二 忙しなくて、退屈

 四月になり、そうは無事、高校に入学した。

 そもそも僻地校のことで倍率が一倍を切っているので余程のことがない限りは受かるのだろうと思ってはいたものの、受験当日帰宅して「さく、チリってどこ? 習ってなくね?」とほざいたアホガキが本当に高校に入れるのか、と妙に感心してしまう。私たちの代で一番頭が悪いやつでさえ颯太よりはマシだったような気がする。何しろ颯太はアルファベットを順番に全部書けるかという段階から怪しい。

 お姉ちゃんは入院したままだ。今は調子が悪いというわけではなく、もう予定日も近いし入院していた方が安心だからという感じ。

 お姉ちゃんの旦那が毎日顔を出さないとか、姑から自分に連絡がないのはゆうをまだ嫁と認めないつもりなんだとか、お母さんは毎日なにかに対して訳の分からない文句を言っている。

 ほんとはお姉ちゃんとお姑さんは割と仲がいい。スマホでやり取りはしているし、わあわあ構わないで遠くで待っててくれるところがすごくいいの、とお姉ちゃんは言っているけれど、そういうことを言うとお母さんはなぜか逆上するので内緒と言うことになっている。

 お父さんは相変わらず店に行ってばかり。私も四月からシフトが大幅に増えた。高校の後輩が四月からの短時間バイトに応募してきたので教育係にされてしまったりしている。

 毎日は忙しないのに退屈だ。空の方がまだしも変化がある。どんどん春が進んでいる。

 この時期は、一雨降るごとに暖かくなる。冬の間じゅう凍気に締まっていた土も空気もやわらかな雨にほぐされていくようだ。ろくに出掛けず家と店を行き来するだけの毎日だけれど、それでも分かるくらいむくむくと世界は変わっていく。

 春なのだ。

 そして私は、年度が変わってから一度も友達に会っていない。

 SNSでは、入学ハイというか都会ハイになったまやななのハイテンションな大量書き込みもヤバかったが、職場の先輩にキュン死したというさきの「先輩超カッコいい」「奥さんと別れないかなー」の反復もヤバかったし、全く書き込みしなくなったあやのことも気になっていた。

 やっぱりみんな、あっという間にバラバラ。違う風になっていく。それは身体のどこかをぎゅうぎゅう絞られるみたいにさみしい。



 そんな、退屈でさみしくて死にそうなこの四月、私が唯一見つけた興味の対象は新入りの住人だった。

 そもそも最初は年明け頃に、お父さんが農協にいる美咲から話を聞いていた。桃の笈川おいかわさんが畑を辞めたあとに、寺岡てらおかさんという家が居抜きで引っ越してきたという話だ。

 都会からの就農Iターンは役場が推進している。なんかすごいメルヘンみたいなものを田舎に見出してる感じの都会人が私はいまいち苦手なので普段は興味がないのだけれど、三月末になってそこの次男が引っ越してきたという。十八歳。私たちと同い年。それは事件だ。

 その時は美咲はまだ先輩にイカレていなかったから、都会からめっちゃシュッとした男子が来たんだよーみんなで見に行きたくなーい? とかメッセージを送ってきていたんだけど、キュン死事件以降は一切の情報を寄越さない。

 とはいえ、生まれたときから持ち上がりの一クラスみたいな状態で今日まで育った私たちにとって、土地を出ていく子はいても、十八歳にもなってから新しく入ってくる子というのは珍しいから、美咲以外の子からも情報は伝わってくる。東大にも受かるような都会の進学校から来たらしいとか、こっちで自動車学校に通ってるから時々送迎バスに乗ってるのを見るとか。

 私としてはその子が住んでる元の笈川果樹園と隣同士の彩乃から情報が欲しいところだけれど、最近の彩乃は全然タイムラインに浮上してこない。目撃情報によれば、一緒に自動車学校に通っているはずなのに。

 もしかして彩乃は隠しているのかな、と思ったりする。他の子に教えたくないんじゃないか。正直、彩乃はそういうタイプじゃないと思っていたから意外だけど、もしかしたら寺岡十八歳(仮名)はそのくらい凄いのかもしれない。だから一緒に自動車学校に通うなんてあの子らしくない積極的なことをするのかも。お隣さんというのは特権的な地位ではあるし。

 まあ、彩乃に根掘り葉掘り聞くのは無理だろう。でも大丈夫だ。私には私の情報網がある。

 何しろ私は、このあたりに二軒しかないコンビニの一軒にほぼ毎日出勤しているのだ。小さなスーパーの他は近隣にあまり店がないから、常連客はそれなりにいる。田舎のおばちゃんは無駄話が好きだ。うちの店は去年店舗を拡張してイートインスペースを作ったのだが、おばちゃんたちは面白いようにそこに溜まる。何ならおじいちゃんたちも溜まる。これで全て用は足りる。

 よくよく気を付けてさえいれば、大抵の噂話は手に入る仕組みになっているのだ。


 けれども、お客さん達の様々なお喋りに耳を澄ましているうち最初に分かったのは、冷静に考えたら私も自動車学校に通うべきなのではないか、ということだった。私の同級生の誰それが仮免取っただの、親が車を買ってやる算段をしているのと、そんな話題がまあまあ多い。

 確かに、車に乗れなければド田舎では身動きが取れない。就職にあたって要普免と明記してくる会社も多いので、年末あたりから自動車学校に通い始めた同級生もそういえば結構いた。お姉ちゃんの入院と颯太の受験の騒ぎですっかり忘れていた。

 というか、お姉ちゃんのことでほとんどおかしくなっているお母さんはともかく、お父さんも一切そんな話をしてこなかった。もしかして自動車学校の費用を出すのもキツいのだろうか。そうかも知れない、この春は颯太の卒業と入学で色々物入りだったから。

 ええ? じゃあ自分で払う? 三十何万とかでしょ、ないない今ない。というか全財産がその金額に達したことがない。分割? クレジット?  いや、私自分のクレカないしなあ。店のポイントカードのクレカつきのやつ作ろうかな。

 彩乃んちは親がお金を出してくれたのだろうか?

 あれ? そういえば彩乃、受粉やってて手の骨折ったんじゃなかった? それで自動車学校?

 えっ、それってもしかして寺岡十八歳について行ってるのでは? ええー、おかしいな、あの子そういうタイプじゃないんだけどな。



 問題の寺岡てらおかだい十八歳都会出身が店にやってきたのは、私が発注用のハンディターミナルを握りしめたままそんなことを考えている最中のことだった。

 イートインスペースのおばちゃん達が、あっあれよ寺岡さんの次男坊って、とささやき合った。誰かが送ってきたボケボケ写真とも大体一致するし間違いはないと思う。

 黒いきれいなスニーカー。そして黒のスキニー、こないだ颯太がこんなやつ買ってきたら何かすごくカッコ悪かったけど結局あいつは野球部で筋肉がつき過ぎてるんだなということが今分かった。パツパツじゃなく、ある程度スリムな人の方が似合うってことか。で、なんかものすごい青と黄色のチェック模様のシャツを腰に巻いた上からプルオーバーのパーカーを着ているんだろうか、これは。どういう着方なんだよ。もし颯太がこんな格好したらボコボコの着膨れになってしまう。

 寺岡大輝は店内の受け付け端末で何か操作していた。頭がふわふわだなあと思った。あれっ、ちょっと待って。そのアタマ、こんなド田舎でキープできるの? 色じゃなくて。色もだけど。そのふわふわとその形を。

 そうこうしているうちにグレーのパーカー姿が飲料の冷蔵ケース前にすーっと移動し、数秒するとそのまますーっと私の方に歩いてくる。パーカーの首元に眼鏡が引っ掛けてあるのが見えた。カウンターにチルドカップのキャラメルラテと受け付け端末で発券したレシートが静かに置かれる。

 私が何も言えずにいるうちに、お願いします、と穏やかな声で言われた。何だそれ。

 私は何故だか動揺して、折りかけだったチラシの束の上にハンディターミナルを放り出した。ガン、とまあまあの音がする。いらっしゃいませ、と言う声が、初っ端完全に上ずった。


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