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カーヤカヤカヤ、カーヤカヤカヤ
明るい家庭、豊かな暮らし、健やかな未来
あなたのとなりのパートナー、(カーヤ!)
わたしのたよれるパートナー、(カーヤ!)
パパもママもぼくもだいすき、カーヤー、カーヤー
地域密着型ショッピングセンター〈カーヤ〉の従業員は、『カーヤの歌』を一日中聴き続けても正気を保てる精神力が必要とされる。もしくは度を過ぎた愛社精神か。
ところで、この地方の方言では、命令形の活用に「やー」をつけて提案や要求の意を表す。すなわち「見れば(見なさい)」「~すれば(しなさい)」「買えば(買いなさい)」は「見やー」「しやー」「買やー」となる。そのため『カーヤの歌』は、買やー、買やーと圧を掛けられている心地がしないでもないのだった。歌い手が舌足らずな少年であることも加えて闇が深い。
朝八時三十分、厨房に入れば、すでにソウヤさんはランチの仕込みに取りかかっていた。昨夜はありがとうございました、うん眠いね、と微妙にずれた会話を交わす。私はモーニング用のプレートにゆで卵をセットしてから、ホールの掃除を始めた。そのうちにパートの吉田さん、尾野さん、最後に店長が出勤する。他にも従業員はいるが、最近の早番はこのメンツが多かった。
午前九時〈カーヤ〉開店となり、自動的に〈カヤカヤ〉も開幕となる。じゃあ今日もカヤりましょーかと、店長ではなくソウヤさんが気の抜けた鬨を上げた。
近年、はっきり名指しすればイオンモールに顧客を奪われ続けているが、夏休みの〈カーヤ〉はそれなりに賑わっていた。
主婦層や近所のご老人、外回りの営業マン、そして休憩用のテーブルでは小学生がカードゲームに興じている。今夏は例年にない暑さで、彼らにとっての避難所となっているのだろう。売り上げに直結しているかはわからねど。
〈カヤカヤ〉はレストランと銘打ってあるが、実質、一店舗きりのフードコートであり、仕切りが無く、開放感に溢れている。一応スタッフが軽食を運んでいるが、持ち帰りできるフライドポテトやホットドッグ、お好み焼き、クレープなども売っており、買物帰りのお客さんが匂いにつられて立ち寄るのだった。
ソウヤさんはお客さんと距離が近く、要はもてた。女子高生、人妻、幼児、おばあちゃん。女性であれば、老若問わず。
――いつ戻ってきたの、明日もこの時間にいるの、おじちゃんいくつ、ソウヤは相変わらずいい声しとるねえ――その誰もに、へらりへらりと笑顔を返す。昨夜、ラブホテルという密室ではもう少し真面目な、というか気怠い雰囲気だったのだが。
「安瀬さん。ソウヤ君、接客中だから先に休憩とっちゃって」
店長に言われて、私は薄暗いバックヤードへ入り、それからエプロンを外す。と、〈カヤカヤ〉からどっと笑い声が響くのが聞こえてきた。ソウヤさんの冗談とも本気ともつかないセールストークも。
足下から何かが膨れ上がる気配を感じ、春から買い替えて二足目となるバイト用のシューズで踏み消した。
休憩室の入り口付近の壁には『掲示板』と銘打たれた一画があり、A4用紙やチラシやパンフレットが貼られたり吊り下げられたりしていた。情報が更新されてないか、ざっと目を通す。総務連絡、飲み会のお知らせ、古くはおととしのクリスマスケーキとおせちの注文表、新しいものでは「痴漢注意、寄り道厳禁!」の貼り紙があった。超が付くほどのアナログだが、老いも若きも働く〈カーヤ〉では、結局、この手法が最も穴が少ない。
オツカレーす。声に振り向け向けば、〈カヤカヤ〉の高校生アルバイターの純ちゃんがパイプ椅子に座り、スマホの画面をスクロールさせていた。部活を終えた後、そのまま直行してきたのだろう。制服姿の彼女の前には制汗スプレーと汗をかいたペットボトルが置いてあり、正しく夏を体現していた。
「カヲルさんが休憩ってことは、ソーヤとサシ?」
げえ、と呻く。彼女はソウヤさんを毛嫌いしていた。理由はチャラいから。それ以上に嫌っているのが彼目当てで来店する女性客だった。媚びて、カマトトぶって、馬鹿みたい。どれが美味しいの、お勧めなの、迷っちゃう~なんて、主体性のない。そんなのスペシャルミックス全部のせ一択だっつの。ああいうのが女を貶めて、男を勘違いさせて、ジェンダー不平等を生むんだ、とは少々過激な主張だけれど、あながち間違っていないのかもしれない。余談だが、スペシャルミックス全部のせとは、豚肉、エビ、イカ、玉子と、すべての具材をのせたお好み焼きを指し、〈カヤカヤ〉の全メニューの中で一番高価なオーダーだった。
「カヲルさん、早く戻ってきてよ」
「サシじゃないよ。店長いるし、大丈夫でしょう」
あいつこそ使えない、仕込みの量いっつも迷ってる、自分で決めろっての、と純ちゃんは手厳しい。
「まあ、でも、店長いるならソーヤはいなくなるか。あいつ、暇になるとすぐどっか出歩くから。あっちこっちフェロモン撒き散らして昼顔してるんだって」
ヒルガオ、と聞いてすぐにはわからなかった。女優の名前をあげられ(日本人の方だ)、人妻との密会かと理解する。
確かにソウヤさんは、店が空いている時、ふいに姿を消す。混んでくれば必ず戻ってくるのであまり気にしていなかったが。
あれで給料出るんだから良いご身分だよね、店長の弱みでも握ってんじゃないの。純ちゃんはぶつくさ言いながらロッカールームへと向かった。
私と純ちゃんのソウヤさん評はかように異なる。彼女は私たちがラブホテルに行ったことを知らず、多少のうしろめたさを感じでもない。やらしいことはしていないのだから、うしろめたさなど感じ損なのだけれど。
休憩室の窓からは入道雲がのぞき、飛行機雲が伸びゆく様が眺められた。まったく正しい夏空だ。けれど、この明るい青空の下では、暗紫紅の光はまぎれてしまうだろう。
私たちは週に二回ぐらいの割合でラブホテルへ赴き、発光実験を繰り返した。すなわち、身体に様々な刺激を与え、発光条件を探る。温めたり、冷やしたり、叩いたり、突いたり、揉んだり、噛んだり(最後の二つは自分で自分にして妙に恥ずかしかった)。
ホテルだと高くつくから実験室を変えませんかという私の提案を、ソウヤさんは「俺かカヲルちゃんち? 付き合ってもないのにやばいでしょ」と却下した。ラブホテルはやばくないのですかと尋ねれば、ここは俺の庭みたいなもんだからと捉えようによってはなかなか下衆なことをいう。そも、家ではなく庭なら良いのか。やはり微妙にずれた会話だったが、「お金はいいから、安全な場所でやろう」という言葉に甘えた。あと、お風呂は実験前に入らせてもらうようになっていた。
密室の中、時に私の肌は暗紫紅の光を灯した。前触れもなく、音もなく、熱もなく。ろうそくや
ソウヤさんはその様子を食い入るように見つめていた。おそらくその視線は、ながら見のAVというよりも、気まぐれに舞い降りる蝶を追いかける子どものそれに近かったのではないかと思う。そして、暗紫紅に照らされたソウヤさんの横顔を盗み見るのが私の癖となっていた。
「ずうっと昔、百五十年以上も前には、山一つ燃やすほど光る人がいたそうです」
その夜も発光の規則性を見出せず、けれど暗紫紅の光はくゆり、帰りの車中にて私はどこか夢見心地に語った。実際、半分寝ぼけていたかもしれない。国道は空いており、流れに澱みなく、暗い河を下るように感じられた。
安瀬女の光は、他の発光生物と同じく、ほとんど熱を発しない。だから山一つ燃やしたというのは、そう見えた、という比喩だ。
「安瀬の人々は落人の末裔で、山間の隠れ里に棲んでいました。光が漏れたら災いを呼ぶ、決して安瀬女は里の外へ出てはならない。そんな掟を守って」
国道沿いには、ソウヤさんの〈庭〉以外にもラブホテルは毎五キロメートルぐらいに建っていた。派手派手しいイルミネーションに彩られ、原色の光を放ち、男女を誘引する。それはある意味とても健全な営みに思えた。
「実際、発光を知られたら大変です。サーカスに売り飛ばされて、人身売買で、臓器を切り売りされます。多分」
この話をしたのは身内以外はソウヤさんが初めてだった。話したところで、光を目の当たりにしなければ信じられないだろうが。
まあ、隠したくなる気持ちはわかるよと彼は黄色の点滅から赤へと変わる信号機を見据えたまま言う。
「カヲルちゃんのお母さんも光んの?」
「・・・・・・多分。子どもの頃、出て行ってしまったきりなのでよく覚えていませんが」
そうなんだと呟いたきり、しばらく無言のまま車は深夜の国道を直進していたが。ソウヤさんは唐突にウィンカーを出し、やや強引に斜線変更をした。後続車からクラクションを浴びせられつつ左折する。いつもと違う経路だった。
「どこ、行くんですか?」
「明日、遅番だっけ」
もう少し付き合ってよ、とこちらの返答を待たぬまま、アクセルが踏み込まれた。
助手席に座っている身では付き合うも何も、飛び降りるわけにはいかず、従うより他はない。
先ほどの法螺ともとられかねない昔語りに怒ったのか。いかがわしいところに連れ込まれるのだろうか、その骨頂たるラブホテルから出てきたばかりなのに。それとも悪い友だちと落ち合って、もてあそばれ、山中に埋められてしまうのか――暗い妄想は止め処ないが、考えるほどに不安は感じていなかった。
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