第29話

 パティスリー・ミカドは、ケーキ屋だけあって、喫茶が混むのは午前中から夕方六時くらいまで、夜は喫茶よりもお土産で持ち帰るお客様が増える。なので、夕方からは喫茶のバイトから販売のほうに移ることが多かった。

 今日も、夕方からは早番の二人が販売に回り、客足が緩やかになった喫茶は三人で回していた。

 もうすぐラストオーダーの七時半だ。客も一組だけになり、片付けに入ろうとしたとき、客が一人で入ってきた。


 この時間に夕飯じゃなくケーキ? しかも男性一人で?


 入ってすぐの席に座り、静香が接客していた。


 あの後ろ姿……なんか見覚えがあるような?


 さりげなく、客の顔が見える位置に移動してみた。


「先生?! 」


 担任の若林だった。


「おう、店きたぞ。いやあ、うまそうなケーキばっかだな」

「よく一人でこれますね」


 愛実は、若干呆れ顔で言った。

 実際、パティスリー・ミカドの客の八割は女性だったし、女性のお供で男性客がくるくらいだ。販売の客としては男性一人でくる客もいたが、喫茶に男性一人は珍しかった。


「なんだよ。お前らの無実を証明するためにだな……」

「無実って何? なによ、めぐちゃんの知り合いなの? 」


 若林の頼んだガトーショコラとアイスティーを持ってきた静香が、若林の前にケーキをを置きながら話しに入ってきた。


「担任の若林先生です」

「先生なの? 見えなーい。大学生みたい」

「どうも。安藤と斉藤の担任をしてます若林茂です」

「初めまして。山内静香です。で、無実って? 」


 静香が若林の正面の席に座り、身を乗り出すように聞く。


「いや、実は……」


 若林が、匿名で送られてきたあの写真をだした。


「あら、俊君とめぐちゃんね。すごい、よく写ってるじゃない。これがどうしたの? 」

「これ、学校に送られてきたんですよ」

「何か問題でも? 」


 静香は、写真を見ながらこの写真の何がいけないかわからないと首を傾げる。


「なんていうか、高校生がデートする時間じゃないし、場所もいかがわしい感じが……」

「いかがわしい? やだ、先生うける! 」


 静香は、手を叩いて爆笑し、若林は、困ったように愛実に視線を向けた。


「俊君はともかく、この子にその心配はまだ必要ないでしょ」

「静香さん! 」


 愛実は、顔を赤くして静香の肩を揺すった。


「だって、そうじゃない。めぐちゃん、私があげた下着使ってないでしょ? 洋服着ててもわかるんだからね。この子、色気ゼロですもん。俊君可哀想」

「いいじゃないですか、色気ゼロでも。高校生らしく! です」

 愛実は、プリプリ怒りながら先生の席を離れて仕事に戻った。

 先生意外の最後の客がお会計に立ち、俊がレジに入ったので、愛実はテーブルを片付けに行く。

 静香は、若林の席に腰を落ち着けてしまい、何やら楽しそうに話していた。


「若林、あの写真の確認にきたんだ」


 レジを終えた俊が、愛実の所へ手伝いにくる。


「たぶん、そうみたいよ」


 俊が皿などを運び、愛実はテーブルを拭く。椅子を片付け、テーブルセッティングする。

 静香は相変わらず若林の席で話していた。静香にしたら、お客様の話し相手をしてるふりしてサボっているのだが、若林の顔は微かに蒸気しており、たまに静香をボーッと見たりしている。


 若林と静香さん?

 いや、若林が遊ばれてズタボロにされそうだわ。


 愛実は店の扉にクローズの札をだし、若林のところに行った。


「先生、食べるのは食べてていいから、先にお会計してくれる? 会計閉めたいから」

「ああ、そうだよな」


 若林は財布を出し、愛実に代金を支払う。

 静香は、若林の財布をチラッと見ると、フーンとつぶやいた。


「静香さん、片付けしちゃいますから、会計閉めてください」

「OK。先生、ゆっくりしてってくださいね。っていうか、夕飯は食べてきたんですか? 」


 静香は、上目遣いで若林を見ると、にっこりと微笑んで見せた。


 ウワーッ、静香さんに何かのスイッチが入ったよ。

 若林は、赤くなり口ごもる。


「いや、まあ、軽くくらいだけど」

「あら、私おなかペコペコなんです。もしよろしかったら、この後お食事いかがですか? 」

「もちろん、喜んで」

「じゃあ、待っててくださいね」


 静香は綺麗にウィンクを決めると、レジの方へ向かった。


「先生、大丈夫? 」

「うん? 」


 明らかにボーッとしている若林は放っておいて、愛実と俊は後片付けに入った。

 片付けが終わり、愛実は私服に着替えてホールに戻ると、先に着替え終わっていた俊が若林と話していた。


「お待たせー。今日も忙しかったね」


 愛実は俊の隣りに腰を下ろした。


「お疲れ、静香さんは? 」

「まだ化粧してる」

「お前ら、土曜日は一日仕事だったっけ? 」

「そうだよ。一日立ちっぱはしんどいね。まあ、昼休みは交代で一時間あるけどね」

「仕事するって、大変なことなんだよ」


 若林がしたり顔でうなづくと、愛実が茶化す。


「やだ、先生みたい」

「こら、先生だろ! 」

「あら、先生には見えないわよ。スーツ着てなきゃ大学生ね」

「静香さんまで。そりゃ童顔ですけどね」


 バッチリ化粧した静香が、若林の肩に手を置いて立っていた。


「で、先生。駅からここまで歩いてきたんだろ? あの写真は帰り道だってわかった? 」


 俊が聞くと、若林は大きくうなづいた。


「ああ、全部ここからの帰りの写真だな。一応、証拠に写真撮ってきたけど」

「凄い! 熱心なのね。素敵! 」


 わざとらしく、静香は若林にすり寄った。

 ふわりと良い香りが漂う。

 喫茶のバイトだから、香水系はNGだ。もちろん、静香もアルバイト中は香水はつけていない。

 わざわざ香水を付け、化粧にも隙がない。


 なんでだ?


 若林は、可愛い系の童顔な見た目だが、けしてイケメンではない。ごく普通だ。身長も低めだし。


 静香さんが狙うタイプには見えない。……先生には悪いけど。


「ほら、戸締まりして行きましょう。販売はもう閉めてるわよ」


 静香が若林の腕を引っ張って、店から出る。


「斉藤、安藤、また来週な。真っ直ぐ帰れよ」


 若林は、愛実達に手を上げて挨拶すると、静香に引っ張られながら夜の街に消えていった。


「若林、大丈夫かな? 」


 俊が心配そうに見送る。


「静香さんだからね……。でも、なんで若林なんだろう? 若林には悪いけど、静香さんの食指が動く容姿じゃないと思うんだけどな」


 俊は、店の戸締まりをすると、鍵を事務所に置きに行く。


「さっき、若林のこと色々聞かれたよ。静香さん、目ざといよな。若林の財布や時計、靴なんかいい物持っててさ、ただの高校教師の持ち物じゃないってね」

「そうなの? 」


 事務所から出ると、俊は愛実と手をつないで駅に向かう。


「若林の実家って、大きな会社やってんだよ。たぶん、愛実も名前聞いたことあるくらいの。次男みたいだけどな。それに公立の教師っていったら、一応公務員になるのかな? 」

「そうなの? 」

「たぶんね」


 静香のことだから、若林を保険としてキープするつもりなんだろうが、若林は遊びと割りきった付き合いができるタイプにも見えない。


「若林、静香さんの魔の手に落ちないといいんだけど」


 愛実が心配そうに言うと、ため息がちに言うと、俊は愛実の腰に手を回した。


「まあ、あいつも大人なんだから大丈夫だよ。それよりさ、あの写真が言いたかったこと、本当にしてみるってのはどう? 」

「写真? する? 」


 目の前にはラブホテル。

 愛実はおもいっきり俊を突き飛ばすと、どつき回した。

「素直に帰るの! 」

「ええ? ダメ? 」


 俊は、極上の笑顔を愛実に向け、耳元で囁く。


「ダメに決まってるでしょ。明日、朝から遊び行くんでしょ? 早く帰って寝るよ! 」

「チェッ、一緒寝たいのにな。まあ、楽しみは後で……かな。」


 俊は諦めたのか、愛実の手を握りなおし、駅への道へ足を向けた。


 ラブホテルなんて無理だから!

 しかも今日は下着が……。

 いやいや、そうじゃなくて!!


 愛実は、一人心の中で突っ込みを入れる。

 その一方、明日は静香に貰った下着を付けよう! と思いながら、自分に言い訳をする。


 貰ったのに使わないのは悪いからよ。たいした意味はないんだから。


 一人百面相をしている愛実を、俊は楽しそうに見ていた。



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