第37話

 ホールはすでに満席で、静香・泰葉ペアは全く使い物にならず、亮子と譲で回している状態だった。

 愛実は会計済みのテーブルを片っ端から片付けて回る。

 亮子は、ホッとしたように愛実にうなづくと、新規の客を通した。

 静香は、片付けの仕方などを教えているようだが、泰葉はそんなに持てないだのほざいているようだ。

 途中、カリカリした静香が愛実の元にやってきた。

 泰葉は、すっかり壁の花になっている。自分から動くことなく、ただ笑顔でホールを眺めていて、新人なのに一番偉そうに見えた。


「なんなのよ? あの子! 全く使えないじゃない! ああ言えばこう言う! 言いたくないけどね、今時の子は! って怒鳴りたくなるわ! 」


 静香は怒りを愛実にぶつけ、笑顔を取り戻して接客に戻る。

 泰葉の教育係は放棄したらしい。

 亮子も、その方が仕事が回るからか、泰葉を壁の花にしたまま仕事をしていた。

 ある程度客足のピークが過ぎ、亮子は静香に再度教育係を頼むと、販売に戻って行った。


「なんていうか、バイトに向かない子だね」


 いつの間にか、譲が愛実の隣りにきていた。客に聞こえないように小声で話しているせいか、妙に距離が近い。

 愛実は、半歩譲から離れると、肯定とも否定ともとれる微妙な笑顔を浮かべた。


「あの子、同級生なんでしょ? 」

「うん…。クラスは違うけど」


 譲は、さらに半歩近寄ってきて、愛実は半歩離れる。

 その様子を見た壁の花の泰葉は、口の端をクッと上げた。

 営業時間が終わり、片付けに入ったとき、やっと俊が販売からホールに戻ってきた。


「俊くーん、あたしぃ、疲れちゃったぁ。足が棒だしぃ」


 泰葉が俊の腕にぶら下がるようにしなだれかかる。


 いやいや、ただ立ってただけだから。


「ああ、お疲れ。……ちょっと離れて。片付けしなよ」


 俊は泰葉を押し戻すと、慌てて愛実の元にやってくる。


「お疲れ。どうだった? 大丈夫だった? 」

「うん、まあ、なんとかね」


 泰葉に実害は受けてないのは確かだった。ただ、泰葉が動かないおかげで、えらく忙しかった気がするけど。

 俊は、愛実の頭をポンポンと叩くと、片付けを手伝い始めた。

 泰葉は、そのそばに寄って来ては、邪険に扱われても全くへこたれない。とうとう、片付けもすることなく、俊の後だけを追いかけてバイト初日が終わった。


「俊くーん、帰りにみんなでご飯食べて帰りましょうよぉ」

「みんな? 」


 いつもなら早く終わった人から更衣室へ向かうのだが、なぜか(泰葉のせいだけど )みな疲れきっており、片付け終わったホールに残っていた。


「あたしぃ、バイト初めてだしぃ、色々聞きたいことあるしぃ、みんなと仲良くもなりたいしぃ、ファミレス寄りたいなぁって思うわけぇ。譲君や静香さんもぉ、行きましょうよぉ」


 うわあ、私だけ無視だよ。


「私パス。家にご飯あるから。帰るわ、お疲れ! 」


 静香は、よっこらせと立ち上がると、首をならしながら手をヒラヒラ振って更衣室へ向かった。


 静香さんの夕飯って、若林先生の手作りだろうか?


 なにげに料理上手だったし……と若林の手作り弁当を思い出した。


「そうだね、バイト帰りにご飯とかしたことなかったもんね。それもいいかも。僕は、俊君や愛実ちゃんが行くなら行くよ」


 譲は、俊と愛実のほうを向いて言う。

 こういう言われ方をされると、どうにも行かないとは言いにくい。


「俺は愛実が行くなら……」


 誘われていない私に選択権が回ってきてしまった。


「夕飯は家に用意してあるだろうから、お茶くらいなら……」

「じゃぁ、俊君行きましょう。女子が先に着替えるのでぇ、いいかしらん? 」

「どうぞ、お先に」


 泰葉はスキップしながら更衣室に向かい、愛実は足取り重く更衣室へ向かう。

 更衣室には、まだ静香が残っていた。着替え終わり、念入りに化粧をしている。


「静香さぁん、家に帰るだけですよねぇ? 」

「そうよ、家に帰るのに化粧しちゃいけないの? 」


 静香は、ビューラーで長い睫毛をカールさせ、丁寧にマスカラを塗りながら答える。


「なんかぁ、デートに行くみたいなぁ、気合いの入り方だなぁってぇ」

「あんた、女同士でその喋り方止めたら? 」


 口紅を塗り直し、グロスをつけ、鏡で全体をチェックする。

 バイトの爽やかしっかりメイクから、お色気たっぷりメイクに変身していた。


「そうですね。うーん、疲れた」


 泰葉は椅子に座り、伸びをしながら表情まで変える。

 さっきまでのブリブリした上目遣いが一瞬で消え、不敵なキツイ目付きが現れる。


「静香さん、化粧濃すぎません?それとも次のバイトですか? 」

「あんたの化粧も人のこと言えないけどね」

「あら、元がいいから、濃く見えるだけなんです。まだ若いから、厚塗りの必要なくて」

「そう? ニキビ隠すの大変でしょ? 」

「静香さんもニキビが……、ああ、もうふきでものですね」


 愛実は、急いで着替えながら、二人のやりとりを見ていた。

 この二人、基本失礼なところは共通しているのかもしれない。ただ、静香は根本はいい人であり、泰葉は真逆であるけど。


「静香さん、彼氏( 若林先生 )が待ってるんじゃないんですか? 沢井さんは早く着替えなよ」

「うっさいな、いつ着替えようが、あたしの勝手。疲れたの! 」


 ここまで態度変わるか。


 泰葉は、だらしなく座ったまま、いっこうに着替える様子がなかった。


「いや、男子が待ってるから、そこは急ごうか」

「あら、あたしは俊君達と一緒に着替えてもかまわなくってよ。っていうか、その方が手っ取り早くていいわね」


 何が手っ取り早いんだか……。


 愛実はため息をついて、俊の荷物を出すためにロッカーに向かう。暗証番号で開けるタイプの鍵だったため、愛実は暗証番号を合わせて、中から俊の荷物を取り出した。

 更衣室のドアを開け、廊下で待っている俊達に声をかけた。


「聞こえてるよ。まだかかりそうだな」


 俊は呆れ顔だし、譲は声を出さずに笑っていた。


「これ、荷物。厨房ででも着替えてよ。譲君も、ロッカー開けて良ければ荷物出すけど」

「お願いしようかな。これ鍵」


 愛実は俊に荷物を渡し、譲からロッカーの鍵を受けとる。

 更衣室に戻ると、静香にどやされながら、やっと泰葉が着替え始めていた。


「ウリにするだけあるわね。いい身体してるわ。まあ、まだ色気は私には敵わないけど」


 譲の荷物を出しているところへ、静香がやってきて囁いた。


「あんたは大負けだね」

「大きなお世話です! 」


 愛実はロッカーを乱暴に閉めながら、ベエッと舌を出す。


「大丈夫、大丈夫。人の好みはそれぞれだから。俊君はスレンダーのほうが好きなんでしょ」

「静香さん、彼氏が待ってますよ! 」

「ああ、いいの、いいの。遅ければ遅いほど、労ってもらえるから」


 先生……可哀想。


 愛実は、自分の荷物と譲の荷物を持って廊下へ出た。俊はすでに着替えに行っていた。


「これでいいかな? 」

「うん、ありがとう。愛実ちゃん、大変そうだね」

「まあ、そうだね。ちょっと想定外……」


 譲は愛実から荷物を受けとると、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。


「僕も、彼女を見習ったほうがいいかな? 」

「止めて……。マジで止めて。うんざりだから」


 愛実は、ゲンナリとした表情を浮かべる。泰葉だけでも面倒なのに、譲まで参戦してきたら、確実に許容範囲を超えてしまう。


「嫌われたいわけじゃないからね。ちょっと今、試行錯誤中だし」


 意味がわかりませんけど……。


 譲は、いつもの可愛らしい笑顔を浮かべると、着替えてくるねと行ってしまった。


「なんなんだ、いったい……」


 今日のバイトの疲労感もあり、愛実は壁に寄りかかって目を閉じた。


 疲れた……な。


 何かフワッと風を感じ、頬っぺたに暖かい物が触れた。

 驚いて目を開けると、間近に俊の顔があった。


「何かした? 」

「ちょっと自分にご褒美」


 色っぽく笑う俊に、愛実の頬が赤くなる。

 しばらくして、譲が着替え終わって合流し、静香が帰り、やっと泰葉が更衣室から出てきた。


「行きましょう」


 泰葉は、遅くなってごめんと言うこともなく、待たせて当たり前みたいな態度で、先頭に立って歩き出した。


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