コボルド族は、だいたい三割 そのさん


 久しぶりに、朝日が昇る前に目が覚めている俺。それもそのはず……。


「いやあ、寝れねえもんだな。逆さ吊りって」


 メイド三人とヒュッケ、そしてネコロは工房の中に仕切られた自宅の中で今頃ぐっすりなんだろうが、俺は作業場の方で足に縄をかけられてこの有様。

 散々騒いだからなあ、一緒に寝させろって。こうされるのも納得だ。ジルコニアがもしも正常だったら今頃俺は逃げることもできずに殺されていたかもしれねえ。


 ……さて、十回目はどうだ?


 俺はこの姿勢から、作業場で腹いっぱい好物のニンジンを食って寝ちまったコボルド達の頭に、ポケットから取り出した硬貨を落としてはロープを切るようお願いし続けた。だが、寝ぼけたこいつらには難しい注文だったのと、途中で二度寝しちまう奴が硬貨を返さねえから手持ちがとうとう二枚になった。


「そうそう、そのハサミ持って。よし、手ぇさげててやっから、俺の体をよじ登ってこい」


 のべ十回目。こいつは二度目の挑戦だ。うつらうつらしてやがるが、お前ら三割の成功率維持するために頑張れよ。

 だがハサミを口に咥えて俺の腕によじ登り始めたコボルドは、肘の辺りまで来ると途中で止まってうつらうつらし始める。


「こら、起きろって! 頑張れ!」


 そして大きく舟を漕ぐと、口からハサミを床に落っことしちまった。


「何やってんだ! ちゃんと咥えてろよ! ……え? 違う違う! こっちを咥えようとすんじゃねモゴ」


 ……今後は絶対寝ぼけたコボルドに依頼しねえようにしよう。俺はニンジンくせえ口の中で、そう心に誓った。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「おは……、よ、う。ねえガルフ。一体何がどうなったらそんなことになるの?」

「あらやだ。私の口がコボルドくらい大きかったら真似してみたいわ」

「またあんたは。これのどこがいいの? ふんぬーっ! 抜けないわね」

「冷たいとことか、お金が無いとことか、私以外の女性に甘いとことか。縄、ほどいたわよ。ゆっくり下ろすから受け止めてあげてね?」

「よいしょ……。それ全部、あたしにとってはこいつの嫌いなとこなんですけど。ちょっとメルク! 早く出て来て手伝いなさい!」

「ほんとねえ。私、ガルフォンスのせいでダメ女にされちゃうわ? ……でも、それがまた堪らなく嬉しかったりするのよね」

「だめだこりゃ。……遅い! ほら、棒の方持って! あたしが蓋の方外すから! せーのっ!」


 ぎゅぽんっ


「ぐはあ! ……た、助かった!」


 ようやく暗闇から助け出されてみれば、工場の窓からは明かりが差し込みはじめていた。


「あんた、ニンジン臭い!」

「おお。……ちょっと、小川に行って洗って来るわ」

「あ! メルクも顔洗いたいです!」

「そっか。手ぬぐい持ってついてきな」


 やれやれ、ひでえ目に遭っちまったが、気を引き締めねえと。なんとか今日中に家賃を稼がなきゃなんねえ。それも、できれば二か月分。そうすりゃあ、ついさっき思い付いた作戦を使えるんだが。


 とは言え金なんて簡単に作れねえ。一番確実なのはバルバーツ党に頼ることか。ひとまず借りるだけなら、銀貨百枚、つまり金貨一枚くれえなんとかなんだろ。

 でかいリュックからふわふわした手ぬぐいを取り出したメルクがぱたぱた走って来たところで戸口のかんぬきを外す。そして朝日を覚悟しながら扉を開くと。



 ……そこには、見たこともないものがたった一晩のうちに作り上げられていた。



「なんじゃこりゃああああああああああ!?」



 玄関先、昨日までは芝生だったところに出来た小さな山。

 一跨ぎで飛び越えるには助走が必要な程の茶色い山が、ちょうど昇った朝日を浴びて、柔らかな輝きを放ち始める。


 俺の大声を聞きつけて慌てて寄って来たアイシャはメルクの手を引いて外へ飛び出して、目を丸くさせながら大はしゃぎ。その後を追うように飛び出したヒュッケとネコロは、未だに山の上に二枚、三枚と銅貨を積み続けるコボルド達の列を呆然と眺めていた。


「あなた達……、どうして?」


 すっかり転居を覚悟して、他の連中が寝静まったところで鼻をすすりながら荷造りをしていたヒュッケが、列の先頭にいたコボルドに問いかける。すると列の流れが急に止まったもんだから後ろに並んでた十数匹が一斉に前のやつに頭をぶつけた。


「どうしてもなにもねえよ」


 戸口から声をかけると、ヒュッケとネコロは俺に振り向く。


「友達が困ってる時に助けるのは、当たり前だよな?」


 そしてコボルド達は、返事代わりに一斉に口を開いた。


「……ジルコニア。俺にゃ見当もつかねえんだが、あの銅貨の山、いくらくらいになる?」

「そうね。ざっと金貨二枚分くらいかしらね」

「よし。そんじゃ有難く使わせていただくか。……おい! 俺のメイドども! ぼさっとしてねえでそいつを家の中に十枚ずつ積んで綺麗に並べろ!」


 三人は同時に返事をすると、笑顔と共に作業に入る。それを横目に、俺は泣き崩れてネコロを抱きしめていたヒュッケのそばに行って、肩に手を置いてやった。


「なあヒュッケ。ここを追い出されず、これからもコボルド族に手伝ってもらえる方法があったら乗ってみる気はあるか?」


 普段が気丈だから余計に胸を締め付けられる泣き顔が頷いたところで、俺はその手段を説明する。


「昨日一晩寝ないで考えた手がある」


 ほんとは寝れなかっただけだが。


「ここで作られた下着は、国が専売にする。個人販売は禁止だ。それでな、ここにでかい看板作れ。グランベルク国・国営工房ってな」


 そうすればコボルド族がどれだけ出入りしてたって文句を言う奴はいねえし、大家のおばさんだって納得してくれるだろ。

 ただ、国営にするには体裁ってもんと手続きが必要だ。

 前者はひとまず家賃を倍払うことで補って、のちのち軌道に乗ったら国営工房の名に恥じねえ金額払ってやりゃあいい。後者は……、物を見りゃ納得すんだろ。親父は見た目通り、エロいからな。


 とうとう嗚咽を漏らし始めたヒュッケが俺の手を取って額に押し当てる。承諾したってのは分かるが、よせよ、気持ちわりいぜ。

 そして渋滞したまま数十匹に膨れ上がったコボルド達の列に近付くと、両手いっぱいにやつらを抱きしめて、ずっと同じ言葉を繰り返し続けたんだ。



 ありがとう。



 良い言葉だ。だがそれも、普段の行いがあってこそこれほど重みを持つ。親父が教えてくれた言葉がいまさら身に染みるぜ。


 『誰かと友になりたいと思うなら、金を貸すな、感謝の言葉をかけるな。そいつが金に困っていたら、貸すんじゃなくてくれてやれ。そして感謝の言葉もなく付き合っているうち、いつか心からありがとうって言っちまったら、そいつと友になりたいと願う必要はねえ。……もうとっくに友になってる証拠だからな』



 ……すぐ泣くメルクがボロボロ泣きながら銅貨を運ぶと、アイシャはそれを並べながら鼻をすする。ジルコニアすらコボルド達に優しい目を向けてやがる。


 だが。


 ヒュッケの背中を見つめる幼い瞳。

 コボルド達がここまで感謝してくれたのは、こいつが体を張ってくれたからだ。立ち退きを一日伸ばしてくれたのは、こいつが弟を必死にかばったおかげだ。


 一番、ありがとうという言葉を貰う資格がある英雄は、一番、その言葉をかけてもらいたい相手の背中から寂しそうに顔を逸らす。

 そして首を垂れて、目をごしごしと拭きながら、とぼとぼと広場の方に消えて行った。



 俺には、そんな背中にかけてやるべき言葉が見つからなかった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 昨日の、やけっぱちの様な宴会とは違う。心から笑って、食って飲んで。山積みにしたニンジンを貰いに来るコボルド達が目をぱちくりさせるほどの大騒ぎ。


 家賃を取りに来た大家のおばさんも、一応王族な俺の話と手付金に納得どころか喜びの声を上げて、コボルド共が自宅へ銅貨を運ぶ列の先頭に立つと、嬉々として帰って行ったんだが。


 ……銅貨二十枚運ばせるのに、銅貨一枚払うっておかしいだろ。

 あと、お前らの成功率な。ありとあらゆるとこに銅貨ぶちまけやがって。おかげで俺達は丸一日銅貨拾いをさせられて、腰がめちゃくちゃいてえ。


 まあ、一番大変なのは、何も知らずに王都へ走るデンベルクだろうけどな。



 ――騒々しかった宴会は終わり、アイシャが俺の足に縄を巻き始めた時。外で寝るから今日は吊るすなと縄を取り上げて、一人建物の影に潜んだ。


 そして待つこと一晩。昨日も寝てねえから何度もうつらうつらしてたんだが、ようやく待っていた影が扉の軋みを伴って姿を現した。

 星の位置を見ると、つり橋渡り座が天頂に来ていた。もう夜明け前だ。


 行き先は分かっているつもりだが、背中を見失わねえようにしないとな。

 俺は腰袋から『魔族の骨』を取り出して右目に付けると、愛用の全身を覆うフードを被って髪を後ろに縛りながらその後を追った。


 靴音に気を払いながら石畳を走ると案の定、その影は『成人の塔』を前にして足を止める。そして、衣擦れすら気にしながら屋台の影に潜んでいる俺が見つめている先で、その小さな手を手近なレンガにかけた。


 ……さて、俺がやることは一つ。そう思って付いてきたんだが、手にした綱を見つめながら改めて考える。こいつを使ったら、手助けしたんじゃねえかと誤解されちまうか?


「そうですね~、落ちたら確かに危ないですけど、それを使うのはダメだと思うのですよ」

「メルク!? い、いつの間に?」

「えへへ、ボクの靴、スニーカーって言うんですよ。スニーキングミッション向けなのです」


 異国の言葉は分からねえが、忍び足に向いてるってことか? それにしても、ふわりとしたロングの銀髪なんて目立つもん持ってやがるのにまったく気配を感じなかった。空気になる術でも持ってるのかテメエは。


「……お嬢さん。あなたも少年が気になってここへ来たのでしょうか?」

「いやですよ~、ご主人様。そんな高い声出しても分かりますって!」


 うぐ。……まじでか? ずっと一緒だったアイシャすら騙してるってのに?

 カマかけてんじゃねえだろうな。


「どなたかと勘違いされているのでは?」

「えへへ、何か事情があるのですね? ボクの正体も聞かないでくれましたし、内緒にしておきますけど。フィン・ツェツェでも初めて会ったボクの名前を知っていましたし、今なんて縮めて呼んだりしたからバレバレなのですよ」


 でかい背を小さくさせて、俺を上目にニコニコ見つめているが。悪気はねえんだろうけど冷や汗だらだらだっての。


「……ぜってえ言うなよ。国レベルで大変なことになる」

「そりゃもちろん! 最初に正体がバレるお相手はセンターヒロインって相場が決まってますからね!」

「その異国語の意味は分かんねえんだけどよ、とにかく頼むぜ」

「で? ご主人様。ボク達が登った時は命綱しましたけど、公式審査員的な人がいないのにそんなの巻いてたら引っ張り上げられたって誤解されちゃいますよね?」

「それだよ。どうしたもんかな」


 三度も登って毎回説明受けたんだ、さすがにメルクも把握してるようだ。

 『成人の塔』への挑戦は誰でもできるが、頂上から垂らされた命綱を係の人に結んでもらってから挑むことになっている。そして頂上には花壇が作られていて、初めて登頂した者はそこに咲く青い小花を摘んで成人の証とするんだ。

 だが挑戦中は、誰かが体に触れたら失格。声をかけられても失格。厳格な決まりがある。


「手伝う術はあるのですよ?」

「いや、手伝っちゃダメだろ」

「そうでもないのですよ。実際、命綱を持ってくれている人もいることですし」


 おお、なるほど。その発想はなかったぜ。命綱を付けての挑戦は、厳密に言えば誰かの力を借りていることになるわけだ。


「……具体的にはどうすればいい?」

「はい! ご主人様に、その縄でボクを縛っていただきたいのです!」


 え?


「……ここでか?」

「今、変態さんなニュアンスをそこはかとなく感じましたけど。ボクはあいにく見る専です」


 こいつは母国語を出しながらムッとすると、俺の頬をつねりあげた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ――親父は、俺に沢山の人生訓を話してくれた。だが、それ以外にもたくさんのことを教わった。それは言葉じゃなく、あのでかい背中が教えてくれたんだ。

 俺も真似して子供にはいろんな話をしてやるようにしているが、まさか背中で語る日が来ることになるとは思いもしなかったぜ。


 今日はフードと腰に巻き付けた長い縄のせいで随分と登り辛いが、三度も登った経験のおかげでなんとかなりそうだ。俺は、安定した足場を確保したところで手を休めるネコロの真横まで登ると、フードから顔を出した。


「右目のガイコツ……! 神瞑しんめいのエストニアスだ!」


 アイシャのことだ、俺の風貌も夢中になってこいつに教えたんだろう。そこに思い至った俺は、ネコロが憧れている男の姿になって背中を見せてやることにした。


 そのまま何も言わずに登る後ろをこいつは夢中になってついてくる。待て待て、まだ命綱の用意が出来てねえ。急いで最後のオーバーハングを越えて、腕の力で頂上に転がり込む。そして頂上に突き刺さった命綱用の鉄フックに腰に巻いていた縄を結んでいると、東の方から空が白み始めた。


 さて、俺達の命綱、上手くいきそうか? 頂上から下を覗き込むと、縄の反対側を腰に巻き付けたメルクがいつもの優しい笑顔で応えやがった。余裕あんのな、お前さん。

 そしてネコロのすぐ下までひょいひょい移動し始めたのを見て、俺は縄の落ちる向きを調整した。なんせこの縄がネコロの体に触れたらその時点で失格だからな。


「メルクお姉ちゃん?」


 ようやく、塔を登るもう一人の存在に気付いたネコロが話しかけるが、もちろんメルクは返事をしない。

 でも、自分が落ちた時にはきっと受け止めてくれる。無言の応援に勇気を貰ったネコロは、再び頂上の俺を目指して、俺の通ったルートを追うように登り始めた。



 ……ニワトリの鳴き声が至る所から響く。それに合わせて、人が動き始める空気が肌から伝わってくる。

 そう思ったのも束の間のこと。誰かが気付いて大声をあげると、それが瞬く間に村全体へ広がって行った。


「『成人の塔』に子供が登ってる!」

「あれ……、命綱付けてねえじゃねえか!」

「今すぐやめさせろ!」

「俺が登って連れ戻す!」

「はしごだはしご!」

「デンベルクんとこの小僧か! もっと右のレンガを掴め!」

「そっちに行けば大きく飛び出たレンガがあるから! そこで待ってなさい!」


 いかん。てめえら、それでもワーベンヘッタ人か? だが、俺が黙るように注意するより一足先に、聞き慣れた涙声が喧騒を止めた。


「口を出してはいけないのです! ……成人とは! 他人に頼らず自らの力で困難を切り開く者なり! 先人の拓いた道を今こそ外れ、新たな頂を目指す勇気が青き花を光り輝かせるであろう!」


 ……それ、覚えたの? 変なヤツ。

 でもワーベンヘッタの心を叫んだのは正解だぜ。見る間に皆の目の色が変わりやがった。


 泣き虫メルクは、悲しくて悔しくて、ぼろぼろ泣きながら訴え続ける。


「皆さんもこの塔に登ったことがあるのでしょう!? その時に、心無い一言が全てを台無しにしたならどう思われるのです! ネコロは、命懸けでここにいるのですよ!」


 そして一瞬の静寂を経て、村人達は弾かれるように走り出した。


「ふ、布団を! できるだけ布を集めろ!」

「爺さん達の頃にやってたあれだ! ワラをあるだけもってこい!」

「いや、まず屋台だ! 屋台を下に! 誰か手を貸せ!」


 頑張れとは、一切声をかけない。それが成人の儀式。

 頑張れとは、一切声をかけない。それが最大の応援。


 早朝の広場は、あっという間に村人達でいっぱいになった。そしてその中には、ヒュッケ達の姿も見える。


「あれ……? エストニアス様!? 今そちらに行きます!」

「……あら坊や、いい朝ね。そこで待ってなさい、今すぐ殺しに行くから」

「アイシャ様! ジルコニア様! お願いですから来ないでください!」


 メルクに叱られて、口と行動を慎んだ二人のバカ。これで力関係も平たくなるかな。


 ……さて。


 そんな騒ぎに耳も貸さず、黙々と登り続けたネコロが、とうとう最後のオーバーハングに差し掛かった。邪魔にならない位置から大はしごを使って登って来た連中も、俺の横から下を覗き込んで固唾を飲む。


 俺の通った道。だが二度、三度と手を伸ばすが、頂上まで届くはずはない。

 指の力がそろそろ限界か。辛そうな吐息が俺の耳に届く。


 眼下では、ヒュッケが気丈にもネコロの背中をじっと見つめ。

 村中から集まって来たのか、ものすごい数のコボルド達が口を開いて友達を応援していた。


 ……いいか、小僧。大人の後を追っているうちは子供なんだよ。そして、そのことには自分で気づかなきゃならねえ。

 ネコロに俺の思いが届いたとは思えねえからな。きっと、成人という言葉の意味に自分で気付いたんだろう。


 最後の力を振り絞ってネコロが選んだ道は、上ではなく、横だった。俺が通った道から外れて、塔を横に回っていく。


 そして誰もが諦めかけたその瞬間、ネコロは自分の力で見つけ出した道へ手を伸ばした。


 ……そう、小さな小さな手がかり。

 前に俺がここに上った時、子供でも登れるようにつけておいた小さな窪み。


 それが……。



「それが、大人になるってことだ」

「やあああああああああああっ!」


 たった指先二本分の道。そこから逆の手を一気に伸ばして頂上に手をかける。

 皆が一瞬唸るような声をあげたが、すぐに祈りに変わる。そう、まだ終わっていない。

 長い長い静寂に感じた一瞬を経て、ネコロは両手を頂上の縁にかけた。


 そして、背の高いやつは選択しない行動。体を左右に振り、三度の空振りを経て四度目に右足を頂上へ引っ掛けると、そのままゴールに転がり込んだ。



 ……その瞬間。

 ワーベンヘッタが咆哮した。



「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」



 小さな小さな成人が、凛々しい笑顔を俺に向ける。もちろん俺は、対等な友としてその手に青い花を握らせた。


 するとネコロはふらつく足で塔の端へ立ち、歓喜に沸く村人達へ向けて大きく声を張った。


「僕! 大人になったから! 言うぞ!」


 そしてこいつの言葉は、……声変わりも迎えていない成人の言葉は。

 深く深く、皆の心に突き刺さることになったんだ。



「すぐにじゃなくていい! ちょっとずつでいいから! みんな、コボルド達と仲良くして欲しいんだ!」



 しんと静まり返った広場に若い種が撒かれると、それがぽつぽつと、至る所で芽吹き出す。


「……そう! 俺もそう思ってたんだ!」

「私は賛成よ!」

「やっぱり若い人の意見はいいわね! 時代と共に変わっていきましょう!」

「思えば、こんな優しい奴らにひでえことしてきたもんだ!」


 新しい花はたちまち広場を埋め尽くし、最後には国中に響き渡るのではないかと思えるほどの歓声に変わって、新たな成人を称えた。


 肩で息をついていた我が友は、みんなの声を聞いて満足そうにすきっ歯を見せて笑顔を作ると、メルクに抱きしめられた途端に寝息を立て始める。


「ありゃりゃ、やっぱり子供なのです。もう寝ちゃいました」


 そして涙でぐしょぐしょになった笑顔を向けてきたメルクに、俺は言ってやったのさ。


「ちげえよ、そいつは大人になった証拠だ。大人ってやつは、いい女の胸に抱かれてる間は寝たフリするもんだ」


 すると、俺のハーレムっ第二号はえへへと恥ずかしそうに笑ってからネコロの頬にキスをした。


 ……今のは見なかったことにしてやるぜ、メルク。それを浮気と呼んだら野暮だ。でも悔しいから、俺もネコロにキスしてやった。


 言うまでもねえが、メルクがキスした場所と同じところに、だ。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 まるで収穫祭のような歓声を背に、工房へ向かう俺達。誇らしい小さな英雄は、ヒュッケの背中で幸せそうに眠ってやがる。


 だが、俺まで幸せに眠る気はねえぞ? てめえはどうして今日に限ってそこまで積極的なんだよ。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

「ちょっ、ちょっとジルコニアさん。後にしていただけますか? なんです、こんなめでたい日に」


 ジルコニアとメルクにゃ正体バレてっけど、ヒュッケとアイシャがいるからな。俺はめんどくせえ丁寧な言葉を使いながら、襲い来る短剣を避け続ける。


 そしてヒュッケとネコロを家まで送り届けた後、慌てていとまを告げることにした。工房を血まみれにする訳にゃいかねえからな。


「どうやらネコロがお世話になった様子。失礼ながら、お礼代わりに食事でもお出ししたいのですが」

「いえ、そのようなことはございません。ネコロさんは、ご自分の力で成人なされたのです。では、私はこれで……」


 ほんとはガルフォンスとして祝ってやりてえとこだが、ジルコニアが落ち着くまでこの変装を解く気はねえ。いつもの格好に戻ったら、先に取られるものかとアイシャまで俺を殺そうとするだろうからな。それにこの格好だと、アイシャが盾になってくれるし。


 メルクが全員分の荷物を抱えて工房から出てきたのを見て、俺は広場への道を引き返した。


「た、助かります、アイシャさん。私を守って下さいね?」

「もちろんですよあたしのエストニアス様!」

「いまさら悔やまれるわ。あんな塔に登るためにマナを使い切っていなければ!」


 超接近戦なのにでかい両手剣でジルコニアの短剣と渡り合うアイシャ。

 そんな二人が、広場から戻って来る村人をかわしながら花咲く石畳を舞うように遠ざかる。

 ……みんな。それ、芸じゃねえから。拍手して見入ってんじゃねえ。あぶねえぞ?


「あの~、ご主人様? どうしてジルコニア様は急にバイオレンスモードになのです?」

「なに言ってんだよ。あいつはいつだって俺のこと殺そうとしてるじゃねえか」

「……どゆことです?」


 こいつ、眉根ひそめてやがるが。俺こそ聞きてえよ、なんで気付かねえんだよ。

 だが説明しようとしたらそれを一瞬で止められた。フルスイングで吹っ飛ばされたジルコニアが俺に激突したせいだ。

 二人してもつれ合うように石畳を転がって、ようやく俺が下になって停止する。


「いたたたた……。おい、ジルコニア。てめえは大丈夫だったかふにょん?」


 おお、やわらけえ。革の下着越しでもわかるとかどんだけ柔らけえんだ。寝転がって下から揉んでるからおまえさんの照れた表情が良く見える。でもさ、普通は照れた時に噛み締めるのは喜びだぜ? なんでおめえさんは悔しそうに下唇噛み締めてやがる。


 …………はっ!? それどころじゃねえ!


「たっ、大変だ! 俺の右手の童貞がお前の胸に奪われた!」

「言いたいことはそれだけかぁぁぁぁぁ!」

「こわっ!? ちょっ! 短! 剣! ザクザク! 顔! 左右に! 避け!」


 刺さるわ!

 いや、刺そうとしてるんだろうけど!


「死ねええええ!」

「お前が死ねっ!」


 もうだめだと思った最後の一撃は、アイシャがジルコニアを吹っ飛ばしてくれたおかげで空を切る。


「たっ、助かった……!」

「ひうっ!? エ、エストニアス様っ!?」


 だが、俺の顔の上にまたがったアイシャがスカートを押さえ付けた後、反射的なものなんだろうな、顔面を踏みつけてきた。

 安心しろ、見てねえよお前のパンツなんか。


 ……だから、すぐ返してやれ。それメルクのパンツだろうが。


「みみみっ、見えました!?」

「この状況でウソをついても仕方がないので正直に言いますと、可愛らしい下着でした」


 よし、褒めてやったんだから気合い入れろ。あいつを足腰立たねえ程度に痛めつけてやれ。そう思ったんだが甘かった。こいつは顔を真っ赤にさせてメルクの元に駆け寄ると。


「ほほほほっ、褒められた! あたし今! 褒められたっ!」

「そ、そうなのですか? それでしたらひとまずこのケンカやめません?」

「それよりあんた、もっとかわいいもん持ってないの!? そうだ! パンツじゃなくて上はどうなのよ!」

「にゃああああ! 剥かないでください! だから、ボクは見る専ですってば!」

「てめえら遊んでるんじゃねえ! ご主人様が風前の灯火!」


 復活したジルコニアの短剣を腕ごと必死に止める俺の声が聞こえないのか、夢中でメルクの服を腹のとこからめくりあげたアイシャ。

 それを胸の半ばまで上げるなり、悲鳴のような叫び声を上げた。


「なんじゃこりゃーーーーっ!? ジル! ちょっとジル! 早く来なさい!」

「今はそれどこじゃないんだけど、なによ」


 いつでもできる俺の殺害を後にしてくれたジルコニアが二人の元へ行くと、いつか見た図と同じようなやり取りが始まった。


「あらほんと。パンツより凄いんじゃない?」

「でしょ? これ脱がせてヒュッケに届けて来るわ! 作ってもらわなきゃ!」

「ぎゃあああああああああ!」


 こら、よさねえか。インナーごときで何を騒いでやがる。

 嫌がるメルクを助けてやろうとしてアイシャの腕を掴んだ俺は、その手をさらに上げた。


「すっげえ! これだっ! これだよ!」

「そうですよねエストニアス様! あたし、今度これ着ますからじっくりご堪能ください!」

「おお! ほんとだな!? これをアイシャが着て…………? アイシャが?」


 俺はつい、見比べてしまった訳だが。

 どう見積もってもさっき俺の童貞を奪ったジルコニアの逸品より大きな何かとペッタンコ。君はこれをどうやって着る気なんだい?


 その視線が三往復したところでようやく、俺はこの格好で初めてアイシャの殺気を浴びた。


「今の比較は……、どういう意味です、エストニアス様……」

「い、いえ! きっとアイシャさんがこれを着れば、磨き上げたマッサ石のごとき美しさを誇るに違いないのかなあと!」

「それは…………、ツルペタってことかあああああ」

「そんなこと言ってねごふぉおおおっ!!!」


 俺は上空高く吹っ飛ばされて、デンベルクの工房そばの木橋に落下するとそれをぶっ壊しながら小川へ落ちた。


 全身に走る激痛。これは死ぬかも。

 あの下着が流通する時代を見てみたかったんだが、それもかなわぬ夢か。


 俺は川にのんびりと流されながら、バカみたいに晴れ渡った空の下、静かに目を閉じた。




 ……そして数日後。


 目覚めた牢屋の中で聞いた話では、ワーベンヘッタの地図から小さな橋がひとつ消え。


 さらに、地図に書かれた

『人間族の村・ワーベンヘッタ』

 という表記が、

『人間族とコボルド族の村・ワーベンヘッタ』

 へと書き換えられたそうだ。


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