60話「癒やしのメロディ」

「――さて、と。これで目的終わったわけだけど、これからどうする?」


 それから俺たちは店を後にして、俺はみおにそんなことを訊いてみる。当初の目的はもう果たしたので、後は特に指定されていない。これで終わりだから解散、というのはあまりにも素っ気なさ過ぎるだろう。たぶんなぎさもそれは望んでいないはずだし、ここは渚の思惑に付き合ってやろうと思う。


「と、とりあえず適当に時間潰す?」


「そうだね。てか、こんなこと訊くのもあれなんだけど、テスト勉強大丈夫なの?」


 これからのことを訊いておいてこんな質問も変な話だが、澪のテスト勉強の進捗がふと気になった。澪も澪で自分の勉強があっただろうから、そこらへんの事情を訊いてみる。


「あ、うん……なんとか大丈夫だと思う」


 どこか自信なさそうではあったけど、でも大丈夫そうな感じだった。その自信のなさも、たぶんいつもの澪の性格ゆえだろう。元々、澪もそんな修二しゅうじほど勉強ができない子ではないし、ある程度は大丈夫だろう。


「でも渚も迷惑なやつだよなぁーテスト前にこんなことしてさー」


 そんな会話の流れで、俺はついつい本音が漏れてしまっていた。それだけ不満が溜まっているということだろう。それを振り回されている同士で共有しあってストレスを吐き出してしまおうとしているのかも。


「あーそう、かなぁー」


 だけれど、意外にも澪はそれにバツが悪そうな顔をしつつ、決して同調しようとはしなかった。


「あれ、澪はそうでもない感じ?」


「えと、そういうこと言うと後が怖いから……」


「あぁーそういや、この間怒られてたもんなぁー」


 ついこの間、体育館倉庫に閉じ込めたことを怒られていたのを思い出す。あの時の渚は相当怒っていたし、それにおびえてしまうのはムリはないか。


「うんちょっとトラウマ……」


「渚も渚で怒るとこえぇからなぁー……」


 そんな姉談義をしながら俺たちは適当に商店街を歩いていた。そしてその道中、ふと俺の目にあるものが留まった。


「――あっ、ちょっと寄っていい?」


 俺はそこで立ち止まり、澪にそう一言告げる。すると澪は快く了承してくれたので、そのまま一緒にそのお店へ行くこととなった。そこはつまるところの楽器屋さんだった。もちろんそこでは色々な楽器が並んでひしめき合っていた。そして俺の目に入ったものはそう、『ピアノ』だ。澪と言えばピアノ、ピアノと言えば澪。と言った具合に俺の中ではその方程式が成り立っている。だから俺はそれを見た瞬間に、ある妙案を思いついたのだ。


「ちょっと澪さ、これ弾いてみせてよ」


 それはここで澪にいわゆる『試弾しだん』をしてもらうこと。お店のピアノなら今すぐにでも試し弾きさせてもらえるだろうし、俺の思惑ともちょうど合ってそんなことを思いついていた。


「えっ!? ここで!?」


「そうそう。久しぶりに澪のピアノ聞きたいなぁーって。まあこれ電子ピアノだけど」


 久しく澪のピアノは聞いていなかったし、今そんな聞きたい気分になっていた。流石にここにはグランドピアノみたいなものは置いてなかったので、この電子ピアノだけれど、それでも澪なら十分だろう。


「は、恥ずかしいーよー……」


 そんな俺のお願いに耳まで真っ赤に染めて、俯きながらそんなことを言っていた。


「お願いっ!」


 まあこうなることはわかっていた。澪だから。でも無性に今聞きたい気分なのだ。なので俺は手を合わせて、頭を下げて澪にお願いする。


「うー……わかった……じゃあ、軽くだよ?」


 澪は俺の懇願に、諦めて決意を固めてくれたようで、そう言って了承する。なので俺はさっそく澪と一緒に店員さんに試弾する許可をもらいに行く。すると店員さんはそれにこころよく許可をしてくれたので、澪はさっそくさっきのピアノのところへと腰掛け、弾き始める。やはり電子ピアノだから、グランドピアノみたいな綺麗な音色ではないけれど、それでも心を落ち着かせるようなそれだった。


「――あっ、これ聞いたことある」


 曲が進んでいくと、そのメロディに既視感があった。おそらくこの感じはクラシックだろう。素人の俺からすれば、両手で弾いているだけでももうすごいのに、澪はさらに音に強弱やテンポをつけて弾いてる。それはもう間違いなく小さい頃から弾いている人の演奏であった。こんな言い方はあんまりかもしれないけど、そこに演奏している彼女は普段の澪とはとても思えないほど別人に見えた。でもなんとなく素人の耳だが、そのメロディの弾き方の中にも『澪らしさ』と思えるような部分があった。どちらかと言えば『クセ』なのかもしれないが、その音になんとなく優しさを感じる。


「おおおおおお!」


 そして澪の優しい音色は終幕を迎え、幕を閉じた。それにものすごい感銘を受けた俺は思わず拍手をしていた。それに恥ずかしそうに照れながらも、軽く会釈えしゃくで返してくる澪。


「これはベートーヴェンのピアノソナタ第8番。いわゆる『悲愴』って呼ばれているのの、これは第2楽章。CMとかで聞いたことあるんじゃないかな」


 そしてその弾いていたクラッシクの題名を言ってくる。音楽知識がとぼしい俺にはその正式タイトルや、俗称を聞いても全くピンとこないが、たぶん澪の言う通りにCMか何かで聞いたのだろう。


「あぁーそうかも。でもやっぱうまいな、澪」


 人にうまいと思わせるその澪の実力は確かなものだった。やはり長年弾いているだけのキャリアがそこにはあるように思えた。


「ううん、私なんか全然まだまだだよ……上手な人はもっとすごいから」


 そんな俺の褒め言葉にいつもの感じで澪は謙遜けんそんをする。


「へぇーマジか。なんか大変そうだな」


 ピアニストなんて呼ばれる人はものすごい数いるだろうから、その中で競い合っていくのはとても大変そうだと感じた。しかもそれをちゃんとした『職業』とするならなおのこと。澪がそういう道に進むのかは定かではないが、だいぶ険しい道のりであることは間違いないだろう。


「でも、それだけやりがいはあるから」


「そっか、頑張れ」


「うん、ありがと……」


 それから俺たちは特に何も買うこともなく、そのまま店を後にすることにした。なんか『弾き逃げ』みたいになってるけど、どうせ澪の家にはもうピアノはあるだろうし、俺は必要ないし。


「――ねえ、これからちょっと寄りたいところがあるんだけど、いい?」


 そして店を出てすぐに、今度は澪の方からそんな提案をしてくる。


「おう、いいよ。どこ行くの?」


 特に予定もないデートなので、そういう提案にはすぐに乗っかる俺だった。ぶっちゃけ目的もなくぶらぶらしているだけなので、今の澪のように何か目的地を作ってくれるとすごく助かる。


「ちょっとね」


「ん?」


 だけれど行き先はどういうわけか、はぐらかされてしまった。別にこれから危険な場所に連れて行かれるわけでもないだろうけど、ちょっと気になる俺がいた。おそらく行き先からして、これから遠くの方へ行くわけではなさそうだが、全く行き先は見当がつかなかった。なので俺はただひたすらに澪についていくしかできず、そんな目的地不明の場所へと連れて行かれるのであった。

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