彼女は保育園のころから、父親から自衛隊についてあらゆる知識を叩きこまれた。


 小学生のころ、体育の授業の時だった。


 彼女は、担任の先生の指示に大声で「レンジャー!」と答え、みんなから大笑いされた。それから六年間、彼女のあだ名は「レンジャー」。それに懲りた彼女は、自分がミリオタであることを、ひた隠しにしてきた。自衛隊、そして海保、武器、装備品すべてが好きである。新聞記者になってからも、それは秘密だった。


(戦い抜いた巡視船と、屈強な海の戦士を生で見たい。そして話を聞きたい……)


 それが本音だった。



「だから、保安官たちが個人的に話を聞かせてくれる訳ないじゃないか。それよりも君には丹後半島へ行ってもらう」


 デスクの佐々木は、積み重なった原稿を手早くチェックしながら言った。彼は、匂いそうな汗シミのついたワイシャツを着て、電子タバコを咥えていた。


「どうしてです」


 順子は不満たらたらだ。そこは海保の基地よりだいぶ西である。


「うん、まだ公表されてないけど、女子高生が北朝鮮に拉致されたらしい」

「えっ! まさか……」

「うん、まさかだよね。楠田ちゃん、あっちの出身でしょ」

「わたしじゃありません。父のです。って何でそんなことまで知ってるんですか!」

「じゃ、よろしく。はい、これ場所ね。おーい、山ちゃーん、これもう一度見直しておいてー」


 佐々木は、順子にメモ紙を渡しつつ、忙しそうに周りに指示を出す。


 順子は、「ほら、行った、行った」と、追い立てられるように部屋を出されてしまった。


 佐々木は「締切り守れよー」と順子の背中に声をかけた。




 順子は、入社当初から国際部への配属を希望していた。語学が得意だからだ。英語、中国語、韓国語を話すことができる。しかし、生活部や科学部を経て、現在は社会部。いまだ希望はかなっていない。後輩が海外特派員として活躍するのを見て、悔しく思うことが多々あった。


 最近は両親がうるさい。「高齢出産は大変だから早く結婚しなさい」などと電話してくる。


 小さい頃は「順子ちゃんはパパと結婚しましょうねー」と言っていた父親レンジャーは、時々「三十路みそじ前がいいんじゃないか」などと口をすべらす。


 本人の好きにさせてほしい。仕事が生きがいなのだ。と順子は思う。




 桜田高校の前でタクシーを下りた時には、昼過ぎだった。


 電車の中から、学校関係者や役場警察関係者に取材の約束を取り付けていたので、今日は忙しい。どこかで軽く食事を出来るところはないか、と辺りを見回したが、高校の周辺に見えるのは、中学校か住宅か道路。西南西の方角にはトンネルが見えた。店は魚屋が一軒だけ。


 あとは林と畑だった。


(そういう所だったわね)


 順子は、学生のころには何度も祖父母の家に来ていた。その時を思い出す。社会人になり、祖父母が死んでからはこの町に来てはいない。


 取材前に、現地でなにか食べようと思ったのが失敗だったと思い、彼女は空腹をがまんして、学校へと足を踏み入れた。


 教職員への取材で、拉致被害者の女子生徒の名前は分かったが、住所などの個人情報は教えてもらえない。家族と警察への取材がメインだったが、まだまだ時間はある。


 他のマスコミはいない。一番乗りのようだ。政府がはっきりとした事実確認をして拉致事件として発表するのは、これからだろう。今日明日になれば、たくさんの取材陣が殺到するに違いない。


 いったいデスクの佐々木はどこから情報を得たのか。順子は不思議に思った。




 順子は校門の外で下校する生徒たちを片っぱしから捕まえて、話を聞いていた。


 生徒は自転車通学と徒歩通学が半々くらいだ。北の漁港に住む生徒は徒歩が多い。駐輪場はあり余っているので、基本、通学はどちらでも自由。


 この日は、拉致事件のため部活は休みになり、みな明るいうちに帰宅していた。




「翔一、秀樹、おい、あれ……」


 校門を出ようとしていた細田保志は、大野秀樹と日向翔一の脇腹をつついた。秀樹は「なんだよ」と保志を見た。


「オレじゃないよ。あれ、校門の外。すっげー美人がいるぜ」

「新聞記者だろ。話を聞いてメモ取ってる」と秀樹。

「スーツが決まってるなぁ。スカートもいいけど、ヒップラインが出るズボンも良くね」


 翔一は、どうでもいいように、そのままひとり歩き続けた。すずが拉致されたことを現実として受け入れることができず、また、すずに会うこともできず、心にぽっかりと穴があいた状態だった。そんな彼の気持ちを知っている保志と秀樹は、極力いつも通り翔一に接しようとしている。


「いいか。あのお姉さんに声かけられたら、オレが答えるからな。じゃまするなよ」

「しねえよ。それよりも、お前、あのお姉さんに変なことするなよ」


 秀樹は、恋愛シュミレーション好きの保志に「ゲームとは違うんだ」と釘をさす。


 三人が校門を出ると、話が終わったのか、「こんにちは。ヨンケイ新聞だけど、ちょといいかな?」と、女性記者が三人に近寄ってきた。すると保志は、


「はい! よろこんで! オレ、桜田高校二年、細田保志です!」


 と、気をつけの姿勢から頭を下げると、


「よろしくお願いします!」


 と、サッと右手を差し出した。彼女は一瞬とまどったが、「楠田です。こちらこそ、よろしく」と言い、保志と握手をした。


「うおー!! やったー!!」


 叫ぶ保志。秀樹は「誤解するなよ」と保志をこづいた。


「琴乃葉すずさんのことなんだけど……」


「はい! 何でもオレに聞いてください! すず先輩のことだけじゃなくて、オレのことも聞いてください! あと楠田さんのこと教えてください! いっしょに食事しながらなんて、いかがですか! 旨い魚肉ハンバーガーを出すお店知ってます! どうですか! 魚肉嫌いですか! 干し芋は好きですか!」


 保志の勢いに困る順子。秀樹は、パシッっと保志の頭をはたいた。


 翔一は面倒くさそうに「じゃあ、オレ、お先に」と帰ろうとする。


「翔一! 気を使ってくれるのか! 俺たちを二人きりで食事……」

「ちょっと待って」


 順子は保志を無視して翔一を引きとめた。翔一は「え?」と不思議そうな顔をして足を止めた。


「あなた日向翔一くん?」


 翔一が、何で知ってるんだろうと、首をかしげた時だった。


「ぐううううう」と、順子のお腹が大きく鳴った。


 三人の視線が順子の腹に集まる。順子の顔は、一瞬にして真っ赤になった。

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