第3話 日向翔一
三柱町は京都府の北端、丹後半島にあり、景色と海の水が美しい漁師町。名物はカニ。東へ行くと、若狭湾、天橋立がある。
彼は、中学までは親の仕事の都合で近畿地方を中心に転々と引っ越しをしていた。中学の時、両親が離婚すると、翔一は父親を選んだ。母親も嫌いではなかったが、母は仕事の関係で茨城の方へ行くことになっていたからだ。翔一は父親、
この二、三か月、父親はジュネーブに出張していた。翔一は一人暮らし。食事には苦労していない。高校に入ってからは、父親の食事も翔一が作っていたくらいだ。母親とは仲は悪くないが、この一年は、あまり連絡がない。
少し前までは、毎日のように、「高校では友達できたの」とか「風邪ひいてない?」、「ちゃんとご飯食べてる?」と、しつこいくらいに電話してきたが、今では、翔一や学の誕生日や、何か用事があったときだけ。翔一の、思春期特有のイヤイヤ感まる出しの受け答えで、何か察したのかもしれないし、仕事が忙しいだけかもしれない。
翔一は特に身体が強いわけではない。ケンカは強くない。むしろ逃げることに積極的だった。勉強ができるってわけでもない。テストの順位はいつも学年で真ん中あたり。
ただ、数学だけは得意だった。父親が量子物理学者で文筆家ということもあり、小さい頃から数学とパズルが好きだった。翔一は「MOTA」を二年前から始めたが、魔物を討伐するよりも、ゲーム世界、遺跡やダンジョンに隠された謎やパズルを解くことを楽しんでいた。
ちなみに友人の細田保志はMOTAのNPC相手に恋愛シュミレーション、大野秀樹は魔法アイテム作りとその蒐集を楽しんでいる。
翔一は推理小説など、謎解きに関する本だけは人並み以上に読んでいるので、語学の点はそれほど悪くない。しかし社会科、時事問題や地理、歴史人物名、年号、単語などの知識問題は絶望的であった。興味のない知識は、ほとんど記憶できなかった。
いい父親である。
高校に入学した頃だ。桜は既に散り、春らしい陽気だった。
翔一は、他の生徒たちがどの部活に入ろうかと盛り上がっている中、一人、校庭の大きなケヤキの木陰で、幹に背をあずけて本を読んでいた。その時、突然、女の子の声が聞こえた。
「なに読んでるの?」
翔一が顔をあげると、そこにはかわいらしい女子生徒が膝をまげて、翔一を興味津々に見ていた。ポニーテールとスカートが風にゆれていた。
「はい。クリスティです」翔一は答えた。
「ふうん、ミステリーが好きなの?」
「ええ、まあ」
「わたしはね、童話が好き。あとね、詩も好きなの」
「そうですか」
「天気のいい日はね、ここで宮沢賢治を読むの」
「はあ」
「となり、いっしょにいい?」
そう言うと、女子生徒は翔一のとなりにそっと腰かけて、本を開いた。そして、静かに本を読みはじめた。
翔一が、チラッと盗み見ると、本は『春と修羅』だった。彼女が「なあに?」と笑顔を見せると、翔一は「いえ、何でもありません」と言って、すぐに視線を自分の本に戻した。
彼女とは肩が触れそうなほど近い。シャンプーの香りが翔一の鼻をくすぐった。翔一の胸はバクバクと高鳴り、いくら本を凝視しても、まったく内容が頭に入ってこなかった。
しばらくすると、「おーい、すずちゃーん」と校舎の方から、別の女子生徒が手を振って走ってきた。
「あ、さおちゃん」
「すずちゃん、ここだったんだ」
と二人で何やら話していたが、さおちゃんと呼ばれた子は、ふと翔一の方を見て、すずに尋ねた。
「この子は?」
「えっ?」
すずは、クリクリした目で不思議そうに翔一を見つめた。
「えーと、あなたは?」
「ひ、日向翔一です」
翔一はドキドキして答えた。
「じゃあ、翔くんだね。わたしは
そう言って、すずは友達といっしょに校舎の方に歩いて行った。翔一は、ぼんやりと彼女たちを見送った。
放課後、翔一は文芸部に行くと、すずが待っていた。そして、あれよあれよと言う間に入部させられてしまった。不本意だったが後悔することはなかった。
これが翔一の甘酸っぱく楽しい高校生活のはじまりである。
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