フェアリー族はラブソングを歌わない そのいち
進化論。
そういうことを考えるのは諦めました。
だって、七分の一フィギュアと同じ大きさなのですよ? 何がどうなって生まれたのやら見当つかないのです。
そのくせ一族には女性しかいないとか。それを初めて聞いた時に思いましたね。どうしてボクはフェアリー族に生まれなかったのかと。
光が透けて通り抜けているように見えるキラキラな肌。蝶のような羽根は、まるでステンドグラスのように七色の影を地面へ落とします。
例えるならば、それは空を舞う乙女心。そんなフェアリーの皆様から聞いたお話も素敵で、ボクの乙女心をがっちりキャッチなのですよ。
生まれ育った世界じゃファンタジーの一言で片付けられていた話も、ここでは本当かもという期待が膨らんで、子供の頃、ママがお伽噺の絵本を読んでくれた時のドキドキがよみがえるのです。
フェアリー族に伝わる昔話。それはとても切なくて、ちょっぴり怖い悲恋のお話。
今日は、そんなお話をさせていただきます。
むかしむかし、ある所に真っ白な美しい髪を持つフェアリーがいました。彼女はとても親切で、今日も病気で苦しむエルフのために薬草を摘んでいました。
でも、不注意でアザミの葉に足を切られて苦しんでいると、人間族の女性に見つかってしまいました。
人間族は、自分達を捕まえて足に枷をはめてしまい、籠に閉じ込める恐ろしい生き物。掴まるものかと必死に羽根を開いたフェアリーですが、飛び上がったところで足の痛みが体中に走り、落下してしまいます。しかし地面に落ちる直前、優しく受け止めてくれたのはその女性でした。
足のケガを、小さく切ったハンカチで縛ってくれた女性。その甘い香りと優しい心に、フェアリーは恋をしてしまいます。
でもその方と何度も会ってお話をするうちに知ってしまうのです。
女性には、好きな男性がいるということを。
そしてある夜、誰にも内緒だからと前置きして打ち明けられました。
次の満月の晩。彼女は白百合の花をプレゼントしてプロポーズする気だと。
困惑するフェアリーでしたが、さらに非情なお願いをされてしまいます。彼女が言うには、その時に、優しい声で恋の歌を歌って欲しいというものでした。
三日三晩、フェアリーは泣き続けました。でも、大好きなあの方に幸せになって欲しい。そう考えたフェアリーは満月の夜、涙に濡れた顔を葉先の滴できれいに洗うと、彼女の元へ飛び立ちます。
そして月明りの下に二つの影を見つけると、すぐそばの草むらに降り立ち、心を込めて愛の歌を歌いました。
上手くいきますように。
幸せになってくれますように。
想いは歌に乗り、歌は風に乗り、二人の元に届きます。
ですが、そんな想いが悲劇を生んだのです。
美しい歌声を聞いた女性は、プロポーズの最中だというのに、フェアリーに夢中になってしまったのです。
女性は自分の元へ駆け寄り、お相手の男性は腹を立ててその場を去ってしまいました。
……ああ、自分は何という事をしてしまったのでしょう。
絶望のあまり、フェアリーはその場で自らの命を絶つと、涙のように透明な花びらを持つ百合の花に姿を変えてしまいました。
それ以来、涙百合の花が風に揺れると、悲しい悲恋の歌が聞こえるようになったのです。
西暦一万四千二百十五年 八月八日
二年F組 出席番号十二番 高橋よし子の未来研究レポート
追記。百合ってとこが、良く分かっていらっしゃる。深くは申しませんが。
さらに追記。二次創作急募。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
~第五章~
フェアリー族はラブソングを歌わない
――七年前――
数世紀にも亘り権力と政治を司る象徴という名を戴いてきた白の宮殿。
テリオルエラル。
王宮は二年前に襲ってきた魔族をもってしてもその外壁にかすり傷一つ付けられることは無かったが、新月たる今宵、その内壁が剣呑たる鉄剣によって深々と削り裂かれていた。
「王がいないぞ!」
「王妃と王女の姿も見えん!」
「探し出して殺せ!」
「見つけたぞ反逆者共!」
「ブルタニス陛下のために!」
「我ら『
血の汚れが新たな鮮血で塗り替えられる。
同族同士で醜く殺し合う戦闘種族。それがこの地を支配する、人間族だ。
そんな激戦から離れた宮廷食堂。高級官職だけが入出を許された豪奢な部屋も、今はただ、剣を扱うのに不向きな装飾ばかりの戦場に過ぎなかった。
「謀反なんか勝手に始めやがって! 血迷ったか、バンデンベイト!」
国王直属の『
「ふふっ……、我が友、グランベルクよ。先日、酒場の個室であなたが語っていたではありませんか。あなたの望みは王位であると」
「バカな! 俺はブルタニス陛下を尊敬してるし、そんな夢も消え失せたと言ったはずだ! こんな謀反に加担するとでも思ったか!」
「いえ? 私の知るあなたでしたら、加担しないでしょう」
「ならば、なぜ!」
親衛隊長は、その脇から長剣を構えた青年が前に出ようとするのを手で制しながら大臣を問い詰める。すると胴衣をするすると解いた大臣は、体中に浮かび上がる黒い刺青を怪しく瞬かせながら歪な笑顔を返した。
……その瞳は瞳孔が縦に割れ、妖しく真っ赤に染まっていた。
「なぜ? ふふっ、驚いた。私の知る限り、あなたは他人の教えに頼らぬ強い御仁だったはずです。それがどうでしょう、こんな簡単なことも分からないとは」
「貴様……、魔族だったか! ボガード! パトリシアを連れて逃げろ!」
「いいえ父上! 私とて親衛隊の身なれば、魔族に怯むものではありません!」
若い剣士が長机に飛び乗ると、雄たけびを上げて燭台を跳ね飛ばしながら魔族へ迫る。一瞬遅れて、我が子を助けるためにわざと隙を作りながら剣を振り上げた親衛隊長も走り出す。
「くくっ……、愚かな」
魔族は右の手の平を若い剣士に向ける。そこにおぞましい色の霧が発生したのを見て魔法の発動と知った剣士は槍よりも速く襲い掛かる霧を上に跳んでかわすと、落下する勢いに任せて手にした長剣を魔族の胸に深々と突き立てた。
「貴様の思うようにはさせんぞ!」
すると抵抗もなく床へと倒れた魔族は、その姿を霧へと変えながらも部屋中に響き渡る声で笑い続けた。
『思うように? ふふっ……、ふははっ! 我が思いは、既に成就しせり!』
「なっ……、貴様! どういう事だ!」
既に肋骨一本を残して消えてしまった魔族の声はさらに続く。
『私は人間族に溶け込み、このまま暮らし続けるのも悪くないと思っていたのだ。だが、聖なるもの、中立なるもの、邪悪なるもの。三つの望みが私の中で生まれてしまった』
若い剣士は霧に向けてやみくもに剣を振り、さらには決して壊れることのない『魔族の骨』にそれを振り下ろした。
『一つは、誰にも知られぬようにして来た、私の目が見えていないという事実。これに気付いた友が胸に押し隠した、王になりたいという願いを叶えること。一つは、同族が見たいと言っていた芝居の手伝いをしてやること……』
その時、親衛隊長は気付いた。背後に守っていたはずの娘が、顔に黒い霧を巻きつけたまま床に倒れていることに。
霧の槍は若い剣士を狙ったものではなく、最初から幼い少女を狙ったものだったのだ。
「パトリシア!」
「え? …………き、きさまあぁ! 妹を、パトリシアを今すぐ放せ!」
先に娘の元へ辿り着いた親衛隊長が霧を手で払うと、再び部屋は魔族の声で満たされた。
『そして、我が邪悪なる願い……。それは、私と同じ光の無い世界を知る友が欲しかったというものだ……』
「お、お父様? ……どこにいらっしゃるのです? お父様!」
「貴様……、パトリシアに何をした!」
『我が友、グランベルクよ。私の知る限り、あなたは他人の教えに頼らぬ強い御仁だったはずです……』
「娘の目に呪いをかけたというのか!」
『…………おお、見える…………。これが我が友の顔…………』
「くっ……! パトリシア、目を閉じろ!」
「どうしてなのです? どこにいらっしゃるのです? お父様! お父様!」
その少女の瞳は、親衛隊長の知っているものではなかった。
愛すべき青く澄んだ瞳はそこには無く、代わりに瞳孔が縦に割れた、真っ赤な瞳が自分を見つめていたのだ。
バンデンベイトが娘にかけた呪い。
それは、自らの瞳と少女の瞳を交換するものだったのだ…………。
……
…………
………………
宮殿の一角に『南東の剣』と呼ばれる古い塔がある。
ここへの入り口は限られたものしか知らず、石床を踏むだけで舞い上がる砂埃は小さな空気穴から入り、数百年に亘って堆積した歴史の年輪と呼べる。
その最上階。油も入っていない燭台には青い炎が揺らめいて、椅子も無いのに宙に座る男が三人の親子を見下ろしていた。
「私は、芝居が好きでね…………。あれはいい。実にいい。特に、悲劇こそが素晴らしい。だが、最近目が肥えてしまったせいか、役者の演技が少しでも下手だと興醒めし、物語も陳腐に感じるようになってきたのだよ」
そして何も持っていないはずの指を口元に近付けて口をすぼめると、うまそうな香りに満足しながら煙を吐いた。
「それで……、料理長。あなたは何をお望みなのです?」
「二つの名家。それがここに殺し合う、実に素晴らしい悲劇! 仮に生き延びた者がいたとしても最悪の結果しか生まない。……私はそんな物語を始めたいと思っているのだよ」
「何ということでしょう。魔族に魅入られてしまったのでしょうか」
「いや、逆ですよグランベルク夫人。……私は、人間族の生み出すものに魅入られてしまった魔族なのです」
女性の前には、震えながら剣を構える長髪の青年と、女性のスカートを握りしめたまま奥歯を鳴らす暴れ髪の少年がいた。
そんな二人の肩に手を置いた女性は、魔族と聞いてもさもありなんと言った表情で頷き、さらに質問を続けた。
「……この宮殿に、何人の魔族の方がいらっしゃったのでしょう」
「五人。だが、我が想いを汲んでくれるものは一人だけだった。人間族との共存を望み、我が芝居を邪魔しようとした二人はこの宮殿の中に封印した。最後の一人は、馬鹿なことに私に刃を向けましたのでね……」
そう言って魔族の男が指を差す先。
怯える暴れ髪の少年は、自分の足元に右目周りの骨が転がっているのを見た瞬間、大声で泣き出してしまった。
女性は、そんな少年を胸に抱きしめながらぽつりとつぶやく。
「なるほど。……魔族の皆様も、人間と同じなのですね。一部の悪が、種族全体を醜いものとする」
「ふむ、醜い? それは違う。……感情の発露。それこそが芸術。それこそが美。さあ、役者が揃ったようだね」
耳をすませば、階段を上る足音。
それを聞いて、女性は確信する。
「二つの名家とは、代々親衛隊を率いてきたグランベルク家とブルタニス王家なのですね」
「然り」
「されば、残念ですがそううまくはいきますまい。謀反は虚偽。すべては宮殿に住まう魔族が仕組んだこと。そう話して納得をいただける程度のよしみがございますので」
「なるほどなるほど。だがそれは、私がここにいるから成り立つ話でしょう」
そう言いながら、魔族は埃も巻き上げずに床に立つと、ナイフを取り出して自らの胸に突き立てた。女性が二人の子供の目を塞ぐ間に、男は霧へと姿を変える。
「ど……、どういうことなの……?」
『先ほどから言っているではありませんか』
霧の中から男の声が響く。
『私の望みはただ一つ。……最悪の結果しか生まない物語を始めること。その後のお話に興味など無いのです……』
大腿骨の上半分を残して霧が消えると、青い炎はたちまち消える。
それと間を置かずして扉が開かれ、たいまつをかざした鎧の男が顔を覗かせた。
「誰かいるのか? ……あなたは! グランベルクの奥方!」
果たしてこの兵は敵か味方か。いや、それもすぐに知れる。なぜなら、男の後ろから姿を現したのは、妻と娘を連れたブルタニス国王その人だったからである。
「ブルタニス陛下! 出てはいけません!」
「あれは謀反の首謀者、グランベルクの妻と子供です!」
「ええい、離さぬか! さればこそ、話を聞かねば……!」
「なりません! きゃつらを人質に、グランベルクを投降させるのです!」
押し問答の末、兵隊に取り押さえられた国王ブルタニス。
そしてグランベルクの母子にも、五本もの剣が突き付けられる。
「……なるほど。そういった仕掛けですか、酷い芝居です。どちらが勝ったとしても、復讐心がその後の悲劇を生むという訳ですね?」
これほどの剣を突き付けられても物怖じしない母親は、長髪の青年が持つ剣を優しく取り上げると、暴れ髪の少年の頭を撫でながら話しかけた。
「……ガル? あなたはお父様から『心』を受け継いだ子。あなたなら何が正しいか判断できると、母は願います」
怯えた表情の中に揺れる大きな瞳が母親を見つめる。
そこに確かな光を感じた母親は、ゆっくりと立ち上がった。
手に剣を携えた女性。周りを囲む兵達に緊張が走ったが、その女性は優しく微笑んだ後、教え諭す。
「ご安心下さい。この細腕、貫くことが出来るのは自らの胸程度でございます。私はここから動きませぬ故、ブルタニス陛下にお話したいことがございます」
「うむ、いったいこれは何の真似じゃ! グランベルクは魔族にでも操られておるのか!?」
聡明なる王・ブルタニスは事の真相をほぼ掴んでいた。だが、万が一という想いもそこには見え隠れする。彼は、妻と年端も行かない金髪の姫をその背に庇ったままだった。
「いけません、ブルタニス陛下!」
「何をしている! 逆賊の家族だ、すぐに切り捨ててしまえ!」
「いいえ、皆様。それだけはなりません。さすれば敵の思うつぼにございます」
凛とした響きに圧倒された兵は思わず一歩後ずさり、国王へ視線を泳がせて指示を仰ぐ。だがその間にも、女性の言葉は続くのだった。
「まず、我々を人質にし、グランベルクへ投降を促すとしたならば。主人は喜んでその命令を聞きいれ、その首を自ら落とすことでしょう」
「ならん! 親衛隊長は、儂の友じゃ! これは何者かの陰謀であろう!」
「では、仮に魔族の仕業でこの騒ぎが起きたということになった場合。誰がその責任を負いましょう。……陛下がありがたくもお止めくださいましても、グランベルクは自害の道を選ぶでしょう」
国王はそれを聞いて、しばらく返事すらできなかった。
あいつならばそうするだろう。奥方の言うことは正しい。しかしそれを理解しつつも、絞り出した言葉は考えを否定するものだった。
「…………ならぬ」
「ありがとうございます。グランベルクはブルタニス陛下を心より尊敬しておりますゆえ、この上なきお言葉となりました」
その時、遥か階下から秘密の扉が開く音が聞こえた。それに続くは無数の軍靴。
……急がなければ。
「そして、いま一方の道は真逆。ブルタニス陛下をグランベルクかそれに連なる者が屠れば、アイシャ殿下は必ず復讐を心に刻む。……これは最悪です」
女性の言葉に不穏な色を感じたのか。
アイシャと呼ばれた幼い姫は、国王である父親のマントを強く握りしめた。
「……どの道も、閉ざされておる。そなたはそう言いたいのじゃな?」
「いいえ、いくつか光の差す道はございます。そこから私が選ぶものは、ブルタニス陛下にご無理を強いることになるやもしれませね」
「構わん! グランベルクとの
「ブルタニス陛下! なりません!」
「ブルタニス陛下!」
軍靴の音が近く響く。その先頭を行くのは、自分が愛した男のもの。
……彼を。
殺させはしない。
「私はブルタニスの民である前に、一人の女。されば私は、グランベルクの夢を叶えながら皆様に幸せになっていただきたいと存じます」
「夢? それは……?」
「グランベルクは王になることが望みでした。ブルタニス陛下の治世を見て諦めていたようなのですが、その夢は変わらぬものでしょう。……ゆえに。私は、この謀反を成就させたくあります」
「何をする気だ!」
「早く殺せ!」
あまりの言葉に驚き、剣を振り上げる剣士。
だがその凶刃を、王の言葉が止める。
「ならん!」
「し、しかし……!」
「ならん! ならんのじゃ! それこそ奴らの願う最悪な世が待っておるぞ!」
だがその言葉は、兵に向けて放った言葉ではなかった。
自分を押さえる者を退けるも、他の者に取り押さえられたブルタニス王がその手を麗しき女性へ向ける。
ああ、なんと有難いことでしょう。ですが、私の想いは変わるものではありません。
恭しく膝を突いて深々と首を垂れた女性は、暴れ髪の少年を見て、最期の言葉を紡いだ。
「ガル。今一度、母は言います。こんな形ではありますが、私の願いは皆様に幸せな暮らしが訪れる事。……あなたは、あなたの思う正義を貫きなさい」
そして最愛の夫が最上階への扉を開く、その一呼吸前。
強き女性は。
手にした剣で自らの胸を貫いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やっべー。
「ちょっと、メルクハート……」
「ひうっ! そ、そうでした……、ご主人様のお母様でしたよね……」
白で統一された、宮殿の小さなテラス。
ブルタニスのおっさんが作るバラ園を臨む丘の先端で、俺達は画期的な下着の販売を国家事業とする確約書を手に、美味い紅茶を楽しんでいた。
「気にしねえでいいよ。お袋がみんなの未来を救ったって言やあ聞こえはいいけどよ、結局我を通して国を
「そ、それはそうなのですが、ボク……、う、ううう……」
「泣くな! 面倒だな! ……これ、すげえうめえからもう一杯寄こせ」
「は、はい!」
どういう訳か、宮廷のメイドよりうめえ紅茶を淹れるメルクが泣きながらポットからお代わりを注ぐと、ジルコニアがうっとりした顔で聞いてきた。
「あなたのお母様、女として心から憧れるわ。……それで? 私にはまんまと魔族の思惑に乗った未来しか見えないけど。どうしてこんなことになっているの?」
「ああ、お袋が自害したのを見た親父が、それをおっさんのせいにして殺そうとしたんだ」
「お気持ちは分かるのですよ……。で?」
「それを俺が止めたんだ」
なんだよ。なにきょとんとしてんだよ。
「え? その時、ご主人様、十才ですよね?」
「歳は関係ねーだろ。お袋が、皆そろって幸せに~なんて無理難題押し付けながら死んじまいやがったんだ。やるしかねえだろ」
「うはーーー! やっぱかっこいいのです、ご主人様!」
「どこが?」
「ガルフォンス。そういう話は私と二人の時に話さないと、ほら御覧なさい。私がこんなにやきもち焼いちゃったじゃない」
「なんでだよ。あと、おめえと二人きりにだけはぜってえならねえ」
コチドリが天蓋から南へ飛び立つと、呑気な風がバラ園から吹き上げた。
その中心に見えるレンガ造りの家。今頃アイシャが大騒ぎしてんだろうな。
……そろそろ季節が変わる。気が重い行事ももうじきだ。
「剣で戦ったのですか?」
「まだ続けんのかよ」
「聞きたいです! ねえジルコニア様?」
「そうね。でもその前に、紅茶ちょうだい」
「喜んで! ……で? ご主人様はどう戦ったのです?」
「戦ってねえよ」
「え?」
まったく。
だからこの先は話すの嫌だったんだ。
「……おっさんの前に、アイシャが両手広げて立ち塞がってさ」
「今と変わんねえのですっ!?」
「とんだ九才児ね」
「だから俺も真似して、アイシャの前に立ったんだ」
「ちょっとガルフォンス。大変よ? 今すぐ過去に飛んでアイシャを殺して私がそこに立っていないと納得できなくなったじゃない」
意味分からん。
「親父も振り下ろした剣の軌道を手前に引いてアイシャに当たらねえようにしたんだけど、そこに飛び出しちまったからさ、俺が切られたんだよ」
「わが軍のしょーーーーり!」
メルクがテーブルがったん揺らして異国語叫びながら立ち上がりやがった。
紅茶零れちまったじゃねえか。お前、今から粗忽二号な。
「ではご主人パイセンはあれでござるか! 胸にずばーっと刀傷がくはーーっ! 見てえ!」
「傷? これ」
「え? ……ど、どれでござるか?」
「やだ。手の甲の、ちっちゃいやつ?」
「そう」
なんなんだよ粗忽二号。心底残念そうな顔してテーブルにでけえ胸ごと体を投げ出すんじゃねえ。また零れたじゃねえか。
……おふくろの遺言。
それを聞かせてやったら、親父は全部納得したようだった。だからブルタニスに妻殺しの汚名を着せて、一族全員処刑したことにして、今の生活に収まってもらっている。
でも、頭の固いレキウス兄さんは未だにブルタニスを恨んでるし、パトリシアから目を奪った魔族をボガード兄さんは恨んだままなんだ。
そして、俺も。
お袋を恨んでいる。
自分も殺されたことにして、隠れて暮らせば済んだじゃねえか。俺はそう思ったんだが、それを親父に言ったら、お前はまだガキだなって笑われた。
その理由が分かるまでは、きっと俺達を置いて死んじまったお袋の事を俺は恨んだままだと思う。
そして、それが分かるまでは。
俺は大人を名乗らねえつもりだ。
……ジルコニアが席を立つ。そして柵に体を預けながら、水路に手を入れて小さな音を奏でる。右足から体に巻き着く茨の紋様。魔族の証を持つこいつとしては、今の話を聞いてどう思ったんだろうな。
感情の読み取れないその背中を見つめつつ、俺はテーブルに置いた下着販売に関する確約書を半分に折って腰袋に突っ込んだ。
「それにしても……、早くデンベルクブランドの下着が世界に流通すると良いな」
「はい! メルク、今の皆さんのパンツですとラッキースケベを楽しめないのです」
どうしてだろう。異国の言葉に慣れてきた俺がいる。
それ、意味分かるぜ。
「…………良い言葉だな、お前の国の言葉。ラッキースケベ、か」
「そんなしみじみ言われると、さすがに引くのですよ」
「でもスカート丈が短くないと意味ねえだろ」
「ですです。あと、パンツルック……、ズボンもダメなのです」
そう言いながらメルクが見つめる先で、ジルコニアのホットパンツに覆われた尻が揺れる。確かに、あれじゃ見えんわな。
……だが。
「俺さ、前々から思ってたんだが……」
「はい。大変すばらしいおケツなのですよ」
「おお、分かるか兄弟。危険と分かっちゃいるのに触りたくなる」
「ノンノン。違うのですよ、ご主人様」
「何が違うってんだよ」
「あれが、仰向けに寝ているご主人様の顔に座るのです」
はあ? なに言ってんだこいつ。頭おかしいだろ。
やっぱ外国人だな。俺達とは根本的に、思考が違…………?
「おお! それやべえな! 俺にも分かるぞ兄弟! いや、先生!」
「えっへん! メルク、先生なのです!」
そしてがっちり握手。
からの同時に手を組んで片膝付いて、尻に祈りをささげると。
「ん? どうしたのかしら、マナがすごい勢いで溜まる」
「げ」
マナってそういうものなの?
こりゃいかん。なんか他のことで発散させねえと殺される。
「メルク! 今すぐジルコニアの下着の色を暴露しろ! 部屋一緒だったんだろ?」
「ひうっ!? そそそ、そんなことしたら殺されちゃいます!」
「そう! だから必死に戦って、こいつの力を発さ……ん? 何やってんだジルコニア?」
「だって、見たいんでしょ?」
バカなの!? ホットパンツのボタン外そうとすんな!
俺とメルクは、揃って見開いた目をそこに向けて、そして同時にお互いの目を両手で隠したんだが。
「あらやだ。今日は下着履いてなかったわ?」
「ぎゃああああ! このテラスはたった今、拙者とご主人様禁制になりました!」
「ま、待て! 俺もすぐ出て行きたいんだが目だけがここに残ろうとするんだ!」
「うそよ。脱いでないわよ」
「「なんですとーーーー!?」」
俺が両手を高々と上げると同時にメルクの手も上がる。
視線の先にはあたりまえでしょと言わんばかりにきっちり閉じたボタン。
「ちきしょう! 童貞もてあそびやがって!」
「同じく! 童貞淑女もてあそびやがって!」
下唇を噛んで悔しがる俺達に向けられていたジルコニアの呆れ顔。
それが不意に真剣なものになると、渡り廊下へ向けてひざまずいた。
「ガル! お前が帰って来るとすぐ分かるな、騒がしいから!」
「良かったぜボガード兄さんで。今の騒ぎ、レキウス兄さんに見つかったらすっげえ嫌味言われちまうとこだった」
ジルコニアの真似をしてメルクも慌ててひざまずくと、木張りの渡り廊下をきしませる獅子みてえな金髪が、笑いながら膝を上げるよう促した。
でもボガード兄さんは、予想通りジルコニアを見て眉根をひそめる。
ま、困ったことになるはずねえけど。
「その紋様、魔族のものではないだろうな?」
この呆れた実直な。はいそうですよって答える奴がどこにいるんだよ。
くすっと笑ったジルコニアも肩をすくめてやがるが。
「良く言われますわ。国を出て以来、ずっと」
「なるほど、ルルイデン地方のご出身か。きっと私の様な偏見に心を苦しめられてきたのだろう、非礼をこの通りお詫びしよう」
「私の様なメイド風情にもったいない。どうぞ膝をあげてください」
「うむ。今後とも、弟をよろしく頼みます」
「もちろん。この命に替えましても」
一見いい話だが、実直バカを手玉に取る魔族の手際なんだよな、これ。
しかしジルコニアには情が移っちまったと言うか、命狙われてんのに尻に惚れ込んじまったと言うか、ボガード兄さんにばらす訳にはいかなくなった。
こいつ、魔族のまの字を聞いただけで背中の剛剣振り落ろすからな……。いくら魔族にいい奴と悪い奴がいるって話しても頑として聞き入れねえ。そのあたり、レキウス兄さんと変わりゃしねえ石頭だ。
「おお、要件を忘れるところだった。……ガル、準備はできているのだろうな?」
「もうじきだもんな。でもさ、準備なんかいるのか?」
「呆れたヤツだな。ちょっとはやる気出せよ」
「今更頑張ったって、バカ王子に投票する奴なんかいねえよ」
そりゃそうだなんて言いながら大笑いしてやがるが。ちょっと腹立つな。
「えっと……、投票?」
「ええ、メルクハートは知らなかったわよね。もうすぐ、次期国王を決める選挙があるの」
「ええっ!? じゃ、じゃあ、ご主人様が王様になるかもしれないんですか!?」
「そうなってくれると嬉しいけど……、ガルフォンスよ?」
「あ、そうですね」
「腹立つなお前らも」
三人揃って笑い出す中で、俺だけ一人、ふてくされることになった。
その笑い声がうるさかったんだろうな、天蓋からコチドリがまた一羽飛び立った。
……そういや、アイシャが言ってたな。
俺に、選挙に勝てって。
そんで王位を自分に譲れって。
バカな奴だ。選ばれてもねえお前が王位に就いたら、それこそ暴動が起こる。
てめえが選挙に出て、次の国王に選ばれでもしねえ限り復権はねえんだよ。
そんな、叶いもしねえことを考えながら空を見つめていたら。
コチドリが南を目指して、また一羽飛び立った。
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