第14話

 梨香が学校に編入してから一ヶ月、高校生初の夏休みがやってきた。

 アルバイト解禁。

 愛実がアルバイトを探していたら、梨香の母親の仕事つながりで、ケーキ屋パティスリー・ミカドでのアルバイトを紹介してもらった。

 ケーキ屋といっても、店内でもケーキや紅茶を楽しめるようになっていて、愛実はホール担当だ。

 たまに雑誌とかでも紹介されるような有名店のため、かなり時給もいいが、そのぶん忙しそうだ。

 アルバイト初日、愛実がパティスリー・ミカドの裏口から店に入ると、従業員更衣室の前で数少ない社員の三上亮子みかみりょうこが待っていた。


「安藤愛実さん? 」

「はい、そうです」

「三上亮子です。アルバイトの統括をやってます。とりあえず、これが制服。更衣室はここで、男女一緒だから、入るときは必ずプレートを確認して、女子のプレートをかけること。忘れたら、男子が入ってくるかもしれないから気をつけてね」

「はい」


 愛実は制服を受けとると、更衣室で素早く着替えた。


「タイムカードは、着替えてから押すこと。帰りは着替える前ね。髪型はいいわね。飲食店だから、アップにしてね。あとは、今日はバイトの山内静香やまうちしずかちゃんについて回って。しばらくは、彼女があなたの教育係だから、わからないことは彼女に聞いてね」

 亮子がそう言ったとき、更衣室のドアが勢いよく開き、大学生くらいの女の子が入ってきた。


「静香、今日は早くきてねって言ったでしょ」

「亮子さん、ごめーん。あ、バイトの子だ。私、山内静香、よろしくね」

「安藤愛実です。お願いします」


 静香は、人目を気にすることなく制服に着替える。かなりな美人で、スタイルもいい。


「じゃあ、静香、よろしくね」


 亮子が更衣室を出て行くと、静香は髪をアップにして口紅を塗り直す。


「めぐちゃん、化粧してないの?ダメよ、客商売なんだから、口紅くらいつけなきゃ」

「そうなんですか?持ってないんです」

「じゃ、これ。試供品でもらったからあげるわ」


 愛実は、静香から口紅を受けとると、はみ出さないように慎重につけてみる。


「アハハ、可愛い。なんか七五三みたい」


 若干バカにされてる気もしたが、とりあえずお礼を言った。


「じゃあ、ホール行こ。ケーキの種類は覚えること。それに合う紅茶もね。とりあえず、注文は私が受けるから、見て覚えて」


 愛実と静香がホールに出ると、すでに満席だった。

 席はカウンターが十席、テーブルが十卓。ホールの従業員は愛実も入れて五人……。


 あれは?


「彼、かっこいいわよね。俊君っていうのよ。めぐちゃんと同じ高校生らしいわ。うちのバイト君はレベルが高いのど有名だけど、彼は別格ね」


 静香は、うっとりと俊を見つめながら言った。


 夏休みは俊君に会わないから、穏やかに過ごせるかと思っていたのに……。


 俊が愛実に気がついて、軽く手を上げた。


「えっ? 彼あなたに挨拶したわよ?! 」


 静香が、俊と愛実を交互に見ながら言う。


「同級生なんです。彼の従姉妹とは仲もいいし」


 嘘ではない。


「佐藤美希子の娘ね。だからか、めぐちゃんみたいな普通の子が、なんでうちのバイトに受かったか不思議だったの」


 静香はウンウンとうなづいた。


 確かに普通ですけどね、なんかちょいちょいトゲがあるような。


 そこへ、お客様として美希子と梨香が来店した。


「愛実ちゃん」


 梨香が手を振った。


「いらっしゃいませ。佐藤様」


 静香が、笑顔で接客する。


「満席ね」

「奥に個室がありますので、そちらにどうぞ」

「あら、待つわよ。ね、梨香? 」

「うん。今日は俊ちゃんと愛実ちゃんの様子見に来たんだもん。こっちのほうがいいわ」


 美希子と梨香は、他の客に交ざって順番待ちに並んだ。

 みな、ザワザワと二人を見る。

 美希子は料理研究家ではあるが、テレビにもでている有名人だし、なにより二人には華があった。


「あの子、凄い美人ね。少し痩せすぎだけど」


 静香は、やはり一言多い。

 それからバイトが終わるまでは、記憶がないくらい忙しかった。

 仕事だから俊と話すことはなかったが、俊はすでに一人で接客しており、俊目当ての客が半端なく多かった。


「お疲れ。愛実、更衣室のプレートつけてなかったよ。俺だから良かったけど、矢島やじまさんとかだったらやばいぞ」


 バイトが終わって、更衣室でボーッとしていると、俊がバイトをあがってやってきた。


「まじで? 忘れてた。ってか、聞いてないよー。俊君、いつからバイトしてたの? 」


 俊が同じバイトなら、自力で違うバイト探したのに。

 愛実は、疲れたーッと机に突っ伏しながら聞いた。


「高校入ってすぐ。一学期は土日だけだったけど。夏休みはけっこうシフト入れられたよ。愛実のシフトに合わせたからね」


 なぜ合わせる?


 夏休みくらいは、俊の顔を見なくていい、あのイケメンボイスに翻弄されることはないんだって、束の間の平和を感じていた愛実だった。

 愛実は、夏休みの間はほぼフルでシフトを入れていて、それに合わせたとなると、学校レベルで俊と顔を合わせることになる。


「ほら、けっこう遅くまでバイトじゃん? 帰り道危ないからね。この辺は飲み屋も多いから」

「ああ……、別に大丈夫なのに。梨香ちゃんくらい可愛いければあれだけど、私は別に……」


 ナンパとかはされたことなかったし、酔っぱらいのオヤジさえ気をつけて歩けば、そんなに怖いこともないだろうと、二十時ラストまでバイトを入れている日もかなりあった。

 なにより、ラストまでいると、まかないがでない代わりに、時給が大幅アップになるのだ。


「なに言ってんの?愛実も可愛いから心配だよ」

「眼鏡かけなさい」

「視力2.0だから」

「1.2でしょ」

「あ、覚えてた? 」


 俊は、上着を着替えながら振り返り、フンワリ笑った。


「ごめん、出てく。」

「あ、帰らないでね。送っていくから」

「うん」


 愛実は、更衣室の前で待った。


「あれ? まだいたの? 」


 静香がバイトからあがってきた。


「お待たせ」


 静香が愛実に声をかけたのとほぼ同時に、俊が更衣室からでてくる。

 静香が、俊の顔と愛実の顔を交互に見る。


「静香さん、お疲れ様です」

「うん、お疲れ。二人、同級生なんだって? 俊君、これから夕飯とか一緒しない? お姉さんがおごってあげるよ」

「いや、大丈夫です。愛実、帰ろう」

「やあねえ、俊君。同級生だからって、呼び捨てになんかしちゃダメよ。めぐちゃんが勘違いしちゃうじゃない」


 俊は愛実の肩を抱く。


「こらこら」

「内緒ですよ。彼女なんです」


 また女避けですか……。


 愛実は、内心ため息をつきながら、笑顔で俊の背中をつねる。


「ジョーク……じゃないの? 」


 静香の笑顔が、スーッと真顔に変わっていく。


「真面目です。じゃ、失礼します」


 俊は、愛実の肩を抱いたまま、静香の前を通りすぎる。


「いつまでやるのよ」

「シッ! まだ静香さんが見てるからね」


 店の裏口から出ると、女子の黄色い声があがった。

 大学生くらいの女子が五人、裏口の前で立っていて、俊と愛実を見て悲鳴のような声にかわる。


「俊君、その子だれ?! 」

「いや、肩なんか組まないで! 」

「俊君から離れなさいよ! 」


 これはいったい……?


 愛実の肩に回した手に力が入り、俊は愛実を自分の方に引き寄せた。

「前に話したよね。この子が俺の彼女」

「キャーッ! 嘘!! 」

「もう、出待ちとかしないで。普通に店にきてください。じゃあ」


 さっきより近く、もう二人三脚してるんじゃないかってくらいの距離で歩く。


「なんなのよ、あれ? 」

「知らないよ。前は、仕事場では編み込みにして顔だしてたけど、帰りはボサボサにして帰ってたから、気がつかれなかったんだけどな」

「ここでも女避けに使って! 」

「まじで助かった」


 俊と愛実は、ボソボソと喋る。

 まだ女の子達の視線が痛いくらいだったから。


「でも、そのおかげで愛実と密着できるね。愛実、口紅似合うよ。キスしたくなっちゃうな」


 俊が耳元で囁く。

 愛実は、両手のひらで俊の顔を遠くに押しやった。


「わかった、ギブ、ギブ!鼻潰れるし。」


 はたから見ると、いちゃついているように見える。

 そんな二人の態度は、逆に真実味があったようで、女子達はついてくることもなく、ただイヤーッという声だけが響いた。


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