第五章

第五章

沼袋さんは、晴の命を受け、例の若い職人が子供を預けているという、保育園を探すことを開始していた。確かに、空き屋ばかりが大量にある一帯があった。そこはいろんな企業が建物を買い取って、新しい事業を始めることが恒例になっているようで、レストランから福祉事業、はたまた電化製品を販売している企業まで、様々な職種が乱立し、なんだかおかしな町という言葉がぴったりの場所であった。

「えーと、保育園ってなんでしょうね。それらしい建物は見当たりませんな、、、。」

まあ、保育園というと、子供が喜びそうなピンクや水色などの外壁をした建物であるはずが多いが、まだ新規企業ばかりというばかりということもあり、そのような外壁の建物はまだ見当たらなかった。基本的に、インターネットの地図にも名前と内容が一致しないということも、十分あり得る場所である。

「えーと、一番恥の建物は、あ、老人ホームと書いてありますな。」

沼袋さんが、へたくそな操作で何とか地図アプリを操作すると、一番端の建物は確かに老人ホームと書いてある。そこで通りかかったふりをして、その建物のほうへ行ってみることにした。

「あれ?老人ホームではなさそうですね。声がするけど、年よりのこえが聞こえてこない。聞こえてくるのは子供の声だな。」

沼袋さんは、そこへ近づいてみると、看板は、老人ホームではなく、「伊澤保育園」と書かれていた。

「保育園!こんなところに保育園ができたとは、、、。」

思わず声を立ててしまうが、ちょうど子供たちが、外へ出てくる足音が聞こえてきたため、見破られてはいけないと思い、近くに生えていた、大型の街路樹の陰に隠れて、こっそり観察した。

「先生、波布とマングース、踊れるようになったんだよ。」

一人の男児と一人の女児が、保育士に向かって何か言っている。

「波布とマングース?なんですか、それは。」

中年の男性の声。沼袋さんは、それに聞き覚えがあった。

「ええ、最近お笑い番組でよく出てくるんですけどね。きいやま商店というお笑いコンビが、披露するんですよ。その振付がコミカルで面白くて、子供がよく真似をすると言って、評判なんです。」

若い女性が、そう語っている声も聞こえてきた。たぶん保育士だろう。

「何ですか、きいやま商店という店があるんですか?」

また先ほどの男性の声がする。

「違います。きいやま商店というのは、お笑いコンビ名です。理事長はお笑い番組、見ないんですか?」

「あ、すみません。テレビなんて、忙しくてめったに見ている暇がないもんですから。じゃあ、そのお笑いコンビが、波布とマングースの闘いぶりをまねするのでしょうか?」

「違いますよ。物まねではなく、コントで歌うんです。それが大評判で、子供がマネするんですよ。波布とマングースの人形を動かしながらね。」

「そうですか。まったく、最近のお笑いは、そんな社会問題までネタにするんですか。まあ確かに、女性の社会進出を風刺しているお笑いコンビも聞いたことがありますけどね。」

「理事長先生、踊ってあげるから、見てってよ。」

先ほど発言した男児が、無邪気に言った。

「あ、それでは、今度訪問した時に、拝見させてもらいます。」

「今度はいつ来るの?あたしたち、それまでにもっとうまく踊れるように、練習しておくから。」

女児は、女の子らしく我慢しているのか、気丈にそういったが、でも子供らしく、ここで披露したいという気持ちが見え見えだった。

「そうですねえ。いつ来れますかね。こちらも忙しいので、定期的に訪問するとはっきり言えなくて申し訳ないですね。」

「そうなの。理事長先生は忙しいんだね。」

男児は、がっかりした表情で言った。

「もう、太郎君、先生は忙しいの。だから、次に来るまで待っててあげなくちゃだめよ。」

女児が、母親に言われているような口調でそういうので、一瞬笑いだしてしまう。

「子供って本当にかわいいですねえ。」

「理事長、すぐに終わりますから、見ていってやってくれませんか。この子たち、理事長に見ていただきたくて、昨日まで一生懸命練習していたんですよ。」

と、保育士と思われる若い女性が、そういった。確かに、子供はくだらないことでも一生懸命やるものであり、そこは評価しなければいけないのである。

「わかりました。五分くらいなら、ここにいてもいいですよ。」

と、男性はそう答えた。

「本当!やったあ!」

「先生は忙しいんだから、一回踊ったら、それでおしまいにして頂戴ね。じゃあ、太郎君と、涼子ちゃんの、波布とマングースのダンス、始まり始まり。ミュージックスタート!」

ガチャン、とカセットテープを再生する音がして、何とも言えない滑稽なメロディーと歌が流れだした。

「なるほど、これは面白いですね。よくできた社会風刺ソングです。確かにこの歌詞に投影されるように、波布にもマングースにも罪はなく、マングースを沖縄県に持ち込んだ、人間が悪いということになります。」

「そうじゃなくて、二人の練習したダンスを見てやってください。」

「あ、すみません。でも、歌詞に登場する、ヤシガニのほうが確かに両者よりも強いかもしれない。ヤシガニは強力なはさみを持つことで有名ですからね。」

「だから理事長、そこを見るんじゃないんですよ。理事長は、園を建てることには、貢献してくれましたけど、子供を誉めるのは苦手なんですね。」

「すみません。子供を持ったことがないので、わからないんですよね。店に子供のお客さんはよく来るんですが、実際問題、店で子供の相手をしているのは、僕ではなく、弟がやっているもんですから、、、。」

こういう言葉を聞くと、やっぱりこの男性が誰なのか、沼袋さんは予想ができた。

その時、一台の黒いセダンが、保育園の前に止まった。そのセダンを、沼袋さんは、見覚えがあった。たぶん買い替えたらしく、ナンバーは変更されていたが、車種も色も変わっていないので、車の所有者がだれか、すぐにわかった。

「あ、ごめんなさい。迎えが来ましたので、これで失礼します。」

「あ、すみません。遅くまで申し訳ないですわ。」

「ええー、まだ僕たちの波布とマングースの感想を、言ってくれてないじゃないか。一生懸命踊ったのに。」

「はいはい。それは次に訪問した時に言いますから、今日は次に訪問するところがあるので、帰りますよ。」

「じゃあ、必ず感想聞かせてね。」

「はい。わかりました。しっかり感想を言いますから、今日はこれで仕舞にさせてください。」

「ほんとにすみません。忙しいときに、この子たちの踊りなんか見てくださって。」

「いいえ、かわいかったです。また訪問しますから、その時はもうちょっと、うまく踊れるようになってください。」

このようなやり取りが続いていたが、沼袋さんは最後まで聞くことはせず、静かにその場を立ち去って、製紙会社に戻っていった。


「社長!やっぱり坊ちゃんの予想は当たりましたよ。波布です。あの空き家一帯にあった老人ホームが、いつの間にやら保育園になっており、その園の経営者は事実上、波布が担当しているようです!」

大慌てで社長室に飛び込み、息を弾ませながら、沼袋さんは報告した。

「じゃあやっぱり、うちの会社を狙っているのかしら?」

「ええ、そうかもしれません。何とも、波布とマングースという、おかしな踊りを踊るように仕向けていました!子供たちはただの余興として身に着けたようですが、あれはもしかしたら、私たちに宣戦布告しているのではないでしょうか!」

事実、宣戦布告というのは、沼袋さんの考え過ぎだが、確かに波布とマングースは、常に戦う運命にあるのは、晴もしっていた。

「大変だわ、、、。」

「はい。もしかしたら次の手を考えているのかもしれません。早いうちに、戦法を考えないと、いけませんよ。一度味方を獲得したら、波布はすぐにこちらに牙をむいてくるのは、御存じのとおりではありませんか!」

「ええ。それなら、こっちも味方をつける必要があるわね。保育園よりもっと強力な組織に行きましょう。沼袋、車を出して、富士警察署へ行って頂戴。」

「わかりました!」

沼袋さんは、すぐに車を出しにかかった。


数分後、晴と沼袋さんは、警察署に到着した。すぐに刑事課に行かせてもらえないかとお願いしたが、あいにく刑事たちはみんな聞き込みに出かけてしまっていて、部屋に残っていたのは連絡係の華岡だけであった。

「華岡さん、ちょっと調べてもらいたいことがあるの。」

とりあえず、椅子に座らせてもらって、晴は、華岡に話し始める。

「え?伊澤保育園?あ、ああ、あの新規オープンした保育園ね。なんですか、そこで保育士が園児に虐待でもしていましたか?」

晴の話に華岡は驚いた顔をする。

「違うわよ。あそこの保育園が、なぜ突然できたのか、調査してもらえないかしら?」

「調査なんて、そんな暇はありませんよ。それに、警察は、単に理由を聞きたいからと言って、動いたりはしませんよ。警察は、盗まれたもの、殺された人、誘拐された人なんかが出たときに使うんですよ。」

「ほんとにのんきね、あなたって人は。青柳先生が、よく警視まで昇格できたなって、口にしてたけど、それ、私からも言ってあげるわ。」

「だから、具体的な被害は何もないでしょうに。」

「もう、そんなこと、今はなしている暇はないでしょ。だって、これ以上曾我正輝が動くと、うちの会社がだめになるのよ。だから、その前に止めてもらいたくて、お願いに来たんじゃないの。」

「もう一度言いますが、具体的に誰かが被害にあったわけじゃないじゃありませんか。まあ確かに、伊澤保育園の建設に手を貸したのは曾我正輝ですが、そこで何か問題が起きたということは全く聞いていませんよ。それに、曾我がお宅の会社の近くに保育園を建てるなんて、ただの偶然だったのではないですか?」

「華岡さん、犯罪は予防が大切だって言っておきながら、その予防には協力してくださらないのかしら?だから、ストーカー殺人だって減らないんじゃないの?いくらストーカー予防を呼び掛けても、そのためにあなたたちが具体的な対策を一つもしてないでしょ。それじゃあ、いくらストーカーに気をつけろと若い女性に呼び掛けたって、効果なしなのは、当然ね!」

「もう。無茶苦茶なこと言わないでください。こっちも、今は廃院になった、生田記念病院の、患者さんへの聞き込みで忙しいんです。そんなときに、勝手に捜査を依頼されちゃ困ります。」

華岡は、またため息をついた。

「え?つぶれたの?あの病院。」

「そうですよ、社長。しらないんですか?ある医者が退職していったとき、生田記念病院がやっていた悪事をすべてこっちに報告してくれて、発覚しました。何とも、風邪をこじらせたのを放置して、大量の高齢者が死亡しているそうです!病院側は、それが発覚するのを恐れて、ずっと隠していたんですよ。でも、そこに勤務していた非常勤医師が、多分相次ぐ不祥事を目撃して、耐えられなかったんでしょうね、こっちにすべて報告してくれました。もう、院長の命令で、患者に暴言を言うようになっていたそうですが、どうしてもそれに耐えられない患者と直面してしまい、もう、ここで医師を続けるのはやめようと思ったそうです。」

「失礼ですけど、華岡さん。それはどんな患者だったんでしょうかね。」

不意に沼袋さんがそう聞いた。

「まあ、医者の話によると、江戸時代でなければ存在しない、現代の医学ではまずありえないほど、重篤な人物だったそうです。まったく、こんなに進行した例は、生まれて初めて見たと言っていました。しかし、彼が仲間中にひどいことを言われたと訴えたため、やむを得ず、治療をせざるを得なかったそうですが。」

「まあ、まさしくどこかから、タイムスリップでもしたのかしら?」

思わず晴が聞く。

「もしかしたらですよ、社長。それも曾我の作戦だったのではないでしょうかね。そういう身寄りのない、貧しい患者をどっかから連れてきて、治療費を払えないことをわざと提示して、病院の不正を一気に暴露する。そうやって、弱いものを味方にしてしまうのは、曾我正輝の必殺技ではありませんか。」

沼袋さん、なかなかの推理だ。

「そうか、そうかもしれないわ!」

思わず机をたたいてしまった晴であった。そういうところは息子の蘭もおなじようなものがある。

「しかしですねえ。曾我については、だれも怨恨のありそうな人物はいませんよ。曾我が経営している焼き肉屋でさえも、客からはもちろんの事、働いている従業員からも、働きやすい職場として、大評判です。何でも、障害のある従業員が、健康な人と変わらない給金をくれるので、とてもうれしいと言っているのをよく聞きます。」

「ほらやっぱり!いい、華岡さん。曾我正輝は頭も体も腐るほど、共産主義の塊なんですから、働きやすいと言われる職場を作るなんて、朝飯前なのよ!そういう弱い立場の従業員が、健康な人と同じくらいの額の給金を出してもらえるなんて、共産主義者の経営者でなければ、思いつかない発想でしょ!じゃあ、健康な従業員は、そういう人たちと同じようにしかみなされなくて、悔しがっているでしょうね!」

「いや、社長。そのようなことは全くありません。というのは、あの焼き肉屋で働いている従業員の八割から九割近くは、みんな障害者手帳を所持しています。それに、健康な従業員と言いますのは、大体は管理職しかいないそうなので、非常に少ないですよ。つまり管理職という立場を持たせることで、健康な人たちも活躍しているように見えて、やりがいを持てるんじゃないでしょうか?」

「ははあ、、、。なるほど。経営においては、一本取られましたな。それでは、確かに障害者にとっては社会参加したいという最大の要求を満たせますし、健康な人は、自身の能力を発揮することができますね。それは確かに、優れた経営方法だ。そんなんだもの、弱い人たちの味方として英雄視されてもおかしくないですな。」

思わず、感心してしまう沼袋さんであった。

「馬鹿なこと言うもんじゃないわよ!そんなこと、ただ、上の人たちから高評価を貰うための偽善者なのよ!だから嫌なの、そういう共産主義者ってのは!そんなこと、単なる甘やかしに過ぎないわ。会社ってのは、経営していく側から見たら、やっぱり利潤を求めていくのが一番いいんだから。私なんて、営利を追い求めていたら、必ず破綻するって曾我に鼻で笑われたときは、もう腸が煮えくり返るかとおもった!」

「伊能社長。一人で逆上されても困ります。とにかく、我々は、具体的に何か被害者が出なければ、動けませんよ。それに、もう少ししたら、聞き込みを終えた捜査員が戻ってきます。すぐに捜査会議を開始したいので、今日は帰ってくれませんかね。」

「わかったわ、華岡さん。じゃあ、どうしたらあなたたちが曾我を止めてくれるようになるのか、だけ教えてちょうだい。」

「はいはい。例えば、今捜査している、生田記念病院の不正事件は、入院病棟で、ただの風邪なのに突然おばあちゃんが死んだとか、いきなり高額な治療費を請求されて、家が破産しそうになってしまったとか、そういう被害者が具体的に出たからです!それが出る前に動けと言われても、警察は動けません。」

頭を掻きながら、華岡は晴の質問に答えた。

「あーあ、全く。警察も役に立たないわね。じゃあ、私たちは、具体的な被害者が出るまで待っていろというの!」

「かといって、事件を創作したら、そちらが悪人ということになってしまいますよ!」

「わかってるわよ、それくらい。もう、ここまで役に立たないとは思わなかったわ。もっと、権力があって、力のある人に相談すべきね。じゃあ、沼袋、行きましょう。」

「あんまり感情的になって、法に触れることはしないでくださいよ!」

晴は、華岡のこの発言も聞かずに椅子から立ちあがって、部屋を出て行ってしまった。沼袋さんが、すみませんと一言頭を下げて、それを追いかけて行った。


そのころ、製鉄所では。

いつも通り、ブッチャーが庭掃除の仕事の為、来訪していたが、時折四畳半の中からせき込む音に交じって、何かしゃべっている声が聞こえてきた。

「じゃあ、よろしくお願いしますね。彼女も普段は事業をしていますので、どうしても客人の応対となりますと、土日祝日しかできなくなってしまうのです。申し訳ないですね。」

「あ、構いません。どうせ、毎日布団で寝ているしかやることもないんですから、いつでも一緒に行けますので。」

「あ、はい。そういってくれると、彼女も喜びますよ。彼女も、水穂さんの事を話したら、ぜひ会ってみたいと言っておりました。とても楽しみにしているそうですから、その前に必ず、体調を整えてくださいませ。」

「すみません。最近風がよく吹くものですから、砂ぼこりが入って、よくせき込むんです。まあ、その程度なんですけど、前歴があるからでしょうか、みんな心配だと口をそろえていうんですよね。」

「そうですか。まあ、多少、そういう心配をされても仕方ありません。特に女性の方は、そうなりやすいものですよ。うるさいのかもしれませんが、それはある意味、女性の特権ですから、決して責めたりせず、感謝してあげてください。」

「あ、そうですね。恵子さんなんか特にそうですから、そういっておきます。」

「中年女性らしいですね。おばさんと呼ばれる方はみんなそうです。しかし、おじさんはそう思うことは、逆立ちしてもできませんよ。そう思って生活してくださいね。じゃあ、これで失礼しますが、日曜日の朝十時、車で迎えに来ますので、支度しておいてくださいね。服装は、銘仙で全く構いませんよ。彼も、そんなことは全く気にしない人ですからね。」

「はい、わかりました。その時までに、羽二重だしておきますから。」

「気にするなと申し上げましたのに、本当に几帳面な方なんですね。それよりも、体調を回復させることに努めてください。では、長居をしてしまって、本当にすみませんでした。」

そういって、四畳半のふすまが開いた。ブッチャーは、今までの事を聞いていたとわからないように、口笛を吹いて、庭はきの作業に戻った。

「ご精が出ますね、ブッチャーさん。」

はっと我に返って、前を見ると、目の前に立っていたのはジョチその人である。

「あ、す、すみません、御迷惑でしたか?」

「いいえ、よく不平を言わずに、庭そうじの仕事を、毎日こなしているなあと感心しているのですよ。」

「いや、だって、この季節ですから、どうしても庭に落葉がたまるのは、しょうがないことですから。まあ確かに、今日はいて綺麗にしても、翌日にはすぐにきたなくなっていて、嫌だなあと思う日もありますけどね。」

「確かにそうかもしれませんが、こういう客人は、いつでも庭がきれいになっていて、気持ちよく訪問できますから、そこを常に忘れずに掃除をしてくださいませよ。」

そう、にこっと笑うこの人物を、波布という危険な毒蛇に結び付けるのは、どうしてもできないブッチャーであった。

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