車は国道を逸れ、南へ南へ走る。徐々に建物がまばらになり、町中の景観から雰囲気が塗り変わる。公団を過ぎ、橋を渡り、工場、コンテナ群が立ち現れて。


 山ではなく海。埠頭だ。


 ようよう車がどこへ向かっているのか思い当たる。地元は日本でも主要な国際貿易港を有しており、道が空いていれば二十分ほどで広々とした港湾に突き当たるのだった。しかし神戸や横浜のような洒落た街ではなく、産業の輸出、資源の輸入を主としており、一部のレジャー施設以外はあまりデートスポットとして相応しくない。

 実際、真夜中の埠頭ドライブは、むしろ退廃した近未来に迷い込んだような奇妙な心地にさせられた。分岐した高速道路が幾重にも折り重なり、人気無い工場は日付を跨ごうとしている時刻にも関わらず低い唸りを上げ稼働し、クレーン車は骨折したような角度に折れ曲がったまま放置され、対岸に臨む製鉄所からは体に悪そうなあ灰紫色の煙が吹き上がっている。


「麻薬の取引とか、人質と身代金の引き換えとか、主人公が組織に追いつめられて絶体絶命とか・・・・・・あと前世の記憶が甦った今生は敵同士の恋人たちの再会とか、ありそうなロケーションですね」

 それなー、ソウヤさんは私の軽口に応じた。けれど、ノリと仲間を大切にするウェイな彼が被せてこないのはやはり妙だった。

 そして最終的に車が行き着いたのはフェリー乗り場だった。この時間、船の発着は無く、閑散としている。

 ソウヤさんは車から降りさっさと歩き出し、私は後を追う。

 岸壁まで行くと彼はしゃがみ、黒々とした海を覗き込んだ。私は隣で立ったまま、ぬらぬら光を反射する水面を眺める。思ったほど強い潮の香は立ち昇ってこない。岸壁に打ち寄せる漆黒の波は、ゆらゆら、ゆらゆら、誘うように揺れる。夜の海は、昼間のそれよりずっと引力が強く感じられた。引きずり込まれると怖気を感じるほど。

 かすかな青白い光が瞬いたのは目の錯覚か、それともヤコウチュウか。夜光虫は日本沿岸でもよく見られる発光生物で、波の刺激を受けて光るプランクトンであり、実は虫ではない。青い燐光はほろほろ空気中にまで溢れ出ているように、むしろ、零れ落ちているように見えた。はっとして横を見やれば、ソウヤさん自身は気付いていない。ただ静かに、撫ぜるような視線を海面に送っていた。


 アプローチを変えようと思う、と、どこか神妙にソウヤさんは口火を切った。


「俺に一目惚れしてない?」

 

 していません、と即答した。

 

 眉毛を八の字にした、しょんぼり犬の顔が向けられる。そういえば、襟足の長い髪は少しパピヨンに似ているかもしれない。佇まいはゴールデンリトリバーのような大型犬を彷彿させるのだけれど。

 いや、そこは、こういうシチュエーションだからもうちょっと趣き深くやろうよ、苦情が入るが、嘘は吐きたくなかった。


「最初にカヲルちゃんが光ったのを見たのって、俺らが一緒のシフトに入った初日の遅番でさ。で、ホタルは求愛行動として光るじゃん、もしかしたらとそういう可能性もあるかと」


 驚いた。そんなに早くからこの人は自分の光に気付いていたとは。けれど彼はこちらの心の機微には無頓着で、捲くし立てる。


「だから〝発光〟へのアプローチを変えようと思うわけ。真面目に調べたんだって――」


 現在、地球上の発光生物は一万種以上ともいわれるが、その光るしくみが解き明かされているのは、ホタル、ウミホタル、発光細菌、ウミサボテン、深海海老の仲間だけであり、ほんの一握り。専門家でもまだまだ未知の領域なのだ。ならばそのしくみではなく、光が指し示す、意味や役割を探ろうじゃないか。意味や役割がわかれば、発光のタイミングが掴め、多少は付き合いやすくなるのではないか――


「求愛信号、おとり、照明、逆照明、煙幕、警告、SOS信号だったけな、載ってたのは。特に意味ないんじゃねって説もあったけど」


 ソウヤさんは指折り、光の役割を挙げていく。とにもかくにも、彼がわりと真剣に考えてくれているのは事実のようであった。だが。


「それだけですか?」


 珍しく涼しい夜で、湿度も低く、潮風は不快ではない。私は腰を屈めて、しゃがんだままのソウヤさんを見下ろす。下ろした髪がさらさら靡き、彼の頬に触れた。


「髪きれいだね、いい匂いする」

「ラブホ備え付けのシャンプーとトリートメントです。あと髪は元々赤毛の癖毛なので、黒く染めて縮毛矯正かけてあります」


 あー、そうなんだ、全然癖毛も可愛いよ多分、ってかラブホじゃないしと気まずげに目線を逸らした後。彼はようよう白状した。親父と喧嘩した、帰るに帰れないと。


「可愛い女子に告白されたら一勝一敗、引き分けで気持ち良く明日へ持ち越しできるかなと」

「全然土俵が違うでしょう」


 まじかー、彼は苦笑して立ち上がった。青白い燐光はもう消えている。


「謝りますか、お父さんに」

「俺は悪くないし、この時間なら親父はもう寝てる。明日は早番だから朝も俺のが早い」


 顔を合わさないで済む、言いながら大きく伸びをして車へと歩き出す。

 つまるところ、時間潰しに付き合わされただけだったらしい。けれど悪い気はしなかった。そもそも発光実験に付き合わせているのはこちらなのだから。

 そういえばさー、と背を向けたまま彼は続ける。声の調子が変わり、話題を変えようとしているのがわかった。


「〈カーヤ〉の由来知ってる? あれ〈カヤカヤ〉から来てんだよ」

「元々〈神田屋〉なんですよね。食堂の」

「バイトの面接の時、そんなことまで教わってんの?」


 ソウヤさんが驚きの声をあげて振り返り、私は首を横に振り説明した。


「いえ、中学生の頃、地域の職場体験させてもらった時、社長が直々に教えてくれたのです」


 ――〈カーヤ〉は食堂〝神田屋〟から始まり、ごひいきにしてくださるお客様のお役に立ちたく、店先で日用雑貨を扱い始めたところ規模を拡大、拡充、今では県内外にショッピングセンター二十店舗を数えるまでに成長しました。地域の皆様のベストパートナーを自負しております――

 これはホームページの社長挨拶に掲載されている文面だけれど、同じような内容を地元の中学生向けにやや盛って話してくれた。二代目のワンマン社長らしく。


「職場体験ねー、俺の時あったかな」

「保育園とか、介護施設とか、消防署とか、いくつかの候補から選びました」

「じゃんけんで負けたでしょ、カヲルちゃん」


 おおむねその通りだったので否定はしない。実際は病欠明けに学校に行ったら余り物を割り当てられていたのだが。期待しなかった職場体験だったけれど、私としては良い経験だった。


「商品落としたり、お客様にぶつかったりと失敗ばかりでしたが、現場の店員さんは怒らず助けてくれました。後光が射して見えました、店員さんは」


 それが縁でウチでバイトしてんだ、いえ家と学校の間にあるので、通勤の便かい、ええまあ。小走りになって大きな背を追い、ソウヤさんの隣に並んだ。と、思ったらソウヤさんが足を止めて今度は抜かしてしまう。振り返れば、なんというか間の抜けた顔が照らされていた。暗紫紅色に。カヲルちゃん、彼がうめくような声を上げる。


「今、焼身自殺並に光ってるよ」


 照らしているのは私自身であり、身体を見下ろすまでもなく、全身の隅々から光が放たれ、暗紫紅に染まっていた。足なり、腕なり、身じろぎすれば同調して光が揺らぐ。まるで光の蒸気を吹き出しているように。

 やばい。やばいですね。これどういう意味なの。さあ照明ですかね。求愛じゃないの。いえ、照明かと。

 話している間に光は鎮まりつつあった。人気は無いが、誰かに見られていないだろうか。動画に撮られてネットにアップされたら花火事故としてごまかせるだろうか。埠頭で花火なんてと、今度はマナー違反を叩かれるかもしれない。

 光が鎮まり、急ぎ車に乗り込み、シートベルトを装着していると、ソウヤさんは堪えきれないというふうに吹き出した。真夜中に咲くクソはた迷惑な花だ、と。その笑顔に青い燐光が踊ったように見えたのは、願望かもしれなかった。



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