あたしが選んだ! あたしの王様が!! あたしをハーレムに入れたがっている!!! そのさん


 マッサに並ぶ高級石材、グロームで作られた宮殿地下牢の廊下は、かがり火に乳白色の光沢を浮き上がらせながら俺の靴底を乾いた音で叩いた。絨毯やベッド、頼めば本なんかも手に入るこの牢には、政財界や軍の大物ばかりが収監されている。

 よその醜悪な囚人と一緒にするわけにゃいかねえからって配慮なのはわかるが、こんな牢なら持ち歩きてえくれえだぜ。いつも使ってる安宿よりずっといい。


 毛布を三枚抱えて、看守がカギを開けるのを待ってる間に、一番元気な奴がギャーギャーわめき始めた。とっくに就寝時間過ぎてんだ、静かにしろや。


「寒かったろ? 毛布持ってきてやったぜ」

「ふざけんな! なんであんただけ牢屋に入れられてないのよ!」

「今の今まで意識が戻らなかった男に、なんて事言いやがる」


 錆ひとつねえ、軋みもあげねえ扉が開かれると、俺は看守に持たせた毛布とシチュー、そしてパンを三人の待つ牢へ運び込んだ。


「良かったのです~! ご飯も出ないからお腹ペコペコだったのですよ~!」

「メルク! 三回まわってワン!」

「くるくるくる、ワン!」

「よし、今よそってやるから、この毛布にくるまってろ。次はアイシャだ。シチューと毛布が欲しかろう? 三回まわってワンと鳴け」


 自分でもわかるくらい嫌味顔で命令したら、三回転して勢いをつけたワンパンを食らって、シチューと毛布を取り上げられた。


「こら。俺が泣きそうだワン」

「まったく! 命の恩人になんて事させようとしてんのよあんたは!」

「そんな恩人から即死性の右を食らって倒される程の事」


 素直に答えてやったのに、げしげし頭を踏むな。グローム石は硬いんだよ。

 冷たい石床に横たわりながら憤怒の化身を見上げてみたが、こう暗くちゃまるでパンツが見えねえし。なんにもうま味がねえ。


 それより、これほど俺達が騒いでんのに部屋の隅で小さくうずくまってるジルコニアが気になるな。そんなに気に病んでるんじゃねえよ、てめえのせいじゃねえからさ。



 ……目を覚ましてから聞いた話なんだが。俺が飲み込まれた直後、クイーン・ワームは根元からばっさり切られたらしい。それをやってのけたのは、鍋から直接スプーンでシチューを食ってる粗忽女だ。


 咆哮。そして虚空を一閃。

 想いが刃になる聖剣・プリムローゼから、円形大舞台に匹敵するほど巨大な三日月型の刃が飛び出したらしい。その薄紅色の刃はジルコニアの呼び出した異形もろともワームをぶった切ると、空の彼方へ飛んで行ったって話だ。

 そして慌ててみんなでワームを開きにして、中から気を失った俺を助け出したんだそうな。


「ありがとな、アイシャ」

「はあ!? べっ、別にあんた助けたわけじゃないわよ!」

「そっか。でも、プリムローゼにそこまでの力を出させるなんて、お前、それほど……」

「なななっ!? 何よ! 違うって言ってるでしょ!?」


 スプーンを投げつけて、真っ赤な顔しながらアイシャが立ち上がる。

 でもな、今までそこまででかい刃が出たことなんか無かったろ。バレバレだ。


「お前、それほど……」

「違う違う違う違う違う違う違う違うっ!」

「ワームにムカついてたんだな」

「違っ…………わない。それでいいです」


 なんだ? 急に大人しくなっちまったが。

 そんで、ふてくされながらシチューを木の器で直にすくって飲みだしたが。生酒飲んでるオヤジか。


 そんなアイシャの隣で、メルクが俺達のことを子供を見守る親みてえな顔で見てやがる。何の真似だ貴様。


「なんだよメルク」

「いえいえ、たまにはこういうのもいいもんでござんすね。あっしの事はどうぞお気になさらず、あとは若いもん同士でゆるりとやって下せえ。……ふぁいっ!」

「戦わねえっての。何の話だまったく……」


 それに、冗談にできねえ真面目な話がひとつあるんだ。

 俺が拳を食らった頬をさすりながら起き上がると、暗がりも手伝って重たい空気が伝わったようだ。二人とも生真面目な表情で俺を見る。


 隠しててもしょうがねえし。覚悟を決めて、重要な話を切り出した。


「アイシャよ。そのせいで、ちっとばかりまずいことになった」

「何がよ」

「さすがにてめえの風貌と聖剣に気付いた連中が騒ぎだしてさ、いつもみてえにもみ消せなくなってるらしい」


 超人的な技出すからだ、この粗忽。そしてお前の正体がバレた後、どう扱うことになるかまるで分からん。


 ただ、どんな結論が出たとしても……。


「そんで? あたしの正体がバレたらどうなるのよ?」

「……もう、どうあっても。俺と旅を続けることは無理だろう」


 いつになく真面目な声で伝えると、アイシャは俺から視線を外して肩を落とした。


 残念だが、これで良かったのかもしれねえ。女の旅暮らしなんて普通じゃねえし、何度も危ねえ目に遭ってるし。潮時なんだと思うぜ。


 散々文句言いながらも、楽しんでたもんな。でも、そんな子供の時間はこれでおしまいだ。俺も身の振り方をちっとは考えるか。今後どうするかを考えるために……。


 よし。早速旅に出よう。


 ……なんかおかしくねえか?


 まあ、その連れにはアイシャに匹敵するこいつの力が必要になるわけなんだが。

 俺は未だに隅っこで膝を抱えてる赤髪に声をかけてやった。


「そんなツラしてんじゃねえよジルコニア。てめえのせいじゃねえだろうが」


 こっちの理由は、それなり複雑だ。同様のことが起きるといけねえからって、ジルコニアが親父に白状したらしいんだが、宮殿のどこかに封印されている二人の魔族が、自分達の拘束を解くためにクイーン・ワームを呼び出したってことらしい。その途中、大舞台に道草されたってわけだ。


 同胞の失態に責任を感じているんだろうな。俺は刺されるのを覚悟しながらジルコニアに近付いて、肩に手を置いてやった。


 アイシャもいるしな、なんて言おうか。

 ……おお、そうだ。こういう時便利な奴がいるじゃねえか。


「全部メルクがわりいんだから、そんなに落ち込むな」

「んなななっ!? ボクのせいなのですか?」

「入浴剤だっけか。あれのせいでワームが寄ってきちまったんだろうが。おかげで俺も花と間違えられて食われるし、散々だったぜ」


 この宮殿の中、誰も見つけ出すこともできずに封印されたままの二人については知らねえふりがいいだろう。案の定、ジルコニアはようやく顔を上げて苦笑いしてくれた。


「ふふっ。……ガルフォンス。ちょっとだけかっこよかったけど、どうしてあんな真似をしたの?」

「それがよ、ひでえんだ。俺はあの時まで、自分がこの国で最強の剣士だって思ってたんだ」

「あら素敵。男はそれぐらい身の丈に合ってない事をいつまでも口にしていた方がいいと思うけど。でもその口ぶりじゃ、今はそう思って無いのね?」


 俺が渡した毛布にくるまりながら少しずついつもの口調に戻ってきやがったが、それを通り越して呆れさせることになるかもしれねえな。


「実はな、俺は『皇宮の砦インペリアルガード』の連中に剣技を教わってたんだ。そんで、たまに勝負を挑んでたんだが、一度も負けたことが無くてな?」

「ふふっ。彼らの手心が、とんだ勘違いを生んだという訳ね?」

「おう、そういうこった。絶対に戦おうとするなって言ったじゃねえかバカ野郎って、さんざん怒鳴られたぜ。でもさ、勝負に勝った後そんなこと言われたら、俺の強さがヤバ過ぎるから言われたんだって思ってもしょうがねえだろ」

「そんな勘違いをしたまま、今まで生きてきたの?」

「笑うんじゃねえ。どうやら俺の腕前は、ベクターんとこのガキより下らしい」

「おいくつ?」

「五才」


 ようやくいつも通りになってくれたみてえだな。楽しそうに笑ってやがる。

 さあ、そうと分かればとっとと牢屋を出ようか。いつも通りってことは、いつ刺されてもおかしくねえわけだしな。


 そう思って振り返ってみたら。さっきまで半開きだった扉がきっちり閉まってやがる。おいおい、閉めるの早すぎだって。


「わりい、手間かけたな。開けてくれ」


 看守に、そう話しかけたんだが、返事は予想外なもんだった。


「いえ! このようにせよと、陛下からの命令がございまして……」

「バカか!? ……いや、逆か!」


 親父! なんて粋なことしやがる!


「これ、ハーレムじゃねえのか!? こんなところで夢が叶うとは! やべえ、そう思ったら興奮してきたぜ! 誰からなにしてもらえばいいんだ? 初めてだからよく分かんねえぞ!」


 慌てて三人に振り返って叫んじまったもんだから呆れ顔された。いけね、つい興奮してどうしたらいいか分からねえとか言っちまった。お前らだって始めてのハーレムの夜。不安なのは一緒だってのに。


 でも、リードしようにもほんとに作法が分からねえ。


「安心しなさい、ちゃんと教えてあげるから」

「おお、アイシャ! 俺は、どうしてたらいいんだ?」

「目をつぶって、この鍋をあたしが振るとちょうど顔の高さになるようになさい」


 なるほど。そんなら膝立ちくれえかな?


「こうか?」

「まあまあね。初めてにしちゃ、才能あるわ」

「そうか! やっぱ俺にはハーレムの才能がごひん!」



 その後、上手くできたかどうかわからねえ。なんせ、どういう訳か眠ってたし。

 でも目が覚めた時にはみんな満足そうにベッドで眠ってやがったから、良しとしよう。


 俺はこうして初めてのハーレムでの夜を、興奮と頭の激痛とのせいで、まるで眠れずに朝まで過ごした。



 ……そうか。

 ハーレムって、思ったより寒いんだな。布団も無しで床に寝るのが作法なんだ。



 まあ、幸せだからいいけど。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 遠く海の方に浮かぶ薄雲が、その身をプツリと切り離してカモメの姿になると、冷たくなり始めた潮風に煽られながら舞い上がって、そして大ゲートの上に音もなく降り立った。


 ――魔獣の襲来。それはよくある不幸だ。だから必要以上に悲嘆にくれることもねえ。

 とは言え、正直この国の連中は逞し過ぎるって気もするが。


 死人が出なかったってのも理由なんだが、まさかあれほどの事態に見舞われた翌日に仕切り直しの選挙をするとは思わなかったぜ。


 しかも昨日の続きからやりゃあいいものを、完全に一から投票し直し。

 理由が分からず呆れていた俺も、その投票結果を見て、なんでやり直したのか納得した。


 ボガード四十票

 レキウス四十票

 ガルフォンス十七票

 無効一票


 ……昨日と得票数が違うじゃねえか。


「四票ずつ俺に流れてやがる。……まあ、結果は変わらねえけど」


 昨日同様、四人の武官による見事な結果読み上げに続いて巨大な掲示板が掲げられると、親父が話しかけてきた。

 アイシャの件とワームの事後処理で一睡もしてねえだろうに、なんでご機嫌そうな顔してやがるんだ?


「ガルよ。大人気じゃねえか」

「皮肉か?」

「いいや? 票の移動はてめえの無謀に対するまっとうな評価だ。あんな勇敢なバカは見たことねえってよ」

「やっぱ皮肉じゃねえか。……ああ、選挙終わったら礼に行きてえから、どこの物好きが俺に投票したのか教えてくれ」


 仕切り直しってこともあって、昨日よりくだけた会場の空気が心地いい。客席からも笑い声が聞こえてくるし、それに何より……。


「王になんかなれなくてもさ、時代はいい方へ転がってる。俺にはそれで満足だ」


 昨日は一人分の所に二人が窮屈そうに座ってた人間族以外の連中の席。それがどうだ、今日は広々と座ってやがる。


 大ゲートそばに陣取る異種族達の座席が、明らかに昨日の倍は取られてるのを見て目を細めてたら、親父が俺の肩を軽く叩きやがった。


「てめえに移った八票のうち、五票はそれが理由なんだぜ?」

「それってなんだよ」

「異種族の連中が自分達を助けてくれたことへの感謝だってよ。あいつら、揃ってガルに投票してるじゃねえか。だから追従したんだと」

「へえ」


 それだけ話して俺から離れる親父の背中を見て確信したぜ。

 やっぱり、時代はいい方へ動いてる。これからも国中を旅して、ハーレムっ候補を探して歩きながら、みんなの意識を変えていけたら。


 そう思いながら、隣に立ってたアイシャについ目を向けちまったんだが……。

 そうだよな。そんな旅に、てめえはいないんだったな。


 未だになんの沙汰もねえが、国王が決まって数ヶ月ほど、もろもろ落ち着いた頃合いにお前の正体が公表されるだろう。だがそれまでも、それからも。ほいほい外出させるわけにゃいかねえって事だけは確定だ。


 なんだろう。胸がチリチリしやがる。


 今までの当たり前が取り上げられたっていうのに、お前が、らしくねえ顔で、こんなとこに突っ立ってるのが気に食わねえのかな。



 ――覚えてるか? ちいせえころ、初めて二人で出た冒険は、隣村までたどり着くこともできずに終わっちまったのを。

 俺が、靴が壊れてビービー泣いたから、てめえがお腹が空いたからってウソついてくれて。日が暮れる前に帰ったもんだから、親父やおじさん達に情けねえって叱られたんだよな。


 二回目の冒険は、こないだてめえが海に沈めちまった『南西の盾』だ。そこで初めてフェアリー族に出会った俺達は、冒険の楽しさを知って、少しずつ遠くへ、知らない土地へ出向くようになったんだ。


 そして、世の中には悪人ってやつが少なからずいることを学んで。

 痛い目に遭って、泣きながら家に帰って。それでも旅はやめられなくて……。


「やだ。あんた、泣いてるの?」

「え? 泣いてなんかねえ、何言ってんだ?」


 感傷的になって、涙でも流れたか? 手の甲で目元をこすってみたが、別に何ともねえんだが。


 …………あ。


「てめえ、はめやがったな?」


 珍しく俺に笑顔を見せたアイシャ。きっとこいつも、昔のことを思い出していたんだろう。

 俺達の人生そのもの。お前は強くなるため、俺はハーレムっを探すための果てしない旅。



 それが今日、終わろうとしている。



 何やら感慨深げに考え始めたアイシャを見ながら、俺は…………。



 ちょっと恐怖を感じていた。



 脳なんかめったに使わねえこいつがこれやると、大抵とんでもねえことになるんだが。


「おい、変なことすんじゃねえぞ?」

「変なことなんかしないわよ。あたしがやろうとしてることは、正しいことよ?」

「それを世間じゃ変なことって呼ぶんだよ。なに企んでやがる」

「……あったまきた! ようし。じゃあ、その変なことしてきてやる!」


 待て待て! 慌てて止めようとしたら、プリムローゼでなぎ倒された。バカやろう、そんなことすっから、あっという間に会場がざわつき出したじゃねえか。



 王子を鈍器でなぎ倒した疑惑の女。

 そいつが疑惑の元となった聖剣を掲げると、すべての耳目がその身に集まった。


 奇跡の様な美貌に、煌めく金髪。細くてしなやかな腕をまっすぐに伸ばしたアイシャが、会場に向けて大声を張り上げる。


「皆の者! しかと聞け! 先だっての一件で私を疑う者もいよう。されば、今ここで私の正体を明かそうではないか!」


 ばかな! なに言い出しやがった!?

 一万人が見守る砂上。常識的に考えれば、こんな宣言、俺達が止めなきゃならねえはずだ。


 だが、こいつから発せられた何かが俺達の体を威圧して、指一本動かすことを許しちゃくれなかった。


 本物のオーラ。


 俺みてえな、まがいもんじゃ出せるはずのない王者の鎧をまとった女が、とうとう自らの口で正体を明かす。


「我が名は、アイシャ・デ・コンツォ・ブルタニス! この国を長きにわたり守って来た、ブルタニスの正統なる末裔である!」


 アイシャが名乗ると共に、悲鳴にも似た歓声が湧く。


 処刑されたはずの姫。その名を聞いて、むせび泣くものも少なくない。


 これほどの事実を隠してきたグランベルクを責める声も多かったんだが、それを察したアイシャが俺の肩を叩くと、罵声は一気に鳴りを潜めた。まあ、ブルタニスとグランベルクが仲良くしてるとこ見りゃあ不当な扱いによる結果だと感じる奴はいねえだろうな。


「聖者の末裔! アイシャ様!」

「私達を救った勇者様!」

「聖剣・プリムローゼはブルタニスと共に!」

「我らブルタニスの民は聖者と共に!」


 このまま謀反でも起こそうものなら成功しそうなほどの熱狂へ向けて、鎮まれと手をかざすアイシャ。

 その姿、威風堂々。俺達の周り、つまり舞台側にいる連中はいいかげんこいつを止めなきゃいけねえはずなんだが気を飲まれて微動だにできねえ。


 そんな中、とうとうこいつは俺が心配してた通り、とんでもねえことを言い出した。


「さて諸君! このアイシャが、ブルタニスを代表してここに宣言する! 我は次期国王として、ガルフォンス・デ・ロッツォ・グランベルクへ一票を投じたい!」

「なあああああっ!? アイシャ! てめえなに言い出しやがった!?」


 今の今まで、まるで影が縫い付けられたようにしていた連中が途端に大声を上げながら慌てて動き出す。昨日の再現みてえに、人が雪崩を打って転げ落ちる客席から上がる声は、だが肯定の方が大きいか?


 そのうちまばらな拍手が上がると、あっという間に円形大舞台を埋め尽くす。

 だが、一人の男がアイシャの肩を掴みながら大声を張り上げた。


「皆の者、鎮まれ! 貴様……っ、小娘! お前にそんな権限があるわけ無かろう!」


 ……お袋を見殺しにしたブルタニスを恨むレキウス兄さんの気持ちは分かる。

 だがな、お前の取った行為は間違いだ。


 わざわざ説明するまでもねえ。国民は、お前を否定してやがる。ひでえ罵声だ。

 そんなレキウス兄さんの肩を、今度は親父が掴んだ。


「レキウスは昔っから石頭だなあ。こいつらの声が聞こえねえのかよ。下手すりゃ暴動になるぜ? 俺はあいつらを鎮める術を一つしか知らねえ。てめえが王になったその暁にゃ好きにして構わねえが、今は俺が王だ。構わねえな?」


 そこまで言われると、不本意丸出しな顔しながらもアイシャから手を離したレキウス兄さんは、絞り出すような声と共に頭を下げた。


「…………御意のままに」


 そして未だに偉そうなツラでふんぞり返るアイシャに笑いかけながら、親父が前に歩み出ると、騒ぎはようやく鎮まった。


「……俺は、常に言っている。ブルタニスは偉大だったと。その一人娘、アイシャの力は昨日てめえらが見た通りだ。本物の聖者の血統。ここにいる全員の、命の恩人。これに報いるために、俺はこの一票を認めようと思う」


 そして割れんばかりの大歓声。これがブルタニス、グランベルクと交互にあがる合唱へ変わると、最後には盛大な拍手で幕を閉じた。



 ――よう、アイシャよ。良かったな。



 何が『正しい行為』なのかわけ分からんし、一票入れてどうなるものでもねえんだが、一つだけおめでとうって言ってやるぜ。


 お前はこれでエルコットではなく、晴れてブルタニスとして生きることができるんだ。王都に小さな宮殿でも作って、内政でも軍部でも、好きなところで働くといい。


 お前なら、きっとでかい仕事ができるさ。



 ……長年連れ添った相棒に拳を向けると、こいつは満面の笑みで拳をぶつけて来た。

 いてえよ粗忽。ちっとは加減しろ。


 そんなアイシャは、美貌に笑いの皺を書き込んだ。ほんと美人って得な。くっしゃくしゃな顔してるくせに整ってるとか。


 伸びかけた鼻の下を懸命に縮ませてたら、会場からひときわ大きな声が聞こえて来た。


「待たれよ! ブルタニス家が推すなら、城塞都市・ブルタニアは論じるまでもなくその意思に従うものである! 我らの票は、ガルフォンス殿下へ移動したい!」


 そして再び大歓声。……まあ、そりゃあそうだわな。ブルタニアはその名の通り、グランベルクが政権を奪取した際に反抗勢力のよりどころとして王国最西端に築かれた城塞都市だ。だがいたずらに戦火を広げることの不毛を理解していた領主に対して半自治を認め、後はそれなり友好な関係を保ってきたんだ。


 魔獣の大群が彼の地に押し寄せた時にはグランベルクが全軍を挙げてこれを退けて、魔族戦争の際には逆に、ブルタニアの抱える軍勢が魔族の背後から襲い掛かって多大な戦功を挙げたんだ。


 ブルタニアの存在が証明する通り、ブルタニスが人々の拠り所であることは間違いねえ。この宣言のせいで大混乱。追従する連中が後を絶たねえ。


「おいおい。お前のせいで、変なことになっちまったじゃねえか!」

「だから変じゃねえって言ってるでしょうが。バカなの?」

「バカはてめえだ! なんだこの有様!」


 へらへら笑うこいつの向こう、慌てて集計し直した役人達が結果を巨大掲示板に張り直す。そして高々と板が掲げられると、会場からは何度目かの大歓声が巻き起こった。



 ボガード三十五票

 レキウス三十四票

 ガルフォンス二十九票

 無効一票



「あ、あぶねえ……。これで俺が勝ったりした日にゃ、兄さん達にこの場で刺し殺されるとこだった」


 レキウス兄さんにはわりいが、さっきの軽挙が災いしたんだと思ってくれ。俺のせいじゃねえからな。恨むんならこの粗忽にしろ。


「ひでえ騒ぎだったが、ようやく決まったな」


 アイシャのせいで、一気に疲れたぜ。

 そんな体を地面に落としたら、隣にジルコニアが来やがった。殺す気なのかと思ったがそうじゃねえらしい。


「ほんとに決まったと思う?」

「は? なに言ってんだ、てめえ」


 決定してるじゃねえか。まだ何かあるってのか? ジルコニアが見つめる先に視線を向けると、腕組みしてる親父の姿がある。

 そんな親父が意を決したように頷いて。


「ほんとは暴動にでもなりそうだったからもみ消そうと思ってたんだがな、俺は決めたぞ! てめえら、よく聞け!」


 張りのある、妙に説得力のある声を上げると大騒ぎだった会場が一瞬で静かになった。


「この国内に数百。これだけ暮らすのに認めねえわけにはいかんだろう!」

「なに始めやがる気だ、あいつ」

「ふふっ。アイシャの言葉を借りると、『正しいこと』よ」


 はあ?


「……昨日の戦いを見たお前らなら、俺の言いてえことが分かるだろう! この地に暮らすもう一つの種族! 魔族が、ガルに一票入れてるぜ!」

「このバカ親父、なに言い出しやがった! 暴動になるわ!」


 ここにいる連中、ほとんどが魔族戦争を体験してる。他と違って、こればっかりは通るわけがねえ。それに、よりによって俺に投票してるだと!? 殺されるわ!


 案の定、客席からは盛大な罵声と物が親父と俺に投げつけられた。

 そんな中でも、一番でかい声をあげたのは。


「魔族の票など認められるはず無かろう!」


 無論。ボガード兄さんだ。


 兄さんの声に呼応するかのように、会場からは盛大なボガードコールが上がったんだが、親父が手をかざしてこれを鎮めると、またいつもみてえなペテンを言い出した。


「ボガード、気持ちは理解してやるが、てめえの言葉を肯定してやる気はねえ。てめえにとって滅ぼすだけと考えてた魔族が、ガルならば信用できると、そう言ってるんだ」


 兄さんの名前を呼んどいて会場全部に聞かせるとか。役者かよ。

 それに親父の言葉にはどうしてこう説得力があるのか、会場全体がボガード兄さんと一緒に矜持を叩き折られて悩みだす。


 そしてとうとう、昨日ジルコニアが守った席の辺りから声が上がった。


「き……、聞いてくれ! 私達は昨日、王様の騎士に、ま、魔族に助けてもらったんだ!」

「我々も同じだ! 魔族を悪と憎むのではなく悪の魔族をのみ憎もうと思う!」


 これには、何をバカなと非難の声がでかでかと上がったが、魔族嫌いの急先鋒、ボガード兄さんが親父の言葉に打ちのめされているのを見て、鳴りを潜めていく。


 そして再び票の移動が行われると、役人たちが揃って真っ青な顔になっちまった。いや、青いツラになったのは俺もだ。勘弁しろよ。



 ボガード三十三票

 レキウス三十三票

 ガルフォンス三十三票

 無効一票



 掲示板を見て、ざわめきを止めることのない会場。やれやれ。よりによってこんなことになるなんて。


「……同数とか、どうしろってんだよ。これじゃ決選投票もできねえ。……もう、ワーム一匹捕まえてきてどこかへ一票入れてもらえ」


 妙なアイシャの煽りとか。あと、ジルコニアよ。魔族の一票とか、てめえの仕業だな? お前らのせいで選挙自体がめちゃくちゃになっちまったじゃねえか。反省しろ。


 なんだか、ボガード兄さんもレキウス兄さんもしょぼくれちまってるし。そんなこいつらの怒りはいつもみてえに俺に向けられるわけだ。


 こりゃあ、国から追放されるのも時間の問題だな。


「さ、急いで夜逃げの準備しねえと。どこの村にかくまってもらおうか……」

「ご主人様、意味が分からないのですが、引き分けだと逃亡者生活スタートなのですか? ボク、日陰生活にはトラウマがあるのですけど」

「いいよ無理してついてこねえで。アイシャにでも面倒見てもらえ」

「ええと、でも、ずっと無効票ってのがあるのです。あれが入れば決着つくんですよね?」


 ああ、そんなのあったな。無駄とは思うが聞いてみるか?


「親父。無効票ってのはどこの地域なんだ?」


 国民選挙って言ったって、全員がどこかに入れなきゃいけねえ法はねえ。入れたくねえもんを無理に投票させるつもりはねえが……。


「知らねえ」

「はあ!?」


 バカな返事が返ってきやがった。


「そんな顔すんな。知らねえもんは知らねえ。からな」


 そんなこと言いながら、指差す先は。


「…………へ? ボクなのですか!?」

「メルクハートちゃんの国の名前を言え。そうすりゃ、晴れて一票好きなとこに投じることができる」

「ちょっ……! ちょっと待て!」


 そりゃ見過ごせねえ。邪魔させてもらうぜ。


「お前、言いたくねえんだろ? 無理しねえでいいから、黙ってろ!」


 親父を見つめるメルクの肩を掴むと、こいつは嬉しそうな顔して振り返ってきやがった。


「ボク、そう言って下さるご主人様のために、正体を言いたくなっちゃいました!」

「待て待て! 無理すんな!」

「いいえ! 状況が変わりました! ボク、見る専をちょっとだけ封印して、センターヒロインの気分を味わってきます!」


 ちょっとは慣れて来た異国語を残して、親父と共に役人の前に立つメルク。

 だが昨日、親父から渡された投票権のガラス球を出すと、親父共々叱られた。


「八十の地域以外の場所に暮らしてる? 何を言っているのですかあなたは! だったら、それを証明する物でも見せてみなさい!」

「あ、それならあるのですよ」


 そしてメルクが取り出したのは、いつぞやの四角いカード。


「学生証なのです」

「ガクセイシヨ? 何を言って……っ!? ハ、古代語ハイ・スペシオール!?」

「いや、それより、この素材は何だ!」

「しかも、なんだこの精巧な絵は! 貴様、何者なんだ!?」

「はい! メルク、外国人なのですよ!」


『ええええええええ!?』


 舞台中央での大騒ぎが、人づてに、あっという間に会場全域へ伝わると、至る所から声が上がる。親父がそれを鎮めたが、一人だけ、言う事を聞かずに渋い声を響かせやがった。


 あの声、エクスボルトの野郎だ。


「ほうほう! ではここ以外に、国があるという事ですね?」

「はい! ボクの国は滅んでしまいましたが、きっとここ以外にもあります! それは断言しましょう! だって……、地球は広いんですから!」


 ……チキュウ。


 メルクが発した異国語に、どういう訳か、心臓が反応した。

 そして俺と同じ感覚を、会場の連中、全員も味わったんだろう。


 この地の外がどうなっているのか。

 世界の最果てはどうなっているのか。


 心が煽られる。何かに突き動かされる。

 気付けばみんな、一斉に目を見開いて、こんな荒唐無稽を信じちまっていた。


「…………これで、文句はねえな?」


 いや、文句だらけだろ。めちゃくちゃだ。

 だが異国という嗅ぎ薬はあまりにも強烈で、誰もが呆然としながらメルクを見つめてこくりと頷く。


「おお! これ、ちょっと病みつきになるのですよご主人様!」

「やれやれ。さっき言ってた、センターヒロインってやつか?」

「ですです! でもやっぱ性に合わないので、後はご主人様にお任せなのです」


 そんなこと言いながら俺の背中に回ってぐいぐい押しやがるが。俺だって苦手だぜ、なんだこの視線。具合悪くなってきたんだけど。


 逃げ出そう。そう思ったんだが、ちいとばかり遅かった。


 そう。こんな結果を狙ってやがったな? 親父が強引に、幕を引いちまった。


「よし! そんじゃ、次期国王は、ガルフォンスに決定だ!」


 そんな宣言に、一斉にあがった声は。




『無知蒙昧のバカ王! 爆誕!!!』




 そして俺は、大舞台の中心から、すべての客席へ届くほどの声で返答した。




「絶対この超常現象の原因突き止めてやる!」




 ……会場を、いや国中を埋め尽くさんばかりの大笑い。

 いつまでも鳴りやまない拍手。


 やれやれ、そうかよ。だったらバカはバカらしく、最後までバカを貫いてやろうじゃねえか。


 落胆しつつも、どこかさっぱりしたボガード兄さん。不満げなレキウス兄さん。

 二人に挟まれた親父の前に片膝つきながら、俺はワイルドカードを早速使うことにした。


「あのさ、親父。今ここで、なんでも叶える権利を使いてえんだけど」


 別に声を張ったわけでもねえんだが、事情が伝わったんだろう、会場が一気にしんとする。


「ガルの言いてえことくらい分かってるぜ」

「やっぱ親父だな」

「たりめえだ。……アイシャちゃん! こっちにおいで!」

「うぐっ! 国家権力を使うなんて……」


 往生際のわりいこいつは、ずりずり、少しずつ近付いて。そんで俺に思いっきり肘を食らわせながら片膝ついた。


「いてえ。なにしやがんだ粗忽」

「死ね! いや、永遠にすべての生き物から無視されて生き続けろ!」

「ふざけんなこええよ!」


 すっげえくしゃくしゃな悪人面。それでも綺麗に見えるとか、やっぱ思うわ。美人ってほんと得な。


「アイシャちゃん。ブルタニス陛下から聞いたぜ? 昔、こいつと約束したんだろ?」

「くぅ……っ! そ、そんな昔の事覚えてません!」

「アイシャ。それ、覚えてる奴しか言わねえ言葉な。……あとさ、そんなに顔真っ赤にして怒んなくてもいいじゃねえか」

「はあ!? バカなの? 赤くなんかなってねーわよ!」

「いや、だって耳まで真っ赤になっ……てないれふ」


 プリムローゼ、口ん中突っ込むんじゃねえ!


 会場からは笑い声が絶えねえが。これ、やられてみ? すげえこええんだぜ?


「ほれ、遊んでんじゃねえよ。アイシャちゃんは覚悟決めな」

「む……、無念……」

「じゃあ、ガル。望みを言え。グランベルクの名においてその履行を確約しよう」

「よっしゃ、待ってました!」


 再び静まり返った会場から伝わって来る想いがはっきりと分かるぜ。

 やれやれってため息と失笑。だってバカ王子の望み、みんな知ってるもんな。


 任せとけ、てめえらの期待は裏切らねえ。今生最大のバカげた笑いを、俺がくれてやる。


 そんな気持ちとともに。


 俺は、高々と望みを口にした。




「この勝負無かったことにして、また何年かしたら選挙やらねえか?」




 水を打ったように静まり返った会場から、同時に上がる予想通りの声。



『……はあ!?』



 あれ? 爆笑はどうした?


「あ、あんた! どういうつもりよ!」

「もちろん、もう一人国王候補を加えてな!」


 そう言いながらアイシャの頭をポンポン叩いてやると、白い顔が真っ赤になりやがった。あと、親父。笑い過ぎ。


「うははははは! アイシャちゃんも加えて選挙ぉ!? ガル! おめえはどこまでバカなんだ?」

「しょうがねえだろ、約束したんだ。こいつの謀反に加担してやるって」

「謀反なのかそれ! うははははは! 腹いてえ! 勝ち目ねえなあそりゃ!」


 兄さん達も呆れ顔を通り越してきょとんとしてやがるが。


「なんだそのツラ。二人とも、今日の結果じゃ納得できねえだろ? だって俺に入った票、半分はこいつのだからな」

「ポンポン叩くな! そ、それに、いいの?」

「いいのってなんだよ。いつも謀反に手ぇ貸せ手ぇ貸せうるせえくせに」


 ん? なんだその複雑なツラ。


 嬉しいのか怒りてえのかはっきりしろ。

 

 そんなアイシャが口にしようとした言葉を、会場の連中が掻き消した。


「あ……、あり」

『最高だーーー! この国一番のバカ!』

「こらてめえら! せめて王子付けろ!」


 アイシャがなに言おうとしたのかも分かんなかったし。てめえらが大笑いしてる中でただ一人、俺だけが腹たててるってのは、どういう了見だ!


「ちきしょう! こらアイシャ! てめえの願いを叶えてやったんだ。次は俺の願いを叶えろよ!」


 じゃねえと割に合わねえ! なんだこの仕打ち!


 そんな当然の要求出したってのに、この暴力女、聖剣抜きやがった。


「あんたの願い……、これよね?」

「そんなわけあるか! やめ……、ごは!」



 ……いつものように吹っ飛ばされて。みんなが笑ってて。


 なんて扱い。たが……、これで良いか。

 こうみえて、俺は結構幸せだぜ。


 そうだよ。幸せってやつは、結構近くにあるもんなんだ。そのためには、まず、隣のやつを好きになることから始めればいい。

 だからよ。次の選挙の時は、種族関係なく、てんでバラバラに席に座ろうぜ。


 全国民。一人一票。……しょうがねえからワームにも投票権くれてやる。

 おお。時代は、いい方に流れてやがる。




 さて、アイシャよ。誤魔化してねえで、俺の願いを叶えてくれよ?

 今夜帰ったら、早速準備しねえとな。




 ……次は、どこへ冒険に行こうか。



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