エルフ族はウソをつかない そのに


 肉厚の葉を持つ高木が立ち並ぶタムの森。

 その中央にある丘に『魔獣喰い』の二つ名を持つファイアーバードが住み着いてるせいで、奴以外の魔獣はこのあたりにゃいねえんだが。それでも獣の類がウロウロしてるからな、護衛には腕っぷしの強い連中ばかりを準備した。


 まあ、どいつもこいつも昼間の治水工事の疲れが見え隠れしてやがるけどな。



 月の光も及ばねえ森の奥深くに巨大な天幕が五つ、かがり火に浮き上がる。

 俺はひと際でかい中央の天幕を遠くに見据えながら、腰袋からいつものやつを取り出した。


 『魔族の骨』


 むかーしむかし、まだ俺がガキの頃。地上に現れた魔族との大戦おおいくさがあった。

 戦は俺達地上側の勝利で幕を閉じたんだが、この地に残った魔族も少なくない。そんな残党を、ボガード兄さんが日々退治していたりする。


 魔族は倒されると霧のように消えるんだが、その時に骨の一部だけがこうして残るんだ。


 で、こいつには魔力ってやつが込められていて様々な超常を引き起こす。と言っても世界をどうこうするほどの力はねえんだけどな。

 例えばこの、頭蓋骨の右目まわりだけになっちまった角の生えた骨。顔の半分を隠す仮面みてえなこいつを顔に当てると……。


 バキッ!

 ……メキメキメキッ!


 骨から木の根みてえなもんが生えてきて、顔中にそいつを潜り込ませる。

 不思議と傷も出来ねえし痛みもねえんだが、根っこのせいで顔面にぼこぼことミミズ腫れみてえなのが浮き上がってまるで人相が変わる。しかも声まで変わるおまけ付きだ。

 顔も半分隠れるし、後は髪をひっつめにしてトレードマークの全身をすっぽり隠すフードを被れば……。


「エストニアス様。お客様が既にお待ちでございます」

「はい、ご苦労様です。……今宵、派手な剣を提げた女性が謁見を求めてくるという情報を手にしたのですが、そちらの方にはお引き取りいただいてください」

「はっ! 了解いたしました!」


 ……昼間、散々顔合わせてるってのにこのざまだ。

 ベルちゃんをハーレムに誘った時、お前、一番でけえ声で殺すって言ってたのを俺は忘れてねえからな?


 つい、にやけた顔で門番を見ると、不器用な笑顔が返って来た。

 いけねえいけねえ。変な事しねえように。


 俺はエストニアスらしい柔和な笑みを作りながら、天幕の入り口をくぐった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ……天頂がそれなり大きく開いた天幕の中央にはかがり火が焚かれていて、書記達は結構豪華な机に腰かけている。

 なにそれ、持って来たの? 森ん中に?


「エストニアス様。お初にお目にかかります」


 副官志願とか言ったか、三十歳前後の男が入り口のそばに突っ立っていた。


 握手を求めて出してきた手を軽い会釈でいなしながら、八人程並んだ武官副官どもの中央に置かれた豪勢な椅子に腰かける。


 ……なあ。これも運んだのか?

 無駄な労力使ってんじゃねえよ。誰の金でメシ食ってると思ってんだ。


「ハイデル地方の方とお見受けいたします。バルバーツ党へご協力いただけるとのお話でよろしかったでしょうか?」


 俺の定番の挨拶に、金髪を気取ってクルクルとセットした男は、さすがご慧眼けいがんとか調子のいいことを言い出すと早口でまくし立てた。


「バルバーツ党がグランベルク家の打倒を旗として掲げていると聞き及び、こうして馳せ参じました! 私はブルタニスの王妃にそれはもう良くして頂きまして、にっくきグランベルクを滅ぼすために私兵を構え、虎視眈々とその期をうかがっていたのでございます!」


 おーい。それじゃ、俺の敵だっての。


 副官のエクスボルトが渡してきた紙に目を通すと、どうやらこいつ城塞都市の一区画を治める区長みてえだが、国に納める以外に領民から税金を絞り取って私兵を雇っているらしい。


 ……このやろう。レキウス兄さんに伝えてぼっこぼこにしてやる。


「残念ですが、バルバーツ党は慈善組織。悪政を働く役人などは敵ではありますが、グランベルク家に含みを持つものではありません」

「え? ……いや、しかし……」

「我々が敵とみなす者は、国民に無理を強いる方々です。……特に、不必要な税を取るような方は許せぬ存在です」


 見る間に顔を赤くさせるおっさん。分かりやすいな、あんた。


「……そ、そんな無礼な態度を取られるとは思ってもみなかったぞ!? お前ら、覚えておくがいい!」

「はい、肝に銘じましょう。長旅、お疲れさまでした」


 おっさんは面白いほど荒れながら天幕を出て行っちまったが、やれやれ、やっぱ釘刺しておかねえと。


「エクスボルトさん、宜しいですか?」

「はい。なんでしょうか、小僧?」


 いつもおもしれえな、お前。

 敬意があるんだか無いんだか分かんねえよ。


「我々の理念も分からず、いたずらに党員が増えて、ありもしない王国打倒などという噂が広まっているようです。最近では山賊のまねごとをする者も出ているようですので、改めてご対応願います」


 片メガネをかけたインテリ風の痩せぎすは、こっちを見もせずに返事をした。


「ほうほう。さすがに情報だけは不足なく掴んでいらっしゃる。そこだけにはこのエクスボルト、あんたがすげえやつだと心服いたします」

「このままでは党員を勝手に名乗る悪党も遠からず現れましょう。すぐに対処を」

「……金貨三十八枚、というところですな」


 相変わらず計算の早い。

 俺だってお前さんのそういうとこ、すげえ奴だって心服してるんだぜ?


「了解いたしました。私が三十、残りは党のお金で賄ってください」

「ほうほう。八くらいけちけちしなさんな」

「……よろしくお願いします」


 このやろう、逆に言ってやらあ。八くらいけちけちすんじゃねえ。


 そんなタイミングで……、いやこっちのやり取りが終わるのを待ってたんだな。

 くそ真面目で面白みのねえ武官、バーゼットが声をかけてきた。


「エストニアス様。命じられていた、治水工事の出納係の件ですが……」


 おお、それそれ。

 俺の命に係わるんだ。ちゃんととっ捕まえたんだろうな?


「金を持って、城塞都市フィン・ツェツェへ逃げこんだもようです」

「そっ……、それは許せませんね……」


 くおおおおおっ! やっぱな! 怪しいと思ってたんだよあの優男!

 しかしフィン・ツェツェか。なるほどね。


「かの町は以前から怪しい動きを見せていました。ここ数ヶ月は近隣に住む賢狼けんろう族から襲われていると、王都に金銭の援助を求めていたようですし」

「ほうほう、それは怪しい。虚偽の線もありますな。小僧、どうします?」

「……そちらは、誰か違う者をもう一度派遣してください。情報が足りません」


 あるいは、うまいこと俺が現地へ行けたらいいんだが。そんなでかい仕事はしばらく回って来ねえだろうな。

 軋みすら鳴らさねえ豪華な椅子に体重を預けて考えてはみたが、どうにも兄貴達を納得させる言い訳も思いつかねえ。


 まあ、しょうがねえか。世の中全部の不正を暴けるはずもねえし。

 出納係について王都へ伝えて、給料は代わりの奴に持ってこさせて。それで良しとしよう。


「出納係がフィン・ツェツェへ逃げ込んだ情報は、私が王都へ流しておきます。今日の議題はこんなところですか?」


 左右で武官副官共が静かに頭を下げる。

 それに合わせて椅子から立つと、天幕の入り口がバサッと開いた。


「エストニアス様! お客様にございます!」


 え? なにそれ面倒。

 ……ってかお前、門番……、だよな?

 顔中あざだらけになってっけど。どした?


 そんな俺の疑問が、入り口を静かに開きながら楚々と入って来たやつのおかげで一瞬にして晴れた。

 入れんなって言ったじゃねえか。頑張れや。


「お初にお目にかかります。エストニアス様にはご機嫌麗しゅう」


 呆れるほどフリフリしたピンクドレスに身を包んで、耳の横にバラの花を挿したアイシャが手にした宝剣を怯える門番に楚々と手渡す。


 外面そとづらもここまでくると尊敬するわ。


 髪はベルちゃんにでも梳かしてもらったのかな、綺麗にまっすぐおろして。そのまましずしずと伏目がちに近寄って来る。


 おっと、バレるといけねえ。慎重に慎重に。俺は緊張しながら、魔族の骨で高くなった声をさらに高くして話しかけた。


「おっ、お顔を上げてください」


 顔上げるなり、目ぇぱちぱちさせてっけど。

 何の真似だよ。ウインクか? ……ん?


 お前、なんか首筋に赤いもん垂れてるぞ?

 なにそれ、血? もしかしてそのバラ、棘抜いてねえの? バカなの? 粗忽なの?


 アイシャがその美貌を見せるなり、八人の武官副官が揃っておおとか声を上げてるけど、こんな外面に騙されてんじゃねえよ。あの血ぃ見ろや。


「……私は、民のために心を、力を尽くすエストニアス様のお人柄を聞きつけまして、あまたの危険を越えてこちらへ伺わせていただきました」


 危険だったのは、てめえの進行方向にいた獣達の方だと思うが。


「圧政を執る者を誅し、蓄えた金子を苦労する者に分け与えるなど、到底できようはずもございますん」


 噛んだよ。慣れねえことすっからだ。


 さてこいつ、どうやって追い返そう。

 そう悩む俺の耳に飛び込んできたのはエクスボルトの渋い声。


「さぞや名のあるご令嬢とお見受けしますが、お名前をお聞きしてもよろしいですかな?」


 こらてめえ。余計なこと聞くんじゃねえよ、思うつぼだっての。こいつ今、心の中で『よっしゃ食いついた!』って叫んでたぜ?


「私の名は、アイシャ・デ・コンツォ・ブルタニス。今は亡きブルタニス国の第一王女です」


 そして深々とお辞儀。

 役者だなあ。


「なんと! ご存命でいらっしゃったとは!」

「亡国の姫様とな!?」

「さればバルバーツ党を頼られるのも必然! どうぞお顔を上げてください!」


 かがり火に照らされたアイシャの美貌は、白いキャンバスに真っ赤な照り返しを揺らしながらどこまでも高貴なたたずまい。

 それが俺を見つめて……、目をパチパチ。


 なにそれ、都度やるの?


「で、ではあれが、聖剣・プリムローゼ」


 天幕の中で突っ立ったままの門番が手にする剣をいかつい目でにらみつけたバーゼットがつぶやくと、他の連中もそれに食いつく。


 入れ食いだな、おい。


「あれが……」

「想いを刃に変える伝説の剣か」

「ほうほう。……失礼ながらアイシャ殿下。その剣は正当なる聖者の血統にしか引き抜けないと聞く。この場でそれを抜いてはもらえないだろうか」


 エクスボルトが片眉を上げながら嫌味っぽく言うのを外面アイシャが恭しく了承する。そして門番から剣を取ると、もったいをつけた所作で鞘から抜いて頭の上に掲げて、天幕を感嘆の声で満たした。


 誰でも抜けるっての。だってその鞘、俺が三日かけて作った手作り品だもんよ。

 この粗忽が何年も旅して歩いて、オリジナル無くさねえわけねえだろうが。


 だからさ、こうしちゃったらもう皆さんでは抜けないんですよってばかりにたっぷり時間かけて鞘に戻すんじゃねえ。

 あと最後の軽やかな金属音な。カチン、じゃねえ。その鞘は木製だって言ってんだろうが。お辞儀しながらポケットに銀貨隠しやがって。


「して、アイシャ殿下。ここまでいらっしゃったご用向きは?」

「はい。……私は埋伏の身の上とは言え、危険を冒して民の笑顔のために日々活動しております。ですので、エストニアス様とならば手を取り歩いていけるのではないかと思い馳せ参じたのです」


 手を取り歩いて行ける、か。迂遠だなあ、誰も理解できてねえじゃねえか?

 事前に聞いてた俺ですら、プロポーズって気付くまで時間かかった。


 で、俺の返答待ちってことになったわけだがどうしたもんか。

 武官副官どもが固唾を飲んで見てやがるが。

 この格好でアイシャと恋仲になってもしょうがねえからな。


 ……ん?

 そうか、ひらめいた!


「アイシャ様。今は、どなたかの庇護のもと暮らしていらっしゃるのでしょうか」

「はい。隠れ蓑として、グランベルク家に縁のある方と旅暮らしをしております」


 何と大胆なと唸る一同。てめえらいちいちうるせえよ、先に進めねえっての。


「では、このエストニアスからアイシャ様へ、一つの試練を与えましょう」

「はい。どのような試練でも必ず乗り越えるとここに誓いましょう」


 ようし! 言質げんちを取った!


「……その方の夢に、あなたも尽力なさい。さすればあなたと手を取ることを私もお約束いたしましょう」

「夢? ……はあ!? 夢って、アレ!?」


 おいこら、化けの皮剥けてっぞ。

 そんなに嫌か?


「さて、ご返答は?」


 視線を泳がせながら口をパクパクさせたアイシャは、手をしゅぱっと上げると。


「タイム! ちょっとだけ待っててね!」


 天幕からドタバタと出て行っちまったけど、どうする気だよお前?




 ぴーーーーーーっ!




「笛! 吹きやがった!」


 今の音は何だと右往左往する連中を落ち着かせて、密偵からの俺への合図だからついて来るなと叫んでアイシャの後を追う。

 魔族の骨を外して髪を掻きむしってフードを脱いで……。


「バカなのかてめえ!?」


 藪の中にしゃがみ込んで笛を吹く女を怒鳴りつけた。


「はあ? 開口一番バカとは何よバカ! あんたどこほっつき歩いてたの? 三秒で来いって言ったでしょ! 殺されたいの!?」

「すげえな。天国と地獄ってやつが二本足で歩く生き物だなんて知らなかったぜ」


 しかも同一人物。


「ぶつくさ言ってないで、あんた、身分隠してついてきなさい!」

「え」

「その上で、自分の夢にあたしが尽力したって言いなさいよ! 過去形で!」

「ってことはお前、ハーレムに入る決心してくれたのか!?」

「口裏合わせろっつってんだよ……」


 うおお、地獄ってすげえや。

 胸倉掴まれて口の中に果物ナイフ突っ込まれるとは思わなかった。


「ほら、行くわよ!」

「待て待て待て! 俺をこのまんま連れてってどうする気だよ!」

「なに言ってんの? あんたを連れてかなきゃあたしの恋が成就しないの!」


 こっ、このバカ力!

 全力で止めようとしてる俺を引いて普通に歩いてやがる!


「ちょっと門番! エストニアス様に会いに来たんだけど通してくれる?」

「さ、さっきの暴力女!?」

「誰が暴力女よ! 通しなさい!」

「エストニアス様なら今しがた走って出て行かれました!」

「あ、そう。じゃあ待ってるわ」


 天幕の前で、無敵の門番がにっこにっこしながらスカート揺らしとるけど。

 これ、どうすりゃいいんだ?


「……俺もちょっと。生水飲みすぎたかも」

「汚いわね。笛鳴らしたら二秒で来なさい」

「途中でもか?」

「とっとと行け!」


 フルスイングを食らって藪の中に吹き飛ばされたが、ちょうどいい。

 このまま変装して天幕の裏に回って……。


「……なぜそんなところから戻ってきたのですか、小僧」

「いえ、ちょっといろいろありまして……」

「それより、お客様がお待ちです」


 入ってくんじゃねえよ!


 だが、俺が呆れながら見た先にいた女はアイシャじゃなかった。

 燃えるような赤い長髪に褐色の肌。アイシャに負けず劣らずの美貌に、黒革の、まるで下着みてえな服が目を奪う。


 だが、一番の特徴は。


「……お待たせいたしました。ルルイデン地方の方とお見受けいたしますが」

「ええ、ルルイデンのから参りましたわ」


 かつて、罪人痕を背負った者が身を寄せた辺境、ルルイデン。そこに住まう者は手首の入れ墨を目立たなくするため、わざと腕全体に及ぶ入れ墨をしていた。

 それが代を重ねるごとにファッションとして多様化していくと、ルルイデン地方に住まう者にとっての誇りみてえな物に変遷していった。


「ジルコニア・エレメンタと申しますわ」


 黒い半透明で前が完全に開いたスカートのすそを持ち上げるお姉さん。

 アンクルストラップのサンダルから右足を巻くように彫られた太い茨の入れ墨は、ホットパンツの中を横切ってへそ下を通ると、背中から再び前に回って左の胸に消える。

 ……あの大きな胸を覆う小さな布の中で、茨がどんな終わり方をしてるのやら気になって仕方ねえ。


 この女……、なんという九十九点。


 ジルコニアと名乗ったお姉さんは、その妖艶な瞳をなぜか一瞬驚いたように見開くと、厳しい真剣な表情で俺をじっと見つめ続ける。

 なんだよ、俺、そんなにかっこいい?


「……ジルコニアさん。ご用件は?」


 はしゃぎまわりたい衝動を押さえ付けてエストニアスたる態度を貫きながら椅子へ腰かけると、お姉さんは今までとは打って変わって低いトーンで話し始める。


「私は仕えるべき主を探して旅をしてまいりましたけど、エストニアス様が最も相応しいと思いまして、バルバーツ党の末席へ加えていただきたく参上いたしましたわ。……何でもいたしますので、どうぞ早速ご命令ください」


 なんだろう、この違和感。

 俺の顔を見てから急に雰囲気が変わった気がするんだが、知り合い?

 ……な、わきゃねえな。こんな九十九点なお姉さん、一度見たら忘れねえ。


 それよりも、だ。

 何でもするって言ったよな? だったら俺のハーレムに入って欲しいんだが。


 ……おおそうだ! さっきアイシャに使った手をちょいと変えて……。


「ご、ごほん! そういう事でしたら、お願いしたい任務がございます」

「……なんなりと」

「我々に必要なものは情報。そこで、ガルフォンス王子の元へ赴いて彼と共に暮らし、王国の情報を得て来てほしいのです。大丈夫、彼なら二つ返事であなたを雇うことでしょうから」


 俺がそんな計画を口にした途端、ざわつく八人組。確かにエストニアスっぽくねえわな。

 やべえやべえ、ついはしゃいでガルフォンスな俺が顔を出しちまった。


 だが、後には引かねえぜ! これでハーレムっ第三号ゲットだ!

 俺の人生は順風満帆だな!


「……卑怯なのね」

「え?」


 すでに妄想の中で三人の美姫に囲まれている食卓を妄想していた俺に、氷の刃のような目が向けられる。

 ついさっき地獄ってものがある場所を見つけたと思っていたんだが、まさかここにもあるなんてな。


「召し抱える代償として、赤の他人へこの身をささげて来いなんて見下げ果てた男ね。でも、あなたはいいことを言ったわ。王子に養ってもらえばいいのね。そこで権力を得て……」


 そして地獄は、妖艶な舌で唇をぺろりと舐めあげて。


「あなたのことを必ず殺してあげるわ」


 途端に武官が剣を抜いて俺の前を固める。

 俺も慌てて立ち上がったんだが、あまりの眼光に足がすくんで動かねえ。


 だがそんな様子に動じる様子もなく、ジルコニアは天幕の扉へ悠々と歩き出す。

 そして何を思ったか、一度足を止めて振り返ると。


 俺の肝を、凍り付かせる言葉を吐いた。




「あなたが使っている声。私の弟のものよ」




 弟? ……ってことはお前!


 魔族っ!?


 しかもこの骨が弟さんのもの?

 ウソだろ!?


 血の気がすうっと引いて、椅子に崩れた俺に八人の武官副官共が集まる。


「だ、大丈夫ですか!?」

「エストニアス様!」

「あの女を尾行します!」


 なにやら慌ただしくする皆の声が遠くに聞こえる。

 そんな静かな世界の中、俺は一つの事しか考えることはできなかった。




 いい女だった……。



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