フェアリー族はラブソングを歌わない そのに


 『南西の盾』。


 海に突き出した岬に立つ五階建ての石塔は、『南東の剣』と対を成す、宮殿内で最も古い建物だ。

 それもそのはず、もともとテリオルエラルはここを起点にして建物が増えて行ったわけで、つまりこれが『最初の宮殿』ってことになる。

 歴史的な価値は高いが政治的な価値は低い。そんな建物は、現在古代遺産ハイ・エレメンティオーレの研究施設となっているんだが、こいつに寝泊まりする一風変わった研究員とは……。


「ちょお可愛い!」

「なんだ。メルクの国にはいねえのか?」

「いたら戦争が起こるレベルなのですよ!」


 石造りの建物、その入り口に面したホールには一般家庭の居間と変わんねえ家具が並ぶ。

 まあ、一般家庭の食器棚の中に、小さなベッドがずらりと並んでることはねえだろうが。


「おっきな声上げちゃダメとかありますか?」

「普通でいいけど。ただ、この一番右にいるやつは俺のハーレムに特別枠で入れる予定だからいじめんな」

「節操無しなのですよ」


 フェアリー族。

 人間族と変らぬ容姿ながら、身長は人間の七分の一程度。その背に生えた蝶の様な羽根も陶器の様な肌も、光をうっすらと通す性質を持っていて、お日様の下に出るとキラキラ不思議な輝きを放つという美しい種族だ。


 世界中探しても滅多に会えないこいつら。それが王都に十人も暮らしている。 


 俺とメルクがあごを乗せて目を細めるテーブルに並ぶフェアリー達。

 ちなみに俺のお気に入りは、おどおどと仲間の後ろに隠れているプリル・リルラちゃん。灰と銀の中間的色合いの髪に切れ長の目という落ち着いたルックスなのに照れ屋とか。今も友達の背中からちょこっと出した顔を慌てて引っ込めた。


「「分かっていらっしゃる」」


 期せずして先生と同時に口走り、思わずハイタッチ。

 そして呆れるアイシャとジルコニア。


 いや、もう一人。


「そゆこと言っちゃダメー」


 いつも、俺とプリルちゃんの恋路を邪魔するのはチルチ・ルチル。

 基本、スレンダーなフェアリーにしては珍しく大きな胸を揺らすお姉さん。


「なんだよチルチ、邪魔すんなよ。そんならお前が代わりにハーレムに来るか?」

「そ、そしたらプリル、連れてかない?」


 何度もやってるやり取りなのに、こいつは毎回、覚悟を決めた悲しい顔で俺を見つめる。

 だから俺は、いつも通りの言葉を返した。


「そいつぁどうかな~?」


 そしていつものフェアリー軍団総攻撃。

 顔面目掛けてこいつらが突っ込んでくると、ちょっとしたハーレム気分を味わえるんだ。


「嬉しい! いてえ! すっげえいてえ! でも幸せっ!」

「すげえのですよご主人様! 尊敬します!」

「どこがよ! ……こほん。皆様、ここは私めが言い聞かせておきます故、お怒りを鎮めてくださいませ」


 で、外面が慇懃な言葉で俺からハーレムを取り上げるまでがいつもやってる一連の流れだ。

 くそっ。回を重ねるごとに素早く対応するようになりやがって。


 ジルコニアも、知識はあれど会うのは初めてと言っていたフェアリー族。こいつら神聖な力持ってるから、下手に触るんじゃねえぞ?


 それにしてもメルクの反応がやべえ。ずっと泣きっぱなしで喜んでやがる。


「ちょお可愛い!」

「そればっかだな」

「今なら死んでも後悔無いのです……」

「そこまでか。すげえな」

「でも、もっと可愛い服を作って着せてあげたいのです」


 そんなメルクの言葉に、フェアリーの皆が食いついた。


「作れるの?」

「お姉ちゃん、得意? 服?」

「可愛いの?」

「あ、ごめんなさいなのです! ドール衣装作るのは苦手で……。ご、ご主人様! どうしましょう! 皆さんがしょんぼりしてしまいました~!」

「おんおん泣くな。デンベルクのおっさんに頼めば作ってもらえるだろ」


 ワーベンヘッタから急いで王都に戻ってみたら、デンベルクは宮殿に迎えられて画期的な下着の説明をさせられていた。さすが親父だ、エロってもんをよく分かってる。そして国が援助して大量生産の計画を立てるよう指示を出してるところに俺達は踏み入って、もう工房を国営にしちまったって話したら爆笑された。

 デンベルクも今は忙しいだろうが、俺の頼みくらいは聞いてくれるだろう。


「コボルドの手じゃ無理だろうけど、おっさんは得意なんだ、こまけえの」

「そうよね、このコートも細かいとこまで丁寧に縫ってあるし」


 流石に旅疲れは否めねえが、未だに袖も裾もはっきりしてるコートを嬉しそうに翻したアイシャなんだが、そういうこっちゃなくてさ。


「……裾の刺繍見てみ、ジルコニア」

「裾? ……あら細かい。ブルタニス家の紋章が織り込んである」

「うそ? え? どこ!?」


 アイシャがコートの裾をたくし上げてようやくそれを見つけると、ぽかんとしたまま固まっちまった。


「俺が頼んだんだ。バレねえようにって」

「あら妬けるわ。優しいのね」

「はあ!? どこがよ! 他にもエロい細工とかしてないわよね?」


 エロい細工ってどんなだよ。


「はっ!? ま、まさか胸が小さく見えるよう仕掛けされてる?」

「こらてめえ、自分のていたらくを俺と服のせいにすんじゃねえ」

「てっ……!? あんたこそ! あたしの胸をていたらく呼ばわりするんじゃねえわよ!」

「ごはっ!」


 王都に帰って初のフルスイングが、歴史的建造物の石壁に俺の体を打ち付ける。

 でも今、なんかやべえ音したような気がするんだが?


 うおおおおお!?

 今の衝撃で石が一個ぐらついとる!


「こっ、この粗忽そこつ! ちったあ手ぇ抜け! これぶち抜いたら、さすがに牢屋どころじゃ済まねえぞ!?」

「うるさい! 死ね! 刀の錆にすらなれずに綺麗に拭かれて死ね!」

「憐れご主人様、手を抜けって。剣で飛ばされること自体は許可してます」

「妬けるわ。砂漠に行って、アイシャをワーム釣りの餌にしちゃおうかしら」


 ちきしょう、顔の次は背中が激痛だ。しかも後者は何にも幸せじゃねえ。

 ブーツで踏まれる方が幾分かましだ。


「それよりアイシャ、仕事しちまおうぜ。頼まれてたのはそこの上だ」

「そこってどこよ。……ああ、これか。……こほん。それではフェアリーの皆様、大変僭越ながら、お風呂を拝見させていただきますわ」


 どうしてここまでの事しといて外面出すんだてめえは。それに恭しく両手で持つ必要ねえだろ、そんな安物のスープ皿。

 アイシャは戸棚から取った磁器をじっくりと確認した後、納得したように笑顔で頷いた。


「……確かに。お風呂が少々くすんでいるようです。新品を準備してございますのでお待ちください」

「ありがとー」

「うれしいのー」

「いえいえ、お嬢様方に相応しい品を……、かたっ! ……今、こちらの木箱から……、ふんぬーーーーっ!」


 床にしゃがみ込んで、代わりに持って来た皿を木箱から取り出そうとしてっけどさ。ああもう、貸せよ不器用女。


 だか、俺が木箱を取り上げようとして両手で掴んでも、アイシャはムキになって蓋に手をかけ続ける。


「こういうのはテコってやつを使ってだな」

「お? 抜けそう! とおりゃ!」

「ざくっ!? ぐもおおおっ! デコに! 板についた釘がああああ!」


 テコっつってんだ! デコじゃねえ!


「さあお嬢様方、こちらをご覧ください」

「無視かああああ!」

「きれいー」

「真っ白ー」

「縁が金色ー」

「お姉ちゃんありがとー」


 和気あいあいの影で、木床にもんどりうってる俺のむなしさな!

 ちきしょう、慰謝料代わりにアイシャのパンツをぐほ!


「メ……、メルク……、踏んでる……」

「もしかして、このおしゃれなスープ皿がお風呂なのですか? やばいやばいやばい!」


 なんとか逃げ出した俺がしゃがんだまま紅白のパンツを見上げていると、白い方の興奮が、どうやら頂点に達したようだ。


「もうここまで来たら言っちゃいます! フェアリーのどなたかにお願いがあるのですが、ボクの肩に乗って、髪の毛に隠れてもらえないですか?」

「いいよ? ……窮屈。隠れ切れない」

「十分です! 小さな頃からの夢が、今叶ったのです! 後はステッキさえあれば!」


 なにを喜んでるのか分からんが、さすがにうるせえ。

 ちょっと静かにするよう言おうと思ったんだが間に合わなかった。

 古い両開きの扉が勢い良く開くと、外からヒステリックな男の叫び声が石の館に響き渡る。


「やかましい! お前達、遊んでいるのではないぞよ?」

「わりい。……ん? お前、確か……」

「近所のガキ共か? いくら出入り自由な宮殿とは言え、研究の邪魔をするなら出て行ってもらうぞよ? ……して、お前達。成果はどうなっておる!」

「まだわからないのー」

「これから調べるー」

「ええい、まじめにやらないとワームの餌にするぞよ? 直ぐ仕事に取り掛かりなさい!」


 やたら怒鳴り散らして出て行っちまったが、あのちょび髭、考古省次官のイスクだ。

 エクスボルトのやつが最近ブラックリストに書き加えたんだが、その事が気になって様子を見に行った時は、随分大人しかったんだが。


 てめえ、そんとき挨拶したじゃねえか。近所のガキとか呼ぶんじゃねえ。


「なによあれ! 偉そうに!」

「聞こえるぞ、粗忽。それに、実際偉い奴なんだが」

「偉い人ー」

「でも、私達のお手がらを横取りするのー」

「ひでえな」


 見えなくなったちょび髭に反撃してやると心に決めながら立ち上がると、さすがに叱られたからな、フェアリー達はお仕事しなきゃとか言いながら五人が机の上に飛んでいったんだが、残った半分はメルクの肩や頭に乗り始める。


「……お前らは?」

「お祈りは三人までだからー」

「あとは二人がお手伝いだからー」

「なるほど、調べたい古代遺産ハイ・エレメンティオーレが一つしかない場合、五人は暇になるんだ」


 机を見れば、遺産の両側に立つフェアリーの前に、三人が膝を突いて祈り始めたところ。

 それに対してこっちの五人はメルクの髪をいじって遊んでやがる。


「銀色ー」

「綺麗な髪ー」

「えへへ。もっといじってもいいですよ?」

「どうやって仕事する五人を決めてるのか知りてえな。いじめっ子といじめられっ子か?」

「あんたはどうしてそうひねた考え方しかできないのよ……」


 ジルコニアが興味深げに儀式を覗き込んでるのに対してこっちの二人は遊びっぱなしだが、ポジション的にはジルコニアとメルクの場所が逆だな。

 メルクがいじめっ子チームにいていいはずねえし、ジルコニアがいじめられっ子だったとしたら、いつも出てくるムルカジ君の立場がこの世から無くなる。


「ほんと綺麗な髪よね。銀の髪ってあまり見ないけど、メルクの国では普通?」

「いえいえ、普通じゃなかったのですよ。ボクはハーフなんですけど、これのせいで随分いじめられました」

「そう、可哀そうに」

「昔の話なので気にしないでください。ありがとうございます、アイシャ様」

「また誰かにいじめられたら、あたしにきっちり全部報告しなさい。それと話は変わるけど、あんたの下着は全部デンベルクさんとこに送っといたから」

「きっちり全部報告したいことがたった今できたのですよ!」


 ……やっぱり。

 お前はあっちのチームだ。


「ジルコニア。訳は聞くな。すぐにメルクと場所を替われ」

「構わないけど……、珍しいわね。私を誘うなんて」

「ちょっと違う。不本意なんだが、俺もそっち側なんだ」


 アイシャにいじめられて泣きっぱなしのメルクを引っ張って、勝ち組ジルコニアを押しやりながら机のそばに来ると、いじめられっ子の一等賞が儀式を見てぴたっと泣き止んだ。


「これは……、何をしているのです?」

「ああ、この地には太古、文明を持った生物がいたらしいんだが、そいつらの遺産が出土されたらこうして解析するんだ」

「なんですとおおおおおおお!?」


 今日は大騒ぎしっぱなしのメルクが、この日一番の叫び声をあげると、儀式の邪魔になるほどの勢いで机に顔を寄せやがった。

 バカ野郎。これは遺産について、神の啓示を受ける神聖な儀式なんだ。


「邪魔すんじゃねえよ、粗忽二号」

「お姉ちゃん、だめー」

「お仕事中ー」

「くっ……、確かに、こういうのは干渉しないのがテンプレですね! 大切なお仕事の邪魔をしてごめんなさいなのです……」


 どうやら考古に興味があるらしいが……、ああ、なるほど。それでお前さん、単身国を出て来たって訳か。


 解析中の遺産に未練たらたらみてえだし、間違いねえな。そんならひと肌脱いでやるか。


「メルク、遺産には危険なものが多いんだ。おいそれと見せられねえ」

「うう、了解なのです」

「でも解析の済んだ安全なやつなら見せてやってもいいぜ?」

「ほ、ほんとなのです!?」


 おお、目ぇまん丸にして喜んでやがる。


「ほんとだ。安全なやつなら問題ねえから、夜に衛兵が寝静まったら見せてやる」

「ぜんぜん安全じゃねえのですよ!」

「安全だって。呪いもかかってねえ、邪神復活にも関係ねえ、そんな品ばっかが保管してある部屋があってさ、鍵ぶっ壊せば入れっから」

「どんどん安全じゃなくなっていくのです! それで捕まったら投獄くらいじゃ済まないですよね?」


 こいつ、遠慮なんかしやがって。ここはあれだな、ちょっとカッコよく、強引に連れ出してやるから楽しみにしとけよ?


「それより、儀式の邪魔をしてごめんなさいなのです。フェアリーさん達に、なにかお詫びをしなければ……」

「ほんとー?」

「なら、お洋服ー」

「可愛いのー」

「欲しいのー」

「やっぱ勝ちチームから声が上がるんだな」


 お前ら見てると人生がむなしくなってくる。しかもこっちにプリルちゃんがいるとか。複雑な気持ちだ。


「ご主人様、メルクからデンベルクさんにお手紙とか書いても大丈夫なのです?」

「おお。じゃあ連名にしといてやるから俺に任せろ」

「ダメよガルフ。あたしが手紙を書くから。……あんたに任せると、またエロい小細工される」

「だから、エロい小細工ってどんなのだ?」

「あたしの口から言わせる気!? 変態! 死ね! 墓石に名前掘ってる途中で、ノミで指切って死ね!」

「自分で掘るのかよ」


 妙にむなしいな、それ。

 だがそんな些細なことより、お前が想像してるエロい小細工って方が気になる。


「じゃあ手紙はエロいアイシャに任せるとしてだな……」

「なんだと!?」

「お前ら、それなりかかるけどいいよな」

「……お金ー?」

「そう」


 そりゃそうだろ、ただで作れるわきゃねえ。しかもお前ら用の服とくりゃ、材料費はともかく手間が相当かかる。

 俺の説明を聞いて、お互いに顔を見合わせて困った困ったなんて言い出したフェアリー共。今度は口々にいらないと言い始めた。


「なんでだよ。そんな驚くほどはしねえって」

「だってあたし達ー」

「お金持ってないー」

「え? まてまて、お前ら、給料何に使ってるんだよ?」

「きゅーりょー?」

「お金のことー?」

「知らないー」


 メイド達は事情を知らないからな、これを聞いてもきょとんとしたままだが。なるほど、イスクがブラックリストに載った理由は、つまりそういう事か。


「あの野郎、早速仕返しさせてもらうぜ」

「なによガルフ。どういう事よ」

「こいつら、立場は古代遺産ハイ・エレメンティオーレ鑑定士だ。騎士並みの給料出てるはずなんだが……、イスクの野郎が懐に入れてやがるかもしれねえ」

「はあ!?」

「そ、それは許せないのです!」

「やだ、随分安直なことする人なのね。調べればすぐに分かるのに」

「そうだな。……おい、フェアリー共。お前らのお金、すぐ取り返してきてやるから待ってろよ?」


 俺達の話を聞いて嬉しそうにしたフェアリーの皆が、儀式もほっぽり出して寄って来た。


「じゃあ、お兄ちゃんがくれるー?」

「服が貰えるー?」

「うれしー」

「あたしもー」

「で、でもー」


 おや? 俺のプリルちゃんだけ浮かねえ顔してやがるが。


「どうしたプリル」

「お礼、できないー」

「え? いや、そんなのいらねえけど」


 そして返事も聞かずに羽根をパタパタさせて全員が身を寄せると、緊急会議が始まった。


 花の蜜。綺麗な草。朝露。変な石ころ。牛のふんが付いてない藁。

 不穏な単語に苦笑いしていたら、お姉さんのチルチが何やら閃いた。


「あれがあるー」

「うん。あれー」

「あれなら喜んでもらえるのー」

「……お前らのあれって言ったら、歌だな」


 俺の推理に十人が揃って頷くと、正解とばかりにパチパチと小さな手の拍手が沸き起こる。


 フェアリー達にとって、歌は唯一の娯楽であり、そして大切な人にしか聞かせることのない貴重な物。決まった日に人知れず歌っているらしいんだが、身の回りでこれを聞いたことがあるヤツは誰もいねえ。

 悲恋のお伽噺でも有名なフェアリーの歌。こいつは嬉しいお礼だぜ。


 でもな?


「とっておきの歌をご披露するのー」

「そうか。そいつは楽しみなんだが……」


 俺は、ひとつだけそいつに注文を付けた。


「ラブソングだけはやめてくれ。この三人をお前らに取られたら、俺が泣いて百合の花になっちまうからな」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 仕事の早さは有能さの現れ。これは親父が教えてくれた言葉だ。

 でもな。あくせく働いてその日の稼ぎを出したら、早く仕事を終えて野原を楽しめなんて言葉で締めくくられても、ガキの頃の俺には理解できなかったもんだ。


 だがそれも、今なら分る。目の前に広がる芝生と、崖の下に広がる海とが同じ間隔で波打つ美しさ。五階建ての『南西の盾』も、柔らかな陽の光の中で、そのくたびれた白さを味わい深いものに変えながら岸壁にそびえ立つ。


 野原を楽しむ。辛い事、苦しい事、すべてが溶けて頭から消える瞬間。


 そうすべてを。


 頭から消し去りたい。


「大人しくしろ! この外道!」

「無礼ぞよ! 証拠を出せと言うておる!」

「証拠なら目の前にあるわ!」

「どっ、どこに……!」

「貴様の自白だーーーーー!」


 白昼の宮廷で刃傷沙汰。いや、あれは鈍器だから刃はねえけど。

 考古省次官のイスクを追い回して、聖剣・プリムローゼをブンブン振り回すアイシャの姿。

 せっかくの芝生がどんどん二人に掘り起こされる。


 これでイスクがなんにも悪い事してなかったらどうすんだよ。だが、魔獣と化したアイシャを止めることが出来る奴なんかいやしねえ。

 厳密に言えばジルコニアなら倒せるんだろうが、こいつ面倒くさがりだからな。


「……あいつの粗相をな? 俺が一人で全部肩代わりする理由が分かるか?」

「あら、愚問ね。あの子が取り調べられたら素性が分かっちゃうからでしょ?」


 そうだな、確かに昔はそう思ってた。でも違うんだ。

 掴まっても鬼が代わることのない鬼ごっこには目もくれず、芝生を渡る風に目を細めながら長い赤髪を掻き上げるジルコニア。

 俺はその肩に手を置いて、遠くを見つめながら呟いた。


「どんなに俺が関係なくても、どれだけ俺のせいじゃねえと言い張っても、勝手に俺のせいになってるんだよ」

「なんて恐ろしい呪い」

「バカ言っちゃいけねえ。呪いなら、まだ解除の方法があるかもしれねえだろ?」


 俺の不幸を聞いて、珍しくころころ笑い転げてやがるが。ひでえ奴だな。

 でも、今話した通り。こいつは呪いどころか運命でもなくて、ただの決まりなんだ。

 月の満ち欠け、太陽が東から登ること、そんなのと同じ。


 もう諦めてる。諦めてるから……。


「イスク! そこに逃げ込むのだけは勘弁してくれ! そいつが俺のせいになるのだけは絶対にイヤだ!」


 宮殿内で最も古い建物。最初の宮殿。

 『南西の盾』にちょび髭が逃げ込んだところで、あれを壊すにちげえねえ粗忽を止めるために呪文を唱えた。


「はあ…………。ちょっとこっち来い。ペッタンコ」

「だ………………れ…………が……ペッタンコだああああ!」

「ぐほあああああ!」


 一瞬でアイシャを召喚、さらに戦闘を停止させる呪文は、術者自身の命と引き換えだ。


「いでええええ! これ、骨やっちまってねえか!? 腕が上がらねえ!」

「こんの馬鹿ガルフ! 何の真似よ!」


 肩で息するアイシャが地面でもんどりうつ俺を見下ろしてやがるが、何の真似って言われてもよぉ。てめえこそどういうつもりだ。


「イスクの横領については宮廷憲兵が調べてるって言ったじゃねえか。なんで物理的に切り捨てなきゃ気が済まねえんだよ」

「はあ!? バカなの? この子達のお給料を五年間もずっと着服してたのよ? 許せるわけ無いじゃない!」


 そしてメルクが優しく抱きかかえる十人のフェアリー達が揃ってすくみ上がるほどの剣幕で吠えると、愛剣をぶら下げたままのしのしと歩き出す。


「まてまてまて!」


 お前が『南西の盾』で暴れたらぜってえ崩れる! そんな俺の必死な思いを察してくれたジルコニアが、アイシャの肩を掴んで止めてくれた。


「待ちなさいアイシいやあああああん! 先生! ムルカジ君が何か臭い!」

「そういう時は黙ってトイレに連れてってやれよ!」


 今日は一瞬で手が離れたから、膝をついてよだれ垂らしながらぜーぜー言ってるくらいで済んだようだが、ジルコニアが自爆してる間にアイシャは歴史的建造物の扉を蹴り破って中へ入っちまった。

 もういいや、諦めた。先に親父へ言っておこう。宮殿で一番古い建物は今まで二位に甘んじてた屋外トイレになりましたってな。

 あえぐジルコニアを支えて立たせると、早速『南西の盾』の壁が一部、内側からぶち抜かれた。


「……平気か? ジルコニア」

「な、なにか幻聴が聞こえたわ……。モーラシターって、なんの呪文かしら……」

「それは多人数で一斉に唱えると、ムルカジ君が泣き出す魔法の言葉だよ」


 ガキの頃のお前、ほんとひでえな。もしもムルカジ君に出会えたらぜってえお前を土下座させてやる。


 そんなことを心に誓っていたら、さっき壁にできた大穴からイスクがひょいと顔を出す。飛び降りて逃げたいところなんだろうが、そこは三階。よっぽどの恐怖が迫りでもしねえと飛び降りることなんかできな…………、飛び降りやがったよ。


 そして俺の背後から笛の音と共に十数人の憲兵達が『南西の盾』を目指して駆けていくと、足を抱え込んで叫び声をあげるイスクを取り囲んで罪状を読み上げた。


「考古省次官イスク! 数年間に亘る給与着服のとがによりその身柄を拘束する!」


 やれやれ、ずいぶんあっさり証拠が見つかったんだな。悪さするならもうちっと上手くやれよ。逮捕現場に近付いた俺達に気付いたイスクが恨みの込もった目でにらんできたんだが、逆恨みもいいとこだ。


「ガルフォンス殿下! 此度は宮中の悪を看破いただきありがとうございました! つきましては、後の事は内務省にお任せいただきたいと思います!」

「おお、奇跡も起きたようだしな!」

「は?」

「地図が変わらねえ!」


 俺が涙ながら重要な事を言ってるのに、こいつらぽかんとしたままだが、その意味を分かる女が塔から飛び出して来ると、俺を剣でなぎ倒した。


「すげえ地獄耳」

「うるさい! 死ね! 墓碑銘に『童貞』って掘ってやるから安心して眠れ!」

「化けて出るわそんなもん!」

「それより、あたしの怒りが収まってないんだけど! そいつを殴らせなさい!」


 アイシャがイスクに剣を向けると、憲兵達が慌てて武器を構えてその前に立ちはだかったんだが。

 ……やはり、悪人は悪人だな。こいつ、ひでえ言葉で反撃してきやがった。


「我々人間族が支配してやっているからこいつら下等種族共は生きていられるのだぞよ? そんなやつらから給料を取って何が悪い!」


 この腹の立つ叫びに鼻白んだのは、アイシャだけじゃなかった。

 ジルコニアが、メルクが一歩前に踏み出す。


「……坊や。あなたは法じゃないもので裁かれたいようね?」

「酷いのです! この子達にちゃんと謝って下さい!」


 二人の剣幕もあったとはいえ、憲兵達も不快に感じたのだろう。イスクの前からするすると退くと、怒りに震える三人の目が罪人の表情をこわばらせた。


 だが、驚いたことに。そんな三人の怒りを鎮めたのは……。


「暴力はダメー」

「ちゃんとほうりつで罰を受けるの」

「髭のおじちゃん、毎日会いに来てくれる」

「綺麗なお花くれたこともあるの~」

「ベッドも~」


 驚くべきことに、給料を横取りされ、しかもたった今罵詈雑言を浴びたフェアリー達の嘆願だった。


 これにはさすがのイスクも胸を打たれたようで、髭面を歪めると、肩を落として嗚咽を漏らし始める。


 純粋な愛。フェアリー族から貴重なものを教わった俺達は、自らの幼稚さを胸に噛み締めながら、神妙な面持ちで前に出るアイシャの姿を見つめていた。


 ――聖剣・プリムローゼ。想いを刃に変える剣。

 柔らかい、慈愛に満ちた輝きを放つその刀身を、アイシャはしゃがみ込むイスクの足元に勢いよく、何かを断ち切るかのように深々と突き立てた。


「……今、この子達を愛おしいと感じたあんたが裁かれる必要はない。でも、この子達を騙していたあんたの罪は裁かれなきゃならない。……分かるわね」

「ま、そういうこった。心からこいつらの事を好きになれば、胸に百合の花でも咲くだろうさ。そうすりゃ、ちったあ罪も軽くなるだろ。……連れてってくれ」


 憲兵に両脇を抱えられても泣いたままのイスクを見て、メルクがもらい泣きしながらフェアリー一人一人の頭を撫でる。

 そしてアイシャがプリムローゼを地面から引き抜くと、爽やかな青空に響き渡る清々しい大声で、事件の幕を閉じたんだ。



「これにて! 一件落着!」





 …………幕を、閉じた。


 閉じたっての。閉じろよ、幕。

 なあ、なに開幕のベル鳴らしてるんだよ、粗忽。


 プリムローゼの力は伊達じゃねえ。あのミノタウロスをぶった切るほどの力を持ってるんだ。そう。切れたっておかしくはねえ。


 地面くらい。


 何かが割れる音が空間そのものを埋め尽くす。思わず口から出た叫び声すら自分の耳から聞こえてこねえ。

 聖剣が突き立っていた場所から左右に、見る間に亀裂が走る。それを目にした全員が必死に岬から逃げる。


 激しい地鳴りと振動から逃げ出して芝生に腰をついた俺達の耳に届くのは、何か巨大な物が岬ごと海に落ちる音。そして目に映るものは何の変哲もねえ空だった。


 ……つまり。

 見えなきゃいけねえ五階建ての何かが。そこから無くなっていたんだ。



 こうして、宮殿の地図から岬の一部と最古の建物が消えて。

 代わりに、今俺の目の前にあるトイレに『宮殿最古の建造物』という名が刻まれることになった。


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