フェアリー族はラブソングを歌わない そのさん


 明かり取りすら無い密室は、狭い換気口が高い口笛を鳴らしていた。

 巡回の衛兵が行った後だ。後は、夜明けまでたっぷり楽しむことが出来るぜ?


 手にした白石の燭台を手近な机に置くと、淡い明かりの中だってのにキラキラ輝く銀色の髪が近付いて、これから起こる秘密の出来事に不安と期待を感じてるんだろうな、震える声音でぽつりとつぶやいた。


「牢獄行きはいやなのです。すぐ帰りたいのですよご主人様」


 あれ? おかしい。不安だけじゃねえか。期待はどうした。

 宝物庫の奥の奥。古代遺産ハイ・エレメンティオーレが保管してある部屋までメルクを連れて来てやったんだが、なんだよお前。帰りたいって。


「てめえが来てえって言ったんじゃねえか」

「条件を全部聞いたところでイヤって言ったのですよ」


 すぐ泣くメルクが、目をウルウルさせながら嫌がってるんだが。変だな、どこでそんな掛け違いが起きたんだ?


 万が一燃えたら大事だからって理由で、この部屋はすべてが石造り。展示机も、棚も、床も壁も。展示されている品はどれも古代文明の遺産で、文明の発達した世界に暮らす俺達にとっては随分と古臭い儀式的な要素が色濃い。まあ言うなればガラクタなわけだが、考古にとっては重要な品なんだ。

 ただ、ここに写本として保管されている古文書だけはガラクタなんて呼べやしねえものばかり。予言書や太古の偉人についての重要な文献が並んでいて、物によっては現代語に訳されて売られていたりもするんだ。


「まあ、せっかく鍵をちょろまかして入って来たんだ。見なきゃ損だぜ? 中には驚くような品まである」

「そうは言いましても……? いえ、確かに驚愕の品がいきなり目に入ってまいりました」


 文句を言いながらも、いきなりそいつに目をつけるとは。さすが考古のために国を飛び出した女。


「だろ? そいつは水を入れると魔獣が嫌う光を出すと信じられていて、かつてはどこの家庭にも置かれていた品らしい。そんな効果はまるでねえってのに。古代人は本気でそんなのを信じてたんだな」

「ペットボトルに水を入れても、意外とネコは寄ってくるものなのです。それにしても一万年以上残りますか。恐るべし石油精製物」


 ん?

 こいつ、対魔筒の事を知ってるような発言してやがるが……、異国語ばっかでまるで分からん。


「お前、これが何なのか分かるのか?」

「知りませんとしか答えたくないのです。びっくりを通り越して呆れました」


 そしてため息なんかついてやがるが。……ははあ、こいつはお前さんの国でも出土されてたって訳か。だったらこいつならどうだ?


「こっちに並んでるのは太古の文献。全部写本だがな」

「そりゃそうでしょうね。……見てもいいのです?」

「もちろんだ。でも古代語ハイ・スペシオールで書かれてるから読めねえと思うぜ?」


 俺の言葉に頷きながら、メルクは馬鹿でかい豪奢な装丁の本の表紙を開く。

 おっと、そのままじゃ暗いよな。燭台を読みやすい位置に掲げてやると、にっこり笑顔で礼を言われた。


「そいつはフェアリー達が解読した伝記だ」

「へー。……うおう、漢字がしっちゃかめっちゃか。ほとんど読めないのです」

「え? ほとんど? だったら、ちょっとは読めるのか?」


 何となくですが、なんて気軽に言ってやがるが。マジか。

 宮殿の学者達でも手こずる古代語ハイ・スペシオールは、ほとんど読めねえから翻訳はフェアリー達による神の啓示頼りって聞いている。

 それを読めるって、お前……。


 メルクは一気に頁を捲ると、本の中盤あたりに目を走らせる。眉根に力をこめて苦労しながらそのページを読み解くと、なにやら頭を抱えだした。


「これが? 伝記なのです?」

「そうだ。相手の気持ちになろうという教えを説いた素晴らしい人物の伝記だ。翻訳されて、どこの家庭にもあるほどの本なんだぜ?」

「ほう。このドタバタ学園コメディーが?」

「お前の国の言葉はよく分からんが、そいつは言葉一つ聞くだけで相手の感情をすべて把握できる聖人のお話だ」

「ラノベ主人公は恐竜並みに鈍感なのがテンプレなのです」


 ニュアンスで結構理解できるようになってきたと思っていたんだが、今日の異国語はずいぶん難しいな。

 だが、本を閉じちまったメルクが落胆しているのはよく分かる。


「せっかく、素晴らしい教えを説く物語として世に広まっているというのにボクが突っ込みをいれるのは冒涜になっちゃいます。……ご主人様、もう帰りましょ?」

「いや、もう一人来るって言ってたんだ。待っててやらねえと」

「アイシャ様ですか?」

「あいつが来れるわけねえだろ。もう片方だ」


 さすがに目撃者が多すぎる。いつものように俺のせいにするわけにゃいかねえからな。アイシャは憲兵隊に追い回されて、親父のところに逃げ込んだ。親父がこの大粗相をなかったことにするよう関係各所に手を回すまでは隠れてなきゃなんねえ。


 さて、ジルコニアが来るまで暇になっちまったな。新しい出土品でも見てるか。

 棚に並んだ化石から、見覚えのない模様の品を手に取って眺めていたら、急に妙な音が部屋に響き始めた。


 これは、拍手か? ゆったりとした音の連続に背筋が凍り付くような感覚を覚えて、慌てて音の聞こえた戸口の方へ燭台をかざしたんだが、勢いをつけすぎて炎を消しちまった。


 だが、それと同時に室内にあるすべての燭台に青い炎が灯る。


「こ、この炎……、魔族か!」


 戸口から壁伝いに二つ灯った青い炎。二つのちょうど間、影が重なる壁に背中でもたれかかる老紳士。

 上等な黒い礼服に黒い外套。その留め具である金の鎖が青い炎に怪しく光る。

 白髪頭を丁寧に撫でつけたその魔族は、痩せぎすなのに驚くほど精悍に見えた。


 いや、老紳士ってのはあくまで見た目でのことだ。魔族の年齢なんて、あってねえようなもんだろうし。俺はメルクを背中に庇いながら、小さな本を片手に拍手をし続ける魔族をにらみつけた。


「……素晴らしい。実に素晴らしいことだ、いと小さき雛よ。お前にはその写本がでたらめだと分かるのだな?」


 密室の床を、壁を、直接震わせるような低い声。男は小さな本から目を離すことなく、その頁をめくりながら言葉を続ける。


「そしてこの古文書も素晴らしい。……大量のマナを必要とするが、私には触れている間だけ物体を本来の姿へ戻す力があってね。一月に一度、数頁しか読めないが、ここに保管されている化石を元に太古の文献と対話することが出来るのだよ」


 おっさんは、聞いてもねえことを語り始めやがったが……、月に一度?

 今日はともかく普段どうやってここに入って来てるのか怪しいところだが、魔族にとっちゃ造作もねえことなのかもな。


 俺はメルクの手を掴んで、刺激しねえように部屋から出ようとしたんだが、どういう訳かこの女、動こうとせずにプルプル震えながらおっさんが手にした本を見つめてやがる。


「おい、メルク。こっそり逃げるぞ……!」


 小声で催促したんだが、こいつは急に膝を突いて両手で顔を覆うと、呻くような声を絞り出した。


「その表紙のイラスト……っ! 間違いないのです!」

「メルク? あの本がどうしたんだ!?」


 見たこともない艶を放つ表紙に包まれた小さな本。そこに描かれた絵画は、一体どんな絵の具を使ったのやら鮮やかな色彩で描かれているんだが……。


「素晴らしい、これも理解できるとは。雛よ、お前とは語れそうだな」

「おい、魔族! それは何の書物だ!」

「これは……、世界を破滅へ導く本だ」


 何だって!? 禁書の類か?

 だが……。


「なんでメルクがそんなものを知っている!」

「だって……、あれは……。あれは……!」


 そしてメルクは顔を覆っていた両手をさらに強く当てながら目の下まで引きずり下ろすと、いつもの異国語で叫び声をあげた。


「あれは! お母さんの本棚にこっそり隠してあった十八禁BL---っ!!!」

「ジュウハ……? それは一体なんだ!?」


 俺が肩を掴んで揺すると、こいつは震える自分の体を力強く抱きしめたまま、奥歯を鳴らして苦しみ始める。


「ボ、ボクのトラウマ……っ! MPに直接ダメージを食らった気分なのです!」

「大したものだ。それほど恐怖しているということはお前も同じ手法でこれを復元し、これだけ高度な古代語ハイ・スペシオールを解読できたということ。……さあ、語らおう、雛よ。ここに書かれた地脈の切断方法についてだが……」

「そんなこと書いてあるはず無いのです~!」

「ふっ。読みが浅いな。私の解釈では、どうやら聖域に横たわり、羊と狼がお互いに一本ずつの剣を抜くと……」

「ぎゃあああああ! 渋いバリトンボイスでなにほざいてやがるのです!?」


 俺には理解できねえ会話が続いてるんだが、メルクの反応がなんかやばい。早いとこ逃がしてやりてえんだが、当の本人は地べたにしゃがんだままだし。


 ……仕方ねえ!


 俺は何も聞こえない聞こえないと叫び声をあげながら両耳を塞ぐメルクを抱きかかえて、一目散に扉を目指して駆け出……そうと思ってみたけども。


「重くて無理!」

「そしてご主人様は何ゆえボクの足をまさぐってるのですか!?」

「ちげえよバカたれ! 抱っこして逃げようと思ったんだが、お前、どんだけ重てえんだ!」

「ひどい言われようなのですよ!」

「脆弱なる人間族よ。雛を連れ出すことは看過できぬ。この地で唯一、正しき知識を私と共有する者だ。手放す気はないぞ?」

「考古学者達がいるだろう、あいつらと遊べ。これは俺のだからやらん!」


 波打つ白髪頭が左右に揺れる。くそっ、わがままな野郎だ!


「……まるで話にならんよ、あいつらなど。例えばこの品を見て、娯楽の道具などと言うのだぞ?」


 魔族が、手にした本を黒い霧に包んで展示棚へ戻す。すると本は姿を変えて、石に四角いへこみをつけた元の姿に戻っちまった。そして代わりに、くすんだ茶色い棒を霧で手繰り寄せてその手に摘まむと、それはヤツの言うように本来の姿を取り戻したのか、つややかな白い姿で妖しく輝き出した。


 その中央に刻まれた赤い点は目なのか? 確かに娯楽に使うようには見えねえが……。


「脆弱なる者よ。これがなんだか分かるか?」

「いや、まったく……」

「これは……、古代の兵器だ」

「そ、そんな小さな白い棒が!?」


 男が指先で摘まみ上げる程度の棒。それが、まるで文明の発達しなかった古代人の兵器といわれてもな。メルクはこれについても知っているのか? 俺が恐る恐るその白い横顔を覗き込むと……、ん?



 呆れてる?



古代遺産ハイ・エレメンティオーレに詳しいばかりか古代語ハイ・スペシオールまで操る偉大な雛よ。私に、この兵器の名前を教えてはくれまいか?」


 そう問われたメルクは明らかな半目を魔族に向けて、ぽつりとつぶやいた。


「…………千点棒なのです」

「センテンボー? それはどんな兵器だ! 言え! メルク!」

「たいした品じゃないのですよ。ほんとに遊び道具の一部です」

「まだまだだな、雛よ。これはひとたび地上に姿を現すと、なんと周囲三つの敵国に緊張を走らせるほどの兵器で……」

「リーーーーーーーーチ!」


 また、得体の知れない叫び声をあげたメルクが、目の前の何も無い空間に、まるで何かを横に曲げて叩きつけるような動きで腕をふる。


「ご主人様~! こいつとしゃべってると頭痛いのです~!」

「わ、わかった! すぐ逃げよう今逃げよう」

「待て。……ならば雛よ。お前が知りたい古代人の秘密を教えてやろう。それに納得できたなら、私と共に来い」

「聞きたくないのです。どうせろくな話じゃないでしょうし、ボクはあなたの所になんか行きませんから!」

「太古の絵画を復元して判明した、古代人の野蛮な風習についてなのだが……」


 くそっ! このやろうはどんだけ我がままなんだ? 聞きたくねえって言ってるのに勝手に話し出した!

 俺は必死に両耳を塞ぐメルクの手をさらに外側から押し付けてやったが、魔族はニヤリと笑うと、頭に直接言葉を送り込んできやがった。

 俺の頭にも届いた、野蛮な風習とは……。


『……古代人は、陰部に何本かの黒い刺青を入れる風習があったのだ!』


「うははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」


「メルク! しっかりしろ! メールク!」


 腹を抱えて笑い出したメルクは、バシバシ俺の肩を叩いてなおも笑い続ける。

 だがこれに気を悪くしたのか、魔族が霧を発生させて俺達を包むと、メルクだけがその場に崩れ落ちちまった。


「な、なにしやがった!」

「貴重な知識を聞いて喜ぶのはいいが、憲兵に見つかってしまう。少しの間、眠ってもらっただけだ。……しかし、どうやら私の話に興味が湧いたようだな、では雛を貰って行こう」


 外套をばさりと跳ね上げたおっさんが、靴音もたてずに近付く。

 だが、そういう訳にゃいかねえんだよ!


 俺は寝息を立てるメルクの前に手を広げて立ち塞がる。するとおっさんは心底呆れたと言わんばかりに眉間を押さえた。


「……分からん男だ。そんなに命が惜しくないのか?」

「惜しいさ。だがてめえにこいつを渡す訳にゃあいかねえ」


 たりめえだ。こいつは俺の大切なハーレムっ第二号なんだからな。


「愚かな……、私と戦う? いや失礼。戦いを受ける以上、君を卑下するなどあってはならぬこと。ならば我が名を教えよう。それが、私より先に往く者への紳士たる礼儀。そして今より無となる好敵手よ。私の名乗りを聞きし後、最後に一つ言葉を残すが良い。……それは私と共に、永遠に残るであろう」


 最期の言葉なんか言いたくねえ。だが、さっき強引に頭に言葉を送り込んだのと逆のことくれえできるんだろうな。


 しかし、どうして魔族ってやつはこうまでひねくれてやがる。過去に何か、とてつもない目に遭ったとでもいうのか?


 ……そんな無為な事を考える時間は終了のようだ。魔族は古代人の兵器を霧に乗せて棚へ戻すと、外套を青い炎で燃やして金の留め具をポケットへ押し込んだ。


 そのまま人間のものと変らねえ右手を自分の胸に当てると、俺がこの世で最期に聞くこととなる重たい声を、部屋一面へと響かせる。


「私の高貴なる名は……」


 そして想像通り、その名を聞くと同時に、俺は自然と最期の言葉を口にした。




「ムルカジ」




「お前がひねくれたのは! 全部あいつのせいかーーーーーーーー!」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 俺は、衝撃の事実を突きつけられて膝を落としていた。

 そりゃあひねくれるわ。おかしなこと言い出すようになるわ。お前は何にも悪くねえ。


「好敵手よ、随分変わった言葉を残すのだな。……まあ、よい。では雛を手に入れるために君を殺すこととしよう」

「ちょっとだけ待ってくれ。どうしてもやらなきゃなんねえことが出来た」


 俺の言葉に一瞬機嫌を損ねたように見えたムルカジ君だが、戸口に立つ俺を見つめたまま辛抱強く待ってくれた。

 そしてようやく、待ちかねていた女が部屋に入ってきやがったところで、俺はそいつの腕を掴んで強引に地べたへ座らせた。


「やだ強引! 嬉しいわ、やっとその気になってくれたのね?」

「前々からその気だったさ」


 ジルコニアの赤い髪に手を伸ばすと、こいつはとろんとした目で力を抜く。よし、ちょうどいい。


 俺はそのまま後頭部を掴むと、床におでこを叩きつけた。


「数々の非礼! すいませんでした!」

「痛いっ! いくらなんでも激しすぎよ!」

「うるせえ! ちゃんと謝れ!」

「謝るって何を? ……あら? あなたは」

「ん? …………まさかお前! エ、エレメンタぁ!?」


 紳士な見た目はどこへやら、急にわたわたと落ち着きを無くしたムルカジ君。

 お前さんにもし会えたらこいつを謝らせるって、俺は前から決めてたんだ。


 だが、この唯我独尊はおでこをさすりながら偉そうな態度をとる。


「ふーん、呼び捨て? 偉くなったわね、えっと…………、あなた、名前なんだっけ?」

「ひ、ひどいよエレメンタさん!」

「ダンゴムシってあだ名しか覚えてないわ。なんでそんなあだ名になったのよ」

「こらジルコニア! どうして上から目線なんだよお前は! あと、そのあだ名のきっかけを作ったのは貴様だ!」


 もう一度ジルコニアの頭を押さえ付けると、さすがに抵抗しながら困り顔を向けてきたんだが、俺は許さんからな!


 それよりムルカジ君だ。びくびくおどおどしてる老紳士の図がシュール過ぎる。


「こっ……、これはどういうことだ人間! エレメンタを使役しているだと!?」

「おお、こいつは俺のメイドだ」

「んななななななっ!?」

「ちょっとガルフォンス。さっきから、何の真似よ?」


 綺麗な眉が寄ったまま。怒っても美しい麗人が俺をにらむ。

 こええけど、俺を殺したがってる美女の怒り顔ってもんにはあいつのせいで慣れてるぜ?


「てめえ、子供の頃のいたずらとは言え度が過ぎるんだよ。別に清廉潔白でいろなんて言わねえが、俺の所にいる以上、悪いことはちゃんと悪いって謝るようにしてくれよ」


 そして今度は珍しくほっぺた膨らませると。


「やだ」


 子供みてえなこと言い出した。


「なんだと!? ちゃんと謝らねえか!」

「だってダンゴムシだし。おもらしマンだし」

「そういう言い方すんじゃねえ! あと、そのあだ名はどっちもやめなさい!」

「やだ。だって名前覚えてないし」


 くそう、聞き分けのねえガキ相手にしてる気分だ。


 すると気付けばジルコニア同様、つめてえ石の床に正座していたムルカジ君が、情けない八の字の眉毛で俺に話しかけてきたんだが。


「に、人間。おま……、あなたは一体、何者なのだ?」


 それを聞くなよ。

 でも今日はムルカジ君一人で叫ぶわけだし。なに言われても驚くことはねえだろうな。


「俺は、ガルフォンスだ」

「『始まりの宮殿』を海に落したバカ王子!」

「びっくりだ! もう俺のせいになっとる!」


 情報操作、早すぎだろ! いや、これでアイシャが大手を振って歩くことが出来るんなら構わねえか?


 呆れと安心と諦め。いろんなものをない交ぜにした複雑な心地でため息をつく俺の横で、言う事をこれっぽっちも聞きやしないわがまま娘が急に立ち上がる。

 そして冷たい瞳をムルカジ君に突き刺しながら、謝るどころかいじめ始めた。


「……ねえ、ダンゴムシ。あなた、今、私の王子様を何と呼んだの?」

「え? い、いえ、エレメンタさん。僕はそういうアレで言ったわけではなくて、これは慣用句的な……」

「言い訳無用。そのまま正座してなさい。今すぐあなたの口に突っ込むためのミドリガメを何匹か捕まえてくるごひん! ……ぶった!」

「なんでそう意地悪なんだよ! 正座!」


 今度はふてくされた涙目でペタンコ座りか。ほんとさっきから、ガキと一緒。


「わりい、ムルカジ君。ちゃんと謝らすから」

「そ、それは必要無いのですが……、それよりあなたは、ジルコニアさんや私の様な魔族が怖く無いのですか?」

「バっ……! わ、私は人間よ!」


 何だこいつ、急にウソつき始めたけど。理由は分からねえが、ムルカジ君に魔族だってことを隠してるのか? そりゃ気を付けてしゃべらねえと。


「……俺は魔族の怖さをよく知ってる。怖えに決まってるし、恨みもある。でも、それと同じくらい人間族も怖えし、恨みがあるヤツはごまんといる。……結局、種族は関係ねえってこった」

「私が、あなたに酷いことをしたのに?」

「実際にゃなにもされてねえのに、まだてめえが悪人と決まったわけじゃねえ。それに、ひねくれちまった理由はこいつのせいだろうし」


 ジルコニアの頭を鷲掴みにしてぐりぐりしたら、むーとか言って嫌がり出した。

 それよりムルカジ君だ。青い顔して俺のぐりぐりを止めようとしてやがる。


「……やっぱ、いい奴じゃねえか」

「そ、そんなことはございませんが……、それこそ魔族も人間族も同じでしょう。そのように信頼されたら、期待に応えたくなるものだと思うのです、はい」

「そうか。……じゃあ、てめえの友として言うぞ? メルクをさらう、なんてひでえこと、もう言わないでくれ」

「さらう!? ととと、とんでもない! 明日はお仕事もあるでしょうし、しばらく趣味についてお話をしたかっただけですよ!?」


 ……え? まじで?

 なんだか、メルクと似たような顔で泣きそうになってるけど。

 と、いう事は。


「わりい。偉そうなこと言っといて、やっぱ魔族ってだけで勘違いしてたぜ。許してくれ!」

「あ、なるほど。でも、私が調子に乗って殺すとかひどい言葉使いをしたせいで勘違いなさったのでしょうし、お気になさらず……」


 なんだよ、脅し文句だったのかよあれ。分かりにくいっての。


 そしておばちゃん同士のごめんなさいみたいに、いえいえ私こその応酬。

 そのうち、うちの子が本当に申し訳ありませんからの常套句、いえいえそれくらい元気がある方がいいですよまで進んだところで、うちの子が爆発した。


「ちょっとダンゴムシ! なにを偉そうなこと言ってるのよ!」

「ひいっ!?」


 これ、およしなさいジルちゃん。どこでそんな言葉覚えてきたのかしら?


 うちの子が、噛みつかんばかりに襲い掛かると、ムルカジ君は黒い霧に姿を変えて換気口から逃げ出した。

 だが、去り際に、頭へ直接話しかけてくる。


『あなたが私を友と呼ぶ間は、私もあなたの友でいよう。……あなたが王にでもなれば、我々も、きっとこの地で幸せに暮らせるのだろうな』

「王にはなれねえから期待しねえでくれ。……ああ、メルクには事情を話しておくから今度改めて会いに来な」


 俺の返事が届いたのかどうか。それきり部屋には、耳鳴りがするほどの静寂が続いた。

 結局こいつ謝りゃしなかったけど。そこまで膨れてたら可哀そうにも感じるぜ。


「今度会えたら、ちゃんと謝るんだぞ?」

「やだ! ……そんなこと言うガルフォンスなんか嫌いなんだから!」


 やれやれ、うちの子には困ったもんだぜ。でも、ムルカジ君が出て行く時、ほんの少し寂しそうな顔見せてたし。お前のことも信じてやらねえとな。


 ……気付けば、燭台に灯っていた青い炎が赤色へと姿を変えていた。

 そしてでかいリュックのせいで横向きのまま眠ってるメルクが、明かりの中で幸せそうにむにゃむにゃと寝言の様なものを漏らす。

 石の上だってのに寒くねえのかよ。俺は一枚だけ羽織ったシャツを脱いで、お腹の辺りにかけてやった。


 まあ、こいつにバレても騒ぎやしねえだろ。

 そう思ってた通り、ジルコニアは騒ぎたてもしねえで、さっきまでのふくれっ面を真剣なものに変えながら俺の前に静かに立った。


 ぜってえ誰にも言うんじゃねえぞ?


「…………不器用な男」

「そうなんだよな。もうちっとかっこいい男になりてえんだが」


 いつも通りに戻ったジルコニアが、俺の胸に妖艶な指を這わせる。

 ゆっくり、ゆっくり。斜めについた刀傷を。端から端まで。


 おお、くすぐってえ。でもさ、ちょっと悔しそうに傷を見やがるから、お前の俺に対する気持ちが全部分かっちまったぜ。

 そうか。お前、そんな風に思ってたんだな。



 ……ぴったり同じとこ狙って殺す気か。

 なんの対抗意識だよ。



「はあ……、悔しいわ。アイシャを守ろうとしてついた傷なんて」

「言うなよ? 王様が息子を切ったなんて知れた日にゃ、信用がぐらついちまう」


 さて、隠し持ってるとすりゃナイフか。間合いから離れねえとな。

 俺が体を離すと、寂しそうに指を伸ばしてくるが。間合いを測っても無駄だぜ? もう一歩離れるから。


「ふう。……私、ダメ女にされてる。ほんとに悔しい」

「まあそうだな。とんだダメ女だ」


 ナイフで狙う場所がバレバレとか。いくらでもガードのしようがあるぜ。


「ふふっ。じゃあ、そんなダメ女のことも守ってくれる?」

「え? …………え!? なんだそりゃ、ややこしいな!」

「あら、ハーレムの主になるのに、たった二人を相手にするくらいでややこしいなんて言ってたらダメじゃない」

「そうなのか?」


 二人ってのがよく分からんが、ジルコニアが言うんじゃそうなんだろう。


「じゃあ、頑張るけど……」


 ハーレムの主ってそういうものなのか? だがお袋の遺言だし、断るって選択肢はねえけどよ。

 それにしても複雑なもんなんだな。俺はお前に殺されるまでお前を守らなきゃならんのか。


「…………やっぱおかしいだろ」

「あらやだ。もう手遅れよ? 頑張るって言ったじゃない」


 おいおい、なんだよそのうっとり顔。

 これで抵抗されずに殺せるって意味か?


「ふふっ。私にいっぱい楽させてね? ナイフより重いものは持ちたくないから」


 ナイフ!? やっぱ今すぐ殺す気か!?

 まずいまずいまずい!

 なんとかしねえと!


「そ、そうだ! ジルコニア!」

「はい、私の王子様」


 俺は、ほんのしばらくの間こいつの両手を塞ぐ手段を思い付いて、いびきをかき始めた女を指差した。


「俺じゃ持ち上げられねえから。お前がこいつ運んでくれ」


 この緊急回避に対して、どういうわけかナイフじゃなくて拳が飛んできたせいで、俺は気を失った。




 ……そして目が覚めたら。考古省のお偉いさん方が鉄格子の向こうでカンカンになりながら、俺を不法侵入のバカ王子と呼んでいた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 秘密の花園。

 こんなとこ初めて知ったぜ。


 防風を兼ねて作られた林。その奥。木漏れ日がぽっかりと丸く集まるとこに、小さな小さな花畑が出来てやがった。


 こんなのを勝手に作ったのは、こいつらの仕業らしい。


「いい場所だな」


 俺の言葉に笑顔で返すアイシャとメルク。

 あの日以来不機嫌なジルコニアは、そっぽを向く。


 そして、体全体で喜びを表現するのは。


「ここが秘密のとこー」

「歌のお花畑ー」

「いつもここで歌うのー」


 約束通り、俺達に歌をプレゼントするのーと意気込むフェアリー達。たった四人の観客を前に発声練習が始まった。



 これからは毎月服を作ってもらえると喜ぶみんなだったが、それよりもっといいものが買えんだといろいろ説明してやっても、まったく興味が無いようだった。


 まあ、いいさ。使い切れねえ分は考古省に人を雇って、お前らの世話とか給料の管理をさせりゃいい。


 花園と可愛い洋服と歌。お前らの宝物。

 今日はそのうち二つだけだが、次に来る時にはお前らの宝、三つとも並べて堪能させてもらおう。



 ……だが。

 正直なとこ、楽しみ半分不安半分。


 今更になって、なんでこいつらの歌の事を知ってる奴が一人もいねえのかってことに若干の恐怖を感じ始めた。

 物語にあるように、魅了の類の魔力でもあるんじゃねえか?


 アイシャとメルクは楽しそうに笑ってやがるし。俺には頬を膨らませるジルコニアも、フェアリー達を見て笑顔を浮かべてるし。

 俺だけ聞かねえって訳にゃいかねえよな。


 そのうち、フェアリー達が一列に並ぶとメイド達が拍手し始めた。

 もう逃げられねえな。覚悟を決めよう。


「ラブソングなのー」

「他の歌は、まだ練習中ー」

「これだけは自信あるのー」


 ……そんな宣言の後、せーので歌い始めたラブソング。


 甘い歌詞。

 それぞれが異なる音階を奏でる合唱。

 胸に手を当てて感情を込めて。

 笑顔で紡がれる愛の歌。


「こ、これは……」


 思わず耳に集中する。意識が全てフェアリー達に向けられる。頭で考えることも不可能な合唱を、心で捉える。


 まるで魔法だ。

 例え俺がプロポーズの最中だったとしても、間違いなくお前達に集中するだろう。


 それほどまでに。




「…………へたくそ…………」




 リズムもめちゃくちゃで、歌詞もバラバラ。

 そして全員が全員、どへたくそ。


 誰が何を歌っているのやらさっぱり分からねえ魔法の合唱は、歌の終わるタイミングまでばらんばらんだった。



 プロポーズどころか、例えばアイシャに剣でぶっ叩かれててもジルコニアにナイフを突き刺されてても、きっと意識はお前らに向く。そんな魔法をかけたフェアリー達が、爽やかな汗を輝かせて、にっこりとお辞儀をした。



 だれも、歌を聞いたことが無い。


 それはウソだったんだ。



 これ…………、誰もフェアリーの歌を聞いたって言えなかっただけじゃねえか!?



 衝撃の事実に、俺達はひきつった顔を見合わせる。でも、フェアリー達のやり切った感満載の笑顔を見ていたら拍手せざるを得ない。


 ……しかし参った。なんじゃこりゃ。

 そりゃ、こいつらの歌が美しいって偏見持ってた俺達が悪いとは思う。


 でもさ。偏見を持って接すれば、やがてその想いが本物になるってことを、ムルカジ君と出会って学んだってのに。

 それを根底から覆すんじゃねえよ。


 どれだけ信じても変わらねえものはある。そんな事実に打ちのめされながら、俺は感想を口にした。


「……お前ら、ラブソングはもう歌うな。昔話同様、そいつには魔法がかかってやがる。下手すりゃ物語以上の悲劇を生んじまうぜ?」


 これに驚いたフェアリー達は、驚いて不安げな表情を見せる。

 なあに、安心しろよ。俺が、てめえらの幸せを守ってやるから。


「それ以外の歌は、まだ自信ねえんだよな? だったら人様の前で披露する前に俺がチェックしてやる。合格を出すまでは歌うんじゃねえ」


 ほっとした表情と共に、やる気になって気合いを入れたフェアリー共。みんなが一斉に俺を見て、言われた通りにすると約束してくれた。


 そんな姿を見て、ほっとして落とした俺の肩へメイド達が手を置いて。珍しく、よく言ったと涙ながらに褒めてくれた。



 ……バカ言ってんじゃねえよ。



 審査の時は。



 てめえらも一緒に決まってんじゃねえか。


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