第6話
到底理解できる行動では無かった。どう考えても山頂の布陣は理に適ったものではない。
散々止めた。それでも馬謖は聞く耳を持たなかった。
馬謖の体は震えていた。震えながら、王平に対して「兵法を知らぬ異民族の癖に」と何度も暴言を吐くのだ。その暴言には不思議と腹が立つことは無く、むしろ哀れに思えてくるほどであった。自らを奮い立たせる為にわざと暴言を吐いているとしか思えなかった。普段の馬謖ならば、絶対にそのようなことは言わないからだ。
「急ぎ丞相にこの布陣の地図を届けるのだ。昼夜を通して駆けよ、事は一刻を争う」
「御意」
旗下の兵士に地図を持たせて放つ。
王平は馬謖の命令よりも諸葛亮の命令を順守する為に、僅か五千の直属の旗下の兵士達を率いて山道に陣を構えた。
敵は迫り、半刻ほどすればここは戦場に変わる。敵の数は十万強、それでも、自分には譲れない「芯」がある。五千で、十日持ち堪えて見せるのだ。死の際まで粘る、その後の事はその時に考えればいい。
日が傾きかけた頃に、「張」の旗を掲げる魏軍の兵士が押し寄せた。元々魏軍にいた王平は、思わず歯噛みする。よりによって非常に厄介な将軍と当たってしまったと感じたからである。魏軍の先鋒の将軍は「張コウ」、魏を築いた曹操の時代から戦場に立ってきた名将の一人である。
その攻め方はまさに王道。誇り高い性格の張コウらしい、大軍でもって敵を揉み潰すことを得意とした小細工無しの戦法だ。攻め手に微塵も隙がなく、美しく感じてしまう程に統率も取れていた。
王平は狭き山道に陣を敷き、杭を打ち、道の途中に大小様々な岩を置くなどあらゆる手段を使い、敵兵の足を止めて押し返す。そして最も徹底させたのは、とにかく声を出させることだった。怪我をして後方に下がってもなお、兵士には声を上げさせ続けた。
声がよく出る兵士は、自然と士気が高く見える。五千の兵士で声を上げ続ければ、敵はその意気に飲まれて、伏兵や奇策を警戒してしまうのだ。戦場に立ってきた人間なら誰でも知っている事であり、万策に通じる戦術だ。戦うよりも声を出す、王平はこれをとにかく徹底させた。
諸葛亮の奇策に散々悩まされ続けてきた魏軍の兵に、この戦法は予想以上の成果を上げた。日が沈む頃には、明らかに攻めの圧力は弱くなっていた。
山の方は、「司馬」の旗が掲げられた魏軍によって囲まれている。そのまま締め上げるように攻めるが、馬謖は岩を落とし、弓を射かけ全く敵兵を寄せ付けなかった。魏軍が火矢で木々を燃やしても、馬謖は予め細工をしていたのか、燃えた木々はあっけなく倒れ、燃えたまま魏軍を圧し潰しながら転がった。
元々、戦は高い方に位置している軍の方が強い。その上、守り方も上手く出来ている。司馬懿の軍が攻めあぐねている様子が、王平の位置からでもよく見えた。
だからこそどうしても理解が出来ない。あそこまで上手く戦えるのに、どうして山頂に陣を構えたのだろうかと。
二日目から、両軍の動きは無くなった。
司馬懿軍は山を取り囲んだままで、張コウ軍も王平軍の陣の前で対峙する。王平は、これを最も恐れていた。
あの山の頂には水源がなく、地盤も固い為、地下の水脈も期待できない。水を得るためには山を下るしか方法がなく、このまま包囲を続けられれば、あっというまに馬謖の二万五千の兵は干上がってしまうのだ。
馬謖は戦が始まる前に十分すぎるほどの水を蓄えていたが、二万五千が毎日水を使用するとなると、その蓄えはあまりにも心細いものである。
さらに、張コウが攻めてこないのは、王平軍が山の包囲網に戦の最中で穴を生み出すことを恐れているためだろう。一兵も通さなければ山頂の馬謖軍は勝手に干上がる。その時に全軍で攻め込まれれば、いくら細道といえど、王平軍は耐えきれずあっという間に揉み潰されてしまう。
しかし、動くことは出来ない。動くには、あまりにも王平の軍は少なすぎた。
六日目。
この日に、馬謖軍が水不足で耐えきれなくなると王平は踏んでいた。事情を聞きつけた高翔将軍は既に、烈柳城にて一万の兵を臨戦態勢に置いたらしい。
しかしそれでも、馬謖軍は出陣しなかった。意外によく耐えているが、斥候の情報では、馬謖軍は数百の決死隊で山を下らせて水を汲みに行かせたらしい。そして、その全てが司馬懿軍に討たれるか、降伏してしまったとか。
持ってあと二日。恐らく明日は多くの兵が陣を抜けて、魏軍に下る。
そして明後日、これ以上兵を損なわない為に、馬謖は全軍でもって司馬懿の包囲網を突き抜けようとするだろう。
その時に自分はどうするだろうか。自業自得だとして守りをさらに固めるか、それとも勝ち目の少ない戦場へ飛び込むか。それは、その時に考えよう。王平は首を回す、小気味の良い音が鳴り、鈍い痛みが頭に広がった。
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