第4話 桜田高校・文芸部

 翔一が文芸部に入部し、初めての活動日だった。


「それでは、自己紹介も終わったので、今度の週末は、太鼓たいこ山に登りまーす」


 すずは黒板の前で宣言した。


 文芸部室は普通の教室の半分ほどの大きさ。片隅にあるスチール製のキャビネットには、今まで発行された文芸誌『サクラダファミリア』と、いろいろな辞書がつまっている。


 その時の部員は五人。二年生は二人。琴乃葉ことのはすずと、杉崎さおりだ。一年生は三人。白井健二、天海みのり、そして日向翔一。一年生は、折りたたみ机に向って一列に座っていた。三年生はいない。すずが部長をやっていた。


 一年生は、目を白黒させた。天海みのりが、おそるおそる手を挙げた。


「あのう、先輩、ここ文芸部ですよね。登山部じゃなかったと思いますけど……」

「はいっ、そこ、いい質問です!」すずは楽しそうに答えた。


「文芸作品を書くには、いろんな経験を積まないといけません。今度の部の作品テーマは山です。なので、みんなで山に行きます。いいですね」


 副部長の杉崎さおりは補足した。


「通訳するよ。部長はみんなでピクニックに行きたいと言ってます。新一年生たち、ちゃんとつき合いなさい」

「さ、さおちゃん、ちょ、ちょっと」


 すずがあたふたすると、さおりは「キシシシシ」と笑った。一年生たちは安心した表情で笑いあった。




 文芸部員はしょっちゅう部室から飛び出して、みんなで遊んだ。ピクニック、山登り、海水浴、京都観光、釣り船で魚釣り。


 すずに言わせれば、ぜんぶ創作のための取材なのだ。


 部長のすずは先輩らしい「しっかり者」ではない。人を不思議と前向きに行動させるという、奇妙なリーダーシップを発揮した。また、いつも誰かの気持ちを考えて行動していた。


 が、どこかしら「常に」抜けていた。お弁当におむすびを握ってくれば、三割の確率で砂糖味だ。回転ずし店に入った時は、三回に一回は、寿司に醤油ではなく、ソースをかけてしまう。


 部員たちはみんな、文芸誌『サクラダファミリア』編集の時も、市民会館で老人相手の朗読、幼児相手の紙芝居の時も、積極的にすずのフォローをした。




 翔一は本が好きだった。と言っても読むのは推理小説かパズル、なぞなぞクイズなどだけだ。学校の感想文くらいしか文章を書いたことはなかった。


 が、文芸部に入ったからには何かしら書かないといけない。


 翔一は頭をしぼり、処女小説『えんぴつ君の旅』を書き上げた。鉛筆が長い旅をして筆箱に帰るまでの話だ。おそるおそる作品をすずに読んでもらうと、彼女は二度ほど繰り返して読んで言った。


「翔くん! がんばったね! えらい! 初めてだとは思えないくらい。すごくいいよ!」


 すずは笑顔で翔一をべた褒めした。翔一はうれしかった。


 が、得意になって、白井健二や天海みのりにも読んでもらったら、「ああー」とか「いいんじゃない」と、うすい反応で、ちょっとガッカリした。




 はじめての合宿の時は、すずは祭りでもないのに浴衣を着てきた。みな驚いたが、理由は「着たかった」。それだけだ。学校の合宿施設の畳の和室。ちゃぶ台で、みんなそれぞれ思い思いの小説や詩を書いた。


 翔一の間近で、すずが浴衣で正座して鉛筆を走らせていた。彼は、せっけんの香りに酔った。


 翔一の恋のはじまりである。



 翔一は二年生となり、告白を決意した。すずはまだ誰ともつき合っていないようだ。すずの登下校は、だいたいさおりと一緒。部活のない日はクラスメートの女子と一緒だ。


 翔一は、告白を先延ばしにしながら悶々としていた。それはそれで楽しい生活だった。


 翔一はラブレターを書いては、すずの下駄箱へ行き、それを入れようとしたが、、早朝でも常に誰かがいるので、なかなかできない。時々、すずの帰り道をつけて行きながら、いつ声をかけようかと思いつつ、踏ん切りがつかないでいた。




 そんな折だった。翔一は三年生の三谷剛士に目をつけられた。全生徒から恐れられている乱暴者だ。気に入らないことがあると、すぐに手を出す。学校のガラスを何枚割ったか分からない。たちの悪いことに、めっぽう強く、空手部の助っ人として全国大会に出場するほどだ。



 ある日の放課後、その日は小雨が降っていた。帰宅途中、翔一がひとり傘をさして歩いていると、剛士が翔一の前に立ちはだかった。


「おい、お前、止まれ」


 翔一は、ビクッとして足を止めた。三谷剛士の顔は知っていた。


 翔一の中で、彼は会ってはいけない人ベストスリーに入る。あとの二人は、近所のうわさ好きの話の長いおばさん。もうひとりは、若い男の子を見つけると、やたらとキスをしようとする、スナック「ラヴィアンローズ」の初老のオネエ。


「は、はい、なんですか……」


 翔一はびくびくしながら答えた。剛士は翔一をなめるようにして値踏みした。


「お前だな、琴乃葉ことのはすずのストーカーは」


 翔一は慌てて否定した。


「わっ、ちがいます! ちがいます! オレ、ストーカーなんかじゃありません!」

「自分でそう言うはずないわな」

「ホントです。オレ、すず先輩の部活の後輩です」


 剛士が歩み寄ってくる。


 翔一は少しずつ後ずさりしてブロック塀に背中をつけた。


 剛士は、翔一が逃げられないように、手を翔一の顔の横、壁につけた。まるで壁ドンだ。


 翔一の傘は足元に転がった。剛士が、翔一に顔を近づけると、翔一の目が泳ぐ。


「日向翔一だな」

「はい……」

「二年生。文芸部」

「はい……」


 翔一は、調べがついているんだと、冷や汗を流し、顔をそらした。剛士は、しばらく翔一の目を睨みつけた。


「今度、下駄箱でウロチョロしていたり、すずの後をつけていたら……」

「…………いたら?」

「ぶっ殺す」


 剛士は声にドスを効かせた。


「いいな」


 翔一がカクカクとうなづくと、剛士はゆっくりと顔と腕を離した。


「行け」


 剛士があごをしゃくったので、翔一は傘を拾い、あわてて走った。十歩くらいして、おそるおそる振り返ると、剛士が「わあっ!」と両手を広げて翔一をおどすので、翔一は家まで必死に逃げ帰った。




 翔一は、その晩、すずに告白するのをやめようか真剣に悩んだ。


 が、悩んだのは、その時だけだった。すずに対する気持ちは、そんなことで消えるほど中途半端なものじゃない。


 次の朝には、むしろ強まった。恋は壁が高ければ高いほど燃えるのだ。


(三谷先輩にバレなきゃいい)


 翔一は、そう思うことにした。しかし、バレずに済む可能性はゼロだ。


 そのすぐ後、三谷剛士はすずの幼馴染で、家も近所だと、翔一は知ることになる。

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