第8話
まるで槍を模したような陣形。ただ一点突破を試みるのみ、馬謖はその先頭で再び駆けだした。突き刺し、薙ぎ倒し、道をこじ開ける。それでも前に進んでいる感覚がしない。岩山を石つぶてで掘り進んでいる、そんな感覚だ。
すでに槍を持つ手に力を籠めるのが困難になっている。槍を突き出す、しかし、それは弾かれ地に落ちた。太ももに槍が突き立つ。馬謖は腰の剣を抜き、敵の腕を斬って槍を抜く。まだ戦いたい、今だけは全てを忘れて戦っていたい。
「あれは!敵軍の後方より、王平軍、高翔軍が駆けつけてきました!!」
旗下の誰かが叫んだ。確かに、遠くで「王」「高」の旗が揺れていた。旗下の騎馬隊が馬謖を囲む。一気に張りつめていたものが切れた気がした、馬謖は大きく息を切らし何度も嗚咽を漏らす。しかし水の入っていない胃からは何も逆流してこない、ただ苦しい呻き声だけが体に響く。
背後から急襲された重装兵は道を開けるように割れ、被害を最小限に僅かに退く。
「無事でしたか馬謖将軍」
「……王平、殿」
「無理に口を開かなくて結構でございます。馬謖殿は中軍にて指揮を。前線を高翔将軍、私が後方の司馬懿軍を食い止めます」
「いや……行かなくて、良い」
何を。王平はそう口走りながら、馬謖の指す方に目を向けた。
揺れる旗は「魏」の文字。あれほど低かった蜀軍の士気が一気に盛り上がる。万を超える兵士の怒号の中、はっきりとその声は聞こえてきた。
「──高翔!王平!馬謖!!この魏延が来たからには、必ずお前らを生きて帰す!!」
蜀軍一の精鋭部隊。その勢いはすさまじく、包囲網を一瞬で破り救援へ駆けつけてきた。
その先頭で薙刀を振るのは魏延将軍。防御を全く考えない圧倒的な武力、例え相手が重装兵であろうとその勢いは変わらず、むしろ増すばかりだ。その刃は前に前に加速し、塞がる全てを断ち切っていく。
全身に血を浴び、敵兵を斬りながら、魏延は大きく笑った。
「初陣が大敗か!馬謖、お前はきっと良い将軍に育つぞ!!」
魏延は再び来た道を駆け戻り、包囲網の中で道を作った。僅か一瞬でだ。嵐のような峻烈さ、あとはこの道をなぞるだけで楽に退却が出来そうだ。
「王平殿……これは、撤退ですか?」
「はい。諸葛丞相からの命でございます。全軍陽平関へ撤退、その後蜀へと戻るとのこと。先日、その伝令が届きました」
「そう、ですか。先生の……」
再び大きく嗚咽を漏らし、馬謖の視界は一瞬で闇に呑まれた。
街亭は出陣した王平と入れ替わるように張コウが進軍し、城を占拠。高翔の駐屯していた烈柳城は、司馬懿軍の別動隊が占拠していた。
北伐の為の食糧庫を失った。馬謖軍は全滅にも近い損害を出し、王平軍、高翔軍もまたその被害は相当なものであった。魏延の到着が遅れれば、間違いなく全滅していただろう。
それに対して、曹真軍を相手にしていた趙雲の軍は、撤退戦で倍以上も差のある大軍を相手に全くの損害を出していなかった。むしろ追撃してきた敵を追い散らし、兵糧などを奪ってくるような活躍を見せていた。
空気は重く、北伐を目前にしていたという思いの強い文官武将はそれぞれに涙を落としている。しかし、魏延の顔だけは比較的明るい。
「丞相譲りの冷徹な切れ者だと思っていたが、お前もやっぱり人間だった。失敗することもある、それを恐れてたら軍人は務まらん。お前は若くしてそれを知ることが出来たのだ。もし兵卒に落とされてもこの魏延が面倒を見てやろう、そう気を落とすな」
何故、魏延が兵に慕われているのかがよく分かった気がした。
それでも馬謖の表情は重く、まるで生気を感じられない。王平の目から見て、馬謖はこの撤退の帰路の中で酷く痩せてしまったように思える。
馬謖は旗下の兵に命じ自らの体を縛る。全ての文官と武将が並んでいる中、王平と魏延、高翔、そして両腕を後ろで縛った馬謖が諸葛亮に帰還の旨を報告した。誰一人として馬謖を責める者はいない。しかし、行き場の無い悔しさや無念の心境が痛いほど肌に刺さる。
「魏延都督、被害の報告をせよ」
「我が軍の損害は軽微。王平は旗下五千の兵の半数を、高翔も一万のうち三千を失っております。馬謖の軍は、五千の兵が敵に降伏、さらに一万以上が討ち取られたり帰還の途中で死んでおります」
「都督の迅速な行動が無ければ、街亭の軍は全滅を免れなかったであろう。よく働いてくれた」
諸葛亮の顔には疲労の色が濃い。張りつめた獣のような緊張感は、今やどこにもない。
「高翔将軍は、この十日の間どう動いた」
「私は、烈柳城にて一万を待機させておりました。五日を過ぎた頃、王平将軍の早馬が届き、山頂に布陣した馬謖将軍の水はあと数日でなくなるとの報告を受けました。その後全軍の準備を二日で整えた後に出陣。途中で魏軍の小規模の隊を破りながら救援へ駆けつけました」
「王平将軍はどうだ。馬謖を、止めなかったのか」
「何度もお諫め申し上げました。しかし馬謖将軍は無理矢理に山頂へ陣を敷き始めたので、私は副将の立場ながらも丞相の指令を優先し、旗下五千と共に山道に布陣。そして布陣の図を丞相に届け、早馬で高翔将軍へ救援の伝令を送りました」
「分かった。馬謖以外は列につけ」
魏延、高翔、王平はそれぞれの列の位置につく。馬謖は下を向いたまま、その場で膝を折った。
「馬謖、申し開きがあるなら述べよ」
「……ございません」
「そうか。お前の罪は重い。軍令に背き、大軍を失った。軍法に照らし合わせ、お前を──死罪とする」
表情を変えずに淡々と。それはまた馬謖も同じで、黙々と言葉を受け止める。
しかし、いや、やはりここで前に出る者がいた。魏延と、文官筆頭の「楊儀」の二人だ。文官武将の筆頭である二人が、異議の為に諸葛亮の前で膝をつく。
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