第35話

「俊くーん」


 甘ったるい声が、校門から出てバイトに向かおうとしていた愛実と俊の後ろから響いてきた。

 俊は、愛実の手をギュッと握り、恐る恐る振り向く。

 いつも以上に化粧に気合いの入った泰葉が、ぶりっこ走りで手を振りながら走ってきた。

 親しげに俊の腕を引っ張り、自慢の胸を押し付ける。すでに、シャツの第二ボタンまで外れている。その勢いに、愛実とつないでいた手が離れた。


「ちょっと、離しなよ」


 愛実が俊を引っ張り返す。


「あら、安藤さんもいたの? 」


 愛実はムッとしながらも、自分から俊の腕に手を絡ませた。愛実から俊に対して行動を起こしたのは初めてだったから、俊は驚きながらも嬉しそうに、反対の手で俊の腕に絡めた愛実の手を包み込む。


「いるわよ。で、何の用? 」


 泰葉は、全く怯む様子もなく、また愛実の存在を無視するように、俊の真隣りに立つ。その距離0センチ。


「あなたに用事はないわ」


 なぜか三人並んで歩き出した。

 後ろから見ると、男一人が女二人をはべらかしているように見える。


「たいした男じゃないって言ってなかったっけ? 」

「あら、なんの話しぃ? あたしはぁ、俊君一筋だしぃ。最初はぁ、諦めようと思ったけどぉ、やっぱり無理でぇ、だからぁ、アタックすることにしたのぉ」


 はい?


 俊と愛実は唖然として、くねくねしながら話す泰葉を見た。


「ウフッ、本気でいくからぁ、俊君、狙い撃ちしちゃうぞ」


 泰葉がウィンクを決め、小首を傾げながら、バーンと撃つふりをする。


 何だってこんなことに?


 愛実は、泰葉の心境を想像してみた。

 最初は自分になびかない俊に腹をたて、愛実共々学校から追い出してやろうと、嫌がらせの写真を撮って、学校に送りつけた。けれど、いつまでたっても処罰されないから、今度は自分の母親に攻撃させたわけだ。

 それが美希子に返り討ちに合い、そこで初めて俊の……というか、斉藤家がごく一般的な斉藤さんではなく、有名人の斉藤であると知った。

 泰葉と泰葉母は、そこで手を引くのではなく、取り込むことを選択した。きっと、なりふり構わず色仕掛けしてくるに違いない。


 厚顔無恥……泰葉母子のためにある言葉かもしれない。


 なんで、俊が泰葉に心変わりすると思うのか、隠し撮りや嫌がらせをするような人間に好意を持つと思うのか、正直理解できない。


「あのさ、前も言ったけど、愛実のことが好きなんだ。沢井さんを好きになることはないから」


 俊は、少しでも泰葉から離れようと距離をとる努力をしつつ、きっぱりと言った。


「やぁねぇ、これからのことなんかぁ、神様しかわからないぞ」


 あんたが神を語るな! 可愛い子ぶるな!!


 泰葉のぶりっこに、フツフツと怒りが湧いてくる。


「それにぃ、あたしのことよく知ったらぁ、ぜーったい、泰葉から離れられなくなるんだからぁ」


 泰葉は、俊の腕をとり、身体全体を押し付けるようにする。


「悪いけど、そういうの、本当に無理なんだ。気持ち悪いとしか思えない」


 俊は、泰葉をひっぺがすと、わざわざ反対側に回り込み、愛実の腰に手を回した。今度は愛実が真ん中になる。

 さすがに、泰葉はさらに俊のほうにくることはなかった。


「まあ、いいわ。ぜーったい、あたしのほうがいいって、思うようになるんだからぁ」


 泰葉は、頬の横に両手を持ってくると、プクッと頬を膨らませる。


 この自信、どこからやってくるんだろう? 気持ち悪い……とまで言われているのに。


「沢井さん、私達、バイトに行くから、あなたの相手をしている時間はないんだけど」

「あたしもぉ、バイトだしぃ」


 泰葉は、含み笑いをする。

 駅につき、電車に乗っても泰葉はついてきた。電車で五駅目なのだが、やはり泰葉も同じ駅で下りる。


 まさか……ね?


「こっちなの? 」

「そうよぉ」


 とうとう泰葉は、パティスリー・ミカドの前までくる。


「まさか、ここじゃないわよね?」


 泰葉は、ニタッと笑う。


「ここよぉ。俊君、色々教えてねん」


 泰葉がスキップしながら、裏口から店へ入って行った。

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