62話「懐かしいひととき」

 みおとのデートも無事終わり、その疲れもちょっとあったのでベッドに横になって休んでいた夜のこと。携帯をいじっていると、ある人から着信があった。それは言うまでもなく、今日のデートを無理矢理に仕組んだなぎさからで――


『双眼鏡で私の部屋のぞいて』


 その内容はとても年頃の女の子から送られてきたとは思えない、そんななんとも変態的な文章であった。たぶん渚はアレがしたいのだろう。でもどうして突然、今日になってそれがしたくなったのかまでは俺にはわからなかった。それはもう渚本人にしか分かり得ないことだろう。ただそれがあまりにも唐突すぎて、俺は朝みたいに彼女に振り回されているようなそんな気分を味わっていた。俺は嫌々ながらも渋々しぶ机の引き出しから双眼鏡を取り出して、指示通りに渚の部屋を覗いてみる。すると俺の予想通りにそこには渚がスケッチブックを持ってこちらに向けている光景があった。そしてそのスケッチブックには、


『今日のデートどうだった?』


 という文章が書かれていた。ぶっちゃけ、何かの冗談かと最初は半信半疑だったが、どうやら渚的にはマジで『アレ』をやるつもりらしい。以前に澪に話したあの原始的な会話方法を。さっきメッセで文章を送ってきたのだから、それで済ませればいいものの、どうしてわざわざこんな面倒で時間がかかる方法を選択するのだろうか。


『普通』


 そんな疑問が残る中、このまま無視するわけにもいかないので、俺もスケッチブックを持ってきてそこに渚の返答を書いて、スケッチブックを渚の部屋へと向けて片手で差し出す。そしてもう片方の手で双眼鏡を持って覗き込み、相手の行動をうかがう。こんなこと、よくやっていたなと思うほどそれはめんどくさい作業だった。もちろんその当時のことを思い出して、懐かしい気持ちにはひたれているけれど、この待っている時間がどうにもれったかった。


『ねえ、好きにならないの?』


 俺の返答に対して、渚はそんなこの話の核心をついたことを言ってくる。やはり今日のデートも目的はそれだったようだ。俺と澪を近づけて、俺が澪を好きになるように仕向けると。ただそれは残念ながら逆効果で、言っちゃ悪いが現在進行系でどんどんと澪への思いは冷めていっている。それに渚への反抗というところもある。アイツの思い通りに絶対になりたくないという気持ちから、もはや俺が澪を好きになることは残念ながらないだろう。それに今は絶賛お前に夢中で、他の人なんて眼中にすら入ってないし。


『んーやっぱ幼馴染感が強いからなー』


 そんな内容をバカ正直に書くわけにもいかないので、即興そっきょうでうまい言い訳を考える。こう書いている割には、その幼馴染の姉の方に恋してたりして。


『このままじゃ澪が可哀想……付き合ってあげない?』


「はぁー……しつけぇー……」


 俺はたしかに今こうして会話している渚のことが好きだけれど、こういうところはあまり好きになれない。優しいのはわかるけど、逆にそれが悪い方に転じている。あと強引すぎるのもよくない。


『考えておきまーす』


 そんな渚への対抗からか、文章も雑にそんな返答をする。


『ちょっと! 絶対それ面倒くさいからって適当に書いたでしょ!?』


 幼馴染さんには文面だけで、それがバレてしまっているようで、怒りマークも添えてそんな事を言われてしまう。さて、俺はどう返事をしようかと迷っている時、ある考えが浮かんでくる。


『どうして渚はここまで強引なのだろうか?』


 渚にしてはやり方がだいぶ雑な気がする。アイツもバカじゃない。ちょっとは考えて策を立てるような人なはず。今みたいに後先のことを考えず、とにかく突っ込んでいく渚には違和感があった。だからその理由が気になってくるわけだ。でも、今日の澪の言葉から、なんとなくこうじゃないかという推論は出来ていた。今の現状を客観的に見れば、たぶん渚は『自分の恋を諦めるためにやっている』とするのが一番辻褄つじつまが合う。俺が言うのもなんだけど、渚は自分の気持ちが抑えられなくなりつつあって、だからこそ焦って強引になっている。しかも今、ちょうどいいところに同じ人を好きな、妹がいる。だからそれを悪い言い方をすれば『利用』して、自分の気持ちを消滅させてしまおうという考えか。


『渚ってもしかして俺のこと……』


 その脳内での思考が筆にも出てしまい、思わずそんなことを書いてしまっていた。

ぶっちゃけ、答えてはくれないだろうけど、俺としてもそれはとても訊きたい質問だった。今の渚の気持ちを、本人から直接訊きたい。この今抱いている疑念を確信へと変えたかった。


「――いや、これはやめとこ……」


 だけれどすんでのところで脳内にストップがかかり、俺は冷静さを取り戻した。そしてスケッチブックを次のページにめくって、それを白紙に戻す。いくらなんでも唐突過ぎるし、今はまだこの拮抗状態を動かす時でもないだろう。確実に今ここでそれを訊いたら、事態は動き出すだろう。それはすなわち、爆弾を起爆するのと同じなのだ。だから俺は、


『そんなことより、言おうか迷ってたんだけど、奥のタンスから青の下着見えてっぞ』


 いつものように渚を茶化すことにした。それが今は最良だし、正直な話この遊びもそろそろ飽きていた。終わらせるのにはちょうどいいだろう。それを確認した渚は、ただちに自分の後ろにあるタンスを確認する。だが当然、そこには何もなく、むしろきちんと全ての引き出しが閉まっていた。その事実を知った渚はあきらかに怒った様子でカーテンを閉めてしまい、窓からフェードアウトしたのが影でわかった。そして数秒も経たないうちに彼女から電話が。


「れんッ!」


 そして開口一発から耳をつんざくほどの声量で俺の名前を呼んでくる。


「冗談だっての」


「ったく、からかうのもいい加減にしなさいよ?」


「はいはい。でも渚、その反応……もしかして青の下着持ってる?」


「なっ……変態、バカッ!」


 俺がそんな風にからかうと、あからさまに動揺した様子でそう俺を罵り、プッツンと電話を切ってしまった。たぶん今頃、顔を真っ赤にしている頃だろう。そんな顔が目に浮かぶ。そんな何気ないやり取りに、俺はどこかとても落ち着くような安心感を得ていた。言っておくが、俺は決して変態ではない。こんなバカなやり取りを渚としていると、妙に落ち着くのだ。今の現状、ギスギスすることは間違いない。そんな不安がうず巻く中、こういう時間はとても心が穏やかになる。こんな時間が『俺たちらしさ』だと思うから。そしてそれと同時に渚への愛が深く深くなっていくのがわかった。もっとその『俺たちの時間』がほしくなってくる。最近は渚が俺と澪との時間を増やそうとする関係で、相対的に俺と渚の時間が減っていてそれが不足している。だからもし、もし澪が喫茶店で話していた『彼女の思い』が本当で、澪が協力してくれるのだとしたら、あるいは――

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