56話「持ち上がる疑惑」


「――そろそろ起こすか」


 それからどくらいの時間が経ったのだろうか、俺の感覚では結構な時間だったように思う。その間中も、相変わらず抱き合ったままの体勢でいた。幸いなことにも誰かが来るようなことはなく、この秘密をこのまま守り抜くことができそうだった。そしていい加減にこの状況にも飽きてきて、体も痛いのでなぎさを起こしてとりあえずこの体勢からの脱却を目指すことにした。起こすために背中を軽く叩いてみるのだが、まるで気絶しているみたいに全くもって反応はなかった。ただ普通に耳を済ませれば未だに寝息が聞こえてくるので、ホントに気絶しているわけではないみたいだ。


「渚? 起きろって、渚!」


 であるならば、先程よりも加減を強くして、耳元でちょっと大きめな声で彼女を呼ぶ。


「んー……ふぇ? …………えっ!? キャっ――――」


 何回かそれを繰り返すと、ようやく夢の中から戻ってきてくれたようで、起きようとする。ただ、俺は1つだけ失念していたことがあった。それは渚自身もこの状況を勘違いしてしまうのではないかということだ。目が覚めて、寝ぼけた状態では最初に目に入ってくるこの状況を悪い方へと捉えてしまうかもしれない。そしてその予想通りに、渚は目に入ってきたその光景に固まり、すぐさま叫び声をあげようとしていた。その刹那、俺はすぐに手で渚を口を抑えて、それを制止する。あの悲鳴をまた耳元で叫ばれるのは勘弁だ。


「待て、落ち着け! よく思いだせ! 渚は雷が怖くて俺に抱きついたんだよ!」


 そして俺は誤解を解くため、さっきまでの状況を簡潔に説明する。


「あ、ああっ! あ、その……ごめんなさい」


 それで自分がしたことを思い出したのか、渚はどこかバツが悪そうにしながらそう謝ってくる。


「いや、いいんだけどさ……とりあえず動けないからどいてくれる?」


「あ、ごめん!」


 そう言うと、渚はすぐさま慌てた様子で俺から離れていく。


「うん、大丈夫」


「……」


 さっきまでの俺たちの体勢のこともあってか、離れた後もなんとなく気まずい空気になっていた。とりあえず俺は解放され、体が自由になったので携帯で時間を興味本位的に確認してみることにした。渚が眠っていたから、感覚的にも結構な時間が経っているように思えた。だからどれぐらいの時間が経っているのか、気になっていたのだ。そして時間を確認すると、なんということであろうか、もう既に1時間近くも経過していたのだ。ただそうだとするならば、1時間も時間を浪費してしまっているのに、なぜみおは助けにこないのか。前の渚の時のように、いい頃合いになったら助けに来るだろうと思っていた。でも彼女は一向に現れない。澪としては自力で脱出してもらう算段なのだろうか。いや、流石にそれは無いか。パスワードを自力で解けるとは澪もいくらなんでも考えてはいないだろうし、誰かに助けてもらうとしても、それなら澪自身の立場が危うくなるわけだし。だとするならば、


澪はまさか自分で閉じ込めたことを忘れている?


「……とりあえずさ、ここからでよっか」


 まさかつくし先輩でもないのだから、そんなことはまずないとは思うが、このまま閉じ込められたままではらちが明かないので、この重たい空気の中、口を開く。いい加減にもう外の空気が吸いたくなってきた。それにさっきは抱き合っていたからよかったものの、ここはやっぱり寒い。あまり長居していいような場所ではないのだ。テスト前のこの時期に渚に風邪を引かせるのは悪いし。そんなわけでアレを使って俺はここから抜け出すことにした。


「え、でも出るってどうやって?」


 意外にも渚は俺の考えている突破法がわかっていないみたいだ。アレのこともよくしっているはずなのに。そんな不思議そうな顔で俺を見つめている渚に、


「まあ、任せておけって」


 と豪語ごうごして俺は扉の方へと歩いてく。そしてパスワード入力装置に気の向くままに数字を入力していく。そして『ここだっ!』と思ったところで止めて、エンターを押す。すると面白いようにすんなりとセキュリティは解除され、自動的に扉が開いていく。今回のパスワードは10桁になっていた。これを1発で当てられる確率は相当低い。それをこの間、確率の話を力説していた相手にやってしまうとは……説得力がまるでないな。


「えっ!? すごい、開いた! んん? ……ねぇ、もしかしてホントの犯人はれんなんじゃ?」


 扉が開いた瞬間、驚いた表情を見せていた渚が一転、すぐに俺を怪しむような目をして、そんな疑いをかけてくる。


「はぁッ!? いやいや、違うってッ!」


 そんな思わぬ疑いに、俺は必死になって否定する。そんな勘違いを今されてしまえば、完全に俺が悪者になってしまう。是が非でもここは誤解を解けなければ。


「あっ! もしかして今日雨降ること知ってて、それで雷の事も知っててわざと……? 煉、こういうことがしたかったから――」


 渚は勝手に悪い方へと想像をふくらませて、今日のことを間違った解釈で推理していく。


「だから、違うってば! 犯人はさっき言った通りだっての!」


 それに居ても立ってもいられなくなり途中で遮って、必死になって弁明していく。信じてもらえるように誠心誠意心を込めて、相手の目をしっかりと見つめて。


「でも、煉なら澪に仕込むことできるじゃない! 煉の方は言われたってことにしておけば、私だけで済むし!」


 これは非常にまずい事態となった。その渚の推理は筋が通っている上に、犯人の条件を俺が全て満たしてしまっている。このまま思い込みの勘違いが進むと、それが絶対に正しいと確信してしまうから、その誤解を解くためにはとても手間がかかるのだ。しかも今回の事が事なだけに、容疑者である俺の弁明なんて耳にも入れてもらえないだろう。どうやら渚は今、頭に血が上ってしまい冷静さを欠いているようだし。


「頼むから信じてくれよ! 俺、嘘ついてないだろ!? 幼馴染ならわかるだろ、な?」


 それでも諦めるにはまだ早い。俺たちには俺たちにしかない、判別方法がある。これは言ってしまえば俺たちだけの特権だ。それを十二分に有効利用させてもらおうじゃないか。なので渚の肩を掴んでじっと鋭い眼差しで渚の目を見つめる。これで渚は俺が嘘をついているかどうかがわかるはずだ。ならば、この言葉も本心だということがわかるはず。


「まあ、確かに嘘はついてないみたいだけど……でも……幼馴染にもバレないように嘘をつけるようになったとか?」


「そんな能力習得して何になるんだよ!?」


 そんな対象範囲がとてつもなく狭い能力なんていらないだろ。しかもそんなの、身につけたって対して役に立たないし。結局のところ、俺の必死の弁明もむなしくも受け入れてはもらえず、完全に渚には俺が犯人のレッテルを貼られてしまっていた。これはどうしたものかと戸惑っていると、なんと今回の本当の犯人である澪が、ようやく小走りで向こうから来るのが見えた。まさにベストタイミングだ。欲を言えば、もう少し早く来てほしかったのだが、もはやなにもいうまい。


「あ、ごめん! すっかり忘れてた」


 そして澪は開口一番にそんなことを言ってくれた。さらに事情を聞くと、なんということであろうか、澪は俺たちを閉じ込めたことをすっかり忘れて先に自宅へ帰ってしまったらしい。そしてお母さんに渚が帰ってきてないことを訊かれ、その事をようやく思い出してここに戻ってきたようだ。澪の服装が私服になっているのが、その何よりの証拠だろう。それも含め、澪本人の証言もあって俺の疑いはなんとか晴れることとなった。俺はこれで渚との関係も保たれて満足なのだが、渚は今度は澪にその怒りの矛先を向けて説教をしていた。帰ったらさらに怒られることだろう。澪さん、ご愁傷しゅうしょう様です。そんなことを思いながら、俺はそのまま先に帰ることにした。渚と気まずいということもあるし、3人で帰ると主に渚のせいで色々と空気が悪くなりそうなので、1人で帰った方が得策だろう。そんなわけで1人で寂しく帰っていると、やはり自然と俺の頭の中でじわじわとある考えが湧き出してくる。今日のあの出来事、その中で思ったこと。それは疑問となって、俺の中で答えを追い求めていた。


「――あ、おかえりー遅かったねー?」


 そして家へと帰宅して、リビングの方へと直行する。するとそこでくつろいでいる明日美あすみが俺に気づいて、そう言ってくる。


「うん、ただいま。ちょっとあってね。それよりもさ、明日美。ちょっと、立って?」


 そう言ってさっきの閉じ込められたことをはぐらかしつつ、俺は明日美にそうお願いする。1つ確認してみたいことがあった。それは明日美でないと絶対に出来ないこと。いや、明日美でもちょっと難しいことだけど、ここは勇気を出してやってみることにした。それよりもなによりも、今はそれを知りたいという好奇心の方が強かった。


「え? う、うん」


 そんな俺の頼みに全く疑うこともせずに、従順に俺の指示に従って立ち上がる。その瞬間、俺はすかさず明日美を抱きしめた。さっきの渚と俺みたいな状態を明日美で再現してみる。


「え、えっ、エッ!? ちょ、ちょちょっ、煉!?」


 あまりにも唐突に俺が抱きしめたということもあって、かなり動揺している様子の明日美。そんなこと、当たり前だけど普段はしないので、とても困惑しているみたいだ。でもそんな明日美を俺は無視して、この抱きついている感覚を味わって、自分の答えを探していく。


「……やっぱ、違う……」


 だけど残念ながら、明日美とのそれでは何も得るものはなかった。本人を目の前にして、俺はついついそんなことを呟いてしまう。


「えっ、ちょっと、違うって何!? ちょっと煉!?」


 それをバッチリ聞いていた明日美はさらに動揺した様子でそんなことを訊いてくる。だけれど俺はその明日美の言葉を無視して、俺は部屋へと戻っていく。そして部屋に戻ってすぐに、制服に着替えもせずにベッドに直行して枕に顔を埋めて考える。


『渚との時はすっごいドキドキしたのに、明日美とはそれがなかった』


 そんな結果がさっきの体育館倉庫でのことと、今の明日美とのことを比較して、俺の中で導き出される。姉とは言っても明日美も1人の女性だ。それに明日美を身内というなら、渚だってもう何年も一緒にいる身内みたいなもんだ。その似通った両者との抱擁ほうようで、こうも違う結果が得られた。もちろん状況が異なっていたということもあるのだろうが、もっと答えはシンプルなような気がする。


「え、俺ってもしかして――」


 そういうことなのだろうか。だから俺は、彼女を選んだ――いやいやまさか、そこまで繋がるわけ……


「まさかね……」


 でも状況証拠は揃っている。どうやら俺はそれを確かめなければならないみたいだ。この想いが、はたして本当に俺の考えているようなそれなのか、どうかを。そのためのいい材料がちょうどある。俺にはそれに心当たりがあった。明日学園でそれを確認してみよう。後の調査は明日の俺に任せよう。今日の俺はもう特にすることはないので、部屋着に着替え適当に時間を過ごしていた。たださっき明日美に突然の抱擁をしてことによって、俺もさっきの澪みたいに怒られてしまっていた。もっともいつものような怒っている感じではなく、ものすごい乙女になって恥ずかしそうにしながら怒っていた。それから当然、その抱きついたワケを訊いてくる。それが俺にはとても厄介だった。理由なんて素直に言えるわけもなく、だけれどうまい言い訳も考えられずに曖昧な言葉で返していた。すると明日美はさらに乙女状態となってしまい、もはや家事にも手が付かない状態となっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る