エルフ族はウソをつかない そのさん


 タムの森の綿化粧。

 この辺りは雨降りの前日、森を覆い尽くすほどの霧が出る。

 そのことを表した言葉らしい。


 レイジュの川は、明日のご機嫌な水勢を夢見て今日はその力を蓄えているよう。

 いつもより水かさが少ねえ気がするんだが。


 しかし、霧が運んだ湿気のせいで、足場が滑るわ視界も悪いわ。

 昨日魔族の女に殺してやる宣言されたばっかりだし。

 最悪だ。


「まったく、最悪ね! 昨日は結局あの後大騒ぎになって、エストニアス様もいつまで待ってても来やしなくって……、聞いてんの?」

「そうだな。ネギは奥歯に挟まりやすいよな」


 待たせていたのをすっかり忘れて村へ帰っちまった俺を、明け方にテントを畳むまで待ってたらしいアイシャ。ろくに寝てねえだろうに朝から元気にしゃべりまくって、うるせえったらねえ。


 それもこれもジルコニアのせいだ。

 あいつ、すぐにでも俺のとこに来るつもりだろうが、もし正体がばれたら……。


 腰袋に入った魔族の骨を撫でる。こいつには、俺が神瞑しんめいのエストニアスである以上これからも世話にならなきゃいけねえ。

 だがこいつを持ってるってことがバレた時点でジルコニアに殺されちまう。

 どうすっかな。



 うっすらと霧の降りた畑から響くいつものフライパン。だが、俺の足はベルちゃんの元へ向かわない。


「何やってんのよあんた」

「いや。ベルちゃんの横に…………」


 いる。

 いやがる。


 真っ赤な長髪を腰まで伸ばした褐色の美女。

 俺の九十九点ちゃんにして、絞首台の鎌。


「ぐだぐだうっさい。あたしもイライラしてるせいでお腹空いてんの! よんじゅしち!」

「がはあああ!」


 今日も切れのあるフルスイングを食らった俺は強制的に地獄行き馬車の乗り合い所まで直行することになった。


「大丈夫なのです? 王子」

「ああベルちゃん。大丈夫なんだけど、王子って誰の事かな?」

「いやなのですよー! 王子は王子じゃないですかー!」


 ちっこい体でぺんぺん俺を叩くベルちゃん。

 嬉しさ半分、手遅れですよね半分って心地。


「……あなたがガルフォンス王子ね?」

「そ、そうなのですが、そうでもないと申しますか……」


 ジルコニアに迫られながら、しどろもどろになっていると、斜面を随分な速さで駆け下りてきたアイシャがバカ力で俺の頭を掴んでお辞儀させた。


「済みません! うちのバカがご迷惑をおかけいたしましたか? ほら! あんたは死んでお詫びしなさい!」

「迷惑なんかかけられてないけど……、あなたは?」

「はい。このバカ王子のメイドをやっております、アイシャと申します。……あら? 昨晩お会いしませんでした?」

「人違いだと思うわ。私は昨日、宿から出ていないから」


 うそつけーーーーー!


「それは失礼を。人間族の方ですね?」

「ええ。ジルコニアよ」


 うそつけーーーーー!


「申し訳ございません、この変質者は美人を目にするといつも腐れ外道な事ばかり口にするものですから、てっきりご迷惑をおかけしたものかと……」


 うそつ……、いや、それは本当。

 けどよ、単語選べよ粗忽女。


「……腐れ外道? 美人?」

「ええ、見境なくハーレムに勧誘しますけど、どうぞ気にせず最大火力を叩きつけてやってくださいませ」


 外面アイシャが無茶苦茶な事を言うなり、ジルコニアの目が昨日の冷たさを帯び始める。

 なんて事言うんだよてめえ。こっちの姿でも命を狙われたらどうすんだよ。


 それきり遠目に俺をにらんだまま話しかけて来なくなったジルコニア。

 彼女を置いて、冷たい視線を背中に受けつつ屋台へ向かうと、おっさん達が騒めいてる姿に気が付いた。


 ああ、そうだよな。

 こいつ、バルバーツ党にとっちゃ指名手配犯だからな。


 でもせいぜい所在を上に報告するだけで守っちゃくれねえんだろ? だって、今の俺はガルフォンスだし。お前らの敵だし。


 ……俺の命。あと何分残ってんだろ。


「ええと? なんだか妙な雰囲気なのですよ。これってなんなのです?」

「気にしないでいいよ、ベルちゃん」


 苦笑いを浮かべながら屋台の列に並ぶと、ベルちゃんは慌てておっさん達から注文を聞いて調理場へ向かう。

 そして、まとわりつくいつもの兄妹に銅貨を渡してクレープの屋台へ追いやると、小さい体にでかい鍋を掴んで野菜を炒め始めた。


「……ねえガルフ。やっぱりグランベルク一家を皆殺しにするには、あたしがバンバン魔獣を退治するのがいいと思うのよ」

「お前はそればっかだな。勝手にやってくれ、俺は巻き込むな」


 そうでなくても棺桶に片足突っ込んでるんだから。


「そしたら、やっぱりブルタニス家の方が王に相応しいってことになって、国民が奮起して宮殿を武力制圧! グランベルク家の連中そろって斬首刑! あんたも協力するのよ!」

「……じゃあ切りやすいように痩せとくか。ベルちゃん、塩パスタ」

「またなのです? ダメですよ、ちゃんと栄養を摂らないと……」

「銅貨六枚。俺の全財産」

「…………野菜の切れ端をサービスしてあげるのです」


 俺が、心憎いサービスをしてくれるベルちゃんの手を掴んで感謝しようとしたところを剣で叩きつけられて。

 三回転半転がった先はクレープの屋台。


 いつもの兄妹が屋台を前に、何やら話しているんだが……。

 どうやら兄貴が妹に買い物の仕方を教えているようだな。


 そんな時、急に濃い霧が吹き込んで視界が悪くなった。

 嫌な予感がする。


 ……その予感ってやつが、一番当たって欲しくねえ二人に舞い降りちまった。


 妹が無事にクレープを手に入れると、兄貴の忠告を聞かずに走り出す。

 すると、俺のそばで転んで、クレープを台無しにしちまった。


 霧も深くなってるし、ベルちゃんとアイシャは世間話に夢中で気づいてねえ。


「ベルちゃん! 注文キャンセルだ!」

「え? 王子? ほんとにいいのですか?」

「おう! 今日は美女が弁当持って来てくれることになってたの忘れてた!」

「あんたはまた有りもしないウソを……!」


 なんでかアイシャがいきり立ってるが、まあほっとこう。

 俺はエルフの村へトボトボと向かう兄妹の後を追った。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「……いた」


 泣いた妹の手を取って歩く兄貴の気持ち、よく分かるぜ。

 おれもパトリシアが泣いてる横でどうしたらいいか悩んだもんだ。


 自分の持ってるもんならなんでもくれてやりたい。でも、何をあげても喜んでもらえそうにない。


 一番みじめな気分になる瞬間だ。


「おい、妹の方」


 声をかけると、二人は驚いて振り向いた。

 うわあ、鼻水だらっだらじゃねえか。美人が台無しだぜ。


「泣くんじゃねえよ。お前さんが落としたやつはな? 昆虫どもにとっちゃ滅多にありつけねえご馳走だ。今頃みんな、お前さんに感謝して食べてるぜ」


 よっこらしょ。あぐらでちょうど目の高さが合ったな、妹の方。


「でも、お前さんだって食べたかったよな? ……ほれ、兄貴の方。こいつで買って、今度は落とさねえようにお前が持ちな」


 兄貴の方の手に銅貨を六枚乗せてやると、貰えないと首を振る。


 でもな。


「そういうわけにゃいかねえんだよ。商品はもう貰っちまったし」


 すきっ腹が鳴らねえように腹に力を入れて立ちながら、俺は兄妹が安心して使ってくれるように金の出どころを教えてやった。


「……そいつは、笛の代金だよ」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 視界が悪い。

 アイシャと離れて、二か所から見ねえと河原で作業する連中を把握しきれねえ。


 だが、まあちょうどいい。

 これだけ離れりゃ、鳴りっぱなしの腹の虫に気付かれねえだろうからな。


 俺は土手に座り込んで、空腹を抱えて河原を見る。

 ……お前らはいいよな。国からの給料とは別にバルバーツ党から前払いで金が出てるから腹いっぱい食えて。

 ちきしょう、その金出してるの誰だと思ってやがる。


「王子様。……お隣、空いてる?」


 う。


 すっかり忘れてた。

 この霧に紛れて俺を殺す気か、ジルコニア。


 せめて今生の最後に綺麗なものをじっくり見ておきてえ。そう思って、隣に腰かけた褐色の美人をまじまじと見つめてみたんだが……。


 なに? この完璧な造形。


 アイシャと違ってとっつきにくい印象はあるが、良く言えば妖艶。近寄りがたいのに目が離せない、そんな大人の色気がすぐ目の前でにやにや笑ってやがる。


 やっぱ、俺の正体バレたのか? 殺されるのか?


 バレていませんように。

 ずっと隣で眺めていられますように。

 でも一番の願いは膝枕してくれますように!


「……私はね」

「お、おう」

「あなたの秘密を知ってるの」

「やっぱバレてたか! ああもう、好きにしてくれ!」

「あら? 好きにしていいの?」

「いや、その前に一つだけ。どうせ死ぬんだ、無理を承知でお願いがある!」

「やだ、熱烈な頼み方ね。何をしてあげればいいの?」

「ひっ……、膝枕してください!」


 お願いしておいて、返事も聞かずに太ももにダイブ。

 おお。引き締まってるのに柔らかい。なんだこの不思議な弾力は。


「さあ! どうかこのままナイフでひと突きにしてくれ! こんな幸せな死に方ができて、俺の人生は最高だった!」


 両手を胸に組んで目を閉じて、刃物がどこに刺さるのかとびくびくしながら待ってみたが、いつまでたっても痛みが来ねえ。

 それどころか、前髪を細い指先で撫でられているんだが。


 薄目を開いてみれば、ジルコニアはさっきの微笑を浮かべたまま。

 いや、なにやら幸せそうにも見える。


「……子供達、喜んでた」

「ん?」

「ぶっきらぼうで、優しい。私の理想の男」


 何の話だ? ……ああ、なるほど。

 鈍い俺にもさすがに理解できた。


 人が死ぬ前に牧師が言うあれか。お前はいい奴だったと、幸せに死ぬがいいと。

 どんな悪党にも決まり文句で言いやがるからバカにしてんのかって怒る奴もいるんだろうと思ってたんだが。


 なるほど、こいつはいい。

 安らかに眠りにつけそうだぜ。


「さて、さっき催促されちゃったからね。美女がお弁当持って来たんだけど、食べたい?」


 そしてこの演出。難いねえどうも。

 今度は一発で分かったぜ。


「ってことは毒か。あーん」

「ふふっ、なあに? 私に殺されたいの?」

「いや、ほんとは嫌だけどむぐっ!?」


 くっ、口移し!?

 びっくりし過ぎてジルコニアを押し退けて、口ん中に入れられたものを吐き出しながら大声をあげた。


「なっ……! なにすにゃろれっ!?」

「お前がなにしてやがんのよこの色魔っ!」

「ぐぼっ!?」


 身に覚えのあるこのフルスイング。

 しばらく声が出なくなるほどの痛み。

 土手に叩き伏せられた姿勢から見上げるまでもない。アイシャだ。


「ジルコニアさん、ゴメン! このど変態に、あ、あんなことをさせられるなんて!」

「いいえ? 私が彼とキスしたくなっちゃっただけよ?」

「はあっ!?」

「そうだ、アイシャ。ジルコニアは俺に毒を飲ませようとしただけなんだ」


 痛む背中をさすりながらなんとか起き上がった俺の目に映る、二人のきょとんとした顔。ええと、ちゃんと分かりやすく説明しねえとな。


「アイシャ。誤解の無いように言っとくが、ジルコニアは俺を殺しに来たんだ」

「王子様は何を言ってるの? 私はあなたのメイドになろうと思って来たのに」

「どういう事よ! あんたを殺すのはあたしの最大の夢よ!? こんな女にほいほい取られてたまるもんか!」

「やあねえ、聞きなさいよ私の話」

「そうか、お前が守ってくれるなら心強い! 俺の命を守ってくれ!」

「聞けよあたしの話! あたしは! あんたを殺したいの!」

「凄いわね。誰が何を言っているのかさっぱり分からないわ?」


 三人同時に口をつぐんで。

 眉根を寄せて。

 首をかしげる。


 と、その時。足下の工事現場からおっさん共の悲鳴が上がった。


「ファイアーバードだ!」

「『魔獣喰い』の雛が川から流れてきた!」

「たたた、助けてくれーーーー!」


 ファイアーバードぉ!? す、すぐに全員を避難させないと!

 俺は霧の向こうに浮かび上がった怪鳥の姿を何とか捉えて、逃げ惑うすべての作業員の耳に入るほどの大声をあげた。



「でけえヒヨコ!?」



 ……川からドンブラ流れてきたのは。

 紛れもなく、黄色いヒヨコだった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 逃げ惑うバルバーツ党のおっさん達。

 その先に見えるのは、川の水を巨体で左右に溢れさせながらも、押し出されるようにじりじりと近付く巨大ヒヨコ。


 丘にある巣から落っこちて流されてきちまったのか? この距離だと、庇護欲をそそられる微笑ましい姿なんだが……。


「刺激しなきゃこのまま大人しく流れて行ってくれるんじゃねえのか?」


 ぴよぴよ楽しそうにさえずってるし。

 よし、見なかったことにしよう。


 そう思ってたんだが、この粗忽な地図書き換え女が黙ってるわきゃねえか。


「千載一遇のチャンス到来! 魔獣を倒して、ブルタニスを復権させるわよ!」

「やっぱそうなったか。でも、可哀そうだから追い返す程度にな」


 生暖かい目で見守る俺の視界の中、アイシャがどんどん小さくなっていく。


 どんどん。どんどん。


 …………いや、まてまてまて。

 でか過ぎるだろ、ヒヨコ。

 アイシャが豆粒みてえに見えるけど。


「どりゃあああああ!」


 威勢のいい叫び声と共に、アイシャが黄色い毛玉に潜り込むと。ヒヨコがめんどくさそうに身震いして弾き出す。


「あらあら。勇敢ね、彼女は」

「勇敢って言うか、ここから見る限りじゃ遊んでるようにしか見えねえけどな」


 ジルコニアが俺の隣に寄ってきやがったから刺激しないように間合いを取る。

 この距離ならナイフを隠し持ってたとしても刺されねえよな?


「ねえ、私の王子様。あの野蛮な子はあなたにとっての、なに?」

「さっきの話の続きか? あいつにとって俺は殺したい仇で、俺にとってあいつはハーレムっ第一号」

「あら複雑な関係。ということは、あのまま彼女が頑張ってファイアーバードに食べられでもしたら競争相手が減るってことね?」


 競争相手ってなんだよ。俺の命を先にとったもの勝ち競争とかやめてくれ。

 ひとまずもう一歩距離を取っておこう。


「食べられる可能性あんのか? 肉食?」

「雑食だけど、人間族だって食べちゃうんじゃないかしら。……焼いてから」

「焼く?」


 俺の返事と同時に、河原で行われていた珍妙な戦闘が……。



 一転して、死闘になった。



『ぴよっ?』


 ヒヨコが可愛らしい鳴き声を上げて首をカクカク傾げると。

 ぎゃーぎゃー騒ぎながら毛にまとわりつくアイシャに向かって口を開く。


 そして、まるでふいごの様な異音を響かせながら炎を噴き出した。


「どひゃーーー! あ、危ないじゃない! 何すんのよ!」

「ちょっ……! アイシャ! 逃げろ!」

「逃げないわよ!」

「足元よく見ろ! 石が溶けとる!」

「はあ!? 火で石が溶けたらかまどが成り立たねえでしょうが! そんなはず……、溶けとるっ!」


 なんだあの炎! あんなのちょっとかすっただけでも体が溶けちまう!

 俺は役に立たねえことを自覚しながら土手の稜線を走ると、ジルコニアも後を追ってきた。


「おい! 何とかならねえのか!」

「何ともならないわね。だって、相手は『魔獣喰い』よ?」


 お前さんは魔族だろうが! 魔法であんなの一撃だろ?

 でもこいつ、アイシャがやられた方がいいとか言ってたし当てにできんか!


 慌てて逃げ出したアイシャが土手を駆け上ると、ヒヨコからの攻撃がその周囲を地面ごと切り裂いた。工事に使っていた足場も、燃え上がるどころか一瞬で消えちまってる。俺達の苦労がどんどん溶かされていくのは悔しいが、今はそれどころじゃねえな!


 俺はヒヨコの攻撃を止めるべく、足元に落ちていた一握りの石を投げつけた。

 するとこいつがうまいこと額に当たって、ヒヨコが目をぱちくりさせながら炎を止めた。


「ひいいいいい!」


 その間にアイシャが土手を越えて斜面を滑り降りる。よし、後は俺達も逃げれば……。


『ぴよおおおお!』


「うわ! 怒った!」


 今の今まで流れっぱなしだったヒヨコがここに来て両足で立ち上がる。

 そしてドスドス轟音を響かせながら、辺りかまわず炎をまき散らした。


「ジルコニアっ!」

「いやん!」


 俺はジルコニアにタックルして抱き着くと、そのまま斜面を転がり落ちる。

 そしてようやく止まったところで土手を見上げてみれば、さっきまで立っていた場所が半円状に抉り取られていた。


「やだ、王子様に命を救われちゃったわね」

「そんなこた後にしろ後に!」

「でも、それも無駄になるかも。これで生きてたら奇跡だと思うわ? ああ、私は理想の男性の胸に抱かれて死ねるのね。幸せ!」

「何の話だ?」


 ジルコニアが俺の胸に顔をうずめながら抱き着いたその瞬間。

 世界を埋め尽くす何かが空から落下して、あり得ないほど揺さぶられた地面が俺達の体を跳ね飛ばす。

 ジルコニアの頭を抱きかかえながら地面だか何だかわからない所に頭を打ち付けた後、なんとか目を開いてみれば、空が真っ黒に塗りつぶされていた。


 ……いや、違う。

 すぐそばに生えた太い柱の上にあるのは、首をどこまで回しても果てしなく続く巨大な赤い天井。こいつは……。


「で、でけえええええ!」


 ファイアーバードの親鳥っ!

 こいつ、雛を連れ戻しに来たのか!


 開いたまま、閉じる術を忘れた口が爆風に煽られて顔以上に広がる。奴にとっては羽ばたき一つ。だがそれも、俺達にとっては天変地異にも等しいものとなる。

 吹き飛ばされて転がって、ようやく停止したところで目を開くと、空には雛を掴んだファイアーバードの後姿が見えていた。


 そして自分がどこにいるのかしばらく理解できなかったんだが、恐らくここは、畑だった場所の真ん中だろう。ついさっきまでの鮮やかな緑色が全部消えて、こげ茶一色に掘り起こされてやがる。


「……みんな、生きてっかな?」


 思わず口をついた独り言。

 しかしそれを打ち消す叫び声が響き渡った。


「川が! 川がーーーーっ!」


 声のする方へ首を巡らせると、さっきまで土手だったはずの所がすっかり無くなっていて、代わりに太い溝が掘られていた。

 あの溝、ファイアーバードの足跡だよな。


 幾人ものエルフ族やバルバーツ党の連中が叫び声をあげる中、レイジュの川はその溝を伝って流れを変える。平坦な所に流れ出た水は急流とはならずに徐々に辺りを水浸しにして行ったんだが、その先にあるものは……。


「村が!」

「あたし達の村が!」


 ……今頃村の連中は、流れ込んできた水とぶっ壊れた土手を見て、慌てて私財を持って逃げ出してることだろう。


 やれやれ、姿は見えねえけど。生きてっかどうかも分かんねえけど。



 あいつといるといつもこれだ。



 こうして、地図に書かれたレイジュの川は。

 粗忽女のせいで、その流れる方角をまるっきり変えちまった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 奇跡と喜ぼう。

 ああ、ほんとに奇跡だ。


「あれで誰も死んでねえとは……。奇跡だ」

「そりゃそうよ! 危なかった人は、あたしが守ったんだから!」


 鼻息の荒い粗忽女が功を誇ってやがるが。

 あのさ、粗忽。


「てめえがこの世に存在してなかったら元々こんなことにならなかったんだよ!」



 村のあった場所を飲み込む形で流れを落ち着かせた川を、呆然と見つめる村人一同。その後ろで仮設の小屋を建て始める、バルバーツ党のおっさん達。

 今度はこの流れに沿って土手を作って、その外側に村を作る。口で言うのは簡単だが、絶望感は否めねえ。


 そしてこの後も絶望は続く。新・レイジュ川が向かう先には他の村もあるからな。今頃狼煙が届いた王都は大騒ぎになってるだろう。


 そして早速、作りおきしてある俺とアイシャの指名手配書がばらまかれているに違いねえ。



「た……、大変な騒ぎでしたね! お怪我はございませんでしたか、王子?」


 やさぐれた心を一瞬で癒してくれる、鈴の様な声。ベルちゃん、君はなんて優しいんだ。


 ……そうだ!


「ベルちゃん! この土地もこんなことになっちまったし、俺のハーレムに入ってくれ!」

「あんたはこんな時までなの!? あたしに何回殺されたいの!?」

「うるせえ粗忽女! どんな時でも俺は俺でありたいと願う!」


 アイシャと鼻をぶつけながらにらみ合ってると、ベルちゃんがくすくすと笑いながら変なことを言い出した。


「ガルフォンス王子は、私へお向けになる顔とアイシャ様へお向けになる顔を使い分ける方なのですね」


 なんだそりゃ? 意識したことなかった。


 不思議な話を聞いてぽかんとする俺に、ジルコニアが話しかけてくる。


「本人には分からないのよ、表情が変わってるなんて」

「そうなのか?」

「裏表ある最低男よ!」

「逆よ。裏表が無いからこうなるの」

「はあ!? なに言ってんのよあんた?」


 すっかり外面無しでしゃべってるが、いいのかアイシャ? まあベルちゃんもコロコロ笑ってるし。ほっとこう。


「ふふっ。……人間族というものはいくつもの顔を持つものなのですよ。私達にはできないものですが」

「そうだな。エルフ族は宗教心からウソをつけないって言うからな」

「でも私達には知恵があります。ウソなんか無くても人間族を騙すくらい簡単なのですよ?」


 なんか可愛らしいこと言ってるけど。

 どうやってウソもつかずに騙す気だよ。


「村もこんなことになってしまいましたし、試しに王子からお金を騙し取ってご覧に入れるのです!」


 そんなことを言いながら握りこぶしを作ったベルちゃんは、大きなリュックから紙と羽ペンを出して俺に手渡してきた。


「ベルがハーレムへ入る代わりに、こちらに金貨二十枚の証文が欲しいのです」

「高い!」


 いやいや、輿入れ金みてえなもんだろうが、つつましく暮らせば一年は過ごせる額だぜ?


 だが……。


「か、書く!」

「ウソでしょガルフ!? 騙すって宣言してるのに?」

「エルフ族がウソつくわけねえだろ! これでベルちゃんが手に入る!」


 俺が証文を書いて手渡すと、ハーレムっ第二号はにっこりと受け取った。


「ええ、問題ないのです。これを持って、後ほど役場でお金に変えましょう」

「よっしゃあああああ! 俺も早速王都に家を建てねえと!」

「王都なのですね、お家は。なら、早速主人の働き口を探さないとなのです」

「………………は? 主人?」

「ええ、主人」



「「ええええええええええ!?」」



 アイシャと二人、目を見開いてベルちゃんを見つめる。

 十二、三才くらいにしか見えねえよ!?

 だってのに…………、人妻ぁ!?


「この子達も王子の事を気に入っているようですし。沢山遊んでもらいなさいね」


 例の二人が、ベルちゃんのスカートをギュッと握って俺を見上げてるが。

 三人並ぶと、兄弟にしか見えねえのに!?


「「こいつら! ベルちゃんの子供ぉ!?」」


 開いた口が閉じやしねえ。

 ……もう、なーんも信じられん。


「で? 私はいつからハーレムへ入ればよろしいのです?」

「すいませんでしたあああああ!」


 そりゃそうだろ。

 土下座でお断りするしかねえ。


 今回の事で俺は学んだね。エルフ族は、決してウソをつかない。


 だが、善人であるとは誰も言っていない。


 ベルちゃんがくすくすと笑う口元を隠すその手には、罪人痕がちらりと覗いていた。


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