獣人族は人間を怒らせない そのさん


 巨大な船の形をした家の前。

 アイシャと爺さんには木椅子があてがわれ、その周りを男共が囲む。


 一見逃げ道も無く不穏な図柄だが、袖なしの地味な服に身を包んだ獣人共の態度を見てりゃそんな気も失せるってもんだ。


「あねさん! 椅子の具合はどうでしょう?」

「あねさん! お茶はぬるめ、熱め、どちらで淹れてきやしょう!」


 下にも置かない扱いに最初は照れくさそうにしていたアイシャだが、さすがに爆発した。


「あねさんあねさんゆうな! 今度あねさんって言ったら許さないわよ!?」

「へい! 分かりやしたあねさん!」

「絶対に言いません! あねさん!」

「ちょっとガルフ! お爺さんの話はあんたが聞いといて! あたしはこいつら黙らせて来るから!」

「好きに呼ばせてやればいいじゃねえか。目くじら立てんなよ、あねさん」


 うお。あねさん、超怒りやがった。

 椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がって俺に殴る蹴るの暴行を加えたあねさんは、獣人族の連中に取り押さえられて、肩で息をしながら再び腰を落ち着けた。

 良かったな。今のを見て、あねさんって呼ぶやつが一人もいなくなって。


「あんたは一生そうして地面に転がってろ! ……ごめんなさい、お爺さん」

「ほっほっほ。本当に元気な娘さんじゃ。土砂崩れが起こっても、この家にも入らずに助かってしまいそうじゃて」


 楽しそうに、真っ白なあご髭をさすりながら爺さんが笑う。ああなるほど。この家の形は土砂崩れ対策ね。

 ……でも、船の形してれば助かるってもんでもねえような気がするけど。


 俺が地べたに胡坐をかきながら起き上がるに合わせて、しわがれた声が問いかけてきた。


「この村の昔話は知っておるかの?」


 アイシャと目配せをした後、同時に頷く。

 それに頷きを返した爺さんが話し始めたその冒頭は、予想だにしないものだった。


「……この村に採石を教えたのは、わしのじい様なのじゃ」

「ええええええ!?」

「うっさいわねあんたは!」

「いや、驚くだろこの冒頭。掴みバッチリ」

「黙って聞け!」

「分かったよ。……わりい爺さん。先を続けてくれ」


 見た感じ、七十歳かそこいらと言った所か。この爺さんが昔話に出てくる若者の孫? ほんとか?

 マッサ村で土砂崩れがあったのがちょうど百年前だから、若者が五年後ぐらいに子供を作ってそいつが二十五でこの爺さんを作ったって考えれば辻褄は合う訳だが……。


「実はの、この村に伝わる昔話は、真実と少々違うのじゃ」


 未だに疑う俺の心を見透かすかのよう。

 爺さんは俺の方を向きながら、胸に直接届く心地いいリズムで語る。


「石工をしていたじい様は、良い石を探して旅をしていたそうな。そしてこの山で最高の石を見つけると同時に、魔獣に出くわした」


 魔獣か。

 また、どえらいもんが出てきたな。


「……奴は知恵を持っておった。じゃからじい様は、村を襲おうとしていた魔獣と交渉したのじゃ。豪奢な暮らしをさせてやるから、村人達に危害を加えるなと」


 アイシャが腕組みをしてぎしりと背もたれを鳴らす。

 その腕に乗る慎ましい何かがかすかに揺れるのを見た獣人どもが目をくぎ付けにされてやがるが、まあそれは許してやろう。俺はこのペッタンコには興味が無い。


 それよりこの話だ。

 もしも真実だったとしたら……。


「てこたあ、村の皆はそれと知らずに恩人を追い出したってことになるのか」

「そうなるの。じゃが自分がいなくなればマッサ村は魔獣に襲われる。じい様は魔獣を倒すと決意したのじゃ」

「すげえな。どうやって倒す気だったんだ?」

「これを手に入れたのじゃよ」


 そう言って、爺さんが胸に下げた小袋から丸い球を手の平に出した。

 光も反射しない黒い球。それが骨と皮ばかりの手で転がる。


「それは?」

「封印石。……魔族から買うたのじゃ」


 魔族まで出てきやがった。いよいよインチキ話に聞こえるんだが……。

 さっきのリーダー格の男に聞いてみるか。


「おい。お前」

「……シーブルだ」

「シーブル。お前、なんでこんな胡散臭い話を信じたんだ? ちょっと考えりゃ分かるだろ。この爺さんの爺さんってやつに、村を守る義理なんてねえはずだ」


 少なくとも、俺なら逃げる。


「いや、やらざるを得ない理由があったんだ」

「なんだよ、その理由ってやつぁ」

「その男は……」

「その男は?」

「その男は! 村長の娘に惚れていたんだ!」

「そりゃ守るわ! リーネちゃんのためなら俺だって命を懸ける!」


 話せるなあんたと獣人族達が一斉に手を伸ばしてくる。

 そんな猫手の全部とがっちり握手して、最後に雄たけびだ。


「リーネちゃんのためならば!」

「「「この命、いくらでも捧げよう!」」」

「「「うおおおおおおお!!!」」」


 盛り上がる俺達をアイシャが半目でにらみつけてっけど。

 リーネちゃんにやきもち焼くんじゃねえ。お前の後輩になるんだから。


「じい様は、この山に魔獣を封じることに成功したのじゃが、魔獣は最後の力で山を崩しよったんじゃ。それが土砂崩れの真相じゃよ」


 なるほどね。そんな真実を知らない村人達は、若者の言いつけを守らなかった罰を受けたものと勘違いしたまま昔話を作り上げて、そして百年もの間、人間族を怒らせぬよう暮らして来たってことか。


「……でもあんたがいるってことは、英雄は土砂崩れから免れたってことか」

「じい様を助け出してくれたのは、事の真相を知っていた村長の娘じゃ。じゃが、村を追われた男が魔獣を封じて土砂崩れが起きたと言っても誰が信じよう。じゃから二人は都へ逃げた。……わしに、四分の一ほど獣人の血が入っとるのはそういう訳じゃ」


 そこまで話した爺さんは、椅子から立ち上がるとアスール山を見上げた。

 深い皺の顔が引き締まったように見えるが、こいつは覚悟を決めた男の顔ってやつだ。


「あれから百年。一月後か、一週間後か、それとも明日か、封印の効果が切れる。わしは真実をこいつらに話して聞かせ、ここで半年間訓練させておったのじゃ」

「……バカね、お爺さん。なんでその話を村全体に言わなかったの? そしたら国だって動いてくれるわよ」

「ほっほっほ。……昔話にすがる年寄りや現実主義な女共が、こんなお伽噺を信じるとでも思うのか? そして年寄りと女共が否定すれば男共は黙って言う事を聞くしかあるまいて」


 アイシャも椅子から立ち上げって反論しようと口を開くが、そのまま言葉を飲み込む。無理もない、爺さんの言うことは正しい。


「正しい判断だな。国だって、そんな話で兵隊を動かしやしねえだろうし」

「最低ね! これだからグランベルク家は!」

「ブルタニス家だって一緒だ。で税金の無駄遣いするわけにゃいかねえことくれえ分かるだろ?」


 これ以上ねえってくらいに顔を真っ赤にして怒ってるけどさ。

 それが国政ってもんだろうが。


「怒るんじゃねえよ、真実だろうが。俺達にゃ関係ねえけどよ」


 アイシャの頬を優しくポンポンと叩くと、ようやく熱を冷ましてくれたようだ。


「そうね。あたし達にはそんなの関係ない! 魔獣退治に手を貸すわよ!」

「あねさん達が手を貸してくれるのはありがたいんだが……、さっきからグランベルクだブルタニスだとか騒いでやがるが、あんたら何者なんだ?」


 シーブルが狭い額に眉を寄せて訊ねると、アイシャが鼻息を鳴らしていつものやつを始めやがった。こらてめえ、今日何回目だと思ってんだよ、やめろや。


「こちらにおわすお方は、グランベルク王家第三王子のガルフォンス殿下なるぞ!」

「「「破戒無慙はかいむざんのバカ王子!?」」」

「いくつあんだよ俺の通り名、そのくせ、せーので同じ呼び方しやがんのな」


 いい加減にしろ。

 それに、はかいなんとかってなんだよ。意味知らねえっての。


 俺はさすがに腹が立って、声高らかに文句を言った。



『グモオオオオオオオオッ!!!』



「…………俺じゃねえぞ?」

「分かるわよそれくらい! お爺さん今の!」

「うむ……。まさか、ここで現れるとは思わなんだが……」


 爺さんは椅子から音もなく立ち上がると、老人とは思えぬほどズシリと重い足取りで俺達に並んだ。

 伸ばした背筋は驚くことにその頭を俺達より高く上げ、精悍とも呼べる顔立ちで奥歯をギリリと鳴らすと同時に、手にした封印石を力強く握りしめる。


 そして、武者震いか恐怖によるものか。震える息を長く吐くと、遠く、未だに影形すら見えない魔獣を山の中腹に見上げながら、その忌まわしき名を口にした。


「……さあ勝負じゃ。魔獣・ミノタウロス」




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 筋骨隆々たる体に牛の頭。両の拳を得物として振るいながら襲い来るミノタウロスは、その真っ赤な皮膚の至る所から立ち上る炎を揺らめかせながら咆哮する。


『ゴモオオッ! ガオオオオオッ!!!』


 急な斜面に一つ足を下ろす毎に地滑りを起こすその巨躯から繰り出される一撃は、軽々と木を粉砕するほどの破壊力。だが、そのぞっとする攻撃も、軽装で走り回る獣人達は華麗にかわして逆に攻撃を叩き込む。


 黄昏から一気に夕闇へとその姿を変えた東向きの斜面は、俺達人間族にとっては不利な戦場だ。だがアイシャは果敢に魔獣へ挑み、そして渾身の一撃を幾度となく魔獣へ食らわせた。


「だありゃあああ! ガルフ! これ、行けるかも! このデカブツをブルタニス復興のための生贄にしてやるわ!」


 生贄ってなんだよ。お前んちは黒魔術で復活するのか?

 興奮してめちゃくちゃな事を口走るアイシャが聖剣・プリムローゼでミノタウロスの足を殴る殴る。


 どうせ研ぎ澄まされた名剣でも無けりゃ傷一つ付かない硬い皮膚。鈍器で殴るのは理に適っちゃいるんだが……。


「ちょっとまずいか」


 痛みに呻く魔獣の足元で、距離を詰めっぱなしで戦うアイシャ。ミノタウロスの蹴りを、拳を、ひょいひょいかわすその足運びが雑になって来た。

 敵さんが動けなくなる前に、お前の疲労限界が先に来るぜ。


 何ができるわけでもねえ。だが行かねえって選択はねえ。

 なんたって、てめえは大事な大事な、ハーレムっ第一号なんだからな。

 ひっきりなしに崩れる斜面を必死に登り出すと、丁度魔獣が右腕を頭上高く振り上げた。やべえ、真上から狙う気だ。


「アイシャ! 離れろ!」


 俺の声に反応したアイシャが、後ろ飛びで斜面を下る。すると、ミノタウロスは今までアイシャがいた辺りへ膝を突きながら拳を振り下ろした。もちろんその拳がアイシャの肌へ振れることは無かったんだが、こいつの狙いは地面そのものだったようだ。

 でかいくせに、知恵の回るヤツだ。おかげで小さな土砂崩れが起きて、それに飲まれたアイシャは崩れる地面に這いつくばって懸命に耐えていた。


「バカ野郎! 耐えてどうする!」


 お前が斜面を下がった分と同じだけミノタウロスもずり落ちてるんだ! 今、お前はヤツのすぐそばで這いつくばってるのと同じなんだ!


「こなくそっ!」


 崩れる斜面に抗って走るが、間に合うか!?

 案の定、地滑りのせいでミノタウロスから距離が開いたと勘違いしたアイシャがのんびり立ち上がろうとすると、ようやく自分の目と鼻の先に魔獣の足の裏が持ち上がっていることに気付いて体を強張らせる。


 俺はギリギリ一杯届いたアイシャのベルトを掴んで引っ張って抱きかかえ、そのまま斜面を転がり落ちると、ミノタウロスによる踏みつぶしが俺達の体をかすめるあたりに落下したことを肌で感じた。


 そして次に襲い来るのは土砂崩れ。もう、上も下も、自分が転がっているのか土砂の中にいるのか、何が何だか分からない。ただ必死にアイシャの頭を胸に抱いて耐えていたら……。


「大丈夫か!」

「ぶほっ! ……シーブル!」


 いつの間にやら止まっていた土砂の中から俺達を掘り起こしてくれたのはシーブルだった。これ、最初にミノタウロスと戦った男が村長の娘に助け出された時の心境かな。土から助け出されると、確かに惚れちまいそうになるぜ。


 しかし随分下まで流されちまったんだな、爺さんたちの家が間近に見える。

 つまり石壁にかなり近いところまで落ちたわけなんだが、ここまで来てようやく村が大騒ぎになっている様子が耳に入って来た。

 てめえら、騒いでねえで早く逃げろ。


「あんた…………、助けてくれた」

「は?」


 必死だったからな、すっかり忘れて抱きしまたまんまだったアイシャの頭から手を離したんだが、俺の胸に顔をうずめたまま、なにやらつぶやいてやがる。


「…………二度目だ、助けてくれたの」

「二度目ぇ? 良く分からんが助けるに決まってんだろ」

「なんで……、なの?」


 暗がりにも光を湛えるその美しい瞳に、珍しく涙なんか浮かべてやがるが。

 それを今確認するか?


「てめえが、俺のハーレムっ第一号だから」


 俺が当たり前な事を言うなり、アイシャのポニテが逆立ちだす。


「こっ、こんな時にあんたってやつは!」

「待て待て待て! アイシャ後ろ後ろ! 剣を向けるんならあっち!」


 バカかてめえは! 状況考えろ!

 俺が指を向けた先ではミノタウロスの足音がまた一つ上がって、それに伴う土砂崩れが起きていた。

 そして、頭上から響く獣人族の声。


「来るぞ! 準備を急げ!」

「待ってくれ! せめてもう一本……!」

「いや、いかん! 罠からルートを外した!」


 罠? どこに何を仕掛けてやがるんだ? 目を細めてそこらじゅうを探してみたが暗くてまったく分からん。

 だが、この粗忽には見えたみてえだな。


「あれね! おびき寄せるのはあたしに任せなさい!」


 言うが早いか、愛剣を掴んで走り出したアイシャ。その背を、雲が晴れたのか、眩しいほどの月明りが照らし出す。


 そして同じように赤い体を月に照らし出された魔獣へ向けて高々と剣を掲げたアイシャは、どんな相手でも必ず自分を目掛けて走り出す、そんな言葉を高々と叫んだ。



「牛のくせに! 胸、ぺったんこーーーー!」



「やっぱバカなの!? そんなの女の子じゃなきゃ怒りゃしねえぞ!」



『フンモオオオオオオオッ!!!!』



 …………怒った。



 え?

 君、女の子?



『フンゴゴゴ! ブンモオオオオオ!』


 アイシャ目指して、よだれをまき散らして迫るペッタンコな女の子。

 その怒りは皮膚から巻きあがる炎の激しさに見て取れる。


 安心しろ。少なくともお前より、アイシャの方がペッタンコだから。


 なんてのんきなこと考えてる場合じゃねえ。大丈夫なんだろうな?

 そのままミノタウロスが突っ込んだら、てめえの後ろにある家も粉々だぜ?


 ……ん? 家?

 そうか!


「さあ魔獣! あたし達の知恵を食らえ!」


 アイシャが剣を突き付けると、ミノタウロスの突進がぴたりと止まった。


『ゴハアアアアアアア!』


 月明りを鈍く反射させる細い線。

 あれは鉄線か。


 ミノタウロスが首を吊るようにぶら下がっている鉄線を、周りの木が数十本、これでもかとしなって支え続ける。俺はそれを確認すると、船みてえな形の家に向けて大声をあげた。


「爺さん! 今だ!」


 まるで俺の声が帳を開いたよう。

 暗がりを割って姿を現した爺さんが、怪しい玉を天に掲げる。


「心得た。……月より逃げし異形の子らよ。今宵その姿を晒すも笑うもの無し。赤きにえを食らいて汝らの友と成さん。出でよ、ガンバンデルテ=ズディエティエ」


 なにやら怖え呪文が夜風に乗って聞こえてくると、最後にはバキリと玉が砕ける音で締めくくられた。

 後はもう、開いた口も塞がらねえ。悲鳴を上げながら逃げてきたアイシャに抱き着かれて地べたに腰を落としたまんま、信じられねえ光景をただ見つめる。


 ……魔族のアイテムらしい、おぞましい色の雲。黒墨の中に紫煙が波打つその姿からいくつも目玉が現れてミノタウロスを見つめると、その赤い体を包み込みながら、地面に押し付け始めた。


『ゴアオオオオオ! ゴモオオオオオ!』


 暴れることも許さない。その雲は次第に飴状に艶を出して実体化し始めると、大の字になったミノタウロスを、あり得ないことに山の中へずぶずぶと押し込んでいった。


「ぐあああああっ!」

「爺さん!?」


 だが、突然苦悶の叫びを口にした爺さんが膝を突いて胸のあたりを押さえてやがる。

 まさか爺さん、その玉に生気を吸われてやがるのか!?


「魔族のアイテムなんか使うからそうなる! 今すぐ捨てろ!」

「ごはっ! あと一歩と言うとことで……」


 とうとう爺さんが倒れると同時に、飴状の異形も動きを止めた。

 それを引きちぎったミノタウロスは震える巨体を立ち上がらせると、咆哮をあげようとした代わりにどす黒い血を口から大量に吐いて前に倒れ、そのまま石壁までずり落ちて行った。


「……やったのか?」


 至る所から集まって来た獣人どもが魔獣を見つめるが、俺にしがみついていたアイシャがすくっと立ち上がると、静かにつぶやいた。


「いや、生きてるわ」


 そんな言葉を合図にしたみてえだ。ミノタウロスは震える両手を石壁の縁にかけながら、巨体を立ち上がらせようとし始める。

 村からもそんな様子が見えるんだろう。叫び声がここまで届いて来やがる。


 さて、どうする?


 もう打つ手もない。そう感じ始めた俺の耳に届いた言葉。


「あんた、あれを倒したい?」


 なに言ってんだこいつ。

 妙な事を言いやがる。


 見上げれば、アイシャが月明かりにその頬を白く輝やかせながら魔獣の姿を見つめていた。


「……そうだな。倒さねえと大変だ」

「そうね。……じゃ、本気出すから。さっきあたしを助けてくれた分はチャラね」

「なんだそりゃ」

「あんたに借りを作りたくないのよ。……いつでも、肩を並べて歩きたいのよ」


 なんのつもりで言ったのか分からんが、覚悟のほどは伝わって来た。

 そして……、『本気を出す』。その言葉の意味もな。


「じゃ、今日のとこは頼んだ」

「頼まれた」


 一歩、また一歩。裾長の白いコートを翻しながら歩くその雄姿。

 聖剣・プリムローゼが白く輝き始める。


「百年前、お前のせいで生まれたこの壁は」


 俺のようなまがい物とは違う。さすがは聖者の末裔。この国を守護し続けてきたブルタニス家。その第一王女。

 アイシャ・デ・コンツォ・ブルタニス。


「今日、この日! お前の墓標になるのよ!」


 こいつこそが俺のハーレムっ、第一号だ。




「うおおおああああああ!」




 ミノタウロスのそれを凌駕する絶叫と共に斜面を駆け下りるアイシャの手にした聖剣が、真の力を解放して、夜の闇を昼間に変えるほどの輝きを放つ。


「しねえええええええ!」


 そして高々とジャンプしてミノタウロスの背に切りかかると、普通の武器じゃかすり傷すら付かねえ魔獣の背中から、袈裟懸けに血しぶきがほとばしった。


『グオアアアオオアアアア!!!』


 背をひきつらせて立ち上がったミノタウロスは、そのまま石壁を粉々にしながら倒れ込むと絶叫だけを残して落下していった。


 ……切り立った絶壁のような石壁から落下したんだ。やつの息の音は止まっていることだろう。しかも、奴の体を目掛けて壁が崩れて積もっているようだ。



 まさに、墓標というわけだ。



 …………ん?



 壁が、崩れてる?


「ぼさっとしてんな! 急げ!」

「山が崩れるぞ! 全員、船に退避!」

「崩れる? そ、そうだよどうすんだよ! さっきまでの土砂崩れの比じゃねえぞこんなのうおっ!?」


 獣人の一人が俺の腕を掴むと、そのまま船の形の家に連れ込まれた。

 ちょっ……、ちょっと待て! こんな船で助かるのか!? いや、だからって他の手がある訳もねえが!


「来るぞ! 何かに掴まれ!」


 何かってなんだよ!


 慌てる俺の耳に、地鳴りが届き始める。次に地震みてえな揺れが始まった。

 もう考えてる暇ねえ!


 とっさに俺が掴んだのは、目の前に放り込まれてきたアイシャの胸。

 アイシャの背中越しに見えるシーブルが投げ込んでくれたみてえだが、お前、戸口の外にいるけど間に合うのか?


 そう考えていられたのもそれまでだ。世界が轟音に包まれたかと思うと、あっという間に船尾へ押し付けられて、すぐに天井へ叩きつけられた。

 後はまったく分からねえ。死に物狂いで柔らかいものを掴んだら、まるでアイシャが二度も握るんじゃねえって叫んだ時と同じような音が聞こえて、まるでアイシャの剣に叩かれたような激痛が頭に走って。


 永遠の様な、一瞬の様な、そんな天変地異。

 それがおさまってもなお、体も思考も動かすことが出来ない。


 だが一人がなんとか起き上がると、皆もうめき声を漏らしながら立ち上がる。

 そして扉が無くなっちまった入り口からよろよろと出てみれば、月明りの下、恐らくマッサ村全員の目が俺たちを呆然と見つめていた。


 そりゃそうだ。魔獣が現れて、規模は分からんが土砂崩れになって、船がそれに乗って降りてきたと思ったら俺達が出てきた、なんて訳わからんよな。まずは事情を説明しねえと。


 俺は一歩前に出て事の顛末を説明しようとしたんだが。


「おっとと」


 足元が、まだふらついてたみてえだ。転んで両手両膝を突いちまったんだが、さらに背中に何かが乗った。


「マッサ村の皆様。この度、かような事態になり、さぞ驚かれたことと存じます」

「やめろ外面女。人様を演説台にする時点で粗忽判定待った無しだ」

「ですがご安心ください。魔獣・ミノタウロスは見事討ち果たしました」

「聞けよてめえ。……ん? なんか変だな」


 皆が演説かましてる粗忽を見る目が呆然としてやがる。

 俺はそんな連中を見てるうちに、違和感の正体に気が付いた。


 ……ねえ。

 どこにも家がねえ。


 いや。




 ――村がねえ。




「そして、魔獣を打ち取ったのは誰あらん! なんとブルタひゃわあ!」


 うるせえ粗忽をパンツ丸出しで落としながら立ち上がって、やっと気付いた。

 これって。まさか。


「何すんのよ!」

「いや、おめえはまだ気付いてねのか?」

「はあ? 気付くって何に? ……あれ? 村は?」


 一周遅れで辺りを見回す粗忽の前で、俺は村の場所を指差した。


「…………下?」

「そう」

「…………下ああああああ!?」


 一度は食い止めた土砂崩れ。そこから土砂が日に日に溜まること百年間。今度はそいつがまとめて押し寄せたんだ。


 まあ、当然っちゃ当然か。


 青い顔で俺達を見つめるマッサ村の獣人達。

 魔獣と引き換えに村を失ったこいつらの気持ちは複雑なとこだろうな。


 村を救おうとしてこんなことになっちまった若者達の苦い顔。

 そして英雄になり損ねた爺さんがそそくさと逃げて行きやがるが、お前、さっきまで死にかけてたってのに回復早えなおい。


 まあ、ひとまずあれだ。

 この責任は演説してたこいつに全部かぶってもらおう。

 そう思ったんだが、一足遅かった。


「みなの者、頭が高い! こいつをやらかしたのは、こちらにおわすガルフォンス・デ・ロッツォ・グランベルク様なるぞ!」

「うおおおおおい!」


『どうしてくれるんだバカ王子!』


 どうしろったってよう。銀貨三枚じゃ許してくんねえよな?

 ああ、リーネちゃんまでゴミを見るような目で俺を見てるじゃねえか。


 ん? おお、そうだ!


「全員からさげすまれようとも! リーネちゃんさえいればいい! ほら、全員連れて帰って来たぞ? なんだって言うこときいてくれる約束だったよな!」

「あんたはどうしてそうなのよ! 死ね!」

「うるせえ! てめえは黙って後輩が出来たことを喜んでやがれ! まずはなんだって言うこときく約束を十個にして、その一個目で、ひ、膝枕してください!」

「童貞か!」

「ごはあ!」


 こんだけの目に遭って、まだ俺を叩き伏せるほどの怪力を振るえるとか。

 さすが聖者の血統。


 そんな俺に楚々と近付くリーネちゃん。おお早速膝枕してくれるんだな?


「シーブルは?」


 あ…………。


 リーネちゃんが口にしたその名前。脳裏に蘇る、ヤツの最期の姿。

 そう、シーブルはアイシャを船に投げ込んでくれた後……。


「シーブルはどうしたの? なんで彼だけいないの!」

「……ああ、それが……、シーブルは……」

「ここだよ」


 え!?

 呻くような声に振り返れば、船の影から傷だらけのシーブルが姿を現した。


「よかったぜ! 俺はてっきりダメだって思ってたんだ!」


 俺は慌てて駆け寄ろうとしたんだが、後ろから走って来たハーレムっ第二号にあっさり抜かれて……。


 そして目の前で。

 とんでもねえものを見る羽目になった。


「シーブル!」

「リーネ!」


 熱い抱擁。

 からの熱烈なチュー。


「のわあああああああっ!?」


 呆然とする俺の肩に手が置かれる。なんだよ粗忽。笑いに来たのか?


「……あれじゃ、膝枕なんかしてくれないんじゃないの?」


 ちきしょう、予想通りかよ。なんだてめえのにやけづら。


「代わりに、お前がしてくれるか?」

「死ね!」


 そしていつものフルスイングを食らった俺は船の中に叩き込まれた。



 ……そう、いつも通り。

 こうしてバカ王子の名が国中を席巻し。

 そして、いつも通り。

 国の地図を書き直すことになったわけだ。



 その日以降。

 マッサ村の位置は遥か東に移動した。


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