Extra.3-2「幸福な時間のはじまり」

 3月13日(日)


 俺の運がこうそうしたのか、雲ひとつない晴れ渡った空となった。これはもうデートにはうってつけの日といって間違いないだろう。今日はデートということもあって、いつもなら朝に弱い俺も朝からテンションが高く、早くから目が覚めていた。そしてデートなのだからと、いつも以上に身だしなみを気をつけて、入念にチェックする。だけれどそれで遅れてしおりを待たせてしまわないように、俺は家を出る予定の時間よりも少し早めに家を後にした。もう早く栞に会いたい。そんな思いもあって、俺は足早にいつもの待ち合わせ場所へと向かっていた。


「――おっ!」


 するとなんという偶然か、ちょうど俺がいつもの並木道のところへとさしかかると、前方から同じようにこちらへと歩いてくる愛しき人が現れた。彼女もこちらに気づいたようで、いつもの可愛らしい笑みで手を振って、ちょっと小走りでやってくる。


「おはよっ、れん!」


「おう、おはよ」


「またちょっと早めに集まっちゃったね」


 それでまだ恋人になる前の時も、栞に会いたくなって早く来てしまったことを思い出す。今日もその時と同じで、一秒でもいいから、栞との時間を増やしたかった。たぶん同じように早めに来た栞も、そう思ってくれていると信じたい。


「そうだな。まあ早く会いたかったから、しょうがないよな……」


 そんな思いが高ぶって、それがつい言葉に漏れてしまう。


「うん、しょうがないよね……」


 栞は可愛らしく恥ずかしがりながらも、それを肯定してくれる。


「じゃ、じゃあ、いこっか!」


 つまりは栞も同じことを思っていてくれたということ。その事実があまりにも嬉しくて、テンションが上がってしまう俺がいた。


「う、うんっ!」


 いつものように手を取り、そのままバス停へと向かっていく。まだ始まってすぐ、だというのにこんなにも幸せを早速感じてしまうとは思わなかった。『初デート』ということもあるし、これからどれだけの幸せが待っているかと思うと、楽しくてたまらなかった。今日はめいいっぱい、この栞との時間を楽しもうと思う。そして栞にも楽しんでもらえたらいいな。そんなことを胸に抱きつつ、俺は栞と他愛もない話をしながら、歩いていくのであった。


「――そういや、栞ってここの遊園地って行ったことある?」


 それからバスの中、後部の2人座れる席に座って、そんな話を始める。5歳くらいまで栞はこの島にいたから、1度くらいは行っていてもおかしくないだろう。


「うん、引っ越す前に、1回だけだけどね。4歳ぐらいの時かな?」


「あぁー思い出した! 俺と一緒に行ったやつだよね?」


 その栞の言葉で記憶が繋がった。その1回に、俺も一緒にいたんだ。なんかそれでじわじわと色々思い出してきた。


「そうそう! 煉のご両親に連れてってもらったの」


「たしか、栞がおばっ――じゃなくて、例のアレを嫌がったんだけど、俺が無理やり連れてって大泣きしてたってのなんとなく覚えてるわ」


 その中で俺が一番覚えている思い出を話そうとしたのだが、ここは如何せんバスの中。つまり彼女に叫ばれると周りに迷惑がかかってしまう。それを『お化け屋敷」と言い切る前に思い出し、俺はすかさず言葉をぼかしてそう話す。危ない、危ない。ギリギリセーフだ。


「私もなんとなくしか覚えてないけど、なんかそんなことあった気がする。でも煉、なんでそういう恥ずかしいことばっか覚えてるかなぁー……」


 栞の中ではそれは忘れたい記憶なのだろうか、耳まで赤く染めてちょっと不満そうな感じでそんなことを言ってくる。


「ハハッ、大泣きしてちょっとした騒ぎになったから、脳にこびりついてたんじゃねーの?」


 終わった後、泣きに泣いて俺の母さんがあやしていたのを覚えている。それが俺の中で強く印象に残っていたのかもしれない。その中に、多少なりとも罪悪感はあっただろうし、余計にそれを強く印象づけたのだろう。


「そんな記憶、こびりついてなくていいのにー」


「んで、今回はどうすんの?」


「え?」


「ほら約10年越しに遊園地に行くわけだし、その成長として、あそこ行く?」


 未だにお化け屋敷は遊園地の定番で、変わらずそこに残ってる。だから10年越しのリベンジをしてもいいんじゃないかと思った。……というのは建前で、実際は栞の怯える可愛いところが見たいだけで、はい。


「いかないっ! あそこ怖いって有名だし……せっかく煉とのデートなんだから、嫌な思い出残したくないし」


 でも栞はやはりというか、相変わらずダメみたいで、俺の提案には乗ってはくれなかった。


「ま、俺からすればそれも含めいい思い出だと思うけど、栞が行かないっていうならやめよっか」


 栞の怯える姿を見れないのは残念だけれど、こればっかりは仕方がないだろう。それにまだ可愛いところは他でも見れるだろうし、ここで無理強いはよくない。2人の関係にもヒビが入る。


「うん、ありがと」


「俺もこの10年で成長したからね! 無理強いはしないよ」


 その中で、俺は『人をいたわる』ということを学んだのだ。昔の俺とは違う。自分の欲望のためだけに動くことはもうないだろう。そんな感じで、得意気になって冗談っぽく俺はそう言ってみる。


「ふふっ、煉ったら調子いいんだから」


 そんな感じで俺たちは楽しい時間を過ごしながら、バスに揺られて目的地を目指していた。やはりそれが『楽しい時間』ということもあってか、そのバスに乗られている時間がとても短く感じられた。そしてバスを降りて、いよいよ目的地の遊園地へと辿り着く。流石は日曜日の遊園地。親子連れや女の子たちの友達グループ、さらには男女のいかにもカップルぽい人たちなど、人でごった返していた。それに若干、圧倒されながらも俺たちはチケットを持って遊園地の中へと入ってく。そして入場口でそのチケットを渡して、いざ園内へ。


「まずどっからいく?」


 受付の人からもらったパンフレットを見ながら、俺は栞にそんなことを訊いてみる。遊園地には当然と言えば当然だが、数多くのアトラクションがああるので目移りしてしまう。


「煉の好きでいいよ!」


 そんな俺の質問に、栞はいつもの謙遜した感じで俺に選択権をゆだねる。


「あ、そう? んじゃ、これで――」


 そう言われ、適当に近くの『バイキング』という名前のアトラクションに乗ることにした。それは船がブランコみたいに吊り下げられて、ゆらゆらと揺れていくアトラクション。ここから近いし、こういう酔いそうなものは最初のうちに消化していくのがいいだろう。昼食後とかにすると、危うく吐きかねない。このデートでそんなことが起こるなんて最悪以外の何物でもないので、さっさと回避しよう。そんなわけで、俺たちはバイキングへと向かっていくのであった。


「――栞ってこういう系の乗り物って大丈夫?」


 俺たちの順番が回ってきて、いざ乗り物に乗り込み、席に座って開始を待っている間のこと。俺は栞にそんな風なことを訊いてみる。結構揺れる系のこのアトラクションは、やっぱり『乗り物酔い』というものは避けては通れない。もちろんそこまで深刻なものではないだろうけど、栞はこういうのに耐性があるのかどうか気になった。


「うん、大丈夫かなー? 私、酔うことってあんまりない方だし」


 案外、栞はそういうのには強いようで、平気そうな顔をしている。


「へーそうなんだー」


「煉はどうなの?」


「俺? 俺はまあそんなに強くはないかなぁー……船の揺れとかだと酔うことあるから」


「ふふっ、これも酔っちゃうかもねっ」


 そんな心配をしている俺をよそに、栞は楽しそうに笑いながら、そんなことを言ってくる。


「なんで楽しそうなんだよぉー」


「煉が弱ってる姿がちょっと見てみたいから?」


「悪魔めぇー……」


 そんな会話をしているうちに、始まりを告げる音が鳴る。その合図と共に、安全バーが降りてくる。そしていよいよ船が揺れ始めていく。最初のうちは振れ幅も小さく、それこそブランコみたいな感覚だったが、時間が経つにつれて幅が大きくなっていく。


「うおぉー結構、揺れるなー」


「うん、でもおもしろいね!」


「ハハッ、だな」


 軽く笑いながらふと辺りを見てみると、中には怖いのか下を向いている子供たちがいた。またそれとは反対に、手を挙げてこの揺れるのを楽しんでいる子供もいた。そんな風景が微笑ましく思いつつ、それを見つめていた。


「おぉ!?」


 そんな折、とてつもないぐらいに勢いを上げて揺れていったかと思えば、そのまま止まらずに上の方まで上がってしまった。しかもそのまま一時停止。これはさっき下を向いていた子供や、高所恐怖症の人はさぞ怖いだろう。横から下を見下ろすと、結構な高さになっているし。そして、ゆっくりと後ろの方へと加速をつけながら落ちていき、その勢いを利用して今度はぐるんと2回転した。これがこのバイキングの一番の見せ所だったようで、それからはゆっくりと振れ幅が小さくなっていき、最終的に元の位置で停止した。


「やー、おもしろかった。でもちょっと酔ったかも」


 バイキングが終わった後、そんな事を話しながら歩いていく。さっきの揺れでちょっと頭がぐらんぐらんときていた。


「ふふ、だいじょーぶー? ちょっと休む?」


 それに栞は小悪魔っぽく笑いながら、そんな気遣いをしてくれる。


「大丈夫、大丈夫。すぐ治るから。それよりもさ、次はジェットコースターいこうよ!」


 でもそれはどうせ一時的なもの。それよりも俺は栞との時間を楽しみたい。だから俺はちょっとムリして、次のアトラクションの提案をしてみる。


「最初っから飛ばすねぇー煉、大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫!」


 それに俺はちょっと強がってみせて、そんなアピールをする。次のジェットコースターはそもそも酔う暇がないほど速いし、大丈夫だろう。それにやっぱりジェットコースターは遊園地の花形と言っても過言ではない。だから人気もあって人がいっぱい並ぶこともある。そんな長蛇の列が出来る前にさっさと行っておきたかったのだ。そんなわけで俺は栞の手を取り、そのままジェットコースターの乗り場へと向かうのであった。

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