第6話 夕闇の部隊
「うわあ!」
すずを前にして真っ白になっていた翔一の頭は、剛士が「てめえ!」と叫びながら突進してくるのを見て、パニックになった。
翔一は、なすすべもなく、げんこつで殴り飛ばされた。
さおりもすずも、剛士を止めようがなかった。剛士を止めるには柔道部員が五人以上必要だったに違いない。
翔一は頬を押さえてうずくまった。
すずは、「翔くん! 大丈夫!」とかけ寄った。翔一が、ガンガンと響く頬の痛みをこらえながら、「は、はい、大丈夫です……」と答えるや否や、すずは「剛士くん! やめて! 何するの!」とキッとにらんだ。
剛士はひるみ、とたんに大人しくなった。
「な、何って、お、お前、襲われてただろ……」
「翔くんが、わたしにそんなことする訳ないでしょ!」
「だってよ……」
「だってじゃない! 翔くんは、わたしの大切な後輩よ!」
「大切って……」
「弟みたいに大事な人なの! もう、剛士くんなんて、大キライ!」
横で見ていた杉崎さおりは「あちゃー」と手で額をおおった。「弟みたい」と言われた翔一、「大キライ」と言われた剛士は、ショックを隠せず、放心状態となった。
結局、翔一は、「家まで送って行くよ」と言ったすずに、「大丈夫ですから」と答えて、一人で先に帰った。「しばらく冷やしてね」と渡された、水道水で濡らしたすずのハンカチは、涙を拭くのにも役立った。
すずの方は、「おい……、家まで送ろうか」と言った剛士に、「ついて来ないで」とキッパリ言い、さおりと学校を出た。
きれいな茜色の夕焼けだった。
剛士は、すずとさおりが自転車で帰宅するのを、校門から見送った。
彼女たちが一度も振り返らなかったことが、ひどく悲しかった。
道路には、彼女たちの黒い長い影が伸びていた。
屈強な男たちは数十キロの重さのザックを軽々と背負って走っていた。人気のない場所に停めたトラックから海岸まで走り、高速小型船で沖の偽装漁船まで行く。それを繰り返していた。
中身は札束や金塊だ。一人当たり一回の往復で数億円を運搬する。
日本政府による経済制裁により、北朝鮮を渡航先とした再入国は原則禁止となっていた。また、北朝鮮に寄港した全ての船舶の入港が禁止された。さらに北朝鮮の資産凍結だ。
朝銀信用組合などが架空口座への無担保融資などで横流しした現金は、以前なら朝飯前に日本国外に持ち出すこと容易だったが、今ではそれは難しい。朝銀が破綻した時に公的資金が投入され、その総額は一兆四千億円にのぼったが、救済した銀行をさらに破綻させることで、その資金の一部は日本国内に隠されたままだった。
「何をしてもかまわない。外貨を獲得しろ」
それが物資調達部隊の工作員チームに与えられた任務だった。アメリカ主導の経済制裁により、北朝鮮国内は疲弊していた。人民も軍人も、特権階級以外のものは、みな飢えて死にかけていた。
すずは、厳格で正義感あふれる父、
父は気薬流古武術の師範であり、接骨院の院長だった。すずにとって常にたよりになる存在だった。
母は茶道をしていたが、人をもてなすことが好きで、礼儀作法にはあまりうるさくない。そんな両親のもとで、すずは幸せに暮らしていた。
彼女の問題は、人に対する警戒心がほとんどないことだった。お菓子を見たら誰にでもついて行ってしまうような子だった。
田舎の漁師町には悪人が皆無だ。近所のおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、誰もが常に、すずを温かい目で見守っていた。すずは、「知らない人についていってはいけませんよ」と言う母の忠告を、童話の中のオオカミの話としか理解できなかった。
自宅横の道場には町のたくさんの子供たちが通っていた。すずも中学までは、父から古武術を習っていた。本格的にではなく、最低限の護身ができる程度だ。「咄嗟の時、基本の構えだけでも出来るようにしろ」と立ち振る舞いを身につけさせられた。
すずの幼馴染、三谷剛士も小学生のころから、道場に通っていた。彼は、すずの父親と母親の前では非常に礼儀正しくふるまっていたが、子供たちだけになると、しょっちゅう、すずのことを「ブス」とか「本の虫」などと、からかって、彼女が腹をたてるのを面白がっていた。
すずが中学のころ、龍道が事故で死んだ。
大雨の時、川に落ちた子供を助けに、激流に飛び込んだのだ。超人的な泳ぎで子供を岸に運んだが、子供を岸辺の人に渡した瞬間、流れて来た巨木が龍道にぶつかった。子供の命と引き換えに、龍道は帰らぬ人となった。
すずは古武術をやめた。茶子は道場を開放して、剛士や門下生だった子供たちが自由に使えるようにした。
桜田高校から北へ、国道を一kmほど行くと三柱漁港がある。そこから西へ行った海岸沿い、公園の近くに、すずの自宅がある。
すずは、部活のない時は、国道を使って帰るが、さおりの自宅は高校の南西、別の集落にあった。そのため二人で帰る時には、高校前の国道から西へ続く長いトンネルと通り、海に出たところで、すずは北、さおりは南へと別れる。
すずが、さおりと別れた時には、陽はすでに沈んでいた。
空だけはまだ明るい。錆びだらけのガードレールのある細い道や、ごつごつとした岩の広がる海岸は、暗い影に包まれはじめていた。
それに比例するように、数少ない外灯や、沿道のところどころにある木造、板張りの家の窓が、ぽつぽつと明るくなりはじめていた。
すずが、秋の海風を感じながら自転車をこいでいる時だった。ふと、海岸に目を向けると、何か様子が変だと感じた。
五人の屈強な男たちが大きなザックをかついで走っている。今までに見たことのない光景。漁師ではない。この漁港には大きな身体の若い男は少ない。
もう暗いし、お母さんも待っているから、気にしないで家に帰ろうかと思った。が、好奇心が勝ってしまう。
すずは、小説のネタがないかしら、と自転車を道路脇に停めて、ガードレールをまたいで海岸に下りた。低木や岩に隠れながら、見つからないように男たちを観察しようと近づいて行った。
帰宅途中、さおりは不思議な不安感におそわれた。何かは分からない。虫の知らせというものか。自転車を停めて後ろをふり返る。
(すずちゃん……)
後ろを見ても何もない。片田舎のさびれた道路。車なんてほとんど通らない。気にはなったが、気にしても仕方ない。さおりはそう思い切り、家路についた。
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