55話「妹の逆襲?」

 テスト前の空気感がただよう放課後の教室。そんな空気のせいか、俺にも勉強するやる気が出てきていた。だからさっさと家に帰って、テスト勉強でもしようかと思ったのだが、その際にみおに呼び止められて『お姉ちゃんがれんくんに用があるみたいで、体育館倉庫に待ってるって』と言うことを聞かされ、俺は体育館倉庫へと向かうこととなった。だがその言葉には、いくつもの疑問点がある。そもそもなぎさの性格なら、澪を経由させずとも直接言ってきそうだし、それにこんなアナログなことをしないで、携帯に直接メッセージを送ってくればいいはずだ。そしてさらに俺の頭を悩ませるのは『体育館倉庫』という場所の指定だ。なぜ彼女はそんなところで待っているんだろうか。別に俺と渚で体育館倉庫に繋がる話題があるわけでもないし、まさか俺に告白するわけでもないだろうに。


「いや、まさかな……」


 そんな渚が告白してくるなんてことはまずないだろう。そんなの絵空事だ。俺は頭の中で、その仮説をさっさと否定して体育館倉庫へと向かう。俺もさっさとテスト勉強がしたいので、とっとと用事を済ませるべく、なるべく足早に進んでいく。ただ、あそこは俺にとっては嫌な思い出しかないので、行くのがちょっと躊躇ためらわれる気持ちもあった。


「――何、用って?」


 そして体育館倉庫へと入っていくと、澪の言う通りに渚がそこで待っていた。俺はすぐに渚に用件をうかがう。


「え?私は煉が私に用があるって聞いて来たんだけど?」


 だけれど、どういうわけか2人の間に食い違いがあった。その顔からしても、渚は嘘はついていない。だとするならば、本当に渚はそう聞いてここに来たわけだ。だとすると、俺の聞いた話とはちぐはぐになるわけだが……


「は?俺は用なんて……まさか――」


 そんな事態に最初は意味不明で混乱していたが、ちょっと考えてすぐに『あの』ことに思考が繋がった。だからすぐさまここから出ようと、扉の方へと向かうと――


「はぁー……つーか、またこのパターンかよ……」


 その体育館倉庫の扉が不運にも閉じてしまう。これで体育館倉庫に閉じ込められたのは3度目、いい加減うんざりしてくる。俺は大きなため息をつきながら、うなだれていた。


「渚、今度はどういうことなんだ!?」


 そして俺は前回の犯人であった渚に、すぐさま事情を訊く。今回は澪が絡んでいるということもあって、すぐに渚を疑うのに躊躇ためらいはなかった。


「こっちが訊きたいわよー!!今回は私一切関わってないんだから」


 だけれども今回はどうやら違うようで、焦っている雰囲気を出しながらそんな弁明をする。まだ暗くなったばかりで、渚の顔がハッキリとは見えないが、おそらくこの感じは嘘はついていないだろう。


「じゃあ、誰が……?」


 だとすると、だ。誰が犯人なのか。渚でなければ、もう後考えられるような人はちょっと思い浮かばない。アイツは今日はありえないし。じゃあ、それ以外の俺たちどちらかをうらんでいる人……いやそれならば――


「あっ、渚は誰にここに来るように言われた?」


 犯人探しに躍起やっきになっていると、犯人に思い当たるフシがあった。予想通りならば、恐らく『彼女』が犯人で間違いないだろう。


「え、澪だけど……それがどうかしたの?」


「あぁ、そういうことか……まあ、今の現状で俺たちができることはないんだし、そこら辺にでも座って助けを待とうぜ」


 俺の予想は見事に的中した。俺と渚で共通した人物で、どちらも呼び出されたのが澪と来れば、もう答えは1つしかない。


「え、私携帯持ってるから、それで誰かに連絡すればすぐ事が済むでしょ?」


「まー、別に携帯使ってもいいけどさーたぶんここのパスワード変えられてるから、事が大きくなることは間違いないぞ。そしたら間違いなくその犯人は先生方にお叱りを食らう。それだけならいいけど、最悪罰則を受けることになって、退学は行かないまでも停学くらいなら食らうかもだぞ?」


「……? なんでこんなことする犯人をかばう必要があるのよ?」


 どうやら渚はまだ犯人の特定には至っていないようで、不思議そうな声色で俺にそんなことを訊いてくる。


「あれ、もしかして犯人わかってないの? 犯人は澪だよ、澪」


「澪!? 煉、何言ってるの? あの子が犯人なわけないでしょ?」


 渚はそう言っても信じてはくれないようで、絶対にありえるはずがないと言わんばかりに俺に迫ってくる。


「いや、澪以外ありえないんだよ。まず、この体育館倉庫のパスワードを知っているのは先生と委員長だけだ」


「そしたら、澪はもう候補から外れるじゃない」


「もちろん澪は委員長じゃない。でも、その姉が委員長じゃないか。つまりそのパスワードを知る機会はいつでもあるはずだ」


「それだったら、他の委員長やその関係者でも犯行可能よね?」


「ああ、もちろん。俺たち2人のことを恨む人間がイタズラでやったとも取れる。でも、俺たちをここに呼び出した人って誰だった?」


 渚の考えも、もちろん否定しきれない。だけれど、俺には明確な根拠があった。そのカギを握るのはここに呼び出した人。


「さっき言ったとおり、澪でしょ? でも、だからって澪だとは断定できないでしょ」


「まあな。でも仮に俺たちをうらむ人間だったとしたら。澪に呼び出しに行かせることは不可能だ」


「どうしてそんなことが言えるのよ? むしろ澪は私たちと関わりが深い人間なんだから、信じこませるにはうってつけじゃない」


「もちろんそういう役目もできるけど あの澪だぞ? ただでさえ、幼馴染の俺に緊張している澪が赤の他人と会話できると思うか? 普段の生活を見てる限り、俺はそうは思わない。しかも渚の推理が正しいとすると、その犯人は普通に考えれば初対面の人だろうし、まずムリだろ」


 まず赤面して、うつむいてしまい話にならないだろう。ヘタすると、そのまま逃げてしまうかもしれない。そんな人に共犯になってもらうのはまず難しいことだろう。


「たしかに……でも一方的に迫られたら、澪でもやるかもしれないわよ?」


「それはない。脅迫きょうはくまがいなことするのは普通に周りに怪しまれかねないし、そんなことするんだったら、もっと他に効率のいい方法がいくらでもあるだろ? わざわざ澪を呼び出しに使う必要性はないはずだ」


「だったら澪の関係者が頼んだって可能性だってあるでしょ? 例えばあのおバカさんとかなら、初対面じゃないし」


 おバカさんとはおそらく『修二しゅうじ』のことだろう。呼び方が尋常じんじょうじゃなく酷いことになっているけど、今はスルーしておく。


「まあな、修二ならあの性格だしやりかねない。でも、アイツは今日は珍しく欠席してるんだよ。だから絶対に犯行は不可能。アイツを除けば、澪と関わりのある人なんて明日美あすみぐらいしかいないけど、明日美がこんなことするとは到底思えない。だから、犯行できるのは澪しかいないってわけだ」


 澪の関係者でそんなことをしてきそうなヤツは、修二以外にいないと言ってもいいだろう。だからこそ、それが理由で澪が犯人と断定できてしまうのだ。


「でも仮に犯人が澪だとして、その動機はなんなの?」


「さあね、それは本人にしかわからない。あの時の仕返しとか?」


 渚の言う通り、そうだったとしても動機がよくわからないのだ。あまりにも唐突すぎるし、別にこれと言って何かあったようにも思えない。今日のお昼だってまあ、普通だったし。


「あの子、そんな根に持つタイプじゃないわよ」


「じゃあ、俺と渚を2人だけの状況を作りたかったんじゃないの?」


 だとするならば、『今日のお姉ちゃんがウザい』からという動機で犯行に及ぶこともない。1つ1つ消去法で考えられる理由を消していき、俺は次にそんな仮説を立てる。


「なんのために?」


「んー……てかさ、あるんでしょ? 俺にしたい話が」


 一旦、この閉じ込められた状況は置いておいて、俺はそれよりももっとしたい話に持っていく。渚の思惑、それが知りたかった。


「え? どうして?」


「や、なんか最近渚の行動が変だからさ。俺と澪を閉じ込めたり、いきなり好きな子のこととか聞きはじめたり。やたらめったら俺と澪を一緒にしようとしたり、例のあの件のことだろ?」


 それは間違いなく『澪』の事だろう。これは言ってしまえば、答え合わせみたいなもの。俺が今までの渚の行動、澪とのやり取りで思い、至った結論、それを渚と合っているのか確かめる。


「……そう。あれから澪に直接じゃないけど訊いてみたの。『好きな子はいるの?』って」


 少し間があって、重たい口を開き事情を話し始める渚。


「そしたら?」


「口ではいないって言ってたけど、あの顔は間違いないく嘘ついてる顔だった」


「てことは、いるってわけだ」


「うん、それと最近の澪の言動を合わせて考えると、やっぱり……澪は『煉のことが好き』みたいね」


「つまり、俺たちの予想は当たっていたというわけだ」


 あの2度目の閉じ込められた時の澪の表情、そして最近の澪の、俺に対する反応、それらを見てもそうだと感じていた。自分が自分のことを好きかどうかなんてことを考えるなんて、変だとは思うが、それだけの状況証拠が集まっていたのだ。そして今の渚の言葉、それでそう考えて間違いないだろう。


「そういうこと」


「……で、どうするのよ?」


「どうするって?」


「付き合うの?」


「付き合うって……澪から何も言われてないのに、俺たちだけで勝手に話進めるわけにはいかないでしょ」


 今の渚みたいに、本人の意思を無視して、いわば部外者が干渉しすぎるやり方はあまり好きじゃない。それに『付き合う』にはやっぱり、お互いの気持ちが必要となってくるはずだ。それを無視して付き合うなんて、おかしいだろう。


「じゃあ、単刀直入に聞くわ。澪のことは好きなの?」


「んー……正直な話、答えは俺自身もわからないわ。俺は澪を幼馴染としか見てないから、1人の女の子として見たことはないし、だからといって、今そういう感情が全くないのかって言われたらそうでもないと思うし」


 現状、俺には好きな人いない。もちろん俺自身が気づいていないだけで、実はもう誰かのことを好きになっているのかもしれない。ただそれが澪か、と言われるとやはり自信がない。だけれども、その感情が全くないのかと言われると、それはそれで自信がなかった。


「なんか曖昧。もっとハッキリな意見が聞きたかったなー」


 俺のそんな答えが不服だったようで、不満そうにそんな文句を言う渚。


「まあ、今はそんなハッキリとした答えが出ないのが現状かな。ていうか、渚はこの件に関してどう思ってるの?」 


「正直、私の意見としては澪と結ばれてほしいの。あの子はあんな性格だから、自分から攻めるなんてことはできないし。自分から素直な気持ちをいうことも難しいと思うの。でもそれでせっかくのチャンスを逃すのはもったいないし、それで澪を悲しませるようなことはしたくない。だからこそ私は全力であの子をサポートしてあげたいかな」


「へぇーでもさ、今日のは露骨すぎると思うぞ……?」


 渚がそうやってちゃんと考えているのはいいけれど、今日みたいにあんまりぐいぐいこられると流石に引く。それを本人に言ってしまうのはどうかと思ったが、言わないともっとひどくなることもありえるので、そう苦言をていすることにした。


「でも……あれぐらいしないと……」


「んー俺はあんまりあのやり方は好きじゃないなぁーなんか逆に渚に動かされてると思うと、冷める」


 たしかに渚の言い分もわからんでもない。澪の性格を考えると、間違いなく自分だけで恋を成就じょうじゅさせることは難しいだろう。この対象が俺であるから、自分で言うのもホント変な話なのだが、幼馴染である俺にもあんな感じじゃ、全然進展はできなそうだ。でもそれを加味しても渚のアレはやりすぎだ。


「うーん……ちょっとは自重します……」


 とは言っても、渚の目的は俺と澪をくっつけること。だから今日ほど露骨ではないにしろ、何かしらのことはしてくるだろう。それはそれで面倒なことになりそうだと思いつつ、 


「あっ、じゃあさ。話逸れるけど、逆に渚は好きな子はいないの?」


 そんなことが気になってくる。渚も誰かと付き合っているという噂も聞かないし、

渚も渚で学園では結構な有名人なのでその辺の事情は興味があった。この機会だし、ちょっと訊いてみたい。


「えっ、私!? うーん、そ、そうねー今はいないかなー」


 そんなこと言っているが、幼馴染はごまかせない。渚は嘘をついている。つまり彼女は今現在『好きな人がいる』ということだ。誰なのだろうか、そっちの方がすごく興味があるな。


「ふぅん、そっかぁー」


 その事実に思わずニヤニヤしてきてしまう。そりゃ、好きな人ぐらい1人や2人はいてもおかしくはないだろうけど、そんな恋している渚が新鮮で、なんか可愛く思えて顔が勝手に緩んでしまう。やっぱり長い間一緒にいたからか、ちょっと姉弟か娘を見る親の気分にでもなってるのだろうか。


「何? その顔」


 そんな俺の顔を見て、渚は露骨に眉をひそめて、ジト目になって見つめてくる。


「いや、なんでもぉー?」


 体育館倉庫に閉じ込められてる最中にする話でもないような気がするが、こういう態度を取られるとやっぱりイジりたくなるのが俺の性分だ。


「むー、絶対馬鹿にしてるでしょ!」


「や、してないって」


「嘘、絶対してる!」


「はいはい……まあ落ち着いて落ち着いて。とりあえず、澪が戻ってくるまで待とうぜーなんか雨も降ってきたみたいだし、外に出て濡れるよりよっぽどここの方がいいわ」


 そんな話をしている間に、気がつくと雨が降ってきていたようだ。しかもかなり激しい雨みたいで、中からでも雨音でそのことがわかった。遠くの方ではあるようだが、小さく雷の音もしている。そうなってくると、ここはだいぶ危険な場所になってくる。ここはもはや外と言っても過言ではないくらいに、温度が低く、このまま雨で気温が下がればどんどんと寒くなっていくだろう。しかも時刻も次第に夜へと向かっていく。そうなれば更に温度が低く、危険になるかもしれない。


「そ、そうね……」


 そんなことを不安がっている俺をよそに、渚はさっきまでの威勢いせいの良さはどこへ行ったのやら、どこか青ざめたような表情になって、ちょっと小刻みに体も震えているようだった。


「あれ、渚……?」


 そんな態度の渚に、俺は首を傾げて少し考える。確かに女の子にはここは寒いかもしれない。渚は上着もなく、制服だけだし。でもそれでもそんなに寒いとは思わない。あくまでも低い温度はこれからの話で、今はそうでもないはず。それに、その反応をするにしてもどこか急な気もする。なんだろう、青ざめるような要因……?


「あっ! ああーそういえば、渚って雷が――」


「こ、怖くないわよ!」


 少し考えて、思い出した。だがそれを必死になって否定するかのように俺の言葉を遮り、自身の弱点を隠そうとしている渚。でも自分なりに頑張ったんだろうけど、若干声が震えている。あきらかに怖がっているようだ。


「いやいや幼馴染の俺に今隠したって意味ないだろ」


「だから! 怖くなっ……――キャアアアアアアアアアアアア――――!」


 その時だった。さっきまで遠くで鳴っていた雷が、今度はいきなり近くで大きな音を立ててくる。その雷の音もだいぶ大きな音だったのにも関わらず、その雷が落ちたと同時にその雷の音を超えるぐらいの鼓膜が破れるぐらい高い声が上げていた。そして――


「ヘッ!? 渚!?」


 なにかにしがみつこうとした結果なのだろうか、突如渚は俺にしがみついて、離すもんかと地下強く俺の体を締めたまま、そのままマットに押し倒されてしまった。


「いってぇッ!?」


 勢いがあったこともあり、突然で受け身が取れず思いっきりマットに体を打ちつけてしまう。一瞬、呼吸が止まるほどそれは痛く、ちょっとむせてしまうほどだった。


「キャアアアアアアアアアアアア――――!」


 相変わらず、しかも俺の耳元でとんでもない声量の悲鳴を上げ続ける渚であった。耳がとてつもなく痛い。しかも渚と体が密着し、なおかつ今は倒れた体勢でよりそれを感じてしまう。もはや俺は軽いパニック状態となっていた。どうすればいいのかわからず、ただただ抱きつかれて耳元で叫ばれている状態だった。スタイルが良い渚の体は、とてつもないぐらい華奢ですごく柔らかかった。しかもおそらくシャンプーの香りだろう、いい匂いがしてくる。いやいや、そんな渚の体に気を取られている場合じゃない。ヤバイって、この状況マジでヤバイって!このままじゃ、俺が死んでしまう。色々な意味で。なんとかこの状況を切り抜けないと。


「渚、落ち着けッ! 落ち着けって!」


 俺は渚を落ち着かせるため、必死で叫び声よりも大きな声を上げてそれを止めさせようとする。それが効いたのか、渚はすぐに叫ぶのを止めた。だがまだ怖いようで、相変わらず抱きついたまま俺の胸に顔をうずめて震えていた。


「はぁ……しゃーない」


 そんな渚を見て、いたたまれなくなって俺は軽くため息をつきながら、ある行動に至る。


「え、えっ?」


 渚の背中に手を回し、完全に抱き合う体勢となり、右手で渚の頭を撫でてやる。突然のことにビックリした様子の渚だったが、すぐにそれに従順になって受け入れていく。


「大丈夫だから、安心しろ」


 頭を撫で続けながら、渚を安心させるためそんな一言をかけてみる。雷におびえる渚を少しでもやわらげてあげたかった。さっきに比べると、随分とおとなしくなった渚も、それでどこか安心し始めているのか、震えもなくなりつつあった。


「う、うん……」


「俺はここにいるから」


 そしてその言葉を付け加える。渚は今、決して1人ではない。すぐ傍に俺がいる。それを認識すれば、安心感も湧いてくると思った。


「……ありがと」


「いいって、渚の雷嫌いにはもう慣れてるしな」


 実のところ、こういうのは前にもあった。とはいってもそれはだいぶ前で、もっと小さい頃のこと。ここまでは酷くはなかったけど、それで苦労したのを強く覚えている。


「ぶぅー」


 そんな言い方に、どこか怒ったような声を上げている渚。


「そう、怒んなよ」


「うぅー」


 そう態度では不服そうにしていたが、特に俺に当たってくるようなことはなかった。それからお互いに口を閉ざし、沈黙の時がやってくる。俺はひたすらに安心させるため、渚の頭を撫でいてる。それを一切こばむことなく、従順に受け入れている渚。時々、雷の音がしてきてまた震えることもあったが、もう叫ぶことはしなかった。ただ恐怖心があるからか、その際も俺のことを強く抱きしめていた。それで思うこと、やはり俺たちは大人になってしまったようだ。昔の小さい頃ならなんてことはなかったのに、今では同世代の『女の子』に抱きつかれているということを意識してしまう。俺の中で渚はハッキリと1人の『女の子』として認識されているみたいだ。この渚に抱きつかれている状態を恥ずかしく、そして照れてしまう自分がいた。それこそいつもの凛先輩の時と同じように。でもそれが嫌というわけではなかった。そりゃもちろん女の子に抱きつかれるなんて、凛先輩みたいにしつこくて所構わずしてくるのでもなければ、嬉しい。修二っぽく気持ち悪い感じで言うなら、いわば『ご褒美』だろう。だけれど俺はそれとは違う、別の『何か』も同時に感じているような気がした。これは一体何なのだろうか。まさか――


「――あれっ、渚?」


 そんな思考をさえぎるかのごとく、急に上の渚が重みを増してくる。それで渚の方に気を向けると、なんと安心してしまったのか眠ってしまったようだ。耳を澄ませると、可愛らしい寝息が聞こえてくる。まったく、叫びたいだけ叫んで、怖いからって俺に抱きついて、そして終いには勝手に寝やがって……


「ったく渚ったら」


 そんな渚に軽く笑いながら、俺はこうなってはどうにも身動きが取れないので、起きるまで待ってやることにした。ただ1つ願うことは澪はこんな最悪のタイミングで登場するなよ、ということだ。マットの上で抱き合いながら寝転がっている男女2人。この状況を澪が見てしまえば、間違いなくこの状況では誤解を生んでしまう。最悪、彼女の恋愛をそこで終わらせてしまうかもしれないのだ。それでは絶対に渚に怒られる。そんな理不尽な罰は受けたくはない。ただこばっかしは完全に澪頼みでしかない。この状態では澪に連絡を入れることもできないし、ましてやここから澪に会いに行くなんてまずムリだ。だから俺は澪が来ないことをただひたすらに祈りつつ、相変わらず渚の頭を撫でていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る