第44話

 あれから四日、とりあえず泰葉には会わず、泰葉母も現れず、平和な日々と言えなくもなかった。

 本当は、今日のバイトのシフトに泰葉が入っていたはずだが、無断欠勤していた。三人で仕事を回すことになり、正直大変だったが、いてもどうせ役に立たないのだから、まあ来なくて良かったのかもしれない。

 平和な日々ではあるけれど、今まででと違うことと言えば……、別れ際に俊とキスするようになったこと。

 いまだに慣れることはないけれど、幸福レベルが急上昇しているかもしれない。


「なんかさ、最近のめぐちゃん、血行がいいっていうか、だけど可愛くなったね」


 静香が、バイトの片付けをしながら、愛実の背中をツンツン突っついてきた。


「ありがとうございます」


 愛実は、素直に賛辞と受け取っておくことにした。


「もしかしてだけど、俊君と……した? 」


 愛実はボッと赤くなる。愛実の頭の中では、キスした? と変換されていた。


「いや……ないか」


 静香は、愛実の腰辺りをじろじろ見て、イヤイヤと首を振る。静香はもちろん、キスのことを聞いたわけではない。


「それにしても、なんかフェロモンがでてるのよね。こら、何があったか、お姉さんに教えなさい」

「静香さん、愛実ちゃんの邪魔してないで、仕事して下さいよ」


 譲が静香にモップを渡し、ほらほらと追いやる。

 今日は水曜日だから、俊はバイトに入っておらず、もうすぐ迎えにくるはずだった。

 カランカランと店のドアが開く音がして、俊だと思い目を向けると、……泰葉がキツメな表情で立っていた。


「あんた……、今頃きても」


 静香をガン無視し、泰葉はホールを横切ると愛実の前に立つ。泰葉は右手を振り上げ、愛実の左頬におもいっきり振り下ろした。


 パンッ!


 渇いた音が響き、店の時間が止まったかのように、みな動きが止まる。

 愛実も、一瞬何が起こったのかわからず、ただ痛みだけが左頬にジンジン残った。なぜか、左目からだけ涙が出る。

 さらに掴みかかってきそうになった泰葉を、すんでのところで譲が羽交い締めにして止めた。


「何してるんだ! 静香さん、亮子さん呼んできて」


 静香は、慌てて事務所にいる亮子を呼びに行く。


「あんたのせいで、ママがおかしくなっちゃったじゃない! あんたの撮った写真を消さなきゃって、ブツブツ言って……。寝ないし食べないし。あんた、ママに何したのよ! 」


 泰葉は、譲に押さえつけられたまま、愛実を睨み付けた。


「ママ? 写真? もしかして、ラブホのこと? 」


 譲が先週のことを思い出して、ポロッとこぼす。


「ラブホって何よ! 」

「だから、先週、君の母親と禿げオヤジがラブホから出て来て、愛実ちゃん達と鉢合わせしたやつだろ? 」

「譲君! 」


 愛実は、譲の喋りを止めようと一歩前に出る。


「愛実ちゃんが電話するんでスマホ出してたのを、写真撮られたって勘違いしたんだよな。迷惑な勘違いだよ。おばさんと禿げオヤジの写真なんか撮るかっての。スマホのメモリーの無駄遣いだし」


 ブラック譲が顔を出している。

 たぶん、泰葉がこなかったせいでバイトが忙しく、たまっていたイライラが爆発したのかもしれない。


「ほら、先週みんなでバイト帰りにお茶したときだよ。あんとき、君の母親は禿げ親父とラブホにいたってわけ。僕も、ファミレスの窓から見てたけどね。確かにラブホから出て来てたよ」


 泰葉は、力が抜けたように、譲に掴まれたまま床にペタンとすわりこんでしまう。


 そこに、俊が愛実を迎えにやってきた。


「お疲れ……、って、どうした?」


 愛実の頬が真っ赤になっているのを見て、俊は慌てて駆け寄ってきた。


「沢井さんにやられたの?! 」

「いや、まあ、そうなんだけど、勘違いっていうか……。大丈夫だから」

「大丈夫なわけないじゃん! こんなに腫れて……」


 俊が愛実の頬にそっと手をそえたとき、静香に連れられて亮子もやってきた。


「泰葉さん、あなたこっちにきなさい! 愛実ちゃんもこれる? 」


 亮子が泰葉の腕を引っ張って更衣室まで連れていき、その後ろからみなぞろぞろとついていった。

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