第1話

落ちてゆく。

青。緑。光?

ぼんやりとした頭は考えることを投げ出したままだ。

沈む?落ちる?登る?

なにも考えられない脳内に映るのは、いつかの景色。

今はどこにいるのだろう、かつての親友の、恐ろしく冷たい、恨みのこもった目線と、彼の瞳に映った、俺の、俺だったなにか。


その、消したはずの、見ないようにして、誤魔化してきた景色が、脳内を飽和させる。


冷たい。水?

水中だ。

それに気づいたと同時に、苦しさが襲う。早く息継ぎを。

澄み切った青い水を手で切る。

水面に顔を出す。目の前に映る風景を、まともに受け入れられるような脳は、俺にはない。

「どこだ…ここ」

膝丈くらいまでが水に浸かっている。立っているのは、線路だ。

線路が水に浸かっている。そして、立ち並ぶのは、苔やツタに覆われたビル群で、あちこちに木が生えている。

無機質な鉄フェンスに朝顔が登り、左側のビルから漏れる光がどこか寂しげに、朝顔のシルエットを映し出している。

俺は、死んだはずだ。今になって考えると、とても愚かなことをしていた。

「誰もいない」

人どころか、鳥も、何もいない。

……異世界転生というやつだろうか。

に、しては、気が利かない。いきなり誰も居ない場所に放り出されて。特殊能力もあるような気がしないし、なにより、神様的な存在と話もしていない。なにより、ここは日本ではないだろうか。

緑に覆われていて、どこか、までは分からないが、地球であるはずだ。

まあ、そんなことを考えてもきりがない。とりあえずは、

「ファイア!」

右手を突き出し、声高に叫ぶ。当然なにも出ない上に、静かなこの場所に、無駄に反響して、とても間抜けだ。誰もいないから良かったが、街中でこんなことをしようものなら、変質者以外の何者でもないだろう。

「あ、あの、何を、してるんですか?」

不安げな、聞き逃してしまいそうな声。

「え?」

一瞬、脳が硬直した。

俺がこの謎の場所にいる→原因は恐らく電車に轢かれたこと→そういえば一緒にいた白髪の少女はどうなった?

完全に理解。俺は変質者以外の何者でもなかった。死にたい。

「あ、あは、ごめん、忘れてほしい」

俺の前に立つのは、予想通り、白髪の彼女である。

あまりよく見ていなかったが、実際、だいぶ小柄だ。制服から見て、千秋と同じ一年だろうが、150センチ半ばくらいしかない。あと、何が、と具体例に言うのは敢えて控えるが、B、Cくらいだ。そして、その瞳は紅く、日本人ではない様に思えた。

しかし、彼女の容姿についてはあまり触れないほうがよさそうだ。

「ここは、どこだろうね」

「ごめんなさい、分からないです」

彼女が知ってるわけないが、気まずい空気を無理やり振り切った。たぶん。

「あ、そうだ、名前は?」

「え、あ、一年の佐伯伊織です」

「俺は二年の青井薫、よろしく、佐伯さん同じ高校かな?」

自己紹介を普通にしているが、状況はかなり悪い。水、食料、このふたつがあるかもわからない上に、モンスターとかがいるかもしれない。最後のはちょっとした願望だが。

「よろしくお願いします、先輩」

「じゃあ、周りをちょっと探索してみよう、もしかしたら、他に人がいるかも」

希望的観測ではあるものの、人間が廃墟と化したここで、集落を作って生活しているかもしれない。

「あの、食料とかって、どうしましょう」

「そうだねー、そこが困る。餓死とかやだし」

「でも、草とかはありますし、果物とかもあるかもしれません」

タンパク質は?まあ、ひとまずはこれからの行動だ。線路の上で立ち話するのは辛い。俺は、線路の向こう側を指差す。

「じゃあ、向こうに駅がうっすら見えるから、ひとまずそこまで移動しようか、なにか手掛かりがあるかも」

「わかりました」

駅が近くて助かった。駅チカだ。好立地である。そんなことを考えながら線路沿いをちゃぷちゃぷと、音を立てながら歩く。

「…………」

「…………」

話題が無い。空気が重い。

そんなことを考えだしたのは、歩き始めて、約40秒後のことだ。

照りつける太陽が辛い。そのくせに、光が水面に反射して綺麗だし、むかつく。

これからどうなるかも分からなくて、家族や友人に会えないというのに、こんな呑気な思考が出来るのは、長所か、短所か。

「…暑いね」

「は、はい!そうですね!」

「…………」

「…………」

会話が終わった。

「え、あー、佐伯さんの家族って、どんな感じ?一人っ子?」

「……私、両親から虐待を受けてたから、今は祖父の家で暮らしていますよ」

困ったように微笑みながら、並んで歩く伊織が呟く。

「そっか…いや、なんかごめん」

「大丈夫です、気にしないでください」

「………」

「………」


気まずい時間を乗り越え、駅に到着。駅は、そこまで大きくなく、屋根のところどころに空いた穴から射す光が寂寥感を助長させている。

「ふう、やっと登れた」

「線路からホームに登るなんて経験、滅多にできないですね」

やはり駅にも人気はない。

伊織も不安を抱えているはずなのに、明るく微笑んで、こちらの不安を和らげようと努力してくれる様子が、とても痛ましく、そんな彼女を利用しようと、いや、現在進行形で利用している俺に自己嫌悪する。

駅のホームは、さしずめ、雑草のカーペットが敷かれている様になっていて、見る影もない。ベンチは苔で彩られ、自販機も緑色に染まっていて、元の色はほぼ見えない。ひび割れたコンクリートからは背の低い木が伸びている。

上に視線をやると、穴だらけの天井は当然植物で覆われていて、ところどころに白い花が咲いていた。売店だろうか、小屋のようなものもある。どちらにしろ、管理が行き届いていないのは一目瞭然だ。

「小屋に食べ物とかないかな」

「絶対腐ってます」

冗談混じりに小屋に近づく。

商品は意外とたくさんあった。人が住んでいるな真っ先に無くなっているはずなので、やはり人はいないようだ。

「あれ?ちょっとまって?食べれそうなんだけど」

「え?」

俺はサンドイッチを眺めながら告げる。

サンドイッチなんて、こんなに風化するほどの時間が経ったら、すごいことになっているはずだ。

しかし、そのサンドイッチは、キャベツも、トマトも、とても綺麗で、瑞々しい。光を反射して輝いているほどだ。

「や、やめときましょう、お腹壊しますよ?」

「えー?でも、ほら、こんなに綺麗」

「うー…でも、食中毒とか…やっぱり、ほら、危ないからだめです」

「大丈夫、自己責任で食べる!」

伊織はなかなか認めない。言っていることはわかるのだが、このサンドイッチが食えるとなると、食料の問題が解決するかもしれない。

「でも…危ないです。おばあちゃんが古いものを食べてはいけないって、言ってましたし」

おばあちゃんが出てきた。やっぱり食料は大事だろう。おばあちゃんには悪いが食べることにした。

俺はサンドイッチの包装を剥ぐと口に含む。

「ちょ、あ、先輩!お腹壊しますよ!」

パンを食み、シャキッという軽快な音。…あれ?おいしい。独特の腐臭もしなかった。トマトの汁が、レタスの水分が、喉に吸い込まれる。お?これ、おお?

「食える!食えるぞ!」

どこかで聞いたような台詞を吐く。しばらく待って、お腹が痛くなければ、サンドイッチは腐っていない、つまり売店の商品は全て食べられるという事になる。

「…でも、やっぱり危ないと思います」

なぜ食べられるのか、これからどうなるか、なにか仕組まれているのではないか、不安はまだまだ、それこそ腐るほどある。それでも、

不満げに紅い目を伏せる伊織を横目で見ていると、少しだけ安心できる。

それは、どちらの意味でだろうか。

まだ、分からなかった。


「さてと、これからどうなるかな?ちゃんと、「二人共」救われないと」

駅の屋根の上、本当に小さく呟いたその「猫」は、小さく欠伸をした。







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