第2話

安藤あんどうさん、日直だよね? 」


 昼休み、友達と学食に行こうとしたとき、クラスメイトの斉藤俊さいとうしゅんから、すれ違い様に声をかけられた。

 耳元で響くようなその声に、愛実へ思わずヒェッと叫ぶ。


 なんて声……。


 愛実は、首をすくめながら振り返った。


「うん、そう」

「宮本先生が、次の授業で使う地図を取りに来いって言ってたよ。でかいらしいから、日直二人でだって。社会科室な」

「まじで? めんどいな」

「じゃあ、伝えたから」


 そう言うと、俊は自分の席に座り、購買部で買ってきたパンにかじりついた。


「今の、斉藤じゃん」

「あたし、斉藤がしゃべってるの初めて見たし」

「あたしも。あんな声だったんだ。声だけだと超絶イケメンじゃん」


 俊は、地味でいるかいないかわからないタイプの学生だった。休み時間はだいたい寝てるか音楽を聞いているかだし、友達という友達もいないのではないだろうか?

 だからと言って虐められているわけではなく、ボッチで目立ってもいない。

 不思議な存在って言えなくもない。


「わかんないよ、顔見えたら顔もイケメンかもよ? 」

「目が点だから隠してるんじゃないの? 」

「こーんな線かもよ」


 みんな、適当なことを言っていじり倒す。

 顔の半分が見えないくらい、俊の前髪は長かった。長いのは前髪だけでなく、全体的にボサッとしていたが。

 背は高いし、顔は小さめ、スタイルもいいから、髪型さえ整えれば、かなり見れるようになると思う。プラスあのイケメンボイスなら、彼女くらいはすぐにできそうだ。


 見た目にはあまりかまわないタイプなのかもしれない。


 俊の後ろ姿を見ながら、ボケッとそんなことを考えていると、友達の安達麻衣あだちまいが愛実の肩を叩いた。

「愛実、社会科室に行かないとなんじゃないの? 」

「そうだ! でも、もう一人の日直がいないよ」

「井手君だっけ? さっき、校庭に行くって出てったな」

「じゃ、探して行ってくる。学食、場所とっといて! 」

「OK」


 愛実は一人校庭へ走った。

 でも、同じ日直の井手の姿はない。


「いないじゃん! 」


 社会科の宮本は、オールドミスの典型みたいな先生で、なにかというと口うるさい。あまり遅れると、ネチネチ嫌みを言われそうだ。

 愛実は、とりあえず一人で社会科室へ向かった。


「失礼します。一年二組の日直です。地図取りに来ました」


 社会科室のドアをノックして開けると、宮本がサンドイッチにかぶりついていた。


「入りなさいと言われてからドアを開けなさい! 」

「すみません! 」

 愛実は頭を下げる。

「全く、今の子は……。あなた、一人できたの? 」

「はい。あ、いえ、もう一人がもう教室からいなくなってて。見つからなかったんです」

「そう。これ、重くはないんだけど大きいのよ。あなた、一人で運べる? 」


 確かにばかでかい。黒板が隠れてしまうくらいの長さはあった。


「大丈夫だと思います」


 なんの確証もないけれど、運べないと言って、日直をもう一人連れてから来いと言われても面倒なので、愛実は地図を脇に抱えて持ってみる。

 なんとか運べそうだ。

「そう、じゃあお願いね。壊さないでよ」

「はい」


 愛実は、地図を抱えたまま頭を下げ、社会科室を出た。

 真っ直ぐ歩いているぶんには問題ないけれど、曲がるときや階段は気を付けないとぶつかってしまう。

 社会科室は南校舎の四階で、愛実の教室は北校舎の三階だ。

 つまり、階段を四階下りて、三階上らないといけない。校舎間には渡り廊下はなく、校庭を突っ切ることになる。

 愛実は、校庭までたどり着くと、地図を地面に置いて休憩した。

 重くないと言っても、この大きさのわりには重くないというだけで、それなりに重量はある。


 あと三階…。しかも上りか!


 愛実はげっそりする。

しばらく地図を支えて立っていたが、放置するわけにもいかないし、ここに立っていても地図が自力で動いてくれるわけでもないので、そろそろ諦めて教室へ向かおうとした時、いきなり耳元で低く響くバリトンボイスが……。


「安藤さん、一人? 」


 愛実はゾクッとして、思わず地図から手を離してしまう。

 地図が倒れそうになり、俊がすんでで支えた。


「離したらダメだろう? 」

「だって、斉藤君がいきなり耳元で話すから……」


 さっきも思ったけど、俊の声は低く響くかなりいい声だ。おなかの芯がムズムズするような、背筋がゾクッとするような、色っぽい声だった。


「俺のせい? 」

「そうよ。だから、手伝って! 」


 俊は、クスッと笑った……ように見えた。髪に隠れて目が見えないから、なんともわかりづらいが。


「じゃあ、安藤さん前ね」


 耳の近くで言われ、またゾクッとしてしまう。


「もう、耳元で言うのやめて! 」

「はいはい。ほら、持つ」

 二人で地図を持った。二人だと思った以上に軽い。


「斉藤君、あなたその髪、前見えてる? 」

「見えてるよ。」

「なんか、目が悪くなりそうね」


 会話がないから、どうでもいいような会話をふる。


「そう? 視力2.0だけど」

「そうなの? 」

「本当は1.2」

「そこ、嘘つく意味わかんない」

「はは、なんとなく」


 話してみると、普通の男子だった。


 なんで、クラスではあんなにおとなしくしているのかな?


「安藤さんは、西中の出身だよね? 」

「うん、そう。西中多いよね」

梨香りかって覚えてる? 」

「梨香? 」

「斉藤梨香」


 斉藤梨香……、色が白くて背が小さくて、フワフワっとしたイメージの可愛い女の子。顔のパーツだけで見ると、かなりな美人ちゃんだけど、イメージは美人というより可愛い感じが強い。


「梨香……ちゃん、ああ、わかると思う。同じクラスになったことはないけど」

「俺の従姉妹なんだ」

「そうなの? 似てないね」

「子供の頃は双子?って聞かれたけどね。」


 ということは、俊も可愛らしい顔をしているのだろうか?


 愛実は、隠れている俊の目に、梨香の目をあてはめてみた。なかなかの美形になる。


「梨香ちゃん、高校は私立を受験したの? 」


 私立受験とかしない限り、この地域の子供はだいたい北高に入る。区立のわりには、受験にも強い進学校だったから。

「いや、あいつ身体が弱いからさ、中学卒業してからちょっと入院してるんだ」


 そういえば、体育もいつも見学みたいだったし、走っているのを見たことなかった。

 儚げで弱々しくて、男子にはもてていたようだったけど、反面女子にはぶりっ子と陰口を叩かれていた。特に、ちょっと派手なグループには、イジメみたいなことをされていたかもしれない。

 愛実は、特に関心もなかったし接点もなかったから、イジメもしなければ、庇うということもなかった。

 ただ一度、梨香が校舎の裏庭で探し物をしていたとき、手伝ったことはあった。あのとき、唯一会話したかもしれない。


「そっか。退院したら、うちの高校にくるの? 」

「……たぶんね。もう少し入院しないとなんだけど。今度、見舞いに行ってやってよ。あいつ、たぶん喜ぶと思うから」

「え?」


 梨香とは親しいわけではなかったから、なぜ俊がそんなことを言うのかわからなかった。


「あいつ、学校でのことほとんど話さないんだけどさ、前に一度だけ安藤さんのこと話したんだ。なんか、探し物を手伝ってくれたとか? 凄く嬉しそうに、愛実ちゃんっていい子なんだって言ってたよ」

「たいしたことしてないよ」


 愛実は、気まずく思った。

 梨香が探していた物は、たぶんイジメっ子のグループが裏庭に投げ捨てた物だろう。愛実は一緒に探しはしたけど、根本的に解決しようとはしなかった。

 見つかって良かったねと別れてしまったから。

 その後も、見かければ挨拶くらいはしたけど、ただそれだけだ。


「それでもさ。あ、ほら日直の片割れ。井手! 」


 二階の踊り場で、日直の井手が友達とふざけていた。


「おまえ、日直だろ? これ日直の仕事な」

「なんじゃそれ? 」

「次の授業で使う地図。安藤さんが途中まで一人で運んだんだぞ」

「まじで? わりい」


 俊は、井手と交代する。

 その途端、重く感じる地図。

 俊が、ほとんど持ってくれていたみたいだ。

 井手と俊は普通に喋っているから、やはり俊は孤立しているわけではないらしい。

 教室での俊と、なにかイメージが違う気がした。


 女子が苦手なのかな?


 男子と普通に喋っている俊は、ごく自然で、教室ではわざと目立たないようにしているような、そんな印象を受けた。

 ほんの少しだけど、俊のことに興味を持った愛実だった。



 

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