第1章 西の魔女
第1話 よく分かる! エルティナせんせーの世界一受けたい授業
イノ・カイバラが治安維持保全執行第二課、通称『ニッカ』に加入するキッカケとなった半年前の害獣事件。
個体識別番号「M−C023」再生能力を兼ね備えた巨大なシャコのような怪物。僕は、人間の天敵であるところの
就活で難儀していたこともあって僕は、二つ返事で快諾。
2ヶ月の研修期間という、人を守る職業にしては何とも言えない不安を生み出すような時間を費やし、4ヶ月前に晴れて仮採用を勝ち取った。
……のだが。
「エルティナ先生のォ……」
「「よく、分かる……」」
「第二空国ラプラスの歴史ィ……」
「「……」」
「何回目か言ってみなさいよ……バカども……」
「「48回……目、です」」
「毎週毎週開催しているのに、この進度? 本来何回で終わるって言ったっけ?」
「「10回……です」」
僕と、もう一人の新人であるところのゴッヅ・L・デルゾロは、目の前にいる自分よりもふた回りは若い少女の前で正座していた。
「イノ、あんたは大学で何をしてきたの? 今何歳? 生きてる価値ある?」
「生きててすみません。ボス」
「ゴッヅ、あんたは30超えてたはずよね? 新人でもここの班内では最年長になった。死にたい?」
「産まれてすみません。お嬢」
目の前にいる少女の名は、エルティナ・キャスフォール。金髪の長い髪を綺麗にまとめ、細身で女性にしては高身長と言うことなしの美少女。ニッカに入って3年目なのに18歳と言うのだから脱帽する。
しかし、今の彼女の切れ長で透き通った瞳はより切れ味を増し、薄氷のように可憐な肌は赤く煮えたぎり、いつ血管がブチ切れても不思議ではない量の青筋が僕らを萎縮させる。
となりにいる、筋骨隆々・壮健にして頑強・好きなものはプロテイン・座右の銘は「話は上腕三頭筋が聞く」と言った脳みそまで筋肉なゴッヅも、僕より1年ほど早く所属している。が、様子を見るに扱いは僕と似たようなものらしい。
「言い訳はいらない! 成果を見せなさいボンクラ!」
「Yes,Mam!」
彼女はそう叫ぶと、空気全体に喝を打ち込むように教材を叩く。
ちなみに、開いている箇所は先週から変わっていない。
「で、でも、ボスは優しいよね……」
「急に、何? ヨイショしようが授業は甘くしないわよ」
エルティナの氷点下の視線が刺さる。
と、言うより、本当に刺さっているのだ。主に教科書が。
「今日、非番でしょ? 僕たちのためにありがとう、ホントに感謝してる。ただ、まだ何も言ってないのに教科書チョップはどうかと思うんだ」
「……ふんっ」
エルティナが僕の頭蓋骨に深々と突き刺していた教科書を抜き取り、エルティナ本来の美少女をある程度取り戻す。そう、このエルティナという少女は。
「ば、バカ言ってんじゃないわよ……別に、私がしたくてしてるだけだし……」
「「(チョロいなあ……)」」
とてつもなく、褒めに弱かった。
「短気な人間」という種類の人種は、大概が熱しやすく冷めやすいのは周知の事実である。
エルティナもその一人で、これをすると授業中のツッコミの殺傷能力が下がるのだ。もちろん、言ってることは本心であって、決して保身などではない。
ただ、慣れとは怖いもので、教科書を頭蓋に刺される程度なら致命傷で済んでいる。
「ま、まぁ、いいわ! とりあえず、今日はラプラスの基本構造からよ!」
「「はーい」」
間抜けな声で返事する男二人と女教師。
ここで整理しておきたいのが、今の状況だ。
ここは紛れもなく『治安維持保全執行第二課』の事務所であり、学校ではない。目の前にいる美少女は18という若さで教鞭を振るい、対する僕らは22歳と34歳。
この情報に、一切の誤りはないので安心してほしい。
◇
『第二空国ラプラス』正式名称を『第二空国製薬会社ラ・ピュセル連邦・ラプラス』と呼ぶ。
これは、この国を発明をした伝説的発明家、五十嵐
ついでの情報ではあるが、この『第二』という文字には諸説存在する。
いわく、空国は複数存在する。だったり、この空国は1回失敗しており、2回目の存在である。と、言った感じで半ば都市伝説に近いかたちになっていて、明確な発表はないままだった。
次に、このラプラスは大きな2層構造になっていて−−−。
「上層と下層、要するに富裕層と一般層に分かれた……と、そうよね……あんたらはこの程度が限界よね」
怒りを通り越し、呆れた目でエルティナはゴッツを見下ろす。
固い床に正座していたにも関わらず鼻提灯を膨らます器量に、エルティナは賞賛を送りたいほどだった。
「帰還した。時間だエルティナ」
「ただいま〜 ティナちゃん」
ちょうどエルティナが男二人に3つ目の鼻の穴を作っていた時、ここニッカのメンバーである2人が外から戻ってくる。
なぜか僕まで連帯責任として折檻を受けているが、彼女いわく、スパルタな授業ほど習得度が高いらしい。絶対に嘘だと思う。
「ちょうどよかったユキさん。パトロール上がりで悪いんだけど、こいつら任せていい?」
「ええ、大丈夫よ。お疲れ様ティナちゃん」
ユキ・シラカワ、このメンバーにおける後方支援を受け持ち、医学を修めた、なくてはならない存在。
エルティナとバトンタッチする形で僕らの前に立つ彼女の物腰は柔らかく、見た目だけなら優しいお姉さん。特にニッカ専用装具である『対衝撃反応装甲装具』の重厚なフォルムの中でも分かる、エルティナにはない女性的な双丘は男なら一瞬で目が奪われる。
そして、エルティナにはない。と言うのは言い過ぎだったので是非とも振り向き教科書スローイングを第三の鼻の穴に命中させるのはご遠慮願いたい。
「じゃ、可動域超えて明後日に曲がってる関節達を治しちゃおっか!」
「あのー、ユキさん」
「ん? どうしたの?」
小首を傾げ、フワリと浮かべる笑顔が眩しい。
ここで1つポイント、目の前にいる女性ユキ・シラカワは決して天使ではない。
天使のように癒しをもたらす見た目に惑わされてはいけない。
「今日は、できれば優しくしていただきたいのですが……」
「姐さん! 俺からも頼んます!」
「いいよ、お姉さんに任せてね!」
「「あ、ありがとうございます!」」
「じゃあ……」
んー と、顎に指を当て考えるようなワザとらしい素振りが愛らしい。終始笑顔が絶えず、このメンバーではオアシス的存在になりえたであろう。
そう、なれるはずがないのである。
「今日は30倍にしよっか!」
「「あっ……」」
彼女の担当は、緊急救急処置また、医療行為全般。
彼女の能力は、触れた人間の『痛覚』を操作する能力。
最後に、彼女は天性の
「ほ〜ら、肩外れちゃってるね〜 それ!」
「ゴぎゃッ!!??」
「ゴッヅ君も、それそれ〜」
「あぎゃぎゃぎゃ!?!?」
真に人間が痛がる時の声は叫び声などではないことを、身をもって証明した瞬間である。
痛みでビクビク と、全身が痙攣してる様を目の前の天然大悪魔様は舌舐めずりしながら見届けてるから相当なものである。
イノとゴッヅの痛覚を操り、痛みを倍増させて悶える光景を楽しむなど到底人間が思いつく領域ではない。これを、痛覚を0にし、麻酔なしでいかなる環境下であれ高等医療術を振るえることが彼女の強みだと言うのに。
ひとしきり
「そういえば、今朝イノ君の友人のコガ君っていたでしょ?」
「コガが!? あれからどうなりましたか!?」
「ええ、今朝ようやく安定したそうよ、まだ意識は戻ってないけど声をかければ聞こえてるはず、今度様子を見に行ってあげなさい」
「よかった……ありがとうございます……!」
先日のM−C023を巡る一連の騒動における被害者。イノ・カイバラの親友であるコガは害獣に腹を貫かれ意識不明・安否不明の重体だった。
その後、コガはユキの正確な処置のおかげで一命を取り留めるも、どんなに声をかけても無反応の植物状態となっていた。それが、今朝ようやく容態が安定したらしい、半年振りの朗報であった。
軽率な判断による重症。コガの彼女には、散々怒鳴られていた。
今でも鮮明に思い浮かぶ言葉は、深く深く僕の心の重しとなっていた。
『もしも目覚めなかったら、きっとアナタを怨んで恨んで、殺してしまうかも……でも、あなたが無事でよかった……』
コガから、僕の話を嫌という程聞いていたらしい。だから、僕が生きててくれて嬉しいだそうだ。羨ましいほど
その後、彼女とは病室で度々顔を合わせているが、最近は会話すらできていなかった。きっと、容態が安定したと聞いたなら飛んで会いに行くだろう。
自責の念、そう言っとけばいいや、そう思っている自分がいるのではないかと自問する。
コガは、僕がいなければ怪我をすることなんてなかった。
そんなことを思ってならない。
物思いにふけっていると、肩を叩かれ現実に戻る。
どんなに後悔しようが、時間が止まることはない。あれから既に半年経っているのだから。
「カイバラ、次は俺が相手だ、着いてこい」
「あ、はい!」
今の期間は仮採用中とあって、ほぼほぼ訓練と座学で構成された日々をこなす。
たまのパトロール付き添いもあるが、正社員が持つライセンスの都合上、あまり実地訓練はできないらしい。
朝からエルティナの座学を受けた後は、小休憩を挟み実技訓練となる。
体術。射撃訓練。護身術。実践型模擬戦闘訓練。応急処置訓練。具体例を挙げるとキリがない。
そして、これらを担当するのがニッカの総大将であるところのシガ・ラインドール。ユキとは同年齢で、ここ
度重なる戦闘で培った身体は、筋肉の成長もそれ相応に適正化されており、戦闘では自分の身長とほぼ同じ大きさの武器を振り回す豪傑。
そして何よりの特徴は、冷静で素早い状況判断と現場統率力。その、どんな状況下においても動揺を示さない様子は機械に限りなく近い。
「今日は射撃訓練だ。適正距離を見極め、的を射抜け。以上」
「了解です!」
冷淡とも取れるシガの振る舞いに圧倒されながら、事務所内にある総合訓練ルームに移動する。エルティナやユキとは違う近寄りがたい空気感は、なかなか慣れないままだった。
訓練ルームの角に到着すると、備え付けの実銃と弾倉を手に取り、準備を始める。
使用する武器は汎用自動小銃「P220」。アサルトライフルに区分されるこの武器は、一番最初に支給される武器で、いかなる環境下でも安定したパフォーマンスを維持するところから「パッチケース」の愛称を持つ。
反動、取り回し、威力、全てにおいて標準。『突出した特徴がない』という特徴であり、要するにクセがなく扱いやすい。
右の肩と肘で固定を意識し、左手で反動を操る。サイトを覗き、的を狙い、トリガーを引く。適正距離は15〜250m以内、この距離内であれば、着弾による効果は安定する。
と、いうのがマニュアルに書かれている全てだ。
「ふむ、およそ30%といったところか」
「……すみません」
「いや、いい。訓練を続けてくれ」
「……了解です」
半年前、入りたての頃は1%未満だった僕からすれば成長したと思いたい。しかし、さっきまでイノと同じくエルティナの目の前でイビキをかき折檻を受けていたはずのゴッヅは、実技訓練においては高い成績を残していた。
ゴッヅとは一年の差があるとはいえ、同じ仮採用中の身。前回の事件では前線に出ていたのは、この成績によるものだろう。
一連の動作をやり直す。空弾倉を替え、弾を込める。肩に押さえつけ、サイトを覗く。呼吸を整え、トリガーを引く。
しかし、弾は全て、明後日の方向へと飛んでいき。全く関係のない壁に弾痕を残す。
うってかわって、ゴッヅの方は飛び出す的に当てるというイノよりも一段階上の訓練をこなしていた。
半年経っても、訓練内容に変化が訪れないことに焦りを感じる。
足手まといにだけはなりたくない。焦燥感だけが、この半年間増えていた。
「カイバラ、焦っても成長はない。ゴッヅはすでに一年、お前と同じ訓練を続けている。訓練内容が違うのは当たり前だ」
「す、すみません……」
見透かされていた。
冷静沈着、正確無比、機械のように冷たい男と揶揄される男だったが、シガは無感動な訳ではない、的確に正確なポイントで助言を欠かさない。シガとユキは、メンバーの中で最も長くキャリアを積んでいる功績者である。
ベテランとしての風格は、見た目だけではない。そして、エルティナやゴッヅもまた、メンバーとして役割を持ち、責任を果たしているのだ。
◇
天空に漂いつづける国。天に出づる国。様々な言いようはあれど、天に付随する神聖なイメージがこの国に合ことはない。
人種、部落、年齢と、様々な差別概念があった時代、未だ国が空に飛ぶなどありえなかった《全世界同時多発大怪災》が起きる前『被災前史』と比べて、今の時代というのはあからさまになっている。
技術力、知力、財力、さらには個人特性に至るまで、優秀な人材は優遇と言う名のヒエラルキーが新たにピラミッドとなって生まれていたのだ。
「復習その41、この国は全部で何区?」
「32区、同心円状に配置されていて中心から1街区、一番端が32街区です。ボス!」
ここは11街区の居住地、エルティナの発案でイノはパトロール巡回に付き合っていた。パトロールの役割は犯罪を探すことではなく、治安維持部隊の存在を知らしめることによって犯罪の抑止が目的であり、絶好のサボりチャンスだとゴッヅが言っていた。
その後ゴッヅは、ユキ専用尋問部屋に連れてかれて以降姿を見ていない。
「そのボスってやつ、やめてくれない? 私、ボスって柄じゃないし」
「そっか、ごめんキャスフォールさん。気をつけるよ」
「あーその苗字で呼ぶのもやめて、あんたの方が年上だし、エルティナでいいわ」
「ええ!? あ、え、エルティナ……」
エルティナは間の悪い会話でなんとも具合の悪そうな顔を浮かべたが、「ま、いいか」と呟くと車のハンドルを切って駐車スペースに1回でねじ込む。
「それで、さっきの続きだけど中心と外側で何が違うの?」
「えっと、まずは治安。それと害獣出現率……だったかな?」
「そ、せーかい。だから11区は、悪くもないけど良くもない普通の街よ、この前の害獣はホントにレアケースね」
「そう、なんだ……」
ヒエラルキーと言うのは如実になって現れている1つとして、この区画整理がある。
外周区は最も治安が悪く、害獣出現率も高い、一歩間違えれば空国の下『虚栄圏』に落ちる。対して中心部、第1区は繁栄に繁栄を重ねた区画で生活水準も高い。特に、上層へと続く巨大なエレベーターはランドマークとしてほぼ全ての区画から見ることができる。
復習の中、イノは脳裏をコガの存在がよぎる。エルティナもそれを察したのか、それ以上この前の事件について触れることはなかった。
ぎこちない空気感が流れ始めた時、エルティナがこちらに何かを持ちかけようとした瞬間、コンコン と、窓ガラスを誰かが叩いた。
「やっほーエルティナちゃん。君がパトロールなんて珍しいじゃん」
「箱丸……やっかいなやつに絡まれたわね」
箱丸。『治安維持保全執行部隊第一課』の俗称で、ニッカを含め地区全体を統括管理し警備保安任務を主に行う部署だ。要するに、要求される仕事の難易度が同じ課にも関わらず段違いなのである。
「あいかわらずツレないねぇティナちゃんは、そろそろ振り向いてくれてもいい頃合いだと思うのになぁ〜」
「お生憎様、私はまだ人付き合うなんて考えてないし、暇じゃないので。失礼します」
いかにもといった感じのナンパ男といったところだろうか、ねっとりとした口調でエルティナに話しかける。てか、さっきからエルティナしか見てないなこいつ。
「おいおい待てって、悪い話じゃないぜ? ニッカなんて血なまぐさい部署やめてこっち来いよ、俺が融通してやるからさ」
「結構です。今の環境は気に入ってますし、何より今は新人の教育で忙しいので!」
そう言って、エルティナが窓を閉めようとしたところに男がスルリと腕を滑り込ませる。そこで、男と初めて目が合った。
軽い会釈をすると、男はニヤリと口元を歪ませる。
「へぇ〜、若いじゃん、カレシ? なら、俺も混ぜてよぉ」
「あなたの助けは必要ありません」
「ふ〜ん? 君、エルティナのこと気に入ってんの? そりゃそうだよなぁ、まだピッチピチの18だもんなぁ!」
「……ゲス野郎」
エルティナが小声で悪態を吐く。様子を見るに、よほど上下関係があるのか、明確な抵抗を見せる様子はない。
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ続ける男も、このことを分かってやっているのだろう、権力を振りかざし強制しないあたり余計にタチが悪い。
「コイツは関係ないでしょ、構わないで、私だけで十分のはずよ」
「ははーん、そう言われるとますます首突っ込みたくなるなぁ、新・人・君。いいねぇ、かわいい美少女に守ってもらえてさ」
これは、あれだ。関わった人を残らず不幸にして自分だけ甘い蜜吸うタイプの人間だ。
こういうやつの対処方法は1つ。徹底無視しかない。
「行こう、エルティナ。まだ、教えて欲しいことがある」
「ええ、そうね。と言うわけだから、失礼します」
そう言って強引に車を発進させようとしたところで、男は大きな舌打ちをして、やや離れる。
「おいおい! そんな、なんもできないやつより俺のとこ来いよ! そんなヒョロイやつ、どんなに教えたって害獣のエサになんのがオチだぜ! さっさと死ぬやつより長年ここで働くエリートの俺の方が絶対いい思いさせてやれるぜ!」
車に離れるも大声で幕してたる言葉が、割と傷口を抉る。
勉強もダメ、実技も成績を残せていないイノに、足手まといを想起させる言葉はダメージが大きかった。
と、傷心気味になっていたところ、何を思ったのかエルティナが元いた駐車スペースに戻り車を降りた。
「イノ、あんたは待ってて」
「え? ちょ、ちょっと」
そう言うと、エルティナは男を引き連れ路地裏に移動した。
上官命令は絶対。などと言う堅苦しい規律等はないが、経験者の言葉を重んじることはニッカ職員にとっては常識である。
「まぁ、ボスが待てって言うなら待つけどさ……」
しかし、今回は事情が違う。怪しい男に引き連れられた……ように見える上司を助けに行くしかないのだ。違ったら謝ろう。
そう、自分に言い聞かせ車を飛び出す。
すると、路地裏ではエルティナが男を壁に抑えつける形で一触即発の雰囲気が漂っていた。
エルティナがこちらに気付くと、大きなため息を吐く。
いや、ちょっと待て。誰もいない路地裏、向き合う2人、言葉だけは嫌がってたが実は……。
「あっ……(察し)、失礼しました」
「違うわよ! バカ! 待っててって言ったのに!」
「おいおい、無粋な野郎だなぁ、路地裏に男女2人って言ったら分かるだろ?」
「違うって言ってんでしょ!?」
どんな時でも照れてるエルティナさんは、かわいいなぁ。と、不覚にも男と思考がシンクロしてしまったが、であればエルティナさんピンチでは? 男相手に路地裏って、マズくない?
「あーもう、仕方ない! せっかくだから復習その42よ! ニッカと箱丸の明確な違いは何!?」
「うぇ!? いきなり!? えぇ、っと、箱丸はウザい?」
「君割と失礼だな」
「それは前提よ、バカね」
「ティナちゃんも大概だな」
はぁ、と大きなため息がエルティナから漏れる。すると、急に鋭い目つきを男に向けると同時に胸ぐらを掴む。
「正解は武力の所有よ、私たちニッカは執行部隊で箱丸は保安部隊。特別な状況であれば殺害も国から許可されている」
18歳とは思えない気迫が周囲を圧倒する。男も、今まで見たことがないエルティナだったのか、生唾を飲み込んでいた。
「あんた、さっき自分で何言ったか覚えてる?」
「さ、ささささっき? お、俺のとここいって」
「そんなこと、どうだっていいのよ」
そう言いながら、エルティナは右の拳を構えた。
男も何をされるのかを理解したのか、明らかに狼狽し始める。
エルティナは大きく息を吸う。
「イノが何もできないって! 勝手に決めつけんな!」
何というか、これは、18歳の女の子がやっていい威力ではない。
ズンッ!! と、鈍い音が男の頬を捉える。
一撃で意識を奪うと、エルティナは近くにあったゴミ溜まりに男を放り投げる。
エルティナは、その後バツが悪そうに赤く火照った頬をかき「だから待っててって言ったのに」とボヤいていた。
「い、一応、あんたは私の生徒だし、それに……ほら、あれよ!」
「あれって?」
「感謝してんの! 分かれ、バカ!」
「僕、そんなたいそれたことしてないけど……」
「あの時よ、あんたがいなかったら、私たち結構ヤバかったかもだからさ、今はダメダメかもだけど何もできないなんてことないのよ」
「……ボス……」
「ボスはやめて!」
ジト目で僕を睨むエルティナ。普段は気高きお嬢様といった印象が強いエルティナだが、根本では義理堅く仲間思いの女性だと気付く。`
きっと、エルティナのそびえ立つ塔のようなプライドのことだ、感謝や恩返しといった行為は気恥ずかしい思いがあるのだろう。
エルティナは、場の雰囲気に耐えかねたのかそそくさと車の方へと戻る。
「ほら、行こ! 戻って授業の続き!」
「その、うれしいけど、大丈夫なの? それ」
そう言って、僕はゴミ溜めでゴミ同然に果てる男を指差す。
「いつか殴ろうと思ってたから、ちょうど良かったのよ、分かった?」
「なるほど! アイアイ、ボス!」
「だから、ボスはやめてって!」
エルティナにはいつも救われている。だから、助けになってあげたい。
そう思わせる人間性は、きっとエルティナが持つ才能の1つだろう。
◇
「はい、じゃあ、そこの馬鹿丸出し。ここ答えて」
「はい……7区です」
「違うわ、空国最大の工業プラント区画は8区、私たちの最終防衛ラインよ、分かったら空気椅子追加1時間」
「うぐぅ……もう、これで3時間です。ボスッ……!」
「知ったこっちゃないわ、次はここ答えて、筋肉馬鹿」
「う、うす! 3区です!」
「違うわ、娯楽区画は4区、最も時間帯人口密集割合が高い場所よ、最年長なのに無様ね、そのまま私の椅子になっておきなさい」
ズルすぎる! 今、僕は無性にゴッヅを恨んでいるッ!
夕方の授業もエルティナが教壇に立つが、最近何かと体幹トレーニングや精神トレーニングを同時に取り込む傾向にあるようで、授業を受けた後の筋肉疲労が深刻になってきていた。
「あ! ボス! ゴッツの野郎ニヤケてますぜ!」
「ボスは禁止よ、追加2時間、ゴッツは鞭打ち追加ね」
ダメだ! それじゃあまだご褒美の域を出ていない!
「ユキさんの」
ゴッツの冥福を祈るばかりだ。
恍惚の表情でゴッツの死角に立つユキさんがここまでスカッとするものとは知らなかった。
エルティナは悶えるゴッツが座りにくくなったのか、僕の方へ歩いて……来て……。
「今日は徹底的にシゴくから、もう二度とナメられないようにね」
「いや、ちょ、そこは……今、やばばばばばば」
エルティナの小さな腰が僕の空気椅子に降ろされ、近い、痛い、いい匂いキツイやわらかいヤバイかわいいヤバイヤバイヤバイ!
「全く、何へばってんのよ」
「さすがにかわいさだけじゃ乗り切れなかった……」
「か、かわっ……!?」
エルティナが急に立ち上がり、乱れた髪を直す。
ははーん、なるほどねぇ。と、反撃に出る。
「エルティナはいつだってかわいいよ!」
「ば、何言ってんのよ!」
「頭もいいし、スタイル抜群!」
「ちょ、ちょっと!」
「毎朝味噌汁作って欲しい!」
「それはキモい」
僕は今、傷心で死んだ。
しかし、不死鳥は何度でも蘇るように、変態もまた不屈の精神で立ち上がる。
退かぬ。媚びぬ。省みぬ。変態に逃走はないのである。
「それに才能もたくさんあるしね!」
と、その一言を言った瞬間だった。
気温が、氷点下まで一気に下がったような感覚に陥った。
見ると、さっきまでSMプレイをしていたゴッツとユキが、まるで禁忌を犯した人間を見つけたかのような表情でこちらを見ている。
事実、禁忌に触れたのだろう。
「え、えっと……エルティナさん?」
「あんたも……」
エルティナの表情が見えない、さっきまでの空気は遠い彼方に消え、冷たい風に頬を撫でられる。
「あんたも、私が才能でここにいると思ってるんだ」
「エルティナ? 急にどう―――」
どうしたの? と、言い終わる前にエルティナが事務所を飛び出る。
僕は何も分からないまま立ち尽くしていた。
ゴッツとユキは、事情を知っていそうだったがイノに教える様子はない。
そんな折、後ろから声がかかる。
「次は、実技だ。ついてこい」
「あ……はい……」
シガに言われるがまま、着いて行くと銃を渡され一定の距離を置いてシガは僕と向き合った。
「俺を狙って撃ってみろ。当たったら今日の訓練は終了だ」
「え? でも……」
「撃ってみろ」
そう言うと、シガはプラプラと腕を振って軽く体をほぐす。
どうしてエルティナは行ってしまったんだろうか。邪念が僕の中で渦巻く。畳み掛けるように、いつもとは違う内容の訓練。
イノは混乱を抑えきれないまま銃を構える。
狙うは腕、使用してる銃の弾丸は本物のため、当たっても比較的軽傷になる部分を狙う。
「頭を狙え」
「……ッ!」
急な指示に体が強張る。無理やり体に命令を飛ばしてトリガーを引く。シガは一切動く気配を見せなかった。が。
「もう一度だ」
何度撃っても、いくら狙いを変えても、シガはたまに数cm動く程度で全てを避けて見せた。
たった一発でも当たれば致命傷。遠慮のせいだけで当たらないわけではない、純粋に弾道が外れているのだ。
「どうして、その武器に汎用という言葉が使われているか分かるか?」
弾を避けながら、一切乱れた様子のないまま言葉を投げかけてくる。
ついに、弾倉内全32発を撃ちきったが、まぐれ当たりすらなかった。僕は、うな垂れ銃を下ろす。
「それは、誰が扱っても当たれば一定の効果を得られるからだ。逆に言うと、当たらなければ意味はない。カイバラの呼吸、筋肉の動きを見れば避けるのは容易だ。ましてや動揺していればなおさらな」
淡々と聞かされた事実が、突き刺さる。
両手で抱える銃の重さが、倍になったような錯覚に陥る。
シガは射撃場へ移動し、側にあった銃を手に持つ。
流れるような動作で装填し、遠くにある的の中心を射抜く。
「射撃の訓練で命中率100%を誇り、試験でも満点を出すようなプロと呼ばれる連中であろうと、戦場で命中率が80%を上回ることはない。それは、様々な環境ステータス、精神状況、銃の状態に左右され、訓練で使うような常に整備された環境など外には存在しないからだ」
そして、訓練ですら成績を残せない僕が外に出ても、足を引っ張ることしかできない。
でも、エルティナが立ち去り、空気の悪い今をなぜ選んだのだろうか。
「そして、カイバラが考えていることは分かる。だが、俺が言いたいのはそうじゃない」
「じゃ、じゃあなぜ……」
「8年だ」
「え……?」
イノがはっきりとした答えを出せず、困惑しているところをシガは構わず話続ける。
「エルティナが、今の実力を身につけるまでにかかった時間だ」
その言葉にはっとする。俯いていた顔を上げると、シガはまっすぐと僕を見ていた。
今は足手まといにしかならない見習いを、自分の仲間になると信じて。
「エルティナはな、ゾーイなんだ」
「……
「それは、10歳の頃だったそうだ。しっかりと自分で立ち、考え、明確な意思を持つ年齢の時、彼女の家族はとある害獣に目の前で殺されたんだ」
想像もつかない事実を、変わらぬ表情でシガは続ける。
10歳で絶望の淵に立たされた彼女は強かった。泣くことをせず毅然と立ち、力を求めた。ある人物に弟子入りし、そこから5年の歳月が過ぎる。そして15の時、コネと金と実力でニッカに入り、15だと侮る輩を黙らせ、信用を勝ち取るのに3年かけた。
今、彼女を若輩者と笑う人間は、ここニッカに存在しない。
「だから、エルティナは才能という言葉が嫌いなんだ。8年の努力を踏みにじられたような気持ちになるらしい」
「そんなことが……その話は、誰から?」
「エルティナの師匠にあたる人物だ。俺の班にくる時、一通り説明された」
シガは、イノの肩に手を置く。イノとシガでは10cm以上の身長差があり、体格差も相まってまるで親子のようだった。
そして、今気付いた。これは、彼なりの励ましだ。
「エルティナには、後日謝れば大丈夫だろう。先に行くところがある」
一切表情は動かないシガ、冷淡なロボットの印象が強いこの男でも、大きな手はしっかりと温もりがあった。
「ゴッツ、車を出してくれ。ユキはエルティナを頼む」
「あー、もうそんな時期ですかい。了解だ大将」
「分かったわ、いってらっしゃい」
さっきまで静かに成り行きを見守っていた2人が腰をあげる。
そんな時期、と言われてもさっぱり見当がつかないところ、ゴッツとシガと共に車に乗りこんだ。
◇
イノ達が車に乗って出かけた後、エルティナは事務所から離れた空き地で夕焼けに照らされながら、ぼんやりと佇んでいた。
「私もまだ子供だなぁ……」
ニッカに入って3年、短くない歳月で信頼は勝ち取った。今更才能うんぬん言う奴は実力で黙らせたし、女とナメてかかる奴らも軒並み懲らしめた。イノは新人、知らないのも無理はない。
「やり過ぎちゃったかな……謝れば、大丈夫かな……」
正直なところ、エルティナは分からなかった。
はじめての部下、はじめての講義、はじめて尽くしの毎日。
ゴッツは、元々シガが教員として指導していたのだが、イノが入り、ユキの薦めもあってエルティナが教育係として上司の立場に就くこととなった。
「ティーナちゃん、やっぱりここにいた」
「ユキさん……」
空き地の傍から、ひょっこりユキが顔を見せる。いつから聞かれていたのかと思うと恥ずかしさで死にたくなる。
それを察してか、ユキはエルティナの傍に立ち優しく頭を撫でる。
「今は勤務外よ、それに私たちしかいないわ」
「……分かった、ユキ姉」
これは、2人だけの秘密。エルティナの18歳らしい、女の子としての弱い部分。エルティナが必死に隠し続ける、エルティナの一側面。
女の勘とは怖いもので、ユキには早々に見破られた苦い過去があり、そこから始まった関係でもあった。
「イノ君はシガ君が励ましてたわ、もう大丈夫だと思う」
「ごめん、迷惑かけちゃった」
「んーん、迷惑なんかじゃないよ、ティナちゃんが色々がんばってるの知ってるからね。それに、こちらこそごめんね、私のせいでティナちゃんに教官なんて役割押し付けちゃったし」
「ユキ姉のせいじゃない、遅かれ早かれ私にも回ってきただろうしさ」
10歳で独りになり、5年間ずっと1人で血のにじむような努力を続けてきた。そして、ニッカに入りユキとシガに出会った。
ここまで心を開くのも、ずいぶんと時間をかけていた。
「今みんなは?」
「墓参りよ」
「そっか、そこに行ったんだ……って、待って! 励ましたって私のこと話した!?」
てへ と、ユキがわざとらしい仕草でだいたい察する。
これも、遅かれ早かれと言うやつだが、なかなかに気恥ずかしい。
「もう、明日どんな顔で会えばいいのよ……」
「ごめんねティナちゃん、でも、明日ちゃんと来るつもりだったんだ」
「別にサボらないし……それに、イノは私の生徒だもん、キチンと教えてあげないと」
「そうね、ティナちゃんはそういう子だったね……少しは、勤務中に頼ってくれていいんだよ?」
「それは大丈夫、ありがとユキ姉」
ユキは複雑だった。心を開いて、話をするようになったのはいいが、そこから何度も今のように話をしているが、エルティナは決して、勤務中弱音を吐くことはない。
問題のあるなしではない。18歳の女の子が背負っていい責務ではない。そう思ってしまうのだ。
「ま、いつまでもこんなんじゃダメだよね、ありがとユキ姉スッキリした」
「そう、ならよかったけど……」
「けど?」
「んーん、なんでもない、一旦戻ろっか」
話してくれるようになった、でも、頼られることはない。
一歩進んで一歩退がるような感覚に、ごまかしきれないシコりがユキの中には残っていた。誰でもいいから、エルティナが頼ることができる相手ができてほしい。
そう願ってならない。
◇
時間は数刻戻り、イノたちは車で2時間ほどかけて隣の12区まで来ていた。12区に入ってからと言うもの『辺り一面荒野に垂直の柱が何本も立つ』という一辺倒な風景が延々と続いていた。
「着いた。ここだ」
「えっと、さっきからほぼ風景が変わってないんですけど……」
「ま、大将に着いていけば、すぐ分かるから行こうや」
先に行くシガに合わせて、イノとゴッツが続く。
柱の大きさは2mほどで、近くで見るとかなりの大きさだった。
そして、ある程度進んだ先、代わり映えしない一本の柱にたどり着く。そして、すぐに気付いた。
「名前……?」
「ああ、ここに書かれている名前全て、亡くなった人たちのものだ」
2mほどの柱に、所狭しと名前が連なっていた。
四角柱であるその墓標全ての面に、である。
「一体……全部でどれだけの人が……」
「ここには、1万2072本の墓標がある。何の数か分かるか?」
「いや……分からない、です」
シガが、いつもと変わらないトーンで問いかけて来る。
ゴッツも同じ質問を受けたのだろうか、すでに知っている様子で静かに黙祷を続けていた。
「56年前の大災害、その死者の中でもすぐに身元が分かった数だ」
「…………それって、つまり……」
「ああ、この空国の総人口はおよそ13億8000万、大災害より前、まだ地球の大地に住んでいた我々は72億の人が生きていた」
「……ッ!?」
すぐに身元が分かった数、であれば分からなかった人数は? 答えは残酷であった。
いわく、これは授業で習わないことらしい。なんでも、この事実を知る必要はないと判断した災害経験者が、隠匿を義務付けたらしい。
つまり、この墓標の意味を知る者は、治安維持部隊の人間と被災者のみである。
「56年経った今も続く身元確認作業で、この墓の下に眠る人間は増え続けている。そして、この前カイバラが討伐した害獣に殺された16人の人間も、この下だ。遺体はないがな」
カイバラが討伐した。嬉しいはずの事実をかき消すほどの事実が眼前にそり立つ。
目の前にあるのは、単なる墓標なんかじゃない。
これは、楔だ。
僕たちを戦場にくくりつける楔。
「この墓の意味を、柱の意味を知っているのは俺たちしかいない。他の皆は、この意味を知らず生きている。害獣と戦い今も増え続ける名前の意味も知らずに」
だけど、知らなくていい。知る必要はない。
知らないなら知らないまま生きてていい。こんな悲しい事実は、願わくば誰にも知られないまま、朽ちたほうがいい。
それでも――――――。
「知ってしまった以上逃げられない、ここに名前が増えることを看過できない」
ニッカの戦場に立つ人間の生還率は75%に満たない。
10回の出撃で2人は死んでいる。
これは、よくある話なのだ。
「もちろん、エルティナもこれを知ってる。今のカイバラを戦場に出せば10分と持たず命を落とすことを知っている。だから、必死なんだ」
教師役なんてのは面倒極まりない役職である。
日夜害獣を警戒し、危険人物を調査するニッカにとって足枷でしかない。しかし、エルティナは失うことが何よりも怖いのだ。
「エルティナはまだ若い。若いが、必ず役割をこなしている。ユキがいなければ、俺たちは何度死んでいるかわからない。ゴッツは新顔だが、すでに俺の右腕のような存在だ」
「よせよ大将! むず痒いぜ」
ゴッツがはにかむ。シガは、変わらない表情でこちらを見た。
「お前ができる。お前にしかできないことを探せイノ・カイバラ」
その言葉は僕の覚悟を、意思を、心を形造る鋳型となって僕を奮い立たせる。
誰かがやらねばならない。
その1人に、ようやく加わった気がする。
今日のニッカ! 白湯気 @sayukiHiD
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